2007年11月29日

90年代新日本プロレスの黄金期

私が中学から高校生にかけての新日本プロレスのブームが終わりを告げ、長い冬の時代を向かえる事に成った。
徐々に回復の兆しを見せ始め、武藤敬司が最後の凱旋帰国を果たした東京ベイNKホールのイベントをエポックメイキングにして、新日本の長い黄金時代が到来したのである。
私の記憶ではあのNKホールの試合から第一試合からテーマ曲で入場するのが常となったような気がする。
観客も長い冬の時代、そしてロシア軍団、橋本の帰国等の胎動期間を充分経たからこそ、NKホールでの試合にて新日本は黄金期を迎える事を確信していたようなフシがあった。
以降、90年代、新日本はトップから中堅、エースから前座に至るまで恐ろしいほどの層の厚さを持って業界での帝国振りを築くことになる。

エポックメイキングとなった新日本での三銃士揃い踏みを見て、少し、複雑な気持ちに成った。
アントニオ猪木の、強さ、色気、日本プロレス時代のスタンダード、それらを三銃士に振り分けた事で、恐ろしい程の効率の悪さが生じてしまった。
アントニオ猪木にだけ支払うギャラを三倍もの人件費をかけて支払ざるを得ないあまりにもコストの掛かりすぎる層の厚さに対してで有る。
時代はプロレスブームを経てプロレスラーに憧れて来た男達が前座から揃う団体である。
誰も自分の役回り等意識しない世界に成っていた。
結果、90年代新日本とはあまりにも、我が我がとスター意識の高いプロレスラー達のコストに苦しめられ続けて来た時代と成って行くのだ。
私が驚いたのは90年代、人件費を支払う為に借り入れを繰り返し、ドームの度に返済していたとの坂口社長の言葉であった。
実はドーム興行は選手に払った年棒をペイする為の大会であったので有る。
堅実ゆえの坂口だからこそ出来た、実はギリギリであった90年代新日本プロレス黄金期の実体であった。
そういう意味では当時ライバル団体ともいえたUインターは、プロレスブーム以前のように自分の役回りをきっちりと把握した選手達が脇を固め単独スターの高田で人気を博せた団体でもあった。
もう少しフロント陣に新日本的ではなく、シンプルな経営感覚があれば、理想のプロレス団体の経営を築けたのではないだろうか?
このプロレス市場で、複数スター制にしては、業界の採算等とれないことを既に90年代の新日本は実証していたのである。
テレビに出ず、イベントだけで利益を上げる歌手のコンサートのような盛況を博した90年代の新日本のドーム興行であったが、実は一つのコンサートの利益を喰らい合う我の強い選手達の複数スター制度に苦しめられ続けて来た時代でもあったのだ。
少し光が灯しつつ有る新日本であるが、90年代の姿を未だ追い求めていてはどうなるであろう?

人気ブログランキングへ







posted by shingol at 17:25| 新・レッスルする世界

2007年11月28日

プロレスと云う動詞の愛

私は幼い頃より両親が離婚した。
しかし私の心の中の愛情のタンクは幼き頃より一杯であった。
父も、母も、どれほど私を溺愛してくれたかというのは潜在的にも理解出来るからである。
もう一つ私の愛情のタンクが満杯になっている原因としてプロレスの存在が有る。
どれほど孤独な時でもブラウン管の中のプロレスラー達は、勇気、愛、様々なメッセッージを無償で送り続けて来てくれたからだ。
プロレスの闘いがフェイクであれ、プロレスラーが行う運動量に嘘は無い。
プロレスとはリアル、フェイク、そういう名詞で片付けられる世界では無い。
リアルであれ、フェイクであれ、プロレスラー達が私に向けて、実際に消費してくれた熱量、運動量は動詞でしかないのである。

私は孤独に少年時代、私を救ってくれたプロレスラーにどれほどの動詞の愛をもらったかは分からない。
それほどプロレスとは多くの人を救う、まさしく偽の闘い、つまり人の為の闘いであるにも関わらず、今のプロレス界は多くの人にメッセージを発信する事を忘れ、プロレスの小さな社会での発信業務に夢中である。

私はそれがもの凄く淋しくも有る。

プロレスが上手い者同士のプロレス的ベストバウトをいくら展開した所で、多くの潜在的にプロレスを必要とする弱者に、プロレスの存在を知らせてあげる事は出来ないのである。

しかし、どんどんどんどんプロレス界がムラ社会と化して行く。
私はそれが心底、悲しくもある。

プロレスとは決して完成されたベストバウとを提供してファンを喜ばせるだけのジャンルではなかったはずである。

人気ブログランキングへ







posted by shingol at 20:53| 新・レッスルする世界

三沢光晴という凄玉

三沢光晴は恐らく大学に進学していれば五輪に出場していただろう。
それくらいアマチュアレスリングのポテンシャルの高い男であった。
しかし大卒で輝かしい経歴と圧倒的な実力を持ってプロ入りしなかった事で、逆に、三沢の男としての凄玉ぶりは証明出来ているのである。

クラスのどこでもリーダーとなってクラスメイトを引っ張って行く男はいるものである。
そういう男は決してクラスで一番腕っ節が強い男ではない。
最低限の腕っぷしを持ちながら、それ以上に、クラスをまとめる親分肌に長けた男である。
極端な話、人間として未熟であるものの感性や動物的本能に長けた中学、高校の時分ならば誰でも三沢のような男をクラスの長として讃えるであろう。
つまり、人間としての強さを、本能的に多くの人間に抱かせてしまうのである。

私が三沢を評価するのは前記事でも書いたが、限りなく、勝負論に徹した、つまり競技スポーツとしてのディフォルメとしてのプロレスを完遂している事である。

三沢が勝ち名乗りをあげる時、まるでアマチュアレスラーのような照れた仕草のガッツポーズには、古き良きプロレスラーの風情を私は感じる。

人気ブログランキングへ







posted by shingol at 20:23| 新・レッスルする世界

闘いのディフォルメ

ある映画監督に聞いた話である。
例えば本物のアクションシーンを作るとして、リアルなローキックを真剣勝負さながらに、本気で打ち合った所で、リアルな迫力は醸し出せないという事であった。
リアルさを大多数に知らせる為には、ある程度のディフォルメが必要である。
そういう意味ではプロレスのオーバーアクション、プロレス技のディフォルメもリアルさを醸し出す為の必要不可欠な要素である。
しかし、それはあくまで闘いのリアルさを出す為である。
しかし今のプロレスとはプロレス本来のディフォルメの意味を忘れ、リアルさとは程遠い世界に行き着いた気がする。
リアルさを表現する為ではなく、リアルで無い事を証明する為に今のプロレスは存在しているようだ。
今更、フェイクと分かっているプロレスに、リアルさを出す必要等無いと思っている限り、プロレスの復活は二度と無いであろう。

