私は在日韓国人であるが、自分の帰属意識は民族や血よりも、レスラーである事、そしてプロレスファンである事のほうが先にあるので、秋山が同胞であれどうであれ、私の愛する桜庭和志を汚い手段によって蹴落とそうとした秋山は基本的に嫌いな人間である。
嫌いというよりも許せない行為をした事への怒りの方が大きい。
しかし、国籍や民族しか求める属性の無い人間に、同じ大学の金メダリストが日の丸を掲げたとき、涙した長州力の気持ち等決して理解出来はしないであろう。
秋山は馬鹿な人間である。
スポーツ選手が皆、清廉潔白である事等絶対にない。
しかし、それでも、スポーツに打ち込めば打ち込むほど、出来るだけ清い心と真面目な練習によってしか勝利は近づかない事を知るのも、また事実である。
そういう意味で秋山は、アマチュア時代より、清い心以外でふと手にした勝利を持って、独特のスポーツ観を持ったと云えるであろう。
しかし秋山の心にあるのは人間の本質としての承認欲求である。
何故、清い心を消し去ってまで、その欲求を満たさなければ行けないのか?
そこまで承認されたいのは何故なのか?
私は秋山は悪人ではないと信じている。
善と悪の区別がつかない悲しい男なのである。
秋山にとって不運なのは、前田や多くの同胞たちの庇いである。
何故、悪い事は悪いと言ってあげられなかったのか?
そこまでして、秋山の心の闇を庇いたかったのか?
大木金太郎を他の選手の倍は殴った力道山のように何故なれなかったのか?
私は残念な気持ちである。
秋山の例を持って、韓国人を一括りにして論じる馬鹿な奴らがいる。
韓国人はこうだとか、100人にさえ満たない韓国人だけを見て何故恥ずかし気も無く、言えるのか?
しかし、そんな馬鹿たちよりも、私はこんなに同胞に情けない肩身の狭い想いをさせる秋山がどんどん嫌いになっていく。
しかし、子供たちに柔道の素晴らしさを少しでも伝えたいと願う秋山の心までは否定しない。
結果、子供たちを大きく裏切る事になったが、いつか秋山が基本的な善悪の区別がつけば、きっと多くの人たちの為に自分の身を削って闘う男になるであろうと私は信じている。
僭越ながら当ブログの誉れ
アントニオ猪木最後の弟子/小川直也が輝いていた時
非言語コミュニケーションとしてのプロレス
アントニオ猪木信者とは何か?/勘違いプロレスファンたちの新日本プロレス
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
2008年02月29日
秋山という細い目の漢
posted by shingol at 21:18| 新・レッスルする世界
2008年02月28日
僭越ながら当ブログの誉れ
当ブログをご紹介いただいたブログの方の一覧です。
大変嬉しく思います。
有難うございます。
深町秋生の新人日記様
blogのプロレス様
P-log「pasin.exblog.jp」様
on our way home様
プロレス・格闘技の散歩道様
ka-lei-do-scope weblog様
函館望郷ブログ Life is aJourney! 様
う゛ぉんぼやーしゅ様
30にして立たず様
そして、いつも御世話になっています
K-1心中様
まだまだ私の気づいていないサイトなどで当ブログをご紹介いただいた方々おられましたら、大変有難く思います。
また、本サイトの方に嬉しいお言葉を頂きました
ホビットの指輪様、有難うございます。
そしてブログは御辞めになられましたが、最初に、当ブログをご紹介いただいたpencroft
様有り難うございました。
私のブログはコメント欄を設けていませんので、ブログ主の方が御自分のブログで評価していただいたり、御読みいただいている方々からのメールでしか、記事に対しての評価は分かりません。
なので、大変それらは有難いものです。
今年の冬に大きな試合があり、また、ブログとは別の原稿への挑戦も始まっています。
(電子出版でなく、プロレス物でもありません…)
仕事も含め、一日一日が挑戦の日々となりそうです。
当然ブログも含めて。
そういう中で、大変嬉しい誉れとして、頑張ろうという気持ちにさせていただいた上記のブログ様をご紹介させていただきました。
大変嬉しく思います。
有難うございます。
深町秋生の新人日記様
blogのプロレス様
P-log「pasin.exblog.jp」様
on our way home様
プロレス・格闘技の散歩道様
ka-lei-do-scope weblog様
函館望郷ブログ Life is aJourney! 様
う゛ぉんぼやーしゅ様
30にして立たず様
そして、いつも御世話になっています
K-1心中様
まだまだ私の気づいていないサイトなどで当ブログをご紹介いただいた方々おられましたら、大変有難く思います。
また、本サイトの方に嬉しいお言葉を頂きました
ホビットの指輪様、有難うございます。
そしてブログは御辞めになられましたが、最初に、当ブログをご紹介いただいたpencroft
様有り難うございました。
私のブログはコメント欄を設けていませんので、ブログ主の方が御自分のブログで評価していただいたり、御読みいただいている方々からのメールでしか、記事に対しての評価は分かりません。
なので、大変それらは有難いものです。
今年の冬に大きな試合があり、また、ブログとは別の原稿への挑戦も始まっています。
(電子出版でなく、プロレス物でもありません…)
仕事も含め、一日一日が挑戦の日々となりそうです。
当然ブログも含めて。
そういう中で、大変嬉しい誉れとして、頑張ろうという気持ちにさせていただいた上記のブログ様をご紹介させていただきました。
posted by shingol at 21:37| 管理人プロフ
2008年02月27日
私の愛する永田裕志
私の好きなプロレスラーはアントニオ猪木、前田日明、長州力、船木、桜庭である。
しかし皆、実際には現在のプロレス界で、プロレスをやっていない男たちである。
別の位地で奮闘する長州は除かせてもらう。
そういう意味では、プロレス界にてプロレスを遂行するプロレスラーで、私が一番愛する男は永田かも知れないと、ふと思う。
永田はアマチュア時代から天才型だった訳では無い。
おそらく教育者だった御両親の影響で、目標遂行に対しての方法を試行錯誤し、地道な反復練習にて努力を繰り返し、全日本の覇者となったはずである。
何故かアマチュア時代、ジャンボ鶴田二世と云われた男であるが、確かに、そのリーチの長さは重量級のレスリングでは鶴田以来であったような気がする。
猪木の入り込む余地のなかった一時の新日本の黄金期を支えたのは永田である。
黄金期の新日本を支えたものは「強さのイメージ」である。
「強さのイメージ」を持って、安心して、UWF勢に影響される事の無い90年代の新日本的純プロレスを展開出来ていたのである。
しかしUWFインターが参戦したとき、UWFを相手に純プロレス的な試合を展開すれば、団体としての強さのイメージは吹っ飛んでいたはずであろう。
しかし、第一次UWFと新日本の闘いを遠くから眺め呆れていたかのように長州力は頑に、UWFの攻撃からの純プロレス的な受けを拒絶する方向に出た。
長州力は、ここぞと云う時の強さのイメージにつながる受けは絶対に拒絶する男である。
リアルな攻撃を受けたら最後、純プロレスを展開する上で必要な「強さのイメージ」を保てない事を知っていたのだ。
結果、永田は抗争初戦で、プロレスの枠内で、徹底的に、Uインターの選手の技の受けを拒絶した。
拒絶する者同士のプロレスはリアルな主導権争いでしかない。
おそらく、強さからいえば、強さを追求し続けた学生時代から、それほど年月を経ない最も強かった時期の永田が、Uインター勢を相手に縦横無尽に活躍した。
私が忘れられないのは中野に決めた「後方がぶり返し」である。
リアルにフロント・ネック・チャンスリーが90年代のプロレスの試合で見られたのである。
ドームでの金原相手の激闘は、私にとって「奇跡の試合」であった。
勝ち負け以外のプロレスの約束事に従おうとしない金原の攻撃を、永田は純プロレスではなく、リアルな主導権争いによって、封じ込めた。
あの時代、前座の永田が死守した新日本プロレスの「強さのイメージ」によって、新日本は安心して以後の純プロレスも展開出来たのである。
その永田が、あの時の試合とは程遠い、純プロレス的激しさで、脳に傷を受けた。
Uインターとの抗争で、相手の技を捌き、強さのイメージを保った永田がである。
平成のプロレスファンは、どこまで、危険なプロレスを、プロレスラーに展開させたいのであろう。
強くないから、リアルファイトでないから、激しいプロレスを展開しなければいけないのが今のプロレスならば、永田の若き日の激闘も報われないであろう。
アントニオ猪木最後の弟子/小川直也が輝いていた時
非言語コミュニケーションとしてのプロレス
アントニオ猪木信者とは何か?/勘違いプロレスファンたちの新日本プロレス
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
しかし皆、実際には現在のプロレス界で、プロレスをやっていない男たちである。
別の位地で奮闘する長州は除かせてもらう。
そういう意味では、プロレス界にてプロレスを遂行するプロレスラーで、私が一番愛する男は永田かも知れないと、ふと思う。
永田はアマチュア時代から天才型だった訳では無い。
おそらく教育者だった御両親の影響で、目標遂行に対しての方法を試行錯誤し、地道な反復練習にて努力を繰り返し、全日本の覇者となったはずである。
何故かアマチュア時代、ジャンボ鶴田二世と云われた男であるが、確かに、そのリーチの長さは重量級のレスリングでは鶴田以来であったような気がする。
猪木の入り込む余地のなかった一時の新日本の黄金期を支えたのは永田である。
黄金期の新日本を支えたものは「強さのイメージ」である。
「強さのイメージ」を持って、安心して、UWF勢に影響される事の無い90年代の新日本的純プロレスを展開出来ていたのである。
しかしUWFインターが参戦したとき、UWFを相手に純プロレス的な試合を展開すれば、団体としての強さのイメージは吹っ飛んでいたはずであろう。
しかし、第一次UWFと新日本の闘いを遠くから眺め呆れていたかのように長州力は頑に、UWFの攻撃からの純プロレス的な受けを拒絶する方向に出た。
長州力は、ここぞと云う時の強さのイメージにつながる受けは絶対に拒絶する男である。
リアルな攻撃を受けたら最後、純プロレスを展開する上で必要な「強さのイメージ」を保てない事を知っていたのだ。
結果、永田は抗争初戦で、プロレスの枠内で、徹底的に、Uインターの選手の技の受けを拒絶した。
拒絶する者同士のプロレスはリアルな主導権争いでしかない。
おそらく、強さからいえば、強さを追求し続けた学生時代から、それほど年月を経ない最も強かった時期の永田が、Uインター勢を相手に縦横無尽に活躍した。
私が忘れられないのは中野に決めた「後方がぶり返し」である。
リアルにフロント・ネック・チャンスリーが90年代のプロレスの試合で見られたのである。
ドームでの金原相手の激闘は、私にとって「奇跡の試合」であった。
勝ち負け以外のプロレスの約束事に従おうとしない金原の攻撃を、永田は純プロレスではなく、リアルな主導権争いによって、封じ込めた。
あの時代、前座の永田が死守した新日本プロレスの「強さのイメージ」によって、新日本は安心して以後の純プロレスも展開出来たのである。
その永田が、あの時の試合とは程遠い、純プロレス的激しさで、脳に傷を受けた。
Uインターとの抗争で、相手の技を捌き、強さのイメージを保った永田がである。
平成のプロレスファンは、どこまで、危険なプロレスを、プロレスラーに展開させたいのであろう。
強くないから、リアルファイトでないから、激しいプロレスを展開しなければいけないのが今のプロレスならば、永田の若き日の激闘も報われないであろう。
アントニオ猪木最後の弟子/小川直也が輝いていた時
非言語コミュニケーションとしてのプロレス
アントニオ猪木信者とは何か?/勘違いプロレスファンたちの新日本プロレス
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
posted by shingol at 17:52| 新・レッスルする世界
アントニオ猪木最後の弟子/小川直也が輝いていた時
小川直也は、アントニオ猪木の教えを何とか忠実に守ろうとする弟子の一人でもある。
多くの弟子たちが、猪木の元を離れる中で、小川だけは意外と猪木の側にいるものである。
最初から適度な距離を持っているのだろう。
「師匠」と猪木を呼び続ける事で、アントニオ猪木への愛情と尊敬を無理矢理にでも自分の心の中に言い聞かせている男でもある。
猪木が小川に何を教えたかというと、抽象的なプロレス道でしかない。
元々、猪木の世界に言語は無いので、論理的に何かを伝えられる事は無い。
抽象的な何かを感じ取るしか無いのだ。
人の成功や繁栄を羨むアントニオ猪木であるが、新日本とUインターの試合においては意外と素直に、長州や永田、石沢の試合を褒め讃えていたものだ。
