2008年03月06日

難波から新世界まで

大阪の街で私が好きなのは西成の街だ。
私の故郷の尼崎と似た、有機的な街の雰囲気が在るからだ。
どちらも、全国の人が想像する大阪らしさを感じさせてくれる場所であるはずである。

しかし尼崎と西成の大きく異なる所が在る。
仕事を求めて流れ着いた人たちが多いので、西成の北部には、ネイティヴの大阪人は意外と少ない事だ。
その点、尼崎は、韓国、沖縄の人たちは多いが、その人たちも含め殆ど全ての人たちがバリバリの大阪言語の使い手である。
といっても尼崎も都道府県的には兵庫に属するのだが。

私が驚いたのは西成のある喫茶店に入った時の事だ。
トイレに入ると、「注射針は流さないでください」と張り紙がされてあったのだ。

後、西成署の近くに、どう見ても、薬の売人らしき集団が立っている事だ。
ある日、仕事で訪問先を探しているスーツ姿の私を見て、やけに警戒している群れがいた。
伝号ゲームのように、私の存在を仲間に知らしめる人たちは、きっと私を警察の者だと思ったのだろう。

西成といえば、有名な格安ホテルの一群が在る。
確か、一泊650円程度だったような気がするが、今は定かではない。

西成資本の出世頭と云えば「スーパー玉出」だ。
大阪市内至る所に進出し、昨年は私の職場の近くにも出来た。
しかし私が好きなのは、あくまで西成のどこかの商店街の中にある玉出だ。
店の前で買ったばかりのマグロの刺身をあてにワンカップする人たちの中に入りたいと今でも思う時がある。

西成の南部の方の下町に行けば、私の理想の有機的な情の溢れる世界が広がっている。

かといって繁華街としての西成も、新世界を始め魅力的だ。
いつか経済的に余裕が出来たら、新世界の近くにセカンドハウスとしてワンルームマンションでも買いたいなと思っている。

飛田遊郭にお世話になった事は無いが、天王寺動物園は私の心の故郷だ。
動物園を見た帰り、ジャンジャン横町でビールを飲んで、そのままミナミまで歩きたい。

あるいは路面電車に乗り、隣の区の帝塚山まで向かってもいい。
帝塚山で好きな女にケーキを食べさせた後、万代池で女を口説く奴は私の世代には多かった。
今は、もう一人で万代池を静かに歩きたい。

友人が帝塚山のレンタルレコード屋でアルバイトしていた。
学生時代、部屋に遊びにいくと、こたつの上に一円玉を並べて、常に生活の困窮と隣り合わせであった友人であったが、十数年後テレビの「マネーの虎」の社長としてオファーを受けた。
しかし、顔がさせば、悪さ出来ないというので断った。

オーディオマニアでもあった友人が買えるわけでもないのに、憧れのアンプを見る為だけに連日、通いつめた日本橋を、もう少し南に歩き、通天閣に辿り着きたい。





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posted by shingol at 21:43| 私の好きな有機的な世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

田村よ、吉田秀彦にリベンジせよ。

吉田秀彦ほど、公の場でプロレスに対して、嘲笑的なコメントを何気に連発する男もいない。
決してプロレスファンからすれば、好意の持てる男ではないであろうが、実は吉田はプロレスを好きなのではないかという気持ちもしている。

かつて猪木対アリの検証番組に招かれた吉田は、今と技術レベルの比べようも無いその試合に対して、自分の頭の中から必死に謙虚で誠実なコメントを搾り出そうとしていた。

建前と本音の違いが分かる男であるからこそ、建前ではプロレスを悪く言わないのに、つい要所要所で、プロレスに対しての本音がぽろっと出てしまうのであろう。

その本音の部分も、きっとプロレスに対して敵意をもっての事ではないはずである。
吉田にとってプロレスなど敵意を持つべき対象でもないはずである。

おそらく別世界の住人に対してのリスペクトも持っているはずである。
しかし、それは、あくまで自分と別世界のという意味であるはずだ。

かつて新日本の東京ドームで、リング上の長机の上に寝かせた相手に対して、コーナー上からダイブ技が敢行された。
机は真っ二つに割れ、会場はどよめいた。

その時、テレビ画面に観戦する吉田の顔が映った。
私はその時の吉田の表情を忘れられない。

腹を抱えて大笑いしていたのである。

きっと公にテレビ解説席にでも呼ばれていたのなら、心の中の笑いも我慢し、通り一遍等の賞賛コメントでも出していたであろう。

しかし観客席で公から離れた場所で、吉田が見せたプロレスへの本心が、あの腹を抱えた大笑いに集約されているのである。

私は吉田の大笑いを見て複雑な気持ちになった。
激しい技を敢行しても、そこに笑いが起こるのは、笑われるプロレス界が悪いのか?
激しいプロレスシーンを見て、笑うだけしかない吉田の感性の問題なのか?