ノアのプロレスとは私的好みと大きく異なるプロレスである。
しかしノアが何故、今、現在プロレス界の中で最も支持を集めているかは分かる気がする。
ディフォルメした世界の最たるプロレス技のオンパレードであっても、くそ真面目に、闘いをディフォルメしているからである。

前田日明が唯一認めるプロレス団体なだけは有る。

人気ブログランキングへ







posted by shingol at 20:12| 新・レッスルする世界

2007年11月27日

村上和成の妖気と色気

私は村上和成とはある意味で、アントニオ猪木の理想とするプロレスラーではないかと思っている。

プロレスが上手いどころかプロレスの基本さえ出来ているわけではない。
しかし上手さの変わりに最低限の強さの基本がある。
プロレス的なパフォーマンスの変わりに、アントニオ猪木的プロレス演劇論を実践している男でもある。
リアルファイトでも、セメントでもないのに、同様の刃をしっかりと心内に納めながら闘う。
かつ、納めながらも、決して抜くことは無い。
抜けばプロレスではなくなる。
心内に存在している感情を全開はさせず溜める事で、醸し出すのは、色気であり、殺気である。
村上の場合、それら色気と殺気の度が過ぎて妖気さえ醸し出している。

アントニオ猪木は別にロープワークの練習も、派手なジェスチャーもプロレスに必要だとは思っていない。
本当に闘える男であること、そして闘う感情を持ちつづけること、その感情を露出せず内に秘めることで色気を醸し出すこと。
プロレスというフェイクの闘いにこそ、それらの要素が必要不可欠であると考えて、逆に言えば、それらがあれば、プロレスは出来ると考えているふしがある。

フェイクだからこそ、本当に闘える能力、そして、闘う感情が必要なのに、多くの格闘家出身のプロレスラーたちは、闘う感情を捨て去ることがプロレスだと思っているようである。
あるいは普通のプロレスラーならば、いたずらに感情の放出先を安全地帯への胸板へのチョップ合戦にしてしまいがちである。

猪木的プロレスとはそうではない。
本当に命のやり取りをするほどのリアルな感情を持ち、かつ、いたずらに露出させず、内に秘めることで、色気と殺気を醸し出すプロレスである。

そういう意味で村上和成ほどアントニオ猪木的プロレスを忠実に表現している男もいないであろう。
本人は決して言わないが、格闘家以前に、プロレスファンであった気配がある。
しかし自分はプロレスファンであったことは言わない点は村上のセンスでもある。

格闘家出身で、あそこまで、プロレスに対してのリスペクトを持つ男もいないであろう。
おそらく身体的にはともかく、精神的にはリアルな闘いと同様の熱量を消費している男なのではないだろうか?

プロレスの基本とは何か?
プロレスのパフォーマンスとは何か?
ロープワークが出来る前に、強い事。
プロレス的な技の応酬が出来る前に、闘う気持ちを持つ事ではなかったか?
プロレスの約束的な動きで客を沸かす前に、その佇まいだけで客を掌に乗せてしまうことではないのか。


私的には、村上和成ほど、プロレスの基本の知り実践している男はいないと思っている。

人気ブログランキングへ


【エヌナノアフターシェイブジェル】最強抑毛剤ナノナノのヒゲ用バージョン登場!大豆イソフラボン・パパイン酵素高配合!【これこれ倶楽部】


薬用リョウガ(アランテ2)♪超人気の育毛剤「薬用アランテ」から『超強力版凌駕』が新登場!【大海(やまと)ショップ】


ゼナシス -XENASIS-【healthy-support】
posted by shingol at 14:41| 新・レッスルする世界

初代タイガーマスクとルチャ勢の闘い

私もプロレスブーム時のタイガーマスクの動きには驚き夢中になったものであった。
どのような相手であれ、相手の協力に頼らず自分の動きを遂行できる力を持っていたタイガーマスクであったが、その本領はブラック・タイガー、小林邦明、ダイナマイトキッドといった手の合うライバルたちとの闘いにおいて
発揮されたといえるだろう。

私が少し覚えていることはメキシコ勢との試合では何故かグタグダの攻防が多く噛みあわない印象を受けたことである。
しかし、実は、私にとってタイガーマスクのベストバウトは、そのメキシコのビジャノ3号との試合であった。
確か金曜日ではなかった別枠の特番でタイガーマスクとビジャノ3号の試合は行われていたような気がする。
起承転結のはっきりとしたじっくりとした攻防、終盤に数分の見所が凝縮されたクラシックな試合運びの試合が私には印象深かった。
対してダイナマイトキッド、ブラックタイガー、小林たちとの闘いでは、もはや全篇クライマックスシーンとなった商業プロレス、売れ線プロレスの印象を拭えなかった。

実はビジャノのようにじっくりと味わい深い攻防を展開した上でタイガーマスクの魅力を引き出すことは他の多くのメキシコ勢も出来たのであろうが、当時の生中継、つかみの必要性、売れ線的動きが足かせとなって、多くがグタグダのタイガーの試合らしからぬ展開となっていたような気がしてしまう。

人気ブログランキングへ


【エヌナノアフターシェイブジェル】最強抑毛剤ナノナノのヒゲ用バージョン登場!大豆イソフラボン・パパイン酵素高配合!【これこれ倶楽部】

ゼナシス -XENASIS-【healthy-support】


『シトルリンΩ』↑新医薬成分でペニス増大↑!!【healthy-support】
posted by shingol at 10:15| 新・レッスルする世界

2007年11月26日

新日本プロレスよ、目を覚ませ!!