反面、橋本真也が中野のジャーマンを受けたとき、放送席で静かな怒りを示した。
プロレス的な技は受けても、強さのイメージを奪われかねない技は、絶対に受けてほしくないというのが猪木の想いなのだろう。
日本プロレス時代あれだけドリー・ファンク・ジュニアと上手い純プロレスを展開した猪木が、新日本旗揚げ以後、ドタバタしたプロレスを展開し続けた。
猪木の身体から受け身に必要な脂肪は削り取られ、純プロレスに必要な、丸みを浴びたプロレスラー体型ではなくなってしまった。
体型からして純プロレスの約束的動きを必要としない事を証明しているのだ。
巨漢の小川直也を自らの元でシェイプさせたのは、プロとしての見栄えを優先する猪木の考えもあっただろう。
しかし、何より、小川を痩せさせた理由、純プロレス的な練習もさせなかった理由は、総合をさせる為でも、純プロレスをさせるためでも無い。
アントニオ猪木の理想のプロレスを小川に託したかったに他ならない気がする。
純プロレス的な言語や約束事に頼らず、観客を掌に乗せるプロレスがある事を、小川は少しだけ他の選手よりは知っているはずだ。
小川直也に必要なのは、当然、強さではない。
それ以上に、プロレスの上手さでもない。
プロレス言語や約束事に頼らず、人の感性に訴えるショーとしてのプロレスの手法である。
一時、小川は忠実にこの教えを守っていた。
例えば、総合に出陣する以上の闘争心や殺気を全面に押し立てて、プロレスを遂行した。
しかし、プロレスなので本気で相手に闘争心を全開には出来ない。
結果、小川の闘争心は、相手や観客に露出されず、自身の感情の中で抑制される。
それが小川直也のプロレスラーとしての色気と殺気を醸し出していたのだ。
怒りの感情を大見得を切ってアピール、表現する場面は猪木的プロレスの少ない言語シーンである。
しかし、それは猪木の数少ないプロレス言語でしかない。
猪木的闘争心とは、感情を露出、全開し、声を張り上げ、胸板への激しいチョップ合戦を繰り広げるような物ではない。
むしろリアルな殺気と憎しみを持ちながら、プロレスという職務を遂行する事で、つまり感情をいたずらに露出しない事で、観客に感情を醸し出させるのだ。
前田日明が一番魅力を全開にしていたときもそうであった。
前田が胸に秘めていたものはリアルな感情である。
そのリアルな感情を、必至に胸に止めながら、いたずらに露出せず、職務としてのプロレスを遂行し続けたとき、観客には前田の殺気が観客に伝わる。
その殺気には感情を露出せず心内に溜める事で忍ぶ者の色気が加わる。
プロレスだからと、リアルな感情は必要ないと考えれば無機的な格闘家たちのプロレスになってしまう。
あるいは感情をいたずらに露出し、その感情を、表情や胸板へのチョップ合戦等の激しさと言うプロレス言語によって表現すれば純プロレスでしかない。
感情とは内に秘めながらも簡単に露出させない事で、リアルに観客に伝わるものだ。
心の中のリアルな感情を維持したまま、セメントでも、リアルファイトでもなく、プロレスを遂行していた時が、小川直也の最も輝いていた時代であった。
非言語コミュニケーションとしてのプロレス
アントニオ猪木信者とは何か?/勘違いプロレスファンたちの新日本プロレス
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
多くの弟子たちが、猪木の元を離れる中で、小川だけは意外と猪木の側にいるものである。
最初から適度な距離を持っているのだろう。
「師匠」と猪木を呼び続ける事で、アントニオ猪木への愛情と尊敬を無理矢理にでも自分の心の中に言い聞かせている男でもある。
猪木が小川に何を教えたかというと、抽象的なプロレス道でしかない。
元々、猪木の世界に言語は無いので、論理的に何かを伝えられる事は無い。
抽象的な何かを感じ取るしか無いのだ。
人の成功や繁栄を羨むアントニオ猪木であるが、新日本とUインターの試合においては意外と素直に、長州や永田、石沢の試合を褒め讃えていたものだ。
反面、橋本真也が中野のジャーマンを受けたとき、放送席で静かな怒りを示した。
プロレス的な技は受けても、強さのイメージを奪われかねない技は、絶対に受けてほしくないというのが猪木の想いなのだろう。
日本プロレス時代あれだけドリー・ファンク・ジュニアと上手い純プロレスを展開した猪木が、新日本旗揚げ以後、ドタバタしたプロレスを展開し続けた。
猪木の身体から受け身に必要な脂肪は削り取られ、純プロレスに必要な、丸みを浴びたプロレスラー体型ではなくなってしまった。
体型からして純プロレスの約束的動きを必要としない事を証明しているのだ。
巨漢の小川直也を自らの元でシェイプさせたのは、プロとしての見栄えを優先する猪木の考えもあっただろう。
しかし、何より、小川を痩せさせた理由、純プロレス的な練習もさせなかった理由は、総合をさせる為でも、純プロレスをさせるためでも無い。
アントニオ猪木の理想のプロレスを小川に託したかったに他ならない気がする。
純プロレス的な言語や約束事に頼らず、観客を掌に乗せるプロレスがある事を、小川は少しだけ他の選手よりは知っているはずだ。
小川直也に必要なのは、当然、強さではない。
それ以上に、プロレスの上手さでもない。
プロレス言語や約束事に頼らず、人の感性に訴えるショーとしてのプロレスの手法である。
一時、小川は忠実にこの教えを守っていた。
例えば、総合に出陣する以上の闘争心や殺気を全面に押し立てて、プロレスを遂行した。
しかし、プロレスなので本気で相手に闘争心を全開には出来ない。
結果、小川の闘争心は、相手や観客に露出されず、自身の感情の中で抑制される。
それが小川直也のプロレスラーとしての色気と殺気を醸し出していたのだ。
怒りの感情を大見得を切ってアピール、表現する場面は猪木的プロレスの少ない言語シーンである。
しかし、それは猪木の数少ないプロレス言語でしかない。
猪木的闘争心とは、感情を露出、全開し、声を張り上げ、胸板への激しいチョップ合戦を繰り広げるような物ではない。
むしろリアルな殺気と憎しみを持ちながら、プロレスという職務を遂行する事で、つまり感情をいたずらに露出しない事で、観客に感情を醸し出させるのだ。
前田日明が一番魅力を全開にしていたときもそうであった。
前田が胸に秘めていたものはリアルな感情である。
そのリアルな感情を、必至に胸に止めながら、いたずらに露出せず、職務としてのプロレスを遂行し続けたとき、観客には前田の殺気が観客に伝わる。
その殺気には感情を露出せず心内に溜める事で忍ぶ者の色気が加わる。
プロレスだからと、リアルな感情は必要ないと考えれば無機的な格闘家たちのプロレスになってしまう。
あるいは感情をいたずらに露出し、その感情を、表情や胸板へのチョップ合戦等の激しさと言うプロレス言語によって表現すれば純プロレスでしかない。
感情とは内に秘めながらも簡単に露出させない事で、リアルに観客に伝わるものだ。
心の中のリアルな感情を維持したまま、セメントでも、リアルファイトでもなく、プロレスを遂行していた時が、小川直也の最も輝いていた時代であった。
非言語コミュニケーションとしてのプロレス
アントニオ猪木信者とは何か?/勘違いプロレスファンたちの新日本プロレス
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
posted by shingol at 04:34| 新・レッスルする世界
2008年02月26日
非言語コミュニーケーションとしてのプロレス
昔のプロレスは非言語コミュニケーションを駆使したジャンルであった。
昭和のプロレスは、今のマニアックなジャンルとしてのプロレスよりも、更に最大公約数のファンである大衆層に向けての、分かりやすい娯楽性を伝える義務があった。
しかし、その伝え方は、決して理に叶う細かい説明の仕方ではなかった。
説明ではなく、受け手側のファンに、感じさせていたのだ。
まだディフォルメされすぎないシンプルな技術にリアリティを求めながらも、試合自体においては、文章の行間を読んだり、言外を読むような、受け手側の努力が必要であった。
気づいてるファンは気づいてるのだが、プロレスブーム前の普段のアントニオ猪木の試合と、今のIGFの試合の雰囲気は似ている。
消化不良で、呆気なく終わり、盛り上がりも、見せ場もない。会場の一体感もない。
実は猪木の試合とは、そういう試合が多かったので、我々猪木ファンは、目に見えるアントニオ猪木の試合の部分以外の、行間や言外の中に、呆気なく終わった試合の答えを求めるしかなかったのである。
しかし昭和のプロレスブームは、行間や言外を読まないファンを大量に生産してしまったのだ。
確かに、受け手側の能動性に頼っていてはブームなど起こるはずもなかった。
しかし、受け手側に行間や言外を読む余地など無いままに、ただ、ひたすら受け手への親切な説明が度を越してしまったのが今のプロレスだ。
大技や、目まぐるしい動きや、激しさや、そういう目に見える言語だけを用いて、プロレスが言語コミュニケーションの世界になってしまったのだ。
プロレス言語の最たるものは、危険な大技の乱発や激しい痛みを伴う打撃技と言う説得力である。
その説得力というプロレス言語を持ってしか、今のプロレスは今のファンに説明するものを持たない。
猪木の延髄斬りが空振りしたのに関わらず、相手が一回転して勝敗は決した。
説得力のかけらも無い結末である。
しかし昔はそれで良かった。
ファンが馬鹿だったからではない。
ファンがプロレスの中の目に見える言語だけを持ってプロレスを読み取らなかったからだ。
言外や行間を読めていたのである。
(管理人より)
ka-lei-do-scope weblog様
函館望郷ブログ Life is a Journey! 様
に当ブログの事をご紹介いただきました。
大変嬉しく思います。
ありがとうございました。
アントニオ猪木信者とは何か?/勘違いプロレスファンたちの新日本プロレス
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
昭和のプロレスは、今のマニアックなジャンルとしてのプロレスよりも、更に最大公約数のファンである大衆層に向けての、分かりやすい娯楽性を伝える義務があった。
しかし、その伝え方は、決して理に叶う細かい説明の仕方ではなかった。
説明ではなく、受け手側のファンに、感じさせていたのだ。
まだディフォルメされすぎないシンプルな技術にリアリティを求めながらも、試合自体においては、文章の行間を読んだり、言外を読むような、受け手側の努力が必要であった。
気づいてるファンは気づいてるのだが、プロレスブーム前の普段のアントニオ猪木の試合と、今のIGFの試合の雰囲気は似ている。
消化不良で、呆気なく終わり、盛り上がりも、見せ場もない。会場の一体感もない。
実は猪木の試合とは、そういう試合が多かったので、我々猪木ファンは、目に見えるアントニオ猪木の試合の部分以外の、行間や言外の中に、呆気なく終わった試合の答えを求めるしかなかったのである。
しかし昭和のプロレスブームは、行間や言外を読まないファンを大量に生産してしまったのだ。
確かに、受け手側の能動性に頼っていてはブームなど起こるはずもなかった。
しかし、受け手側に行間や言外を読む余地など無いままに、ただ、ひたすら受け手への親切な説明が度を越してしまったのが今のプロレスだ。
大技や、目まぐるしい動きや、激しさや、そういう目に見える言語だけを用いて、プロレスが言語コミュニケーションの世界になってしまったのだ。
プロレス言語の最たるものは、危険な大技の乱発や激しい痛みを伴う打撃技と言う説得力である。
その説得力というプロレス言語を持ってしか、今のプロレスは今のファンに説明するものを持たない。
猪木の延髄斬りが空振りしたのに関わらず、相手が一回転して勝敗は決した。
説得力のかけらも無い結末である。
しかし昔はそれで良かった。
ファンが馬鹿だったからではない。
ファンがプロレスの中の目に見える言語だけを持ってプロレスを読み取らなかったからだ。
言外や行間を読めていたのである。
(管理人より)
ka-lei-do-scope weblog様
函館望郷ブログ Life is a Journey! 様
に当ブログの事をご紹介いただきました。
大変嬉しく思います。
ありがとうございました。
アントニオ猪木信者とは何か?/勘違いプロレスファンたちの新日本プロレス
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
posted by shingol at 11:36| 新・レッスルする世界
2008年02月25日
独り言・家畜福祉について
風邪でダウンの為、今日はとてもプロレスの記事が書けません。
こういう場合はステーキ肉でも食べて精をつけたいと思います。
私の場合は普段は、すじ肉やホルモンの類いが好物ですが、ここぞという時はマグロやステーキを食べる事が多いです。
肉を食べるというよりも、実際は血を食べているのです。
何か猟奇的な誤解を受けそうですが、人間が赤身の肉を食べる潜在的な理由は、動物の血の補給に他ならないでしょう。