私的には、吉田に腹を抱えて笑われるプロレス側が情けないのだと強烈に思っている。

それでも私は、吉田についてはプロレスファンとして、あまり良い印象を持ってはいない。
しかし、それはプロレスに対して嘲笑したり、腹を抱えて大笑いする吉田の姿に対してではない。

私が吉田を好まないのは、自分の為、自分の仲間たちの為といった比較的小さな重荷しか抱えず闘っている男であるような気がするからだ。

ファンため、多くの人の為に闘う元祖であるプロレスラーたちとは反対の印象を感じたからこそ、吉田には少し無機的な冷たさを感じてしまったのだ。

それだけに私は田村が吉田に負けたことは物凄く残念なことであった。
ミルコに敗北する寸前、吉田は最後の気合を込め、大声を出した。
しかし、気合も敵わず、玉砕した。

田村も、吉田に最後の気合を込めさせるまで、吉田を追い詰めていたのである。

しかしミルコと違ったのは、田村は、吉田の気合に一瞬、身体が固まり、その後、腰が引けた事だ。

完全な気持ちの敗北であった。

K−1心中様
も記している通り、本来、吉田に完全勝利を果たすべきは、プロレスラーの役目である。

田村はそろそろ吉田へのリベンジを果たすべきであろう。
その場合は、勝利云々ではない。
せめて前回の様な吉田の気迫にたじろいだような醜態だけは見せず、吉田に対してプロレスラーの心の強さを見せ付けて欲しいと私は思っている。

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posted by shingol at 11:56| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月05日

電車内のマナーについて

最近というか、毎年、電車内でのマナーの悪さがどんどんエスカレートしていっているような気がします。

若者のマナーをどうのこうのといいますが、若者のマナーは基本的に、いつの世も悪いものであり、今に始まった事では無いはずです。

若者よりも、私が腹立たしいのは中高年のマナーの悪さです。
電車内で平気で鼻をほじる人、我先にと人を突き飛ばして僅かな座席スペースに座る人、あるいは次の停車駅まで十分以上はありながら、空いてる座席の方向につめず、頑に、満員時の座位をそのまま確保している人たち、いずれも私的には不快な人たちである事に変わりありません。

私が驚くのは、マナーの欠如した若者に対しての、中高年の人の怒り方です。
マナーを知らない若者に対して、これはいけないよと教えてあげるのが大人の役目なのに、明らかに、最初から喧嘩腰で「先頭車両やから携帯メールは辞めなさい!」とか
「もっと詰めてくれませんか!」とか大声で迫られると、若者だって防衛本能を働かせる事は当たり前の事です。
結果、逆切れとなって、車内で女々しい喧嘩が起こってしまうものです。

マナーに違反した事に気づいた反省よりも、一方的に車内で大声で注意された恥ずかしさが上回れば、今の若者なら切れるでしょう。

きっと注意する中高年の人たちは、若者が怖いのでしょう。
怖いから、最初から気合いを込めなければ、注意出来ないのでしょう。

私は自分が子供の頃から、いきなり雷を落とす大人たちの群れで育ちましたので、出来るだけ、最初に大声を張り上げたく等ありません。

先日、会社の近くの専門学校生が乱闘を起こし、私の会社の駐輪場の自転車を全部倒しました。
学校の先生らしき人たちが生徒を説得し、連れて帰ろうとしたので、私は、生徒の肩を叩き「すいません。自転車だけ直してもらえますか?」と御願いしました。