私が自分のプロレスファンとしての心の故郷というべき新日本プロレスに言いたい事は一つだけである。
新日本プロレスよ、目を覚ませ、これだけである。
このままプロレスファンの顔色を伺うような熱戦を繰り広げ、プロレスファンの満足するベストバウトを繰り広げたところで、市場の大きさは変わらないのだ。
インディー市場ならそれで良いだろう。
しかし曲がり間違っても年に幾度かは国技館、府立体育館を満員にしなければ採算の取れないメジャー団体なのである。
もはや市場規模など会場の集客数に見合う数も無いのに、ひたすらプロレス村へのメッセージに必死のようである。
もし勇気が有るなら、プロレスファンの顔色など伺わず、プロレス的な上手さなど気にせず、プロレスファンを裏切り失望させる試合を展開させる事である。

プロレスが上手くなる練習をするくらいなら強くなる練習をする事である。
プロレス頭を磨く暇が有るなら、読書、そしてパチンコ意外の遊びに精を出す事である。

アントニオ猪木も前田日明も長州力も皆プロレスが上手いわけでなかった。
プロレスファンで無い人間でさえ取り込んでしまうほどの異形の無頼の格好良さに包まれた選手であったという事だ。
その異形の、武頼の、格好良さがプロレス頭で成り立っていたならば、ここまで猪木、前田、長州の世間への浸透度はあり得なかっただろう。

今、新日本プロレスでは世間の標準のイケメン像の二番煎じである棚橋がエースである。

棚橋のようなプロレスの上手くミニマムにまとまっている男は脇役で有れば新日本プロレスの財産で有る。
しかし所詮、世間の二番煎じでしかない男がいくらプロレスが上手くとも、プロレスファンの喜ぶベストバウトを展開しようが、市場の規模は大きくはならない。
インディー市場並みの規模となった新日本プロレスには、ある意味ふさわしいエースであるかも知れないが、棚橋がエースで有れば有るほど新日本のインディー化けに拍車がかかるであろう。
そうなると、あの大所帯を棚橋が背負えるのか?
新日本のエースの歴史とは世間に迎合する人間ではなく、世間には異形の、あるいは世間をリードする男である。
床屋に置いてあるような余りにも一般的なファッション雑誌のステレオタイプのような男が、いくらプロレスが上手くとも世間は動かない。
世間を動かさなければ採算の取れない新日本が、今の市場規模を守る為にかどうか、プロレス村回帰に必死である。いい加減、新日本は気付けば良い。
世間に届く為には、世間をリードするか、あるいは世間とは異形の格好良さを持つ選手が
必要である事を。
そして世間に届かなければ、大所帯、新日本は潰れてしまう事を。

人気ブログランキングへ


【エヌナノアフターシェイブジェル】最強抑毛剤ナノナノのヒゲ用バージョン登場!大豆イソフラボン・パパイン酵素高配合!【これこれ倶楽部】


薬用リョウガ(アランテ2)♪超人気の育毛剤「薬用アランテ」から『超強力版凌駕』が新登場!【大海(やまと)ショップ】


ゼナシス -XENASIS-【healthy-support】
posted by shingol at 21:24| 新・レッスルする世界

近藤有己という波動/2

私は近藤有己ほど波動感を持つレスラーは存在しないと思っている。

一時の桜庭も似たような波動を感じさせたものだが、波動感にかけては近藤が現在最も際立っている。
単なる癒し系ということでなく、身体、闘い方から、もう少し鋭角で、かつ牧歌的、アナログ的なものが漂っているのである。

牧歌的でアナログ的ではあるが、鋭角的、先鋭的であるので、どこかにファッショナブルな色気を醸し出すのも当然の事である。

何に例えれば良いか難しいところであるが、私の街、大阪で例えると、堀江辺りのカフェや衣料品店の匂いと、近藤の醸し出す匂いが同じなのだ。

近藤の闘いぶりには我は無い。
プロレス的な例えを持ち出せば、決して張り手合戦に意地を張るようなタイプではないであろう。
誰かとの比較などとは関係の無いたった一人の自分の世界が完成されつつあるからこそ、他者との競争心は無いのだ。

本来なら須藤元気あたりが達観していそうな精神世界にも、ひょっとすれば近藤は須藤よりも先に到達しているのかもしれない。
須藤の場合、その闘いぶりに、まだ、近藤ほどのアナログ感は無かった。

その精神世界が高ければ高い世界であるほど、近藤のファイト振りは空回りしてきつつあるのが現状である。

しかし、何故か、多くの観客は、敗戦を重ねる近藤の試合があれば、やはり注目してしまうであろう。
多くの人があの波動感を観たいのだ。

近藤の心の奥底に、ほんの少しのアドレナリン的世界を維持できたら、近藤はあの郷野を恐ろしく淡々と病院送りにしたような、闘いぶりを見せてくれるような気がする。
以前も記したが、リラックスを心がけるあまり、攻撃性、サイキングアップの点火を疎かにしているのではないか?


好不調の波も激しいが、上手くその波を乗りこなすのが近藤という男である。
来年の活躍を待ちたい。

人気ブログランキングへ

stmx








posted by shingol at 17:40| 新・レッスルする世界

棚橋弘至

以前、書いた記事とも重複してしまうが、私が不思議なのは棚橋弘至が世間に通じるイケメンだと本気で思っているプロレスファンが多いことである。
あの小林邦明ですら「Gスピリット」誌のインタビューで、ゴールデンタイムで棚橋が放映されたらすごいスターになるというようなことを語っていたのには驚いてしまった。

棚橋はそこそこにお洒落でそこそこにマスクもよく、そこそこに肉体も見栄えがする。
プロレスもそこそこに上手い。
つまり、全てがそこそこでしかないのだ。

世間において棚橋と同タイプのそこそこのイケメンの若者など五万といるのだ。
流行の服装に身を包みプロレスファンの中だけでファッションリーダーを気取っても、流行を身に着ける時点で、もう流行りの便乗者でしかないのだ。
最大公約数相手の流行の世界から一歩も抜け出せないような男でしかないのである。

逆に最大公約数よりも更に感度の高い人間相手に感性が評価される宇野薫などとの違いを見るにつけ、格闘技界とプロレス界の時代のリードの差を感じずにはおられない。

もっともプロレス界には棚橋以上に世間的にいい男、お洒落な男はもっと存在している。
しかし悲しいのはプロレス界の最大公約数のデパート団体である新日本で棚橋が一番のいい男であるという点である。

世間の若者は時代に迎合する人間になど魅力など持たないはすである。

服装など無頓着であれ、異形の人であれ、自分たちには無い何がしかの魅力的なものを持つ選手を応援するはずである。
あるいはお洒落であれば、宇野薫のように世間の人をリードするほど感性を高くすれば良い。

かつて藤波が凱旋帰国したとき、驚異的なカットされた肉体で我々の度肝を抜いたことがある。しかし素人がウェートトレでそこそこの肉体を作れる時代に棚橋は特別な肉体であるのか?