関係のない話ですが、瞬発力を増したければ白身の魚。
持久力を増したければ赤身の魚が良いと思います。
関係のない話ついでに関係のない話を続けてみたいと思います。
私は元々、家が土建業の他に、ステーキ屋を経営していた事もあり、大の肉好きです。
韓国に「牛のような男になれ」とかいう諺があったかと思います。
どこの部位も食べられる牛に例えて、男の価値としてクオリティの高い男であれというような意味だと思っています。
小さい頃より、牛肉の恩恵に授かり、人一倍身体の大きくなった私ですが、最近というか2,3年前くらいより少し興味の在る事があります。
「動物福祉」「家畜福祉」です。
私に栄養と至福の味覚を与えてくれる牛の一生を、ふと、考えた事がきっかけでした。
飼育農家、屠畜場のコストなどの事情もあるでしょうが、出来るだけ、牛には屠殺される直前まで、ストレスを感じない一生を終えてほしいと、思います。
大の肉好きの私にとっては畜肉が無ければつまらない人生ですし、大変矛盾した考えなのですが、本音なのです。
動物愛護とか、動物の権利とかの類いの話ではありません。
牛以外の家畜全般にいえる事ですが、私が最も強く求めたいのは、痛みを中心としたストレスの緩和です。
韓国や中国の犬肉は有名ですが屠殺する際はわざと恐怖を与えているようです。
そのほうがアドレナリンが放出され、肉の美味しさが異なるとの事です。
むごい話ですが、私は国の文化を否定するまでの知識はまだありません。
ただ、アドレナリン云々の考え等無い国で、単に効率の為に、屠殺される動物が痛みに悶え苦しむ姿は想像に絶します。
綺麗事を言うつもりはありません。
生まれた一生をずっとストレスを背負って生きていくなら、いっそ自然で放牧される牛を自分の手で殺す方が良いのではないかとか自分でも訳の分からない事を考えたりします。
人類の暴力性の究極は、闘争本能のMAXでは無いというのが私の考えです。
暴力性の究極は、どんどん効率に向かっていっているような気がします。
自分で人を殺めるのでなく、自分の手を汚さず、間接的に人を大量に殺める世界こそが人類の暴力性が効率性に悪い意味で昇華される代表例な気がします。
つまり原始時代の闘争本能とは別の次元の高率さの追求こそ、人類の最たる暴力なような気がします。
しかし効率ある今の家畜のシステムによって生活出来ている方々の幸せを無視してまで、家畜の事を考えたりはしません。
何より実際に牛を育て、牛を殺める人ほどの、牛に対しての情は私には無いのですから。
あくまで、ふと思った事です。
「家畜福祉」については勉強中ですので、今は、まだそれくらいしか記せません。
こういう場合はステーキ肉でも食べて精をつけたいと思います。
私の場合は普段は、すじ肉やホルモンの類いが好物ですが、ここぞという時はマグロやステーキを食べる事が多いです。
肉を食べるというよりも、実際は血を食べているのです。
何か猟奇的な誤解を受けそうですが、人間が赤身の肉を食べる潜在的な理由は、動物の血の補給に他ならないでしょう。
関係のない話ですが、瞬発力を増したければ白身の魚。
持久力を増したければ赤身の魚が良いと思います。
関係のない話ついでに関係のない話を続けてみたいと思います。
私は元々、家が土建業の他に、ステーキ屋を経営していた事もあり、大の肉好きです。
韓国に「牛のような男になれ」とかいう諺があったかと思います。
どこの部位も食べられる牛に例えて、男の価値としてクオリティの高い男であれというような意味だと思っています。
小さい頃より、牛肉の恩恵に授かり、人一倍身体の大きくなった私ですが、最近というか2,3年前くらいより少し興味の在る事があります。
「動物福祉」「家畜福祉」です。
私に栄養と至福の味覚を与えてくれる牛の一生を、ふと、考えた事がきっかけでした。
飼育農家、屠畜場のコストなどの事情もあるでしょうが、出来るだけ、牛には屠殺される直前まで、ストレスを感じない一生を終えてほしいと、思います。
大の肉好きの私にとっては畜肉が無ければつまらない人生ですし、大変矛盾した考えなのですが、本音なのです。
動物愛護とか、動物の権利とかの類いの話ではありません。
牛以外の家畜全般にいえる事ですが、私が最も強く求めたいのは、痛みを中心としたストレスの緩和です。
韓国や中国の犬肉は有名ですが屠殺する際はわざと恐怖を与えているようです。
そのほうがアドレナリンが放出され、肉の美味しさが異なるとの事です。
むごい話ですが、私は国の文化を否定するまでの知識はまだありません。
ただ、アドレナリン云々の考え等無い国で、単に効率の為に、屠殺される動物が痛みに悶え苦しむ姿は想像に絶します。
綺麗事を言うつもりはありません。
生まれた一生をずっとストレスを背負って生きていくなら、いっそ自然で放牧される牛を自分の手で殺す方が良いのではないかとか自分でも訳の分からない事を考えたりします。
人類の暴力性の究極は、闘争本能のMAXでは無いというのが私の考えです。
暴力性の究極は、どんどん効率に向かっていっているような気がします。
自分で人を殺めるのでなく、自分の手を汚さず、間接的に人を大量に殺める世界こそが人類の暴力性が効率性に悪い意味で昇華される代表例な気がします。
つまり原始時代の闘争本能とは別の次元の高率さの追求こそ、人類の最たる暴力なような気がします。
しかし効率ある今の家畜のシステムによって生活出来ている方々の幸せを無視してまで、家畜の事を考えたりはしません。
何より実際に牛を育て、牛を殺める人ほどの、牛に対しての情は私には無いのですから。
あくまで、ふと思った事です。
「家畜福祉」については勉強中ですので、今は、まだそれくらいしか記せません。
posted by shingol at 22:15| 新・レッスルする世界
2008年02月24日
金曜夜8時のアントニオ猪木
私がアントニオ猪木に夢中になっていた時代の大半は、アントニオ猪木に振り回された時間であった。
相思相愛の信頼関係等、猪木とファンの間には無かったものだ。
私が子供の頃はプロレスの媒体等、「ゴング」「別冊ゴング」「プロレス」「デラックスプロレス」「週刊ファイト」しか無かった。
たまに大阪スポーツを買って、中身の無い情報を、少しの活字も見逃さないよう、一字一句食い入るように見つめた。
常に情報に飢えていたプロレスファンにとって、毎週金曜日夜8時の「ワールド・プロレスリング」は待ちに待った時間であった。
7時55分までには入浴とトイレを済ませ、テレビの前に正座した。
しかし、至福の時の時間など、あっという間に終わってしまうものだ。
なかなか終わらないセミファイナルに苛立ちながら、テレビ画面と時計を交互に見やった。
数年前、「ワールド・プロレスリング」の元プロデューサーが出した本に、当時の事が記されており少し驚いた。
猪木の意向で、わざと放送時間内に出てこなかったというのだ。
ファンの願い等無視しつづけ、私たちを振り回し続けてくれたアントニオ猪木に改めて感謝した。
アントニオ猪木信者とは何か?/勘違いプロレスファンたちの新日本プロレス
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
相思相愛の信頼関係等、猪木とファンの間には無かったものだ。
私が子供の頃はプロレスの媒体等、「ゴング」「別冊ゴング」「プロレス」「デラックスプロレス」「週刊ファイト」しか無かった。
たまに大阪スポーツを買って、中身の無い情報を、少しの活字も見逃さないよう、一字一句食い入るように見つめた。
常に情報に飢えていたプロレスファンにとって、毎週金曜日夜8時の「ワールド・プロレスリング」は待ちに待った時間であった。
7時55分までには入浴とトイレを済ませ、テレビの前に正座した。
しかし、至福の時の時間など、あっという間に終わってしまうものだ。
なかなか終わらないセミファイナルに苛立ちながら、テレビ画面と時計を交互に見やった。
数年前、「ワールド・プロレスリング」の元プロデューサーが出した本に、当時の事が記されており少し驚いた。
猪木の意向で、わざと放送時間内に出てこなかったというのだ。
ファンの願い等無視しつづけ、私たちを振り回し続けてくれたアントニオ猪木に改めて感謝した。
アントニオ猪木信者とは何か?/勘違いプロレスファンたちの新日本プロレス
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
posted by shingol at 18:50| 新・レッスルする世界
危険なプロレスの未来
以前、探偵ナイトスクープという番組で、熱烈なプロレスファンの視聴者から、オリジナルの技を考え、実際にプロレスラーに使えるか試してほしいという依頼を受けた企画がありました。
考案した技というのは、どう考えても、頸椎を痛めるだろうというような、かなりの大技でした。
詳しい説明は省きますが、ブレーンバスターの変形でした。
ゲストとして小橋が登場し、道場にて、依頼者に応え、若手相手に何度も練習していました。
依頼者の方は純粋なプロレスファンの方でしたので、悪気も何も無いのは理解出来ます。
しかしファンがプロレスの大技に込める想いというのは、どんどん危険度の高いものになって来た気がします。
プロレスの大技というのは、元々実際にリアルに使われていた技術を、ディフォルメし、観客に分かりやすく、かつ、受け手が怪我をしないよう息を合わせ、提示するものです。
幻想的な大技に対しては、逆に、リアルな説得力が必要となってきます。
その説得力を強くする為には、何よりも「高さ」が効果的です。
人間は「高い」場所からの転落に潜在的な恐怖を持っているからです。
よって、説得力を増す為に、プロレスの大技は、どんどん相手を高く抱え上げての叩き付けの方向に走り出していってしまいました。
大技とともにプロレスを構成する打撃技も、かなりの強度を伴ってきました。
打撃技のリアリティや説得力を増す為に、本当に痛い技を繰り出すようになってしまったのです。
激しい攻撃を受ける事で、肉体の頑丈さや試合の激しさを見せる事で、プロレスという疑似格闘技のリアリティ、説得力、あるいは疑似行為である罪の意識への、免罪符を求めているのかも知れません。
プロレスというのは相手の技を受けるものです。
ならば、相手が受ける為に、相手の身体の事を考えるべきです。
受け身の進化と言っても、体重を浴びせられたり、叩き付けられたり、痛い打撃技を頭部に浴び続ければ、どれだけ上手い受け身の職人であっても、肉体は滅んでしまいます。
誤解の無いように記しておきますが、プロレスが肉体のぶつかりあいである以上、肉体の痛みは避けられないものです。
また大技の危険も避けられません。
しかしプロレスラーは、巡業・移動・マットワーク、職業全てにおいて、ただでさえ肉体の消耗の激しいスポーツなのです。
プロレスの特性として相手の技を受ける事は必須ですが、もう少し大技を大事にし、つなぎ技としての打撃技も安易に使わず、試合を構成する方法は無いものでしょうか?
しかしプロレスラーたちは、観客を沸かす方法として、あるいはプロレスに説得力を持たせる為に、ひたすら激しい大技を乱発し、痛い打撃技を繰り出します。
天龍が痛みの伝わるプロレスを展開したとき、プロレス界に大きな誤解が生じたと思っています。
本当に痛い攻撃でなければ、痛みを伝えられないという天龍の考えに、プロレスという幻想的ジャンルが揺らぎだしていったように思います。
リアリティの追求が、リアルな痛みを伴う技の出現によって停止してしまったのです。
またブーム時の女子プロレスラーたちの刹那的な闘い方の影響も大いにプロレス界に影響を及ぼしていると思います。
これをやったら観客は次は何を期待してしまうか分からなかった事は無いはずですが、ただ、ひたすら試合の中での自己アピールの為に命さえ捨てるような大技を刹那的に繰り広げる女子プロレラーたちが、ブーム時に繰り広げた試合は、私的には、あまりにも命をお粗末にした安易なプロレスでしかなかったからです。
この時の女子プロレスは、特に、前述した「高い位地」からの攻撃がエスカレートしてしまったような気がします。
プロレスとは元々、本当の格闘家たちが商業ベースで試合を行なう為に出来た試合です。
お互いが、お互いの身を守る事で、試合も大量生産出来たはずです。
それでも危険や痛みは避けられません。
そういう中で、プロレスラーたちは、リアルな痛みや危険を極力抑えて、リアリティの追求にこだわってきました。
プロレスがショーである事が分かった所で、そのリアリティの追求を疎かにすべきものではありません。
しかしリアリティの追求が、誤解したリアルな説得力の追求に走り出してしまったのが、今のプロレス界です。
今のプロレスの試合は末期的状態です。
私が記す痛い技というのは、具体的には、頸椎に響き、脳が揺れる技です。
鍛えられた肉体を攻撃するのではなく、相手の急所を、適度に強度を緩めて攻撃するのが今のプロレスの試合です。
しかも受ける事を前提にした相手に放つ技ではないでしょう。
そのような、つなぎ技から、大技を乱発してまで、観客に必死に訴える先に、何があるのでしょうか?