しかし生徒が「ハッ?」と凶暴な顔を私に見せたので、私は生徒の首根っこをつかまえ倒れている自転車の上に、転がしました。

ついでに先生にも腹が立ったので、生徒指導をきっちりやるように強く伝えた後、生徒と先生に綺麗に自転車を整頓させました。

若者に注意する際は、まず丁寧に御願いしてみる事です。
最初から怒るなんて馬鹿げています。


私が子供の頃など銭湯でよく知らない大人にいきなり怒鳴られたものです。
しかし時代は違います。

マナーを知らない若者に、最初から大声で怒鳴りつける大人こそマナー違反でもあるといえるでしょう。
電車内で、マナーに違反した若者を見つければ、丁寧にマナー違反である事を、出来るだけ小声で伝えてあげる事です。

そうすれば若者のプライドだって保たれ、素直になれるものです。

しかし、そういう大人の優しさに対して切れる若者がいれば、徹底的にかしこくさせてあげる事が必要でしょうが。
posted by shingol at 18:38| 私の好きな有機的な世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

内田裕也は格好良すぎる

私はロックがあまり好きでは在りません。
しかし裕也だけは別です。
私が痺れたのは自身の映画で、主演の本木に喋らせた「おめぇ、ロックの内田じゃねえのか」という台詞でした。
私も内田裕也のようになりたいと切に思いました。

属性をロックに捧げるあまりにも格好よい男です。

posted by shingol at 17:32| 私の好きな有機的な世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

感情をいたずらに露出しない猪木的純プロレスの世界/大木金太郎戦

私的に好きなアントニオ猪木の試合は数多く在るが、その中でも一番好きなのは、やはり大木金太郎との一戦である。

この大木戦は猪木の試合の中でも、猪木的純プロレスの完成度の高い試合であったと私は思っている。

小林戦は今に通じる大技の応酬の続くラリー型プロレスの走りでもあったので、私はそれほど好きではない。

猪木の純プロレスには、技の応酬等似合わないと思っているからだ。

その点、大木戦はプロレスが下手な同士の肉体の歪みの生じるようなアナログチックなプロレスであった。

私が忘れられないのは、大木の頭突きを受けて片膝をつく猪木の姿である。

長い足の猪木が片膝をつくという行為は、観客の視線を集中させるシーンでもある。
実は猪木はよくこういう演劇的手法を使った。

気合いプロレスで胸を突き出して、相手の技を受け止める今のプロレスに熱狂しているファンには分からない猪木の魅力だと思う。

猪木は感情を露出する事を極力控えた。
鬼の形相で見栄を切り、怒りの鉄拳で、観客が満足するまで相手を叩きのめすプロレスは肉体の衰えの始まった猪木の止むを得ない手法でもあった。


しかし全盛期の猪木は、常に、感情の露出はここ一番まで控えた。
しかし、ここ一番でも、観客に満足させるまでの怒りの露出は控えていたものだ。

常に余韻を残すのである。

この大木戦でも、そうであった。
片膝をつきながら気持ちの中にフェイクとも本気ともつかぬ怒りの感情を込める。
しかし感情はいたずらに露出しない。
頭突きを耐えた猪木が、やっと怒りの反撃を行なうが、それでも観客に、やや説明不足のまま試合を終わる。

後は観客の想像力に順番が回ってくる。

気合いを込めた凄い形相でチョップ合戦を繰り広げ、感情を爆発させる事こそが、プロレスだと思っているのなら、今のプロレス等絶対に世間から相手にされないであろう。

同時に今のプロレスファンからは絶対にこの試合の評価等される事はないであろうとも思う。

それくらい今のプロレス村と世間には大きな差があるのである。

今のプロレスファンには、試合後の猪木の涙を観てもらいたい。
少なくとも利己主義の冷たい猪木が流す涙等、所詮、都合の良い涙でしか無いであろう。
それでも涙を溜めるほどのリアルな感情を持って、この試合に「アントニオ猪木」を演じていたのである。
しかも、その涙を溜めるほどの感情は試合中は極力は抑えていなから、溜めながら、プロレスをしていたのだ。
実は、この感情の「溜め」は橋本真也がよく使った手法でもあった。



三沢光晴に対して何も求めないプロレス
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posted by shingol at 16:55| 新・猪木ゲノムの正体を探れ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

三沢光晴に対して何も求めないプロレス

私はノアの試合を観る度、もういいだろうと云う気持ちになる。

プロレスというフェィクのジャンルに対して、真面目に対峙し、激しいプロレスを展開する姿は、ハッスルとは異なるプロレスに対しての誇りであり、ファンに対しての誠意でもある。
私はノアのプロレスラーたちを誇りに思う。