私は棚橋を嫌いなわけではない。
私が腹立たしいのは世間的に突出したルックスでもなんでもない棚橋を、世間が振り向くいい男と勘違いし、売り出す新日本プロレスのセンスにである。

棚橋の見事にミニマムにかたまった小粒感は貴重である。
エースではなく脇として、そのプロレスの上手さと個性を発揮すべきなのだ。


人気ブログランキングへ


【エヌナノアフターシェイブジェル】最強抑毛剤ナノナノのヒゲ用バージョン登場!大豆イソフラボン・パパイン酵素高配合!【これこれ倶楽部】


薬用リョウガ(アランテ2)♪超人気の育毛剤「薬用アランテ」から『超強力版凌駕』が新登場!【大海(やまと)ショップ】


ゼナシス -XENASIS-【healthy-support】
posted by shingol at 12:11| 新・レッスルする世界

2007年11月25日

プロレスを知らないプロレスラー

最近のアメリカのプロレスラーの表情が変わって来たなと感じる。
ファン出身のプロレスラーが増えた為か、やけにプロレスの上手い選手が多いのであるが、その表情はどこかプロレスファン臭を感じさせるものが多く、私はジャンルの成長は終わって行く気配を感じてしまう。
それは日本でも同じ傾向なのであるが、プロレスファン出身の選手達が、プロレスファンの喜ぶ技を見事に展開させ、プロレスファンの満足度を満たす事にかけては長けている
選手達である。
そういう選手達によって今やアメリカ、日本ともにプロレス界は存在している。
私はプロレスの下手な選手が出てこないかなと願っている。
プロレスなどこれまで観た事も無いような選手の出現で有る。
こんなプロレスファンの喜ぶ事ばかりしていると、プロレスはますますミニマムになっていくだけである。
もはや成熟し特化した専門的な世界ならば、プロ入り前にプロレスの上手さを養うプロレス頭は必要かもしれない。
しかし、世間にはまだまだプロレスを必要としながらも、プロレスの存在を知らないファン予備軍もいるはずである。
しかし今のプロレス界はそういう予備軍も入って行けないミニマムでマニアックな世界に成りつつ有る。
私は以前も記したが、猪木も前田も長州も、世間に届くスターである共通点はプロレスファンではなかったと言う事だと思っている。
プロレスを観ている暇があったら、自分がスポーツをしたり、あるいは遊びやアルバイトや読書にでも精を出せば良い。
プロレスばかり観て来たファン出身のプロレスラーに世間に届く感性等有るわけは無いのだ。

人気ブログランキングへ


【エヌナノアフターシェイブジェル】最強抑毛剤ナノナノのヒゲ用バージョン登場!大豆イソフラボン・パパイン酵素高配合!【これこれ倶楽部】


薬用リョウガ(アランテ2)♪超人気の育毛剤「薬用アランテ」から『超強力版凌駕』が新登場!【大海(やまと)ショップ】


ゼナシス -XENASIS-【healthy-support】
posted by shingol at 21:06| 新・レッスルする世界

セルフ・ハンディキャップに前田日明が一喝

私は長くレスリング競技に携わった上で思う事は、試合にしろ、スパーリングにしろ、先輩とする事ほど気が楽な事は無かったと言う事である。
これは理由を一々説明する事でもなく、格闘技を行っている人間ならば簡単に分かる事である。
逆に、ツポにはまってくれる後輩はともかく、多くの後輩と闘う事ほど重圧を感じる取り組みは無かった。
以前、美濃輪の記事でも記したが、最近は格闘技イベントでこのセルフ・ハンディキャップが目立ちすぎる。
最近では所が美濃輪に対して闘いたいと言った事に、驚いたのは、前田日明がセルフハンディキャップの本質を理解しているような一喝を行ったという事である。
大きくて技術の無い相手と闘いたいと言う魂胆が分かる。なら、ヒョードルと闘えるか。と言うような事をいったという事である。
まさしく、そうである。
皆、自分のセルフハンディキャップに照らし合わせ闘いたい相手、闘いたくない相手を決める。
これはプロ興行故の特性が原因があるとも思える。
私のようなアマチュア格闘技で育った選手にとって対戦相手はまさしく時の運、くじ運でしかない。
しかしプロ格闘家は対戦相手の選定に最低の権利は持っている。
その特性がここに来て大きな格闘技興行の弊害と成りつつ有る。

K-1心中様の記事でも記されていたがミノワマン等絶対に負けられない日本人選手と闘えば負けない戦いを持って、プロレス的ショーマン性以外の美濃輪の違う魅力や勝負強さを見せてくれる男でもある。

本当のガチンコのプロ格闘技の闘い等大相撲しか無いのではないかと最近は思う。

ミノワマンよ/セルフハンディキャップを捨て去れ!

人気ブログランキングへ


ラジコン 機関車 Holiday Express TRAIN SET 【net花の季 電脳ショップ】

posted by shingol at 11:34| 新・レッスルする世界

プロレス商業主義

プロレスが少なくともチケットを買って試合を観る事で成立しているジャンルである以上、プロレスは商業性無くして有り得ない。
というよりも、プロレス自体がリアルな闘いの世界を、観客に分かりやすく、かつ選手が効率よく、そういう試合を提供出来るように提供出来たものであるから、プロレスこそ商業スポーツの最たるものである。
しかし、そこで注目すべきはプロレスは商業としての歴史が長い事である。
商業性の長い市場には、自ずと道徳も存在している。
商業の上に成り立つ商道徳である。

何かを人に提供し、その対価を得る事で自分達が潤う以上、そこに提供する商品への責任が無ければ駄目だ。
儲かるからと平気で毒を売っているジャンルが有れば、それは商道徳無き商業至上主義と言うべきであろう。
電卓と聖書でも良い。論語とそろばんでも良い。

けれども世の中には必要悪も大切なものだ。
仕方なく毒を売らなければいけないなら、どこか慎みの心を持って、必要悪な市場の中でひっそりと生きている悪の商人も時には必要である。

しかし、最近はそういう必要悪な商人と普通の商業市場に境目が無くなって来つつある。
プライドや亀田興行や、そういう必要悪な世界が身の丈を越えて、大きな市場に進出すれば必ず歪みが出る。

プロレスが幸いなのは、商業の歴史が長い事である。
ゆえにプロレス也の商道徳が存在している。
プロレスと言うフェイクで成り立つジャンルだからこそ、成立要因以上のフェイクは許されない。
そういう世界で、観客にごまかしの無いものを提供しようと言う業界側の真摯さは理解出来る。
しかし、その真摯さが、ごまかし以上の毒性を産んでしまう事も有る。
ファンの五感を全て満たそうと思い精一杯やればやるほど、ファンの感性は育たないのだ。
今の市場規模に余裕は無いのだろうが、アントニオ猪木のようにファンを素っ気なく突き放し面白くないものを提供して行けばよい。
プロレスの見所等プロレスラーが提供するものでは無い。
ファンが勝手に推測し想像するものだ。