しかし私が怖いのは、そういうプロレスしか見てこなかった今のファンたちです。
愛するレスラーたちの危険な行為や痛みによってしか、涌く事も出来ず、感動も出来ないのでしょうか?
色々なものを背負い、リングの上に立つ職業プロレスラーたちの痛みや心象風景を、ファンたちが本当の痛みや危険によってしか感じる事が出来ないのなら、もはやプロレスという幻想ジャンルの先は見えているでしょう。
アントニオ猪木信者とは何か?/勘違いプロレスファンたちの新日本プロレス
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
考案した技というのは、どう考えても、頸椎を痛めるだろうというような、かなりの大技でした。
詳しい説明は省きますが、ブレーンバスターの変形でした。
ゲストとして小橋が登場し、道場にて、依頼者に応え、若手相手に何度も練習していました。
依頼者の方は純粋なプロレスファンの方でしたので、悪気も何も無いのは理解出来ます。
しかしファンがプロレスの大技に込める想いというのは、どんどん危険度の高いものになって来た気がします。
プロレスの大技というのは、元々実際にリアルに使われていた技術を、ディフォルメし、観客に分かりやすく、かつ、受け手が怪我をしないよう息を合わせ、提示するものです。
幻想的な大技に対しては、逆に、リアルな説得力が必要となってきます。
その説得力を強くする為には、何よりも「高さ」が効果的です。
人間は「高い」場所からの転落に潜在的な恐怖を持っているからです。
よって、説得力を増す為に、プロレスの大技は、どんどん相手を高く抱え上げての叩き付けの方向に走り出していってしまいました。
大技とともにプロレスを構成する打撃技も、かなりの強度を伴ってきました。
打撃技のリアリティや説得力を増す為に、本当に痛い技を繰り出すようになってしまったのです。
激しい攻撃を受ける事で、肉体の頑丈さや試合の激しさを見せる事で、プロレスという疑似格闘技のリアリティ、説得力、あるいは疑似行為である罪の意識への、免罪符を求めているのかも知れません。
プロレスというのは相手の技を受けるものです。
ならば、相手が受ける為に、相手の身体の事を考えるべきです。
受け身の進化と言っても、体重を浴びせられたり、叩き付けられたり、痛い打撃技を頭部に浴び続ければ、どれだけ上手い受け身の職人であっても、肉体は滅んでしまいます。
誤解の無いように記しておきますが、プロレスが肉体のぶつかりあいである以上、肉体の痛みは避けられないものです。
また大技の危険も避けられません。
しかしプロレスラーは、巡業・移動・マットワーク、職業全てにおいて、ただでさえ肉体の消耗の激しいスポーツなのです。
プロレスの特性として相手の技を受ける事は必須ですが、もう少し大技を大事にし、つなぎ技としての打撃技も安易に使わず、試合を構成する方法は無いものでしょうか?
しかしプロレスラーたちは、観客を沸かす方法として、あるいはプロレスに説得力を持たせる為に、ひたすら激しい大技を乱発し、痛い打撃技を繰り出します。
天龍が痛みの伝わるプロレスを展開したとき、プロレス界に大きな誤解が生じたと思っています。
本当に痛い攻撃でなければ、痛みを伝えられないという天龍の考えに、プロレスという幻想的ジャンルが揺らぎだしていったように思います。
リアリティの追求が、リアルな痛みを伴う技の出現によって停止してしまったのです。
またブーム時の女子プロレスラーたちの刹那的な闘い方の影響も大いにプロレス界に影響を及ぼしていると思います。
これをやったら観客は次は何を期待してしまうか分からなかった事は無いはずですが、ただ、ひたすら試合の中での自己アピールの為に命さえ捨てるような大技を刹那的に繰り広げる女子プロレラーたちが、ブーム時に繰り広げた試合は、私的には、あまりにも命をお粗末にした安易なプロレスでしかなかったからです。
この時の女子プロレスは、特に、前述した「高い位地」からの攻撃がエスカレートしてしまったような気がします。
プロレスとは元々、本当の格闘家たちが商業ベースで試合を行なう為に出来た試合です。
お互いが、お互いの身を守る事で、試合も大量生産出来たはずです。
それでも危険や痛みは避けられません。
そういう中で、プロレスラーたちは、リアルな痛みや危険を極力抑えて、リアリティの追求にこだわってきました。
プロレスがショーである事が分かった所で、そのリアリティの追求を疎かにすべきものではありません。
しかしリアリティの追求が、誤解したリアルな説得力の追求に走り出してしまったのが、今のプロレス界です。
今のプロレスの試合は末期的状態です。
私が記す痛い技というのは、具体的には、頸椎に響き、脳が揺れる技です。
鍛えられた肉体を攻撃するのではなく、相手の急所を、適度に強度を緩めて攻撃するのが今のプロレスの試合です。
しかも受ける事を前提にした相手に放つ技ではないでしょう。
そのような、つなぎ技から、大技を乱発してまで、観客に必死に訴える先に、何があるのでしょうか?
しかし私が怖いのは、そういうプロレスしか見てこなかった今のファンたちです。
愛するレスラーたちの危険な行為や痛みによってしか、涌く事も出来ず、感動も出来ないのでしょうか?
色々なものを背負い、リングの上に立つ職業プロレスラーたちの痛みや心象風景を、ファンたちが本当の痛みや危険によってしか感じる事が出来ないのなら、もはやプロレスという幻想ジャンルの先は見えているでしょう。
アントニオ猪木信者とは何か?/勘違いプロレスファンたちの新日本プロレス
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
posted by shingol at 09:55| 新・レッスルする世界
2008年02月23日
横山やすしと岩城滉一のヤクザ芸
横山やすしの破天荒ぶりはヤクザ芸に通じます。
しかしダウンタウンはチンピラ芸でしかありません。
かつて岩城滉一は前田日明との対談で、ダウンタウンの事を批判しました。
前田も同調していましたが、私も同感です。
本当の暴力を知らない人間が演じるチンピラ芸は、下品で、美しさのかけらもありません。
しかし、横山やすしには、茶の間の子供が安心して見れる暴力のヤクザ芸がありました。
しかしダウンタウンはチンピラ芸でしかありません。
かつて岩城滉一は前田日明との対談で、ダウンタウンの事を批判しました。
前田も同調していましたが、私も同感です。
本当の暴力を知らない人間が演じるチンピラ芸は、下品で、美しさのかけらもありません。
しかし、横山やすしには、茶の間の子供が安心して見れる暴力のヤクザ芸がありました。
posted by shingol at 22:29| 私の好きな有機的な世界
アントニオ猪木信者とは何か?/勘違いプロレスファンたちの新日本プロレス
よく誤解される事ですが、私はアントニオ猪木の絶対的な信者ではありません。
アントニオ猪木のプロレスを見て育ちましたが、当時の猪木ファンに多かった猪木絶対主義・新日絶対主義のファンとは異なっていたように思います。
猪木に夢中になりながらも、全日本プロレスの世界も好きだったのです。
隣の芝生はよく見えると言いますが、子供の頃の私に取って、プロレス的完成度の高く、一流どころの揃う全日本プロレスは羨ましい限りでした。
また中学くらいになると、アントニオ猪木という人間の負の部分にも気づいてくるものです。
平成のファンが感じる以上の、猪木に対する負のイメージは、案外、昭和のファンの方がよく感じていた事だろうと思います。
新日本のファンならば、かつての三銃士や今の棚橋、仲邑。
あるいはノアのファンであれば小橋や三沢。
そういった憧れのスターが、例えば、あの金村キンタローのような事件を起こせば、心はどう処理されるでしょうか?
別に猪木が金村キンタローのような事件を起こしたわけではありませんが、流れてくる醜聞は似たようなもの、つまり英雄とはかけ離れた低レベルの人間性の話ばかりでした。
英雄を信じる心が英雄を作ると行っても、自分を騙しきれないくらいの醜聞が聞こえてくれば、盲目的に猪木信者でおれるはずはありません。
またリングの上に関しても猪木は女々しさを見せつける事も多かったものです。
強い外国人選手にはどこか気が引けていたのが、いつも垣間見えていましたし、何より、レスリングを経験してきた私にとっては子供以下のレスリング技術しか無い猪木は強さの尊敬の対象では在りません。
また自己顕示欲や嫉視心の強さは誰でも分かる事です。
馬鹿なファンは、単純に、猪木の事を評価した記事を書けば、猪木信者の一言で片付ける傾向が在りますが、私の知る限り、昭和のファンで、猪木絶対至上主義者等いてたら、おかしいでしょう。
猪木の負の部分等、誰よりも知りながら、それでも猪木の素晴らしい部分を誰よりも知るのが、昭和の猪木ファンであると思っています。
平成のファンは、醜聞や負の部分は、もうご存知の事だと思いますので、私があえて記す事はありません。
そうなれば、私はただ昭和の猪木のプロレスの素晴らしさを伝えるしか在りません。
なので自ずと猪木の素晴らしさを伝える記事は多くなります。
しかし、それを持って猪木信者扱いされるのは不思議な話です。
私は子供の頃は世界一強いといわれた猪木も、あるいは今は世界一女々しい、世界一嫉妬深い、世界一目立ちたがり屋、世界一馬鹿のアントニオ猪木。
どういう猪木であれ、全ての猪木が好きなので、猪木ファンには違いないのですが、人を盲目的な信者扱いしてる馬鹿な輩にはゾッとしてしまいます。
猪木ファンというのは、単純ではないですよ。
多くの会社が、創業者には泣かされるものです。
今の新日本にすれば、猪木が仕掛けるちょっかい等迷惑でしかないでしょう。
私も猪木と同じくらい愛する長州力の政権下の時代に、猪木がちょっかいを掛けてきた時は、何とも残念な気持ちになりました。
しかし、猪木のちょっかいが無くても新日本は今になる運命だったと私は思っています。
猪木の自己顕示欲ぶり、身勝手ぶりは、強く知っているつもりですが、猪木のせいで新日本が衰退したというのは大きな間違いでしょう。
少なくとも関係のなくなった猪木であっても、創業者であるという事実が、新日本のメジャーとしてのブランドイメージを維持している事は事実なのですから。
今の新日本は激しい闘いを展開しています。
しかし命を削って激しいプロレスを展開している新日本の選手たちを私は素晴らしいとは思えません。
私は理解に苦しむのですが、今のファンは愛する人が命を削る姿等見たいのでしょうか?
私はアントニオ猪木や、前田や、長州が、「闘い」とは別の部分で、あんな危険な技を食らい、受けを前提とした強い脳が揺れる打撃を食らう姿は絶対に見たく在りません。
プロレス的受けの美学とは、脳が揺れる技を受ける事では絶対にありません。
あるいは、どうせ命を削るなら総合に出陣して玉砕した方が、リスクを背負って闘うプロレスラーにふさわしいでしょう。
総合に危険は大きくても、少なくとも、我が身を守る防衛本能を全開にして闘えるからです。
アントニオ猪木は馬鹿で身勝手で自己顕示欲の強い男です。
しかし意外とプロレス界の事も考えている男です。
このまま「客に媚びる」激しい危険なプロレスが狭いプロレス村で延々と行なわれていては、いつか再び、死人が出る。
そういう事を潜在的に知っているはずでしょう。
しかし今のファンは、死人が出ても、命を削ってくれて闘ってくれたと美化するファンの集まりです。
おまえらがそういうプロレスを要求しているんではないかと、イチ昭和の化石的プロレスファンとしては大いに思います。
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
アントニオ猪木のプロレスを見て育ちましたが、当時の猪木ファンに多かった猪木絶対主義・新日絶対主義のファンとは異なっていたように思います。
猪木に夢中になりながらも、全日本プロレスの世界も好きだったのです。
隣の芝生はよく見えると言いますが、子供の頃の私に取って、プロレス的完成度の高く、一流どころの揃う全日本プロレスは羨ましい限りでした。
また中学くらいになると、アントニオ猪木という人間の負の部分にも気づいてくるものです。
平成のファンが感じる以上の、猪木に対する負のイメージは、案外、昭和のファンの方がよく感じていた事だろうと思います。
新日本のファンならば、かつての三銃士や今の棚橋、仲邑。
あるいはノアのファンであれば小橋や三沢。
そういった憧れのスターが、例えば、あの金村キンタローのような事件を起こせば、心はどう処理されるでしょうか?
