2008年04月30日

昭和プロレス者9/闘う事を知らない奴らは船木を笑うな

私は再度記すが、昨夜、我々の世代の英雄である船木誠勝が復活したと思っている。

自分の神経をすり減らし、リアルファイトの黎明期を闘って来た船木は、その時代のレベルが、いかなるものであれ、船木が経験して来た精神世界のレベルは常人では経験出来ない苦痛と孤独を伴っている事は確かだ。

私は船木が壊れていると思ったのは、鈴木みのる戦である。

レッドゾーンと共に流れた、自身の心の葛藤をさらけ出した表現の仕様の無い自作詩を読み上げる船木の声が流れたとき、私は船木の精神のバランスが、テーマ曲そのものの境地に行き着いてしまったのだと思った。

動画で改めて観る船木の変遷は同世代の誰もが経験して来た変遷ではないだろうか?

つい十数年前まで、これだけ強気なとんがり具合だった船木が、今は柔和な猿顔の中年と化してしまった。

それでも等身大の船木が、リングに再び戻ったという事実を中傷するのなら、中傷する人は自分を鏡で映し出せば良い。

貴方たちが決して、経験出来ない世界に出る為に、船木の肉体はどのような若者にも負けない艶と輝きを取り戻したのだ。

そして大切なのは、田村戦で見せた能動性である。

どの時代であっても、英雄とは、強いだけの男では断じて無い。
弱さや孤独と振り向き合って、自分の弱さをさらけだしても、それでも闘う男に、人は憧れ、そして勇気をもらうものである。

私は船木の打撃のコーチが前田憲作であることは良かったと思う。
決して、イケイケの強面では無い前田であるからこそ、船木の心を奮い立たせる術も知っているのだと思っている。

船木は必ず後少しで、完全に復活する。
そして、その時、誰もが、船木誠勝というプロレスラーの商品価値に改めて気づくはずである。







異人伝/船木誠勝という同世代の英雄/復活の夜

異人伝/桜庭和志の七発のタックル/ナカハラの腰は本当に強いのか?

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posted by shingol at 20:46| 新・レッスルする世界

異人伝/船木誠勝という同世代の英雄/復活の夜

船木誠勝が復活してくれた。
私のような船木と同時代を生き、船木に闘う勇気を与えてもらって来たファンが、待ちこがれていた船木の姿が昨日のDREAMのリング場で確かに存在していたと思っている。

総合のキャリアが数戦であろうが、ブランクが長かろうが、船木が間違いなく日本初のリアルファイトのプロレス団体のトップとして、商業ベースとしてのリアル・ファイトの市場の礎を築き上げたのは確かな事実なのである。

その中で船木が悲壮な決意とともに、同世代の人間たちに送り続けてくれた闘って来た姿は、我々の世代には非常にメッセージ性の高いものであった。

私は何度も、引退前のヒクソン戦を前に船木の表情が変わってしまった事を記して来た。

闘う気持ちを失い、能動性のかけらも無い、ヒクソン戦、そして復帰後の桜庭戦での船木を観るにつけ、私は船木を記事中で否定し続けた。

どのような年の取り方をしようとも、リングに上がる以上、闘う姿勢、能動性を見せつけなければ、闘う場に復帰する意味が無いからだ。

今回の田村戦、相変わらず自信を失っている船木がいた。
しかし、これまでと違うのは、自信を感じさせないながらも、闘う気持ちが前面に出ていた事である。

最初に手を出したのは田村であったかも知れないが、以後、船木は田村を観ずに、受け身ではなく、能動的に、迷い無く、自分をさらけ出した。

昔の船木も、また、大切な試合によく負ける男であった。
しかし、それはまた、自己の能動性ゆえに、敗北を招く男でもあったのだ。

今回は打撃一本に覚悟を決めた事で、迷いが吹っ切れた感もあった。

まだまだ以前の自信は感じられないのも事実だ。
しかし、それでも船木は着実に「闘う気持ち」を取り戻しつつある。

自信がなくとも、怖いながらも、闘う覚悟を決める船木の悲壮感が、観れた事は、私にとつて大きな喜びである。

その悲壮感は、闘う覚悟よりも迷いと弱気だけが垣間見えたヒクソン戦、桜庭戦での船木からは感じる事の出来なかったオーラの片鱗を感じさせてくれた。

それは、まさしく同世代の人間たちに闘う勇気を与えてきた10年前の船木誠勝の片鱗であったと私は思う。

船木関連過去記事

異人伝/桜庭和志の七発のタックル/ナカハラの腰は本当に強いのか?

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posted by shingol at 03:54| 新・レッスルする世界

異人伝/桜庭和志の七発のタックル/ナカハラの腰は本当に強いのか?