プライドとて一緒だ。
一昔前の小室ファミリーのように受け身的五感にアプローチする演出、世界観を持って、バブルを産んでも、数年後同じものを観たとき、何を感じるだろう。

ファンの感性を受け身的にさせない事。
これも立派な商道徳である。
人気ブログランキングへ


【エヌナノアフターシェイブジェル】最強抑毛剤ナノナノのヒゲ用バージョン登場!大豆イソフラボン・パパイン酵素高配合!【これこれ倶楽部】


薬用リョウガ(アランテ2)♪超人気の育毛剤「薬用アランテ」から『超強力版凌駕』が新登場!【大海(やまと)ショップ】


ゼナシス -XENASIS-【healthy-support】
posted by shingol at 11:08| 新・レッスルする世界

ブームの行方

ひとつ前の記事にも関係して来るが、私が後期のPRIDEの熱を冷めた目で見つめられ続けていたのは、様々な理由が有る。
私は映画であれ、プロレスであれ、小説であれ、刹那的な消費物が嫌いだという事である。
私が昭和のプロレスを観て育った事も、その事の大きな要因でもある。
昭和のプロレスと言っても「プロレスブーム」等ではない。
私にとっては観客に能動的な主体性を無くして、受け身的に、まるで観客が操り人形のようにサビだらけ、ハイライトシーンだらけの熱狂の中で踊らされたプロレスブームというのは、プロレスを駄目にした部分も大きいと思っているからだ。
私が子供の頃、観ていたプロレスは観客の主体性、能動性が必要なジャンルであった。
ハイライトシーン等ごくわずかで、観客に満足等一つも与えてはくれない。
仕方なく、自分の想像力を働かせなければ成り立たないジャンルであった。

プロレスブームの利点は多くのプロレスファンを取り組む事に成功した。
プロレスブームによってプロレスと出会い、ブームが去った後もプロレスに残ったファンによって新しいプロレス村が構築され出した。
本当のファンが残ったのは良いが、元々、ハイスパートレスリング、タイガーマスクといった観客に想像力を与えるまでもなく受け身的感性を満足させるプロレスを見てファンになった人たちに作られたブーム以後のプロレス村は、その時点で、私が好きだったプロレス界とは異なる世界であった。
ブーム前等、呆気ない試合、期待はずれの試合が当たり前であったのに、ブーム以降は少しでも、そのような試合があれば、簡単に暴動が起きる。
期待はずれの試合を想像力を持って楽しむ耐性も余裕も無いのだ。
それが商業主義過多のプロレスを観てファンになった人間たちの世界なので有る。

私はプライドの会場に出向く度にプロレスブームの熱狂を思い出した。
プライドも新しく格闘技ファンを取り込んだ。
しかし出し惜しみしないカード、高揚する音響、演出、全て受け身の感性を刺激させるものでしかない。
プライドもブームの去った後、残ったファンによって、本当の格闘技村が出来上がるだろう。
しかし、いつまでたっても、プライドの世界観という意味の分からぬキャッチフレーズを追い掛け続け、試合よりも派手な音響、演出を追い求めるファンが主流を成す市場で、果たして団体を存続して行けるのか?
格闘技を愛しているなら、もう世界観等関係なく、静かに、修斗やパンクラスのように規模の小さくなった、かつての格闘技団体を見つめる事は出来ないのか?
それが冬の時代を団体側、ファン側が乗り越える術である。

人気ブログランキングへ

【エヌナノアフターシェイブジェル】最強抑毛剤ナノナノのヒゲ用バージョン登場!大豆イソフラボン・パパイン酵素高配合!【これこれ倶楽部】


薬用リョウガ(アランテ2)♪超人気の育毛剤「薬用アランテ」から『超強力版凌駕』が新登場!【大海(やまと)ショップ】


ゼナシス -XENASIS-【healthy-support】
posted by shingol at 09:21| 新・レッスルする世界

2007年11月24日

PRIDE

私は昭和のプロレスファンであるので、当然のように、純粋なPRIDE信者の方々のように総合格闘技に熱い想いを持っているわけではない。
私が総合格闘技イベントを観るのは二つの理由だからである。
プロレスラーが出る事。
そして、プロレスファンであるとともに、私はアマチュアレスラーでもあるので、レスリング出身選手が出る事。
この二つ無くして私が格闘技イベントに夢中になる事は無い。

私にとってプロレスとは「闘う事」であるので、リアルファイトの場所で闘うプロレスラーは、まさにファンとして理想の「プロレス」である。
そういえば、元々は、PRIDEのリングも、リアルファイトで闘うプロレスラーを追い求めるファンを乗せたノアの箱船のようで有った。
昭和の新日ファンを中心とした、そういう闘いを求めるファン達の理想郷として、PRIDEの黎明期は存在していた。

私はプロレスファンなのだから、当然、そういうPRIDE。
プロレスラーが主役であったPRIDEが好きである。

いくらスタッフの熱、ファンの熱、選手の熱が一体化したイベントとしてのPRIDEの魅力を追い求めるファンが未だ存在していたとしても、私には、もうあの熱気は食傷気味である。

過剰な音響と演出、全て、ファンはコントロールされているのだ。
そこに能動的な世界観は無い。
高揚する音響、琴線にアプローチする煽りVTR、受け身的な消費者的感性をコントロールされて成り立つPRIDEの世界観の中で、ファンは何を求めていたのであろうか?

後、5年、10年経てば皆、理解するだろう。
PRIDEというバブルに踊らされていた自分達を。

人気ブログランキングへ







posted by shingol at 11:42| 新・レッスルする世界

2007年11月23日

アントニオ猪木と前田日明の誇り、プロレスの誇り

私が常に気持ちが変わる事無く好きなプロレスラーは、アントニオ猪木、前田日明、長州力、船木誠勝の四人である。
簡単に言えば「闘うプロレスラー」が好きだからである。
その闘いが「リアル」であれ「フェイク」であれ、闘うテーマとイメージを持って、リングでメッセージ性の高いパフォーマンスを繰り広げれば、それは立派なファイターなのである。
プロレスとは元々、そういう人々に闘う勇気を始めとした様々なメッセージを投げかけるジャンルであったが、最近はそういったジャンルの根底に流れるテーマを忘れ、形だけの上手いプロレス、笑いのパフォーマンスに必死なようである。
情けない事だ。