別に猪木が金村キンタローのような事件を起こしたわけではありませんが、流れてくる醜聞は似たようなもの、つまり英雄とはかけ離れた低レベルの人間性の話ばかりでした。
英雄を信じる心が英雄を作ると行っても、自分を騙しきれないくらいの醜聞が聞こえてくれば、盲目的に猪木信者でおれるはずはありません。
またリングの上に関しても猪木は女々しさを見せつける事も多かったものです。
強い外国人選手にはどこか気が引けていたのが、いつも垣間見えていましたし、何より、レスリングを経験してきた私にとっては子供以下のレスリング技術しか無い猪木は強さの尊敬の対象では在りません。
また自己顕示欲や嫉視心の強さは誰でも分かる事です。
馬鹿なファンは、単純に、猪木の事を評価した記事を書けば、猪木信者の一言で片付ける傾向が在りますが、私の知る限り、昭和のファンで、猪木絶対至上主義者等いてたら、おかしいでしょう。
猪木の負の部分等、誰よりも知りながら、それでも猪木の素晴らしい部分を誰よりも知るのが、昭和の猪木ファンであると思っています。
平成のファンは、醜聞や負の部分は、もうご存知の事だと思いますので、私があえて記す事はありません。
そうなれば、私はただ昭和の猪木のプロレスの素晴らしさを伝えるしか在りません。
なので自ずと猪木の素晴らしさを伝える記事は多くなります。
しかし、それを持って猪木信者扱いされるのは不思議な話です。
私は子供の頃は世界一強いといわれた猪木も、あるいは今は世界一女々しい、世界一嫉妬深い、世界一目立ちたがり屋、世界一馬鹿のアントニオ猪木。
どういう猪木であれ、全ての猪木が好きなので、猪木ファンには違いないのですが、人を盲目的な信者扱いしてる馬鹿な輩にはゾッとしてしまいます。
猪木ファンというのは、単純ではないですよ。
多くの会社が、創業者には泣かされるものです。
今の新日本にすれば、猪木が仕掛けるちょっかい等迷惑でしかないでしょう。
私も猪木と同じくらい愛する長州力の政権下の時代に、猪木がちょっかいを掛けてきた時は、何とも残念な気持ちになりました。
しかし、猪木のちょっかいが無くても新日本は今になる運命だったと私は思っています。
猪木の自己顕示欲ぶり、身勝手ぶりは、強く知っているつもりですが、猪木のせいで新日本が衰退したというのは大きな間違いでしょう。
少なくとも関係のなくなった猪木であっても、創業者であるという事実が、新日本のメジャーとしてのブランドイメージを維持している事は事実なのですから。
今の新日本は激しい闘いを展開しています。
しかし命を削って激しいプロレスを展開している新日本の選手たちを私は素晴らしいとは思えません。
私は理解に苦しむのですが、今のファンは愛する人が命を削る姿等見たいのでしょうか?
私はアントニオ猪木や、前田や、長州が、「闘い」とは別の部分で、あんな危険な技を食らい、受けを前提とした強い脳が揺れる打撃を食らう姿は絶対に見たく在りません。
プロレス的受けの美学とは、脳が揺れる技を受ける事では絶対にありません。
あるいは、どうせ命を削るなら総合に出陣して玉砕した方が、リスクを背負って闘うプロレスラーにふさわしいでしょう。
総合に危険は大きくても、少なくとも、我が身を守る防衛本能を全開にして闘えるからです。
アントニオ猪木は馬鹿で身勝手で自己顕示欲の強い男です。
しかし意外とプロレス界の事も考えている男です。
このまま「客に媚びる」激しい危険なプロレスが狭いプロレス村で延々と行なわれていては、いつか再び、死人が出る。
そういう事を潜在的に知っているはずでしょう。
しかし今のファンは、死人が出ても、命を削ってくれて闘ってくれたと美化するファンの集まりです。
おまえらがそういうプロレスを要求しているんではないかと、イチ昭和の化石的プロレスファンとしては大いに思います。
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
posted by shingol at 21:47| 新・レッスルする世界
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
プロレスファンの話を聞いていると、意外と「格闘技プロレス」すなわち「格プロ」というものに対しての認識が曖昧だなと思う事があります。
そこで私也に「格プロ」といわれるプロレスの中の一ジャンルについての分類をしてみたいと思います。
格プロ・タイプ1
格闘家たちによるプロレスごっこ
力の抜けた打撃技、関節技を交互に繰り出し気の抜けたプロレスを展開する無機的な試合。
アントニオ猪木の趣旨を誤解し、こういう試合を展開する外国人格闘家が多い。
格プロ・タイプ2
格闘技の技を使った純プロレス
昔のUWFのように、格闘技の技を約束的な攻防に利用する実質的には純プロレス的試合。
堅い攻撃や痛みを伴うので、信頼出来る相手としか約束的攻防を展開出来ない。
外国人はプロレスの範疇を越えた痛みに怒ってやり返すか、放棄するかの二つに分かれる。
また、外国人が怒るのを恐れて、攻撃側が気の抜けた打撃でお茶を濁す事もある。
格プロ・タイプ3
田村的UWFスタイル
UWFの純プロレス的要素を更に進化させて、様式美を追求するプロレス。
信頼感以外に、回転体やロープエスケープなどのUWF心を理解出来る選手たちしか出来ない。
格プロ・タイプ4
闘うプロレス
プロレスの時間内において、一定時間はリアルな技術の攻防を展開する。
強さや、技術を見せる為に、相手の受けに頼らず、リアルで能動的な主導権争いを展開する。
最後はプロレスとして結果を迎える。
例・永田・石沢対金原・桜庭/長州・永田対安生・中野
アントニオ猪木対ビル・ロビンソン
前田対星野
ジャック・プリスコ
格プロ・タイプ5
リアルな攻撃対プロレス的受けの試合。
UWF系や重量級レスラーの堅い攻撃に、リアルな攻防でなく、プロレスの受けを持って、試合を成立させようとする試合。
例・前田対藤波・木村/橋本対三沢・秋山
リアルな技を、プロレス的に受けようとするので、受け手は攻撃側と比べて弱いイメージを持たれやすい。
逆に攻撃側は強さや殺気を持たれやすい。
格プロ・タイプ6…リアル・ファイト
プロレスラーが行なう真剣勝負、総合格闘技
格プロ・タイプ7
セメント
突発的なアクシデントでプロレスとして成立しなくなった試合
以上、私の主観で「格プロ」といわれるジャンルの分類をしてみました。
下に行くほどリアル度が増していくように記しています。
私はタイプ4として示した「闘うプロレス」が現在のアントニオ猪木の考えではないかと思っています。
またタイプ5として示した「リアルな攻撃対プロレス的受けの試合」は、最初のUWF対新日本で多く見られた試合です。
似たような試合としては橋本対ノア勢がありました。
私はこれらによって、リアルな攻撃に対してプロレス的に受けきる事が、時として受け手の選手の強さのイメージにかなり悪影響を与える事に気づきました。
しかし、次のインター対新日本においては出来るだけリアルな攻撃をいたずらに受けず能動的に主導権争い争いを展開し、新日本がUWFに対しての強さのイメージを取り戻したのではないかと思っています。(プロレス的勝ち負けでなく)
同じような例で、橋本対ノアの試合でのノア勢の強さのイメージへの影響を危惧した杉浦は、以後、他団体との試合では、徹底的に能動的でリアルな攻撃で、相手のリアルな攻撃をプロレスとして受ける事を拒否し、強さのイメージを保った試合を展開していたのが印象深かったです。
人気ブログランキングへ
そこで私也に「格プロ」といわれるプロレスの中の一ジャンルについての分類をしてみたいと思います。
格プロ・タイプ1
格闘家たちによるプロレスごっこ
力の抜けた打撃技、関節技を交互に繰り出し気の抜けたプロレスを展開する無機的な試合。
アントニオ猪木の趣旨を誤解し、こういう試合を展開する外国人格闘家が多い。
格プロ・タイプ2
格闘技の技を使った純プロレス
昔のUWFのように、格闘技の技を約束的な攻防に利用する実質的には純プロレス的試合。
堅い攻撃や痛みを伴うので、信頼出来る相手としか約束的攻防を展開出来ない。
外国人はプロレスの範疇を越えた痛みに怒ってやり返すか、放棄するかの二つに分かれる。
また、外国人が怒るのを恐れて、攻撃側が気の抜けた打撃でお茶を濁す事もある。
格プロ・タイプ3
田村的UWFスタイル
UWFの純プロレス的要素を更に進化させて、様式美を追求するプロレス。
信頼感以外に、回転体やロープエスケープなどのUWF心を理解出来る選手たちしか出来ない。
格プロ・タイプ4
闘うプロレス
プロレスの時間内において、一定時間はリアルな技術の攻防を展開する。
強さや、技術を見せる為に、相手の受けに頼らず、リアルで能動的な主導権争いを展開する。
最後はプロレスとして結果を迎える。
例・永田・石沢対金原・桜庭/長州・永田対安生・中野
アントニオ猪木対ビル・ロビンソン
前田対星野
ジャック・プリスコ
格プロ・タイプ5
リアルな攻撃対プロレス的受けの試合。
UWF系や重量級レスラーの堅い攻撃に、リアルな攻防でなく、プロレスの受けを持って、試合を成立させようとする試合。
例・前田対藤波・木村/橋本対三沢・秋山
リアルな技を、プロレス的に受けようとするので、受け手は攻撃側と比べて弱いイメージを持たれやすい。
逆に攻撃側は強さや殺気を持たれやすい。
格プロ・タイプ6…リアル・ファイト
プロレスラーが行なう真剣勝負、総合格闘技
格プロ・タイプ7
セメント
突発的なアクシデントでプロレスとして成立しなくなった試合
以上、私の主観で「格プロ」といわれるジャンルの分類をしてみました。
下に行くほどリアル度が増していくように記しています。
私はタイプ4として示した「闘うプロレス」が現在のアントニオ猪木の考えではないかと思っています。
またタイプ5として示した「リアルな攻撃対プロレス的受けの試合」は、最初のUWF対新日本で多く見られた試合です。
似たような試合としては橋本対ノア勢がありました。
私はこれらによって、リアルな攻撃に対してプロレス的に受けきる事が、時として受け手の選手の強さのイメージにかなり悪影響を与える事に気づきました。
しかし、次のインター対新日本においては出来るだけリアルな攻撃をいたずらに受けず能動的に主導権争い争いを展開し、新日本がUWFに対しての強さのイメージを取り戻したのではないかと思っています。(プロレス的勝ち負けでなく)
同じような例で、橋本対ノアの試合でのノア勢の強さのイメージへの影響を危惧した杉浦は、以後、他団体との試合では、徹底的に能動的でリアルな攻撃で、相手のリアルな攻撃をプロレスとして受ける事を拒否し、強さのイメージを保った試合を展開していたのが印象深かったです。
人気ブログランキングへ
posted by shingol at 08:32| 新・レッスルする世界
2008年02月22日
永田裕志よ、二度と今のプロレスに戻るな
プロレスの技は、相手に本当のダメージを与える技ではない。
しかし擬似的なダメージの印象をファンに与える為には、より説得力があり、かつ大きく複雑な動作の技が必要となってきている。
またインパクトを与える為には高い位置からの叩きつけが好まれる。
いくら擬似的攻撃であれ、当の受け手のプロレスラーのプロレスラーたちの危険と痛みは増すばかりである。
プロレスとは闘いであり、ショーでもある。
例えば、本当にリアルな攻撃なら受けずに捌けばよい。
それか永田が金原相手に見せた闘うプロレスである。
あるいはリアルでない攻撃なら安心して身を任せればよい。
それが純プロレスの世界であろう。
しかしリアルに危険で痛い技を、約束事の純プロレスの世界で、受けるということなど、滅茶苦茶な発想である。
福田選手が亡くなった時、なぜ頭部への打撃技を禁止としなかったのか?