桜庭と中原の試合について、私が残念なのは、桜庭がナカハラへの苦戦の原因が、ほぼ「腰が強い」で片付けられている事だ。

これは格闘技ファンの風潮でもあるが、テイクダウンを防げる選手は全て「腰が強い」の一言で片付けすぎているような気がしてならない。

実際に闘った桜庭の言葉から「腰が強い」という評価が出るのならまだしも、桜庭は現段階ではそういった事はコメントしていない。

私程度の低レベルの競技者の意見であるが、「ナカハラの腰は特別は強く無い」という印象を試合を見る限り感じた。

当然、極真空手という非常に競技としてのレベルの高い格闘技の王者であるだけに、その体力や気持ちの強さは並の格闘家よりも高いレベルにある事は間違いない。
その体と心の強さが、例え短期間であっても、桜庭への対応策としてタックル対策を練って来た成果を挙げ、レスラーやグラップラーと比べて、それほど強くは無い粘り腰をカバーし、被テイクダウン率の低さにつながったのだと私思っている。

まず最初のタックルであるローシングル。
背を向けて前に進んだナカハラはロープによって転倒を逃れる事が出来た。
その後、桜庭はローシングルによって捕まえたナカハラの踵を不安定のまま持たざるを得なくなり、総合格闘技では滅多に使わなかった「踵の持ち上げ」に行ってしまう。
しかし、レスリングの基本を忘れた桜庭は、ナカハラの踵を下から両手で持ち上げてしまい、当然のように相手に逃げられる事に成る。
「踵の持ち上げ」の際は、自分の片手を相手の首などに廻しておく事を忘れた、もしくはナカハラのパンチで廻せられなかったのかのどちらかであると考えられる。

差し合い(パメリング)の攻防では、桜庭は元々、不得手であり、そこから相手を転倒させる意思は無いと私は考えている。

二回目。
相手の間合いにやや遠い位地から仕掛ける。
バックステップされる。

三回目。
ナカハラのハイキックにバランスを崩し気味に、全く遠い位地から仕掛ける。
当然、簡単にバックステップされる。

四回目。
ナカハラのリズムの中でタイミングの合わないタックル。
バックステップされる。

特筆すべきはパックステップした後、相手に組み付かれても、すぐにナカハラが、桜庭の脇を差している事。

焦った桜庭が不慣れな投げを放とうとするが、脇をしっかりと差し、ナカハラはこらえている。

五回目。
バランスを崩され低い位地に追いやられた桜庭が、そのまま、今度は両足に入る。
ナカハラに粘り腰は無い。

しかし転倒後、ナカハラは上手くロープを利用して立ち上がる。

ここで六回目。桜庭はナカハラの片足膝裏を掴む。
しかしコーナーポスト際。
直前の攻防が尾を引き、桜庭の重心が高いまま片足を捕まえてしまっている事。
かつ、ナカハラが桜庭の脇を下から差している事。

この状態ではナカハラの腰が強い云々以前に、テイクダウンは非常に難しくなるはずである。

やむなく、桜庭は片足リフトを試みる。
(藤田がヒョードルを倒したボディスラムの原型技)

しかし、重心の高いままの桜庭はナカハラを持ち上げられない。

自分の頭をインサイドからアウトサイドに移行した桜庭は、自分の足を一歩引きながら、自分の重心を下げ、かつ、ナカハラのバランスを崩し、見事テイクダウンに成功する。

相手に脇を差され、自分の重心が高い位地のままから、見事にテイクダウンにつなげた桜庭の技術は私はもっと正当に評価されるべきだと思う。
おそらく総合であの体勢から相手を倒せる選手は数えるほどしかいないはずである。

最後のタックル。
再び両足を成功させる。

このようにナカハラは桜庭のタックルをこらえ切ったのは、実は一度も無い。
ナカハラがバックステップによって防いだタックルは全て、ナカハラの反応の良さ、適切な間合いの維持、それらによって誘発させた桜庭の焦りなどが全て合わさった要因としてのものである。

かつ、最初のタックル、及び五回目のタックル後のグランドからの脱出には上手くリングを利用する研究の後が見受けられた。

六回目の片足を粘ったのは、再度記すが、桜庭を高い重心に追いやり、かつ、桜庭の脇をしっかりと差していた事が原因である。

私は短期間で、これほどまでに、研究や努力の跡を見せたナカハラは立派だと思うし、元々のポテンシャルも相まって、もし今後、総合のリングで活躍するのなら、十分楽しみな存在であると思っている。

しかしナカハラの研究や努力が、たった一言、「腰が強い」だけで片付けられるなら、ナカハラの評価されるべき本質が見えなくなってしまうのではないかと思ってしまう。

かつ桜庭のタックルは、再三記して来た事だが、相手の腰の強さに関係なくテイクダウンを奪える技術である。
桜庭のタックルを防げるのは技術と反射神経でしかない。

つまりナカハラは、片足を掴まれた後の対処方法、リングの使い方、反射神経、それらによって「腰のバランスの良さ」を発揮し、桜庭を苦しめたのである。

なのに相も変わらず、桜庭からのテイクダウンを防ぐ選手を「腰が強い」で片付ける風潮は、かなり以前のガイ・メッツァー戦に対しても同様であったが、結局、格闘技メディアやファンの姿とは流行の技術だけを追い求め本質的なものは黎明期と何一つ変わっていないのではないかと私は危惧してしまう。

私的・プロレスラー桜庭和志/伝家の宝刀・ローシングルよ蘇れ!