私は常々そういう意識を持って前述したプロレスラーたちへの憧憬を維持しているが、同時に、自分が格闘技者のはしくれだとの意識も強かった。
驚愕すべき格闘技術など持たず、かつ、リアルな競技経験の無い前田日明などが、自分の身の丈を越えて、今のリアルな格闘技界において、偉そうな態度、評論を下す事が、嫌いであった。
何故、自分はリアルな競技を経験していないのに、恥ずかし気も無く、世の格闘技の風景を語れるのかと思い不思議であった。
特に永田が闘ったヒョードル戦を自身のニールセン戦と一緒にしての発言には、私も嫌悪感を抱いたものだ。
アントニオ猪木も前田ほどではないが、一時、格闘技界のパイオニアとして大衆格闘技イベントの象徴に君臨していたとき、自分のリアルファイトのキャリアの身の丈を越えた発言をしていた事が有った。
しかし、その発言にはどこか立場上の止むなしの感もあり、やや遠慮がちなコメントに、本当は語れない自分の心の負の感情がどこか垣間見えていたものだ。
しかし、前田に関しては、何の躊躇も遠慮もなく、堂々と、現役格闘家たちの技術を語り自分が裸の王様の如く見られている意識等持たないかのようだ。

私は本当にそういう前田が嫌いであった。
誰よりも好きな前田であるがゆえにである。

しかし、最近、少し考えが変わって来た。

前田のキャリアの大部分はプロレスラーとしてのキャリアでしかない。
前田はプロレスラーとしてリアルであれ、フェイクであれ、セメントであれ、激しい闘いの世界を生き抜いて来た自身のキャリアを心底、誇りに思っているのではないか?

長州、浜口組にプロレスの試合内で攻められまくった事を語る事で、プロレスがお互いの約束事の動きで構成されて技をかけたり、かけられたりの予定調和の世界でない事を改めて証言してくれた。
ニールセン戦も実はプロレスの枠内であったことを早くに告白したが、その闘いの厳しさ、壮絶さに関しては、ぶれる事無く自身の最大の経験値の一つとしている。
ヨーイドンの世界で自由に解き放たれ、リアルな技術と時代の情報と後出しジャンケンで抽出したカンニングペーパーを持って闘う競技の格闘技とは違う世界で、前田も、猪木も、リアルであれ、フェイクであれ、大一番であれ、普通のタッグマッチであれ、闘う意識、闘う緊張感を持って、熱量を消費して来た男達なのである。

高田が自身のキャリアを振り返り、前田や猪木のようなプロレスの自信を持てなかった事も納得出来る。
いくら道場で練習し、卓越したフィジカル性を持とうが、プロレスの中での緊張感溢れる試合等経験せず、一団体のお山の大将として、予定調和の格闘技スタイルのスターでしかなかった男である。
高田が弱気な心と振り向き合って闘いに出向いていたPRIDEでの精神世界を、猪木も前田も実はプロレスキャリアの中で、すでに経験して来たのではないか。
逆に高田はそういう経験はPRIDEで初めて経験した。

そこに自分たちがプロレスに対して想う誇りの意識の差が出ているのではないか。
私はそう思っている。

格闘家達をこれ以上無い褒め言葉で讃え続ける高田の姿は、自分は格闘家達に全ての面で叶わないとカミングアウトをしつつける事で、なんとか格闘技界の住人でありたいと願いつづけいるようだ。
高田は、本当に格闘技に惚れ愛しているのであろう。
自分が初めて闘った世界への愛情なのであろう。
だからこそ闘わなかったプロレス時代への愛情は歪な形でしかなくなっているのであろう。

しかし、前田と猪木は違う。
プロレスの枠内であっても、セメントであっても、何気ない攻防の一つ一つに置いても、闘い続けて来たのである。
プロレスはプロレスと割り切ったり、戦いでない激しいだけ、上手いだけの試合を展開してきた自信ではない。
プロレスを通じて闘って来た自信なのだ。
そういう「闘ってきた自信」が彼らの心にはしっかりと刻まれているのだろう。
自身が闘って来たプロレスキャリアについての絶対的な自信が、格闘家達に媚びる事も無いし、ハッスルに関わる事も無い。
そういう彼らを形成しているのだ。

私は嬉しく思っている。

人気ブログランキングへ

stmx








posted by shingol at 09:05| 新・レッスルする世界

2007年11月19日

K-1心中のブログの愉しさ

何を持ってブログというかは定かではありませんが、私は単にインターネット上での便利な書式やテンプレートといった解釈を持っています。
コメント欄を設けようが、設けまいが、訪問者の方との交流をしようが、しまいが、基本的にはサイト運営者の自由のはずだと思っています。

法に触れたり、極端に人を傷つけるような記事でなければ、自分の個性溢れるサイトを発表できることが、ブログの良さではないでしょうか?

そういう意味で、私はK-1心中様のブログについては、格闘技に対する洞察力、知識、問題提起溢れる記事がしっかりとしたブログの核になっている上で、日常の何気ない生活の一コマ一コマの記事が大変面白く、読ませていただいています。

また先日、新様がホルモンを食べた後、吐かれたとの記事を拝見し、大変心配いたしました。
といいますのは、私も昔、生ビールとホルモンをたらふく飲み食いし、トイレで吐こうとしたホルモンが喉に引っかかり、チアノーゼ状態となり顔は紫色になり、死んでしまうと焦ったことがあったからです。
以後、ホルモンはしっかりと噛んでいなければ、吐くとき、喉に引っかかると学習するはめになりました。
そういう経験があったので新様も大丈夫かなと心配したものです。


新様も記されているように、説明するのも馬鹿馬鹿しいのですが、ブログというよりもスポーツナビという格闘技版ポータルサイトの中の読者のページと化しつつあるスポーツナビブログに記事をエントリーするのと、個人でブログを運営するのは全く異なる世界です。

K-1心中様のブログについては、しっかりとした核があり、その上で、遊びの部分もあるので、本当に幅の広いブログだといつも感心しています。
洞察力、知識、毒気?ユーモアとあれだけ色々な要素が詰まったブログは他にはないと私は思っています。
また時として無機的に陥りやすいネット上でのコミニュケーションですが、あれだけ有機的でアナログ感溢れる他者との交流を構築されておられるブログは他には無いのではないでしょうか?