私は残念でならない。
頭部へのプロレス的エルボーが、本当に相手をノックアウトさせる技で無い擬似的攻撃であったとしても、受け手の脳を大いに揺らす技であることには違いない。
そんな技でしか痛みを伝えられないレスラーたち、あるいは、リアリティを感じられないファンたちを私は理解できない。
私が怖いのは、マットの柔らかさ。そして受身の技術である。
プロレス職人の受身は、自分の肉体の事故からは身を守ってくれる職人の技術でもある。
しかし、どんなにマットが柔らかくとも、受身が上手くとも、人間の身体が弾み続けマットへの転倒を繰り返せば、脳は揺れる。
受身の技術で怪我は防げても、脳へのダメージは防げるはずは無いのだ。
少なくとも今のような常識離れした大技を使い続ける限り…。
サーカス並みに危険度も高くなる今のプロレスであるが、サーカスと異なるのは、演技が成功しても、脳にダメージは残るということである。
失敗すれば、その場での大事故である。
しかし、どんなに擬似的な大技を両者の息を合わせ成功させても、脳は揺れるのである。
つまり、そんな大技を連発してまで観客を満足させなければいけないなら、プロレスというジャンルなど存在する意味は無いであろう。
永田選手の原因がはっきりしたところで、団体やファンたちの関心は、あくまで永田の体調にしか向いていないのが現実である。
考えられないのが、完治して激しいプロレスに戻って来いという団体やファンである。
脳に損傷を受けることを行い続け、支持し、そんな激しいプロレスとやらの世界に永田を再び引き戻したいというのか?
人気ブログランキングへ
しかし擬似的なダメージの印象をファンに与える為には、より説得力があり、かつ大きく複雑な動作の技が必要となってきている。
またインパクトを与える為には高い位置からの叩きつけが好まれる。
いくら擬似的攻撃であれ、当の受け手のプロレスラーのプロレスラーたちの危険と痛みは増すばかりである。
プロレスとは闘いであり、ショーでもある。
例えば、本当にリアルな攻撃なら受けずに捌けばよい。
それか永田が金原相手に見せた闘うプロレスである。
あるいはリアルでない攻撃なら安心して身を任せればよい。
それが純プロレスの世界であろう。
しかしリアルに危険で痛い技を、約束事の純プロレスの世界で、受けるということなど、滅茶苦茶な発想である。
福田選手が亡くなった時、なぜ頭部への打撃技を禁止としなかったのか?
私は残念でならない。
頭部へのプロレス的エルボーが、本当に相手をノックアウトさせる技で無い擬似的攻撃であったとしても、受け手の脳を大いに揺らす技であることには違いない。
そんな技でしか痛みを伝えられないレスラーたち、あるいは、リアリティを感じられないファンたちを私は理解できない。
私が怖いのは、マットの柔らかさ。そして受身の技術である。
プロレス職人の受身は、自分の肉体の事故からは身を守ってくれる職人の技術でもある。
しかし、どんなにマットが柔らかくとも、受身が上手くとも、人間の身体が弾み続けマットへの転倒を繰り返せば、脳は揺れる。
受身の技術で怪我は防げても、脳へのダメージは防げるはずは無いのだ。
少なくとも今のような常識離れした大技を使い続ける限り…。
サーカス並みに危険度も高くなる今のプロレスであるが、サーカスと異なるのは、演技が成功しても、脳にダメージは残るということである。
失敗すれば、その場での大事故である。
しかし、どんなに擬似的な大技を両者の息を合わせ成功させても、脳は揺れるのである。
つまり、そんな大技を連発してまで観客を満足させなければいけないなら、プロレスというジャンルなど存在する意味は無いであろう。
永田選手の原因がはっきりしたところで、団体やファンたちの関心は、あくまで永田の体調にしか向いていないのが現実である。
考えられないのが、完治して激しいプロレスに戻って来いという団体やファンである。
脳に損傷を受けることを行い続け、支持し、そんな激しいプロレスとやらの世界に永田を再び引き戻したいというのか?
人気ブログランキングへ
posted by shingol at 12:03| 新・レッスルする世界
2008年02月21日
プロレスラーよ、ファンを捨てて、村を脱出せよ
私は前の記事で、プロレスには挿絵が多くなったという私の考えを記した。
昔のプロレスはファンにとってはセルフサービスの世界であった。
プロレスラーたちは試合の中で、いちいちプロレスの説明をしてくれる事等無かった。
但し、プロレスーたちがファン無視の世界を展開していた訳でない。
私たちに説明するのではなく、私たちに感じさせてくれる何かだけを与え、後は知らんぷりであった。
プロレスラーが投げかけるものを、私たちは各々の感受性のセンサーを起動させ、受け止めていたのだ。
しかし、今のプロレスに感受性のセンサーなど不要であろう。
何故なら、受け手側にセンサーが在ろうが、無かろうが、プロレスラーたちが至れり尽くせりでファンの元まで情報を届けてくれるからだ。
その為に不可欠なのが、プロレスの挿絵である。
リアリティを届けようと思えば、本当の「リアル」な痛みを持ってしか届けられないのだ。
本当のリアルを持ってしか、プロレスの幻想に必要なリアリティを生み出せないのである。
商業的大衆スポーツとしての王座から転落した事は当然の事でもある。
プロレスが危険なスポーツである事を訴えるリアリティの示し方はもっとひどい。
本当に危険な技を出すのである。
高い位地から頭から投げ落とす、本当に、危険性の高い技でしか、プロレスのリアリティを示せないのだ。
かつて経営難に喘ぐ国際プロレスが金網デスマッチを乱発した時、新日本や全日本がこれをやったらおしまいだという考えが在った。
邪道うんぬんの話ではない。
金網というリアルな異空間を持ってしか、プロレスという非日常の空間のリアリティを示す事が出来ない事は、リアリティの追求の停止を意味する事を、馬場も猪木も知っていたのだ。
そういう中、アントニオ猪木が釘板デスマッチを行なった事があった。
それでも、猪木は、本当に釘板に刺さる事無くして、釘板のリアリティを示したのだ。
今のプロレスは本当に危険な技、痛い技を持ってしか、ファンが満足出来ない時代となってしまっている。
私は何度も記すが、このままではプロレスがますます狭いマニアの村になってしまう事は確実である。
そのマニアの中で、愛するレスラーたちが、肉体を酷使され、ファンに媚び続ける姿は、もう見たく無い。
現実離れしたプロレスの大技に、皆、リアルでない幻想を見て楽しんでも、実はそういう技には、逆説的には、リアルな怪我の危険性が潜んでいる。
あるいはリアルに痛い打撃技を持って、プロレスの免罪符を掴もうとするレスラーたちもいる。
私的には、プロレスがそうなってしまったA級戦犯は、女子プロレスラーと天龍革命であると思っている。
リアルに危険で、リアルに痛い技に、安易に走り、ファンの信頼を掴んでしまったプロレスラーは今更、もうプロレス村の中で、もう過去には戻れないであろう。
今のプロレスファンの耐性の基準を変える事も出来まい。
しかし、このままでは、プロレスラーの死人が続出するであろう。
急所を狙わない約束事の競技であっても、身体を預ける競技である。
人間の防衛能力さえ発揮出来ず、相手に黙って身体を預け、高い位地から落とされ、痛い打撃技を続けて食らえば、どれだけ脳にダメージが溜まるか皆分かるはずである。
しかしそうしなければファンに支持されない。
ならば一度、プロレスは解体すべきである。
全プロレスファンの下から脱出し、新しい土地と新しいファンを開拓するべきである。
人気ブログランキングへ
昔のプロレスはファンにとってはセルフサービスの世界であった。
プロレスラーたちは試合の中で、いちいちプロレスの説明をしてくれる事等無かった。
但し、プロレスーたちがファン無視の世界を展開していた訳でない。
私たちに説明するのではなく、私たちに感じさせてくれる何かだけを与え、後は知らんぷりであった。
プロレスラーが投げかけるものを、私たちは各々の感受性のセンサーを起動させ、受け止めていたのだ。
しかし、今のプロレスに感受性のセンサーなど不要であろう。
何故なら、受け手側にセンサーが在ろうが、無かろうが、プロレスラーたちが至れり尽くせりでファンの元まで情報を届けてくれるからだ。
その為に不可欠なのが、プロレスの挿絵である。
リアリティを届けようと思えば、本当の「リアル」な痛みを持ってしか届けられないのだ。
本当のリアルを持ってしか、プロレスの幻想に必要なリアリティを生み出せないのである。
商業的大衆スポーツとしての王座から転落した事は当然の事でもある。
プロレスが危険なスポーツである事を訴えるリアリティの示し方はもっとひどい。
本当に危険な技を出すのである。
高い位地から頭から投げ落とす、本当に、危険性の高い技でしか、プロレスのリアリティを示せないのだ。
かつて経営難に喘ぐ国際プロレスが金網デスマッチを乱発した時、新日本や全日本がこれをやったらおしまいだという考えが在った。
邪道うんぬんの話ではない。
金網というリアルな異空間を持ってしか、プロレスという非日常の空間のリアリティを示す事が出来ない事は、リアリティの追求の停止を意味する事を、馬場も猪木も知っていたのだ。
そういう中、アントニオ猪木が釘板デスマッチを行なった事があった。
それでも、猪木は、本当に釘板に刺さる事無くして、釘板のリアリティを示したのだ。
今のプロレスは本当に危険な技、痛い技を持ってしか、ファンが満足出来ない時代となってしまっている。
私は何度も記すが、このままではプロレスがますます狭いマニアの村になってしまう事は確実である。
そのマニアの中で、愛するレスラーたちが、肉体を酷使され、ファンに媚び続ける姿は、もう見たく無い。
現実離れしたプロレスの大技に、皆、リアルでない幻想を見て楽しんでも、実はそういう技には、逆説的には、リアルな怪我の危険性が潜んでいる。
あるいはリアルに痛い打撃技を持って、プロレスの免罪符を掴もうとするレスラーたちもいる。
私的には、プロレスがそうなってしまったA級戦犯は、女子プロレスラーと天龍革命であると思っている。
リアルに危険で、リアルに痛い技に、安易に走り、ファンの信頼を掴んでしまったプロレスラーは今更、もうプロレス村の中で、もう過去には戻れないであろう。
今のプロレスファンの耐性の基準を変える事も出来まい。
しかし、このままでは、プロレスラーの死人が続出するであろう。
急所を狙わない約束事の競技であっても、身体を預ける競技である。
人間の防衛能力さえ発揮出来ず、相手に黙って身体を預け、高い位地から落とされ、痛い打撃技を続けて食らえば、どれだけ脳にダメージが溜まるか皆分かるはずである。
しかしそうしなければファンに支持されない。
ならば一度、プロレスは解体すべきである。
全プロレスファンの下から脱出し、新しい土地と新しいファンを開拓するべきである。
人気ブログランキングへ
posted by shingol at 20:57| 新・レッスルする世界
2008年02月20日
勝負のとき・プロレスラー金原弘光の闘い
金原弘光が引退を撤回し、再び、パンクラスのリングに立つ。
また近藤や川村亮といったプロレスの流れを汲む格闘技団体の若手との対戦はあったが、今回の竹内出のような生粋の日本人格闘家との闘いは初めての事である。
金原はプロレス学校出身からUインターに入団した純粋なプロレスラーでもある。
かつて金原は後輩の松井大二郎が粘って判定に持ち込んだ菊田や小路といった日本人格闘家に対して、所詮、後輩の松井と互角の連中と断言した。
私は当時から日本人格闘家に対して無視するか臆する発言しか出来なかった日本人プロレスラーの中で異例の金原の発言にプロレスラーの意地を見た気がする。
金原は格闘技経験の無い中で、総合格闘技黎明期、多くの格闘家と互角に戦い続けた希有の存在でもある。
格闘技経験無く総合で闘えるプロレスラーは田村と金原以外誰もいなかった時代である。
その強さは、プロレス団体の新弟子としての余計な雑用や基礎練習を経たからこそ、最短距離で強くなっていく日本人格闘家とは異なる意味を持つのだ。
また、余談であるが、金原は、秋山問題の際、強く秋山を糾弾し桜庭を庇った事もある。
すなわち、自身の属性が、国籍や民族以上に、プロレスラーである事を証明しているのである。
そういう生粋のプロレスラー金原が、アマチュア出身の総合格闘家と初の対戦を果たす。
私は金原が勝ってくれれば、船木がヒクソンに勝つのと同様の嬉しさを感じ得るであろう。
いや負けたとしてもいい。
もはや等身大の日本人格闘家に対して競技での勝ち負けで劣らない自身の闘いの道のりを見せつけてくれれば、それで良いのだ。
人気ブログランキングへ
プロレスに痛みなどいらない/1
プロレスに痛みなどいらない2/死人が出る前に船木誠勝に捧げるメンタル・コントロールとスポーツ心理学の勧め
また近藤や川村亮といったプロレスの流れを汲む格闘技団体の若手との対戦はあったが、今回の竹内出のような生粋の日本人格闘家との闘いは初めての事である。
金原はプロレス学校出身からUインターに入団した純粋なプロレスラーでもある。
かつて金原は後輩の松井大二郎が粘って判定に持ち込んだ菊田や小路といった日本人格闘家に対して、所詮、後輩の松井と互角の連中と断言した。