それらを重々承知して、私は記したいが、もうノアのプロレスを凄いと表現するのは辞めようではないかと提案したい。

このままでは、いつか死人が出る。
受け身の上手さを持って、大きな怪我を防いでいても、受け身の取り過ぎによって脊椎、頸椎に大きな後遺症を残す事は確かである。

また、最近の頭部への打撃技は、いくらプロレス的な技であっても、脳が揺れるに充分な衝撃がある。
怖いのは何発も連発する事だ。
小さな負荷の衝撃が、連日、脳に対して繰り返される。
しかも彼らはアルコールを飲むのである。
どれほど恐ろしい事であろう。

皆さんは、付き合う女性が、自分を喜ばせる為に、尽きぬ事の無い様々な奉仕を続ける事を喜ぶのであろうか?
その内、感謝への刺激と感覚が麻痺してくるであろう。
それが今のプロレスファンだ。

昔、大阪府立を満員にして登場した猪木は、カネック相手に、徹底的に自分の身体をいたわる味気ないファイトを繰り広げた。
カネック戦だけではない。
猪木の試合は後期、今の三沢の年齢の少し前くらいから、そういうものばかりであった。
プロレスブームのときには既に、猪木の身体はボロボロであったので、全盛期の闘いと同様のものを提示する事は出来なかったのだ。

それでも試合の激しさではなく、猪木の一挙手一投足を皆が凝視した。

ファンがアントニオ猪木に何も求めず、黙って応援し続けた時代であった。

少なくとも、昭和の猪木ファンは、ぼろぼろの猪木に激しい試合を求めたり等無かった。
後期の猪木を、逆にファンが、黙って応援する事で愛していたのである。

しかし今のプロレスファンはプロレスラーを愛しているのか?
私は甚だ疑問だ。

三沢の功績は猪木にも劣る事はないであろう。

しかし、何もしなくてもファンに愛されるべき三沢が、激しいプロレスを提示する事でファンを未だに愛しているのである。

激しい攻防を繰り広げようとする三沢に対して、三沢の身を案じブーイングを飛ばす。
三沢が省エネ的なファイトを繰り広げた所で、声援を送り続ける。
そういう、かつての馬場を応援したようなファンの世界等、今は無いのであろうか?

三沢は今はもうファンを喜ばせる段階のレスラーではない。
充分、愛されるだけのレベルにふさわしいプロレスラーである。

なのにファンたちは、三沢の愛すなわち激しさをまだ求め、その愛を確認しなければ愛せない、つまり声援を送れないのだ。

いつまで「激しいプロレス」という名の下、プロレスラーたちに奉仕させ続けるつもりであろう。

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posted by shingol at 07:28| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月04日

何故、吉田秀彦は愛されないのか?

吉田は、日本人格闘家の中で類いまれなる体力と技術を要する男である。
また五輪の決勝レベルの試合を数多く経験してきた事で、実に、ハートの強い男でもある。
緊張に対して、恐怖に対して、自分の感情を操れる精神力の持ち主でもある。

しかし吉田がプロ選手として、その実力ほど、多くのファンから感情移入され愛されているとは云いがたい事も事実である。

というよりもプロ選手としてのカリスマ性とは程遠い選手でもある。

かつてリング上で、ファンに対してより先に、知り合いの歌手に向けて勝利の喜びを叫んだ吉田は完全なアマチュアのスポーツ選手であった。

ファンのためより、自分のプライドや承認欲求、仲間たちへの想い、そういったものが先に来るのなら、今後もファンに支持される事は無いであろう。

吉田に感じるのは、全く感情移入出来ないプロとしてのマイペースぶりだ。
プロとしてのクールな振る舞いと、ファンに与える無機的な冷たさは異なるものである。

柴田勝頼の試合は見れるか?
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posted by shingol at 20:35| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「気」に負けたプロレスラー/吉田とヒクソンに恐怖した田村と船木

私が忘れられないプロレスラーの惨敗シーンがある。
船木がヒクソンに、田村が吉田に、負けたシーンである。
双方とも、相手を追い込みながら、追い込まれたヒクソンと吉田が気合いと共に飛び込んできた後、いとも簡単に転倒され敗北された。
気合いによって腰が引けたのである。

二人の共通点がある。
あまりにもストイックな姿勢で練習に打ち込み、暗いオーラを身にまとっていた時の、船木や田村は、実に頼りになる「強い」プロレスラーたちであった。