プライベートネタに対しての意見があったようですが、このまま今まで通りで私たちを楽しませて欲しい、共感させてほしいと思っています。
posted by shingol at 11:48| 管理人より

2007年11月14日

プロレスのカミングアウトの馬鹿さ加減

プロレスはイメージ産業である。
何度も記して来たが、フィクションだからこそ、役柄とあまりにもかけ離れた実像の人間は演じきられない世界なのである。
少なくともプロレスはドラマに例えると、格闘技アクションドラマであった。
ブルース・リーがリアルにどれだけ強いのかどうかともか、ブルース・リーもジャッキー・チェンも「私は映画の中だけ強いのです」とは言わなかった。
それがアクション映画を楽しむファンに対する礼儀でもあり、自分のイメージを最低ラインから守る術でもあった。
例えば仮面ライダーを演じる役者が、子供達にわざわざ「お兄ちゃんは本当は強くないんだよ」「これはインチキだよ」と言うだろうか?
子供以上に親達がしらけるであろう。

そういう「しらけた世界」の真っただ中にいるのが、現在のプロレス界で有る。
僕たちは本当は弱いんです。
これはプロレスだから成立しているのです。
格闘家の方達も分かってくれています。

これがプロレスの実像で有る。

プロレスと格闘技の人気の逆転減少は何故起こったか?
私はプロレス側が、格闘技に降参し、プロレスはフィクションであると宣言し、格闘家達に憎まれないジャンルに成り果てた事が大きいと思っている。

プロレスが最後までフィクションを演じる責任感を持っていた頃、格闘家達の多くの嫉妬と怒りを買った。
格闘家達曰く「あれはフィクションだ」「一緒になりたくない」
そう声高に叫ばなければいけないほど、プロレスはまだ、強さのイメージを持つ、格闘技にとっては意識せざるを得ないジャンルであったのである。

プロレスとは決してカミングアウトしてはならない。
最後までファンに責任感を持って強さのギミックを貫き通さなければいけない競技である。

フィクションだと分かっていても、攻防に一喜一憂し、好きな選手の奮闘に驚喜する。
元々、ファンとマスコミはプロレスの仕組みを知っているのだから、ファン、マスコミ、プロレス団体と三者揃って、競技の形を借りたフィクションのジャンルを成立させる共犯関係で成り立っているのだ。

その共犯関係をファンもマスコミも納得して引き受けているのに、団体側がカミングアウト等ファンを馬鹿にしているとしか思えない。

もっとも今はプロレスはアクションドラマではなく、お笑いバラエテイーになっているのだから、私ももう、何も記せない。
人気ブログランキングへ






posted by shingol at 20:37| 新・レッスルする世界

2007年11月13日

橋本真也対秋山・三沢/2

前記事で私はプロレスの枠内ならば、圧倒的な体格で重たく、痛い技を繰り出せる選手が強さのイメージを持つ事が出来ると書いた。
プロレスの枠内の攻撃に、急所への攻撃は無い。
いく重たく痛い技であっても、それがプロレスの技ならば相手は受ける義務があるからである。
実は、こういうプロレスの強さのイメージの特性を上手く利用し、格闘技性とは別の部分で強さのイメージを作り出す事に成功したのはUWF勢であった。
ユニバーサルが崩壊し、新日本に上がったU戦士は、藤波、木村といった軽量かつ受けの比率が多い選手相手に、どんどんプロレスの枠内での痛く重い技を繰り出して行った。
プロレスの範疇の技であるので受けざるを得ない。
かつ、相手にいくらきつい技を放っても、相手に倍返し出来る体力と技術は無い。
結果として実際の勝敗等ほとんど意味を成さないほどUWF勢は圧倒的な強さのイメージを真剣勝負ではなく、プロレスの特性を生かして創り上げてしまったのだ。
こういったプロレスの特性を生かして強さのイメージを作り出して行ったのが、何度も記して来たが、橋本であり、ベイダーでもあった。

しかし、いかにプロレスの枠内であっても、いささか痛さと重さの度合いが強ければ、受ける業務を完遂しない相手も出てくるはずである。
橋本が時としてドン・フライやスティーヴ・ウィリアムスを怒らせたシーンもあったが、なんとか試合は成立していた。
鍛えられない急所へのあきらかな攻撃ではない以上、相手に怒る資格は無いのだから。

Uインターと新日本との闘いでは、逆に、新日本勢がプロレスの枠内での強さのイメージを発揮した。
Uインター勢より体格で上回る新日本勢は、実際の勝敗以上に、試合での強さのイメージの死守に限りなくこだわっているように見えた。
時として金原のような、いささか、純プロレスの成立しにくい選手相手にも、新日本勢はリアルな技としてのタックルが放てる事が利点であったのか、金原にも強さのイメージを奪われる事を最低限に留めたと私は思っている。
金原を橋本と置き換えてみたら良い。
金原の攻撃は激しいキックであっても、別に急所を狙って来るわけではない。
プロレスの枠内ならば金原のキックを橋本のキックのように受けたら良かった。
しかし、あれだけ痛いキックを受けてしまっては、完全に強さのイメージを奪い取られてしまう。
結果としてタックル技術に秀でていた新日本勢力が、相手の受けに頼らず放てるリアルな技術を持って、Uインターの強さのイメージを封じ込めたのである。

私は橋本対三沢・秋山の試合は、純プロレスとしての試合の経験しか無い三沢や秋山のミステイクだったと思っている。
三沢や秋山は橋本の攻撃が痛く重くとも、プロレスの枠内の技ならば、受ける義務を貫く純プロレスの選手で有る。
しかし、結果として、あの攻撃を喰らってリアルな痛さにもがき、のたうちまわれぱ、強さのイメージなど全てを橋本に奪い去られてしまう。
受けなければ良かったのだと私は思っている。
金原相手に石沢、永田がそうしたように組み付いて封じ込めたら良かったのだ。
それだけの技術が三沢にも秋山にもあるのだから。
それでも強引に蹴りを橋本が放とうとすれば、プロレスの枠内で、リアルな攻防シーンが展開される。
実はその緊張感こそアントニオ猪木のプロレスであったと私は思っているが、もっとも、三沢や秋山にはそのような発想等無くて当然である。
技の受け合いで成立するプロレスの使い手なのだから。

しかし、私はこの試合を側で観て、何かを感じた選手がノアにいていると信じている。
杉浦である。
以後、他団体特に格闘技系の団体の選手と、プロレスで当たる事が有れば、相手に何もさせない杉浦の姿を見る事が何度か有った。
グレコの差しや、スタンドのコントロールで、相手をあしらっている姿を観客に見せつけているのである。
アレクサンダー大塚も、この動きにやられた。
杉浦は、三沢、秋山対橋本の試合で、いかにプロレスに強さのイメージが大切かを気付いたような気がしてならない。