私は当時から日本人格闘家に対して無視するか臆する発言しか出来なかった日本人プロレスラーの中で異例の金原の発言にプロレスラーの意地を見た気がする。
金原は格闘技経験の無い中で、総合格闘技黎明期、多くの格闘家と互角に戦い続けた希有の存在でもある。
格闘技経験無く総合で闘えるプロレスラーは田村と金原以外誰もいなかった時代である。
その強さは、プロレス団体の新弟子としての余計な雑用や基礎練習を経たからこそ、最短距離で強くなっていく日本人格闘家とは異なる意味を持つのだ。
また、余談であるが、金原は、秋山問題の際、強く秋山を糾弾し桜庭を庇った事もある。
すなわち、自身の属性が、国籍や民族以上に、プロレスラーである事を証明しているのである。
そういう生粋のプロレスラー金原が、アマチュア出身の総合格闘家と初の対戦を果たす。
私は金原が勝ってくれれば、船木がヒクソンに勝つのと同様の嬉しさを感じ得るであろう。
いや負けたとしてもいい。
もはや等身大の日本人格闘家に対して競技での勝ち負けで劣らない自身の闘いの道のりを見せつけてくれれば、それで良いのだ。
人気ブログランキングへ
プロレスに痛みなどいらない/1
プロレスに痛みなどいらない2/死人が出る前に船木誠勝に捧げるメンタル・コントロールとスポーツ心理学の勧め
posted by shingol at 17:06| 新・レッスルする世界
プロレスに痛みなどいらない2/死人が出る前に
現在のプロレスラーとファンとの関係は、ファン側が完全な優位性を保っている。
団体側としてはファンの顔色を伺い、ファンを満足させる事を前提としたプロレスを展開し続けている。
そこには本来のプロレス団体の独創性というものは消え去ってしまっている。
学生時代、新日本の大阪城ホール大会を警備していたとき、暴動が起こったことがあった。
プロレスブームが終わり徐々にプロレス村が形成される中で、プロレスブームの生き残りファンたちが、プロレスラーたちより偉くなった時代の始まりである。
アントニオ猪木に満足し続けた昭和のファンなど殆どいてないだろう。
現在のIGFのドタバタぶり、グタグタぶりが評判であるが、私としては懐かしい光景である。
昔からアントニオ猪木が演じる世界は決してお腹一杯になることの無い、満足することの無い、ああいうプロレスだったのである。
アントニオ猪木の試合など10回見て満足させてくれる事など一度あるかどうかであった。
決して自分の思い通りに成らないプロレスに対して、余韻や想像力を働かせるしか無かった時代でもあった。
しかしプロレスブームによって、プロレスファンの考えは一変してしまう。
長州対藤波を代表とするファンの感性を受身的に充分に満たしてくれるような「売れ線的プロレス」を持って、ファンは余韻を感じ、想像力を働かせる事を忘れてしまったのだ。
元々プロレスとは、激しい試合展開、会場の一体感こそが基本であると思い込んでしまっているファンたちによって今のプロレス村は作り上げられてしまっている。
今のプロレス団体は大変である。
ファンが想像力を働かすまでも無い、説明過多と過剰サービスのプロレスを展開する事が前提であるのだから。
今のプロレスファンは小説は読めないのである。
もちろん実際に読める読めないのは話しでは無い。
少なくとも、実際に目の前に提示される活字の中の物語を、活字を隠すくらいの多くの挿絵が無ければ、理解できず満足もできないのである。
実際に目の前に見えない世界を自分が能動的にイメージするのでなく、プロレスラーや団体が具現化してくれたイメージである「挿絵」を持ってしか、プロレスを楽しめないのだ。
その「挿絵」の代表は、どんどんマニアックに進化していく「説得力」ある大技である。
今はどのプロレスラーも、ディフォルメされた技を更にディフォルメした大技開発に余念が無い。
プロレスの「説得力」とは高い位置から叩き落すことへのダイナミズムでしかないと勘違いでもしているのであろうか?
ひたすら相手を豪快に持ち上げ叩きつけることへのディフォルメにどのプロレスラーも夢中である。
結果、リアルな技を商業的に遂行する為、つまり安全性を持って遂行する為に本来はディフォルメされたプロレス技が、こともあろうに、わざわざリアルな危険性を伴う技に何故進化する必要があるのか?
情けないのは本当に危険な大技、そして本当に痛い技を使わなければ、危険と痛みのイメージを伝えられないプロレスラーたちである。
プロレスラーたちの本当の危険性を持った大技、本当の痛みを伴うハードヒットな技こそ、まさしく今のプロレスという物語から活字をなくし全篇多い尽くした「挿絵」そのものである。
本当の危険性と、本当の痛みが無ければ、それらを演出できないのが今のプロレスラーでもある。
また、それらをもってしか痛みをイメージできないのが今のプロレスファンである。
要するに目に見えないものをイメージする能力を、プロレスラーも、ファンも、双方が無くしてしまっているのである。
人気ブログランキングへ
プロレスに痛みなどいらない/1
船木誠勝に捧げるメンタル・コントロールとスポーツ心理学の勧め
勝負のとき・プロレスラー金原弘光の闘い
団体側としてはファンの顔色を伺い、ファンを満足させる事を前提としたプロレスを展開し続けている。
そこには本来のプロレス団体の独創性というものは消え去ってしまっている。
学生時代、新日本の大阪城ホール大会を警備していたとき、暴動が起こったことがあった。
プロレスブームが終わり徐々にプロレス村が形成される中で、プロレスブームの生き残りファンたちが、プロレスラーたちより偉くなった時代の始まりである。
アントニオ猪木に満足し続けた昭和のファンなど殆どいてないだろう。
現在のIGFのドタバタぶり、グタグタぶりが評判であるが、私としては懐かしい光景である。
昔からアントニオ猪木が演じる世界は決してお腹一杯になることの無い、満足することの無い、ああいうプロレスだったのである。
アントニオ猪木の試合など10回見て満足させてくれる事など一度あるかどうかであった。
決して自分の思い通りに成らないプロレスに対して、余韻や想像力を働かせるしか無かった時代でもあった。
しかしプロレスブームによって、プロレスファンの考えは一変してしまう。
長州対藤波を代表とするファンの感性を受身的に充分に満たしてくれるような「売れ線的プロレス」を持って、ファンは余韻を感じ、想像力を働かせる事を忘れてしまったのだ。
元々プロレスとは、激しい試合展開、会場の一体感こそが基本であると思い込んでしまっているファンたちによって今のプロレス村は作り上げられてしまっている。
今のプロレス団体は大変である。
ファンが想像力を働かすまでも無い、説明過多と過剰サービスのプロレスを展開する事が前提であるのだから。
今のプロレスファンは小説は読めないのである。
もちろん実際に読める読めないのは話しでは無い。
少なくとも、実際に目の前に提示される活字の中の物語を、活字を隠すくらいの多くの挿絵が無ければ、理解できず満足もできないのである。
実際に目の前に見えない世界を自分が能動的にイメージするのでなく、プロレスラーや団体が具現化してくれたイメージである「挿絵」を持ってしか、プロレスを楽しめないのだ。
その「挿絵」の代表は、どんどんマニアックに進化していく「説得力」ある大技である。
今はどのプロレスラーも、ディフォルメされた技を更にディフォルメした大技開発に余念が無い。
プロレスの「説得力」とは高い位置から叩き落すことへのダイナミズムでしかないと勘違いでもしているのであろうか?
ひたすら相手を豪快に持ち上げ叩きつけることへのディフォルメにどのプロレスラーも夢中である。
結果、リアルな技を商業的に遂行する為、つまり安全性を持って遂行する為に本来はディフォルメされたプロレス技が、こともあろうに、わざわざリアルな危険性を伴う技に何故進化する必要があるのか?
情けないのは本当に危険な大技、そして本当に痛い技を使わなければ、危険と痛みのイメージを伝えられないプロレスラーたちである。
プロレスラーたちの本当の危険性を持った大技、本当の痛みを伴うハードヒットな技こそ、まさしく今のプロレスという物語から活字をなくし全篇多い尽くした「挿絵」そのものである。
本当の危険性と、本当の痛みが無ければ、それらを演出できないのが今のプロレスラーでもある。
また、それらをもってしか痛みをイメージできないのが今のプロレスファンである。
要するに目に見えないものをイメージする能力を、プロレスラーも、ファンも、双方が無くしてしまっているのである。
人気ブログランキングへ
プロレスに痛みなどいらない/1
船木誠勝に捧げるメンタル・コントロールとスポーツ心理学の勧め
勝負のとき・プロレスラー金原弘光の闘い
posted by shingol at 14:05| 新・レッスルする世界
2008年02月19日
船木誠勝に捧げるメンタル・コントロールとスポーツ心理学の勧め
プロレスラーが総合に出陣して、惨敗を喫し続けて、10年は経つであろう。
技術的にあまりにも低レベルな現実を露呈している点もあるが、私的には、そのままの技術で適切な心のありようさえ保てば、勝利は掴めていたのになと思うレスラーは多い。
例えば中西学の最大の弱点は上がり症である事は周知の事実である。
中西が何も迷わず恐れずタックルを連発すれば、少なくとも、もっと藤田を苦しめたであろう。
あるいは鈴木みのるにあびせ蹴りを放ったライガーがいる。
焦りと不安からの逃避の為の自殺行為である。
プロレスラーではないが浜口京子に対して、いかに「気合い」が浜口を苦しめているかを知る人は意外とレスリング関係以外では誰も知らない事実である。
気合いによって、肉体が緊張する。
レスリングに必要な適度な緊張の溜めからの解放としての攻撃、あるいは筋弛緩からの攻撃、それらが放てない。
つまり自分の気合いによって自分の肉体の可動域と攻撃性を狭めているのだ。
格闘技ではないが、バスケのマイケル・ジョーダンがドリブルする際の舌出しはご存知であろうか?
自分の舌を出す事によって、意識的に自分の肉体に筋弛緩つまりリラックスを与えているのである。
格闘技、スポーツにとって、大切な筋弛緩の必要性を知り、もっと早くに取り組んでいれば、中西も、浜口京子も、もっともっと潜在能力を発揮してくれただろう。
私的には最も自身の潜在能力を発揮していないと感じるのは船木誠勝である。
実は船木の緊張は、中西や浜口京子に見られる過緊張によるデメリットとは、反対に、結果的にはメリットを生み出す事が多かった。
追いつめられて、追いつめられてこそ、潜在能力を発揮するのである。
追いつめられて、迷いが無くなればこそ、自身の身体的特性と技術を発揮する男なのである。
モーリス・スミス戦が最たる例であろう。
なのに現在の船木の場合は、必要以上に、自身にリラックスを心がけている部分がある。
結果、目標のリラックスは達成出来ても、闘いに必要なサイキング・アップが疎かになっている部分がある。
現在の船木の精気の無い顔つきからして、それを物語っている。
似たような例では、近藤がいる。
近藤も、リラクゼーションの特性を発揮して実力を見せてはいるが、反面、サイキング・アップを通じての攻撃力、瞬発力の部分があまりにも疎かだ。
リラクゼーションとサイキング・アップは格闘技の二本柱である。
この二つのバランスを維持し、そして迷いをなくせば、船木はまだ勝てるはずである。
そして、出稽古を辞める事である。
出稽古は船木の自信に迷いを生じるだけである。
等身大の自分を見るのではない。
理想のそのままの自分像を磨けばいいのだ。
格闘技オタクたちの意見を無視すれば、船木は自然体であれば他の格闘家とは異なる自身の勝ちパターンを持つ男でもある。
今の固まってきた総合の技術に対して差別化された、特化した技術を持つ男でもある。
迷いを無くし、強気を取り戻せば、必ず船木は勝てる。
余談であるが、私もアマチュアレベルの経験であるが、いかにスポーツ心理学が大切かという事を身にしみて分かっているつもりである。
勝利を渇望すればするほど勝利が逃げていく事。
過度の努力は時として努力が逆転した結果が生じやすい事。
勝利の女神は決して悲壮感持つ人間には寄ってこない事。
集中とはどこにも集中しない事。
今の船木に必要なのは、新しい技術の習得ではない。
自身の優れた特性、体力、精神力、特化した技術を生かす為のスポーツ心理学である。
人気ブログランキングへ
プロレスに痛みなどいらない
技術的にあまりにも低レベルな現実を露呈している点もあるが、私的には、そのままの技術で適切な心のありようさえ保てば、勝利は掴めていたのになと思うレスラーは多い。
例えば中西学の最大の弱点は上がり症である事は周知の事実である。
中西が何も迷わず恐れずタックルを連発すれば、少なくとも、もっと藤田を苦しめたであろう。
あるいは鈴木みのるにあびせ蹴りを放ったライガーがいる。
焦りと不安からの逃避の為の自殺行為である。
プロレスラーではないが浜口京子に対して、いかに「気合い」が浜口を苦しめているかを知る人は意外とレスリング関係以外では誰も知らない事実である。
気合いによって、肉体が緊張する。
レスリングに必要な適度な緊張の溜めからの解放としての攻撃、あるいは筋弛緩からの攻撃、それらが放てない。
つまり自分の気合いによって自分の肉体の可動域と攻撃性を狭めているのだ。
格闘技ではないが、バスケのマイケル・ジョーダンがドリブルする際の舌出しはご存知であろうか?