しかし、いたずらにキャリアを経験し、自身をリラックスさせようと振る舞えば、振る舞うほど、追い込まれた時の彼らの気持ちの強さが消え去ってしまうのだ。

片目を潰されたヒクソンが物凄い形相で船木に飛びかかった時、ローで足を破壊されかけた吉田が気合いとともに田村の懐に飛びついた時、あれほど船木と田村がチキンな男だった事は私にはショックであった。

しかし、それは試合前の恐怖からの解放としてのリラックスを求め過ぎ、闘いの本能を忘れた故の事だと信じたい気持ちもある。

自身の闘いへの追い込み方が尋常でないからこそ、船木も、田村も、かつてのような自身の闘い方は、もう経験したくないであろう。

しかし所詮、残り少ない現役生活である。

もう少しだけ覚悟を決めてもらいたいものだ。
覚悟を決めたら、彼らのハートの強さはどんな格闘家も太刀打ち出来ないはずである。

柴田勝頼の試合は見れるか?
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posted by shingol at 20:20| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月03日

柴田勝頼の試合は見れるか?

再編成なった格闘技界であるが、大衆向けのイベントであった「HERO'S」が消滅した事で、プロレスラーの出場の機会が無くなっていくのならば残念である。
私が気になるのは柴田勝頼の今後である。
柴田は師匠の船木よりは遥かに強い気持ちを前面に押し出せる強い気持ちを持っているファイターである。
後は闘い方の工夫でしかないであろう。

私的には一つの知識に傾倒する船木の影響で、柴田が、柔術の蟻地獄に陥るのが不安である。
奥の深い柔術や総合の技術をいたずらに追いかける前に、普通に、自分の闘い方を確認していけば良い。

船木にしろ、柴田にしろ、驚くのが、その被テイクダウン能力の低さである。
相手がタックルに入って来るのが分かっていて切れない。
また、切ろうとする粘りも無い。

そういう自身の闘い方の基本を疎かにしながら、柔術の練習でもないであろう。

私的な経験を記して申し訳ないが、私は先輩や恩師にテイクダウンさせられると、袈裟固めのまま口を塞がれ窒息困難にさせられたり、首を決められ落とされたりした。
恥ずかしい話、失禁もあった。

そういう経験をすれば、不思議と、簡単に転倒されない粘り腰が出来て来るものだ。

転倒された後の地獄を考えると、何とかして転倒されないように踏ん張る気持ちが強い腰を養ってくれるのだ。

そんな経験をしてきたアマチュアの私から見れば、何故、船木も柴田もあれほど簡単に転倒されるのか理解出来ない。
気持ちの問題でしかないであろう。

少なくともUWFの流れを汲むプロレスラーである。
柔術家のように下からの攻撃を習得する必要も無いし、また、そんな時間もないであろう。
そんな事よりも、まずはやるべき事は、テイクダウンされない腰を作る基本作業しか無いはずである。

転倒させられたら死ぬ。
それくらいの気持ちの上で、被テイクダウン能力と打撃を磨いていってほしいものだ。

もっとも、それ以前に、柴田に試合に出る機会はあるのかという心配の方が大きいが。

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posted by shingol at 20:54| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月02日

プロレス村の行方

私はブログをスタートしたのが2005年と、比較的最近の事です。
元々、同じ世代の昭和のプロレスファンに対して、想い出の共感を出来るようなブログが出来たらなと思い始めたのですが、いつしか、現在のプロレスへの問題提起等の記事が中心となりつつあります。
昭和のプロレスが好きだからといって、現在のプロレスを全て批判しているわけではありません。
しかし、私は、プロレス村という狭い世界の住人つまりファンの機嫌を取り続けるようになった事で衰退したプロレスと云うジャンルを、マニアやファンから取り戻したいという願いがあります。

私の根本的な考えの中には、プロレス界が、これまで通り、プロレスファンだけの顔色を伺い続ける限り、今の市場規模から抜け出せる事は絶対にないであろうと断言出来ます。

極論すれば、プロレスファンの顔色等伺わず、世間に通じるプロレスラーやプロレスを育てる事だと思います。
それは世間に迎合するという意味ではありません。
また、世間に対して、アントニオ猪木の後期の環状線理論のごとく、核なき空洞化としての世間を振り向かせる戦略でもありません。