人気ブログランキングへ







posted by shingol at 20:52| 新・レッスルする世界

2007年11月11日

橋本真也対秋山・三沢/プロレスと云うイメージ回復作戦

今程、プロレスというジャンルの個性が明確ではない時代、はっきりとした契約書も無い時代、プロレスの強さの象徴はセメントに強い事であった。
しかし、もし、プロレスの暗黙の了解を絶対に破っては行けないルールがあるならば、強さの象徴は少し変わって来る。
圧倒的に、体力やハードヒッティングな技を、暗黙の了解の中でも相手の肉体に放てる選手が強いとなる。
そこにセメントの強さ云々は関係ない。
ただ、大きく、ハードな技をこなせる選手が強いイメージを保つ事になる。

分かりやすいのがベイダーや橋本真也の存在で有る。
いくらベイダーの腕パンチや橋本のミドルキックが痛く重い技であっても、プロレスと云う仕事をこなす以上、急所への攻撃でない以上、相手は受ける義務、職務が有る。
しかし、それらを倍返し出来るプロレスの枠内の重く痛い技を持たなければ、どのような格闘技技術を持っていたとしてもプロレスの試合内で強さを印象づける事は出来ないであろう。
例えば船木誠勝あるいはケンドーカシンと、橋本真也が闘ったとする。
リアルならば船木は一発の打撃で橋本をノックアウトするかもしれない。
カシンは橋本をテイクダウンさせ、マウントパンチを叩き込めるであろう。
しかしプロレスの枠内で、橋本とリアルに感情をぶつけあっても圧倒的に橋本真也のプロレスの枠内での攻撃に押されまくり痛さを味わうだけである。
(もっともカシンならば片足タックルからのいやらしい技を繰り返し、相手を虐めるだろうが…)

例となる試合が有る。
かつてゼロワンの旗揚げ戦で行われた三沢・秋山対橋本・永田の一戦であった。
元々、新日本以上に技を受ける事を前提とするノア勢は、橋本の攻撃がいかに痛く重い技であっても受けざるを得ない。
痛く重い技には倍返ししたいものの、いかんせんプロレスの枠内での試合ならば、橋本以上に痛く重い技を出せない。
結果として、強さの印象として橋本真也の圧倒的な存在感が光ってしまった。
しかし、これがリアルで無かったらどうなるか?
おそらく秋山なら5分で橋本をテイクダウンさせ、屈服させられるだろう。
しかし、それはプロレスの枠内である以上、三沢も秋山もどうしようも無い橋本の圧倒的な攻撃に苦しむだけであった。
またケン・シャムロックが血反吐を吐いたベイダーとの試合も似たものがあった。

プロレスの強さのイメージを行うならば格闘家を格闘技戦スタイルでプロレスのリングに上げる事ではない。
どれだけ痛く重い攻撃をくらっても、プロレスとしての職務を全うする契約をしっかりと締結すれば良いのだ。
その中で、格闘家を、重く痛い技を持つレスラーとプロレスをさせれば良いのだ。
プロレスと云うルールで縛られれば、強さのイメージはプロレスラーに凱歌が上がるだろう。
関連記事.橋本真也対秋山・三沢/2
関連記事.三沢と小橋の強さの印象

人気ブログランキングへ
posted by shingol at 18:57| 新・レッスルする世界

佐藤光留対インディー/遠回りした個性

佐藤光留がインディーのレスラーと闘うと云う。
そういえば最近、総合に出陣するプロレスラーもインディーの選手のほうが多い気がする。
大手団体が、プロレスはプロレスという白旗を揚げて、プロレス道を邁進するようになった。
基礎体力と意味の無い新弟子制度を絶対的なベースとするメジャー団体は、実は柔らかいプロレス頭ではインディーに勝てないのが実情である。
まして、「上手いプロレス」の基礎が出来ている学生プロレス出身者もインディーには多い。
しかし、元々、新日本プロレス等はプロレスの上手さやプロレス頭の柔らかさで勝負して来た団体では無い。
とにかく基礎には他団体より特化したセメントの強さと基礎体力の強さがあったはずである。
しかし、肝心のセメントの強さも、インディー団体に逆転されかけていると私は感じている。
実は昔からインディーには格闘家が仕事の為か趣味の為か、プロレスラーとしてリングに上がっている事が多い。
根底には格闘家としての強さを持ちながら、上手いプロレス等抜群の器用さでこなす事が多いのだ。
格闘技に特化した団体で新弟子として強いプロレスラーを邁進して来た佐藤光留がインディーのプロレスラーにリアルファイトで負けるような事が有れば、プロレス界の秩序は根底から崩れてしまうであろう。
意味の無いちゃんこ番や、付き人、基礎体力作りに、時間を費やし、その間に街道場の素人格闘家たちは最短距離でリアルな強さを作って行く。
強さ以外も同様である。
新日本のプロレスラー達がスクワットと黒タイツでのヤングライオン的試合に魂を込める間、インディーのプロレスラーたちは柔らかいプロレス頭で、オタク化しているプロレス界のファン達を喜ばせる思考等自然に沸いてくるであろう。
しかし、土台無き場所にビル等立たない。
私的な事を記させてもらえば、私はタックルを覚えるまで何の技も教えてもらった事は無かった。
私に見合うタックルのヒント等も教えてもらう事も無かった。
技術練習の倍は基礎体力作りが有った。

私は柔術に対してあるイメージを持っている。
しかし、ある雑誌で、杉江という選手の顔を見て驚いた。
私が柔術家に対して持っているイメージとかけ離れた表情をしているのである。
簡単に云うと私がレスリングに没頭していた時の廻りの連中の表情であった。
つまりスポーツ選手の顔なので有る。
杉江と云う選手の記事を読み納得した。
走り込み、ダッシュを中心とした基礎体力に励んでいるとの事であった。
しかし、杉江と云う選手に対して珍しいなと思う程、私が柔術家に対して持っているイメージは技は一杯知っているけれど、基礎練習をしない。
良くも悪くもスポーツマン的な表情とは別のジャンルの雰囲気や表情を多くの選手が持っている事であった。

同じような感を私は今のインディーのプロレス界に持っている。
いくらプロレスが上手くても、スターであっても、プロレスラーらしい表情、雰囲気では無いのである。

おそらく新弟子制度や基礎体力的な遠回りの土台作りを経ているパンクラスと云うプロレス団体の選手より格闘技のスキルに秀でているアマチュア選手は多いであろう。

しかし、良くも悪くも佐藤光留という少し馬鹿なキャラクターは、遠回りの期間を経なければ成立しなかったはずである。

インディーの選手への偏見ではなく、ここは、きっちりとリアルなプロレス団体の強さを見せつけて欲しいと私は思っている。

人気ブログランキングへ
posted by shingol at 18:32| 新・レッスルする世界