自分の舌を出す事によって、意識的に自分の肉体に筋弛緩つまりリラックスを与えているのである。
格闘技、スポーツにとって、大切な筋弛緩の必要性を知り、もっと早くに取り組んでいれば、中西も、浜口京子も、もっともっと潜在能力を発揮してくれただろう。
私的には最も自身の潜在能力を発揮していないと感じるのは船木誠勝である。
実は船木の緊張は、中西や浜口京子に見られる過緊張によるデメリットとは、反対に、結果的にはメリットを生み出す事が多かった。
追いつめられて、追いつめられてこそ、潜在能力を発揮するのである。
追いつめられて、迷いが無くなればこそ、自身の身体的特性と技術を発揮する男なのである。
モーリス・スミス戦が最たる例であろう。
なのに現在の船木の場合は、必要以上に、自身にリラックスを心がけている部分がある。
結果、目標のリラックスは達成出来ても、闘いに必要なサイキング・アップが疎かになっている部分がある。
現在の船木の精気の無い顔つきからして、それを物語っている。
似たような例では、近藤がいる。
近藤も、リラクゼーションの特性を発揮して実力を見せてはいるが、反面、サイキング・アップを通じての攻撃力、瞬発力の部分があまりにも疎かだ。
リラクゼーションとサイキング・アップは格闘技の二本柱である。
この二つのバランスを維持し、そして迷いをなくせば、船木はまだ勝てるはずである。
そして、出稽古を辞める事である。
出稽古は船木の自信に迷いを生じるだけである。
等身大の自分を見るのではない。
理想のそのままの自分像を磨けばいいのだ。
格闘技オタクたちの意見を無視すれば、船木は自然体であれば他の格闘家とは異なる自身の勝ちパターンを持つ男でもある。
今の固まってきた総合の技術に対して差別化された、特化した技術を持つ男でもある。
迷いを無くし、強気を取り戻せば、必ず船木は勝てる。
余談であるが、私もアマチュアレベルの経験であるが、いかにスポーツ心理学が大切かという事を身にしみて分かっているつもりである。
勝利を渇望すればするほど勝利が逃げていく事。
過度の努力は時として努力が逆転した結果が生じやすい事。
勝利の女神は決して悲壮感持つ人間には寄ってこない事。
集中とはどこにも集中しない事。
今の船木に必要なのは、新しい技術の習得ではない。
自身の優れた特性、体力、精神力、特化した技術を生かす為のスポーツ心理学である。
人気ブログランキングへ
プロレスに痛みなどいらない
posted by shingol at 22:29| 新・レッスルする世界
プロレスに痛みなどいらない
永田裕志のアクシデントで、何とも、嫌な気分になった。
一昔前のプロレスの突発的な不慮の事故とは異なり、今のような試合内容を続けていけば、これからも、今後、プロレス界で、この種のアクシデントは定期的に増えていきそうな気がしてしまう。
誤解を怖れずに言えば、今のプロレスラーたちは、プロレスファンの奴隷だ。
ひたすらプロレスファンの受身的な感性を満足させるべく奉仕し続けているのが、現在のプロレスラーでもある。
私は、天龍源一郎が最初にブレークしたとき、嫌な予感を覚えたことがある。
プロレスにリアルな痛みを持ち込む事など、本来は避けなければいけないことであるのに、天龍はファンの支持の元、激しいゴツゴツとしたプロレスを展開し続けた。
リアルな痛みを持ち出さなければ、観客に痛みが伝わらない、安易な方法に多くのレスラーたちが追従した。
総合格闘技の本物の技術、迫力に対して、それでもプロレスの傷みは本物だという、最後の免罪符を持ってしか、プロレスラーはプロレスを語れず、プロレスファンはプロレスに満足できないのだ。
どのようなスポーツであれ、長く続ければ、多少なりとも身体に故障を抱えるものだ。
私のようなアマチュアレベルであっても、冬になれば靴下も履けないほど腰痛は悪化し、一年中、頚椎からの腕の痺れ、膝の痛みなど、古傷は絶えない。
ましてプロの職務を遂行する上で、プロレスラーたちにも職業病はあるであろう。
70年代の多くのプロレスラーたちは、受身を取りすぎた為に、引退以後も多くの後遺症に悩まされているのが現実である。
しかし高山の例以後、プロレスラーたちには脳に異変が見られることが増えてきたような気がする。
当たり前の話である。
激しいハード・ヒッティングや脳から落とす危険な大技を持ってしか、プロレスに説得力を持たせられないのであるから、当然である。
プロレスがリアルな格闘技でないと皆知っている時代に、何故、プロレスに痛みが必要なのか?
本当に痛い技、危険な技でしか、痛みや凄さを伝えられないのなら、それらは三流役者の集いでしかない。
アントニオ猪木や、前田日明、長州力、藤波辰巳、馬場、鶴田、かつてのスターは皆どのようなプロレスを展開しようとも、あえて相手の頭部にダメージの残るプロレス技を仕掛けることも無かったし、それらを受けることも無かった。
壊し屋といわれた新日時代の前田でさえ、硬い試合内容と、相手に外傷を負わせる遠慮の無い激しい技を持って、誤解されている部分もあるが、決して肉体の我慢比べ、脳へのダメージが蓄積するようなプロレスを展開していたわけではない。
そういう彼らを持ってしても、皆、肉体は壊れていくのである。
私が不安なのは例えば三沢である。
あまりにも激しく大技とハードヒットなプロレスを展開する日々の中で、脳にダメージが残る。
しかし、試合後、美味しい酒で、身体の痛みを忘れるような日々を続けていけば、やがてどうなるのか普通に考えれば分かるはずである。
永田は何度も記してきたが、プロレスとしての闘いを、金原たちとの闘いで我々に見せ付けてくれた男である。
金原は危険なプロレス技を出したわけでもなければ、永田は自分の身体を痛めつける技を出したわけでもない。
それでも、あれだけの興奮を与えてくれた男である。
極論すれば、プロレスに本物の痛みなど無くても、それがアントニオ猪木的世界であれ、馬場的世界であれ、本当ならプロレスの迫力も素晴らしさも伝わるはずなのだ。
なのに本物の痛みを持ってしかプロレスを伝えられない、このプロレス界の風潮はかなり歪な世界でしかないだろう。
私の好きな永田が、馬鹿なプロレス村の住人たちを喜ばす為に、自分の身体を犠牲にさせて、今のようなプロレスを遂行していることは、なんとも悲しいことだと私は思う。
人気ブログランキングへ
一昔前のプロレスの突発的な不慮の事故とは異なり、今のような試合内容を続けていけば、これからも、今後、プロレス界で、この種のアクシデントは定期的に増えていきそうな気がしてしまう。
誤解を怖れずに言えば、今のプロレスラーたちは、プロレスファンの奴隷だ。
ひたすらプロレスファンの受身的な感性を満足させるべく奉仕し続けているのが、現在のプロレスラーでもある。
私は、天龍源一郎が最初にブレークしたとき、嫌な予感を覚えたことがある。
プロレスにリアルな痛みを持ち込む事など、本来は避けなければいけないことであるのに、天龍はファンの支持の元、激しいゴツゴツとしたプロレスを展開し続けた。
リアルな痛みを持ち出さなければ、観客に痛みが伝わらない、安易な方法に多くのレスラーたちが追従した。
総合格闘技の本物の技術、迫力に対して、それでもプロレスの傷みは本物だという、最後の免罪符を持ってしか、プロレスラーはプロレスを語れず、プロレスファンはプロレスに満足できないのだ。
どのようなスポーツであれ、長く続ければ、多少なりとも身体に故障を抱えるものだ。
私のようなアマチュアレベルであっても、冬になれば靴下も履けないほど腰痛は悪化し、一年中、頚椎からの腕の痺れ、膝の痛みなど、古傷は絶えない。
ましてプロの職務を遂行する上で、プロレスラーたちにも職業病はあるであろう。
70年代の多くのプロレスラーたちは、受身を取りすぎた為に、引退以後も多くの後遺症に悩まされているのが現実である。
しかし高山の例以後、プロレスラーたちには脳に異変が見られることが増えてきたような気がする。
当たり前の話である。
激しいハード・ヒッティングや脳から落とす危険な大技を持ってしか、プロレスに説得力を持たせられないのであるから、当然である。
プロレスがリアルな格闘技でないと皆知っている時代に、何故、プロレスに痛みが必要なのか?
本当に痛い技、危険な技でしか、痛みや凄さを伝えられないのなら、それらは三流役者の集いでしかない。
アントニオ猪木や、前田日明、長州力、藤波辰巳、馬場、鶴田、かつてのスターは皆どのようなプロレスを展開しようとも、あえて相手の頭部にダメージの残るプロレス技を仕掛けることも無かったし、それらを受けることも無かった。
壊し屋といわれた新日時代の前田でさえ、硬い試合内容と、相手に外傷を負わせる遠慮の無い激しい技を持って、誤解されている部分もあるが、決して肉体の我慢比べ、脳へのダメージが蓄積するようなプロレスを展開していたわけではない。
そういう彼らを持ってしても、皆、肉体は壊れていくのである。
私が不安なのは例えば三沢である。
あまりにも激しく大技とハードヒットなプロレスを展開する日々の中で、脳にダメージが残る。
しかし、試合後、美味しい酒で、身体の痛みを忘れるような日々を続けていけば、やがてどうなるのか普通に考えれば分かるはずである。
永田は何度も記してきたが、プロレスとしての闘いを、金原たちとの闘いで我々に見せ付けてくれた男である。
金原は危険なプロレス技を出したわけでもなければ、永田は自分の身体を痛めつける技を出したわけでもない。
それでも、あれだけの興奮を与えてくれた男である。
極論すれば、プロレスに本物の痛みなど無くても、それがアントニオ猪木的世界であれ、馬場的世界であれ、本当ならプロレスの迫力も素晴らしさも伝わるはずなのだ。
なのに本物の痛みを持ってしかプロレスを伝えられない、このプロレス界の風潮はかなり歪な世界でしかないだろう。
私の好きな永田が、馬鹿なプロレス村の住人たちを喜ばす為に、自分の身体を犠牲にさせて、今のようなプロレスを遂行していることは、なんとも悲しいことだと私は思う。
人気ブログランキングへ
posted by shingol at 12:12| 新・レッスルする世界
2008年02月16日
おすすめブログ&グラインドハウス二本立て&ロシアのプロレス
IGF関係で大変、興味深い記事が掲載されています。
是非、ご覧下さい。
K-1心中様
OMASUKIFIGHT様
また、こちらのブログもプロレスに対して興味深い記述がたくさんあり、昭和者なら、プロレス以外の懐かしい怪獣のガレージキットと70年代ロックの記事も興味深いものばかりです。
P-log「pasin.exblog.jp」様
当ブログでも度々紹介するルチャドールの主演映画の動画です。
私の好きなグラインドハウスの匂いが漂う大変脱力出来る動画です。
最後にロシアのプロレス団体の動画です。
私的には試合の雰囲気・内容・選手のキャラと、これ以上無いくらいの苦手な雰囲気の団体です。
人気ブログランキングへ
是非、ご覧下さい。
K-1心中様
OMASUKIFIGHT様
また、こちらのブログもプロレスに対して興味深い記述がたくさんあり、昭和者なら、プロレス以外の懐かしい怪獣のガレージキットと70年代ロックの記事も興味深いものばかりです。
P-log「pasin.exblog.jp」様
当ブログでも度々紹介するルチャドールの主演映画の動画です。
私の好きなグラインドハウスの匂いが漂う大変脱力出来る動画です。
最後にロシアのプロレス団体の動画です。
私的には試合の雰囲気・内容・選手のキャラと、これ以上無いくらいの苦手な雰囲気の団体です。
人気ブログランキングへ
posted by shingol at 10:37| 私の好きな有機的な世界