異形の人でもいい。
世間の人が振り向く、プロレスラーを、まず作り上げる事が大切だと思います。

棚橋というプロレスラーがいます。
プロレス界の中ではかなりのイケメンです。
しかし街を歩いていて、世間の若者が棚橋を格好よいと思うでしょうか?
棚橋くらいのルックスは世間に五万といます。
しかも、残念な事に、棚橋は、世間のファッションリーダーでもなく、世間の若者の流行の後追い人でしかないという事です。
プロレスファンを刺激するわけではありませんが、プロレス村の中だけのレベルの低いお洒落人でしかありません。

私はファイトスタイル的には嫌いですが、長州も、藤波も、プロレス界にしかいない世間とは異形の格好よさを持って多くのファンを開拓してきました。
90年代の武藤や橋本もそうでしょう。
猪木も、前田もそうでした。

あるいはWWEにバティースタというプロレスラーがいます。
見事な逆三角形の肉体に、クラシックスーツを着こなすプロレスラーです。
あれほどクラシコイタリアのスーツを、本来の目的としてのシェィプされた見栄えを持って着こなす男は珍しいでしょう。
世間的にはお洒落かどうかはともかく、世間の人が真似出来ない異形の格好よさを持つ男です。

あるいは仲邑というプロレスラーがいます。
プロレス村的なセンスでは棚橋に劣る仲邑ですが、少なくとも、世間の人は棚橋より仲邑の方を振り向くはずです。
少なくとも世間に迎合しない、それでいて世間の潮流と同じで、なおかつ、少し先を行く感性とオーラを仲邑は持っているからです。
しかし、今の仲邑は次第にプロレス村に染まりつつありますが…。

世間の潮流と同じ感性を持つなら、世間より、少し速く先を歩くプロレスラー。
あるいは世間とは異形の魅力で惹き付けるプロレスラー。

その、どちらも、今のプロレス界には少なくなってきたような気がします。

インディー団体は私は好きです。
ジャンルの中の特化した専門性を売りにすれば、求めるファンは、ある程度のマニアックさを必要とするから仕方ないかとは思います。
しかしメジャーである新日本のファン層が、新日本というインディー団体を支えるマニアックなファンになってしまえばおしまいでしょう。

だいたい今の新日本の市場規模では、我も我もの、我の強い選手の給与さえ支払えないでしょう。
なのに相変わらず市場を開拓する努力を怠り、ひたすらプロレス村の住人だけを相手にした興行を続けていけばメジャー団体等運営出来るはずは在りません。

昭和の新日本はコアな核のファンは全体のファンの半分にも満たなかったものです。

プロレス等良く分からないけれど、格好よい、面白い連中がいるなとの匂いをかぎつけてやってくるお客こそ大切だと思います。

そんなお客は閉鎖された今のプロレス村にやってくる事等絶対に在りません。
しかしインディーにはやってくるでしょう。
小さな規模の熱の在る空間には、小さいジャンルに対して一見さんでも感情移入しやすい敷居の低さがあるからです。

大きな団体では在りますが、ノアにも、WWEにも、似たような、一見さんの入り込みやすい雰囲気があります。
プロレスというジャンルの特価性を大切にしながらマニアのファンも大事にしながら、一見さんも入り込みやすい世間に対しての団体のイメージを常に模索しているからでしょう。

しかし新日本には何があるのでしょうか?

新日本のファンが格好よいと信じている棚橋が、ノアのマットで、ノアの選手以上に華やかな雰囲気を出せるのでしょうか?

棚橋は抜群にプロレスの上手い名選手だと私は思っています。
しかし、それはマイティ井上やアニマル浜口のように、バイプレーヤーとしての魅力のはずです。
例えばプロレスの上手さにこだわらず、個性の強さで、ファンを惹き付けるレスラーたちの荒削りな試合の中で、棚橋の上手いプロレスは生きるはずです。


しかしプロレスの上手いだけの棚橋に、団体側が、棚橋は世間に通じるスター性を持っていると考えているならば、もはや新日本自体が、世間との大きな感覚のズレを持っていると云う事でしょう。

肝心要のメジャー団体としての新日本が、世間を意識せず、一番プロレス村の匂いを発散している団体である事は辛い事です。

僭越ながら当ブログの誉れ

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posted by shingol at 22:50| 管理人より | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月01日

アントニオ猪木という動詞の愛/イノキボンバイエを聴きながら

私が小学校3年生か4年生の頃には、アントニオ猪木はもうこの曲をテーマソングにしていたような記憶が在ります。
私はこの曲を聴くと、このテーマ曲に乗って、徹底して、フィクションとしてのアントニオ猪木を演じきってくれた猪木という人間に感謝の気持ちで一杯になります。

そして多くの昭和の猪木ファンも又、この曲を聴いて、あるいはこの曲の高揚感を抱いて、勉強、仕事、様々な困難を乗り越えてきたのでしょう。

アントニオ猪木は巨大なフィクションの世界です。
しかし、アントニオ猪木がフィクションとしての世界を演じる為に費やした熱量は、アントニオ猪木の肉体と精神にリアルな熱量として消費された世界である事に変わりはありません。

したがって、アントニオ猪木という世界はフィクションや、幻想としてではなく、リアルな動詞の愛となって、私たちを勇気づけてくれていたのでしょう。

※ちなみにこの動画の曲は猪木の引退記念CDを音源として作られています。

posted by shingol at 20:02| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ノアの箱舟/小橋健太という全スポーツ界に示せるプロレス界の神

私にとってノアという団体は興味のある団体ではない。
自分の好みと大きく離れた位地にある団体なので、好きか嫌いかという選択も何も関係のない団体である。

それでもノアの激しさや、個性豊かなタレントが揃う華やかさ、層の厚さは十分、理解出来ているつもりである。

ノアに感心するのは、アマチュア・レスリング出身者の数の多さだ。
プロレスはプロレスと割り切ったファイトを展開する三沢であるが、新弟子たちには意外とアマチュア・レスリングの経歴を求めているような気がしてならない。

アマチュア・レスリングを経験する事は、格闘性だけでなく、全方位運動としてのマットワークを身につける事にもなるので、私は三沢は、この点をアマチュア出身者に対して期待しているのかなとは思う。

私は激しいプロレスという物が嫌いである。
ノアには、いたずらに激しいプロレスを発展させてきた戦犯であるという気持ちも持っている。
ノアの激しいプロレスには二つの潮流がある。
天龍のプロレスの流れを汲むハードヒットなプロレスと、相手の身を守る馬場的世界観としての激しさである。
この二つの潮流がノアのマットで、どうにか両立しているというのが現状である。

小橋という選手がいる。
私は性格的に、小橋のような神様のようなワルの要素の無い男には興味を抱かないものである。
しかし、小橋が今のプロレス界にとって神である事は確かである。

例えば、格闘家のみならず、あらゆるスポーツ競技の選手たちが小橋の試合を見たとする

驚嘆しか無いであろう。

それくらい小橋の試合は、心臓、持久力、筋力としての最大のパフォーマンスを求めるスポーツとして最高のレベルにあるものである。

私が小橋に感心するのは、激しさは己の肉体、心臓に求めているという事である。

天龍が相手の頭部を傷つけた攻撃を元にする、ノアの一つの潮流とは異なる激しさを持つ事である。

激しい胸板チョップは、極論すれば、誰でも受けられる技である。
大きく張れるミミズ腫れの内出血とは裏腹に、ハッスルにおいては、タレントでも受けられる安全地帯へのプロレス技である。

しかし小橋は相手の身を守る為に、胸板への攻撃を繰り返す。
相手の肉体を傷つけず、自分の心臓、肉体を追い込む為の胸板へのチョップの連発を遂行しているのである。
言ってみれば、馬場的世界観を激しさを伴って昇華させているのである。

相手の頭部への受けのプロレスを要求する、天龍的激しさとは全く異なる世界である。

プロレスラーたちは皆、格闘家を意識し続けている。
しかし、格闘家のみならず、全スポーツ選手を意識したとき、小橋が何故、プロレス界の神であるかは理解出来るはずである。

私が心配なのは、どんどんスターを輩出するノアの経営である。
多くのスターを輩出した為に、自分で自分の首を絞めた新日本の二の舞にならないで欲しいと切に願っている。
レスラーの報酬はレスラー自身の「自分は激しい事をしている」という自負で決められる物でもないであろう。

僭越ながら当ブログの誉れ
アントニオ猪木最後の弟子/小川直也が輝いていた時
非言語コミュニケーションとしてのプロレス
アントニオ猪木信者とは何か?/勘違いプロレスファンたちの新日本プロレス
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
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