平成にもあった闘うプロレス列伝3/リアルな最強集団ノア
平成にもあった闘うプロレス列伝1/鈴木健想
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
純プロレスの免罪符としての激しいプロレス
昭和のプロレスの緊張感と色気とは?
長州力の感情露出プロレスとは何か?/勘違いされている長州力
橋本真也の純プロレス的手法とは?2/アントニオ猪木の演出を引き継いだ男
猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました

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posted by shingol at 02:25| 新・レッスルする世界

2008年04月29日

船木が頑張ってくれますように

昨日は京阪の守口付近で会社の同僚の送別会。
少し甘口の中華料理は酒のアテとしては合わない。
全ての飲食は酒のアテでしかない私には残念な店。

もとより送別会、新忘年会以外は出来るだけ会社関係の飲み会には出ない。
定時を過ぎれば別の世界。
時間内は精一杯、同僚に愛想を振りまく。
しかし、後は、会社とは関係のない世界を生きていたい。

ゴールデンウィークも休み無し。

今日だけ半休。

タイムカードを押してブログ更新。

帰路、東梅田の旭屋書店。
情報を気にしつつ、情報洪水は嫌なので新刊本コーナーは避け、文庫本コーナーで難波利三を立ち読み。
ちらっと見る新刊本のコーナーは相変わらず成功哲学、ビジネス本の類いばかり。
そんな本のタイトルに多い横文字はあまり好きでない。
何より成功の最短距離を記したカンニングペーパーを読んで人生の成功者を目指す人たちと、身体にオイルを塗った秋山の違いを私は分からない。

死んだ親父に言わせると最も格好悪い事。
本に頭を支配された奴ら。

創造性等何処にあるのか?

自分の言葉が何より大切。
一杯読書して、一杯遊んで、人と真正面から触れ合い、あるいは距離感を保ち接し、何とかして、一杯、自分の言葉を作りたい。

電車にて「最後の函館奉行の日記」田口秀爾著作・新潮新書刊読む。

アボジとハラボジが残してくれた膨大な書物類、後2.3年で全て読破したい。

少し休んで、今日は池田まで走ろう。

「DREAM」船木誠勝が頑張ってくれますように。
願掛けて、今日は徹底的に走ってやるぞ。


posted by shingol at 15:38| 私の好きな有機的な世界

プロレス昭和異人伝/DREAM直前インスタント予想&雑記

珍しく当ブログでも試合直前のDREAMの結果予想を記してみたいと思います。

船木対田村に関しては、タックルで上になったままの田村の判定勝ち。
もしくはスタンドでのKO勝ちとなりそうです。

田村のタックルはかなり我流ながらも倒すまでは完成されているので、船木以外でも切ることの出来る選手はそうそうはいないはずです。
しかし、田村のタックルで問題なのは、タックルで転倒させた後の自分の頭の位置と身の置き方が、総合のみならずレスリングの基本にすらなっていないことです。
つまり転倒させた後の技術が田村にとってのミッシングリンクなのです。
それは転倒させた後の柔術的なパスガードという意味ではありません。
レスリングの基本が抜けているのです。
田村のタックルとは相手を転倒させた時点で終わってしまっています。
相手の身体がマットについてからの動作が失われているという意味です。

柔術を練習している金に対して田村がタックルで倒しながらも、攻めあぐねた原因は、柔術対策を怠ったというよりも、自身の元々のレスリング技術の欠落です。

以前も記しましたが、あの試合、レスリング的にはものすごくコントロールしやすいガードを金は取ってくれていました。

打倒極の三拍子が平均点以上でバランスよく構成されていると思えた田村ですが、それぞれの技術の狭間に基本的な技術の欠落を感じてしまうことが多いような気がします。

ミノワマン対金は、私はやはり同胞かつ同郷の金よりもプロレスファンとしてミノワマンを応援したいと思います。
金がミノワマンのタックルを切ってくれた時がミノワマンのチャンスだと思います。
タックルを切ってくれることによってミノワマンの潜在能力と技術が発揮されるかと思います。
なので、中途半端にミノワマンはタックルを成功させないでほしいものです。

後、私的には、圧倒的にイアン・マーフィーに注目しています。
マーフィは限りなく現役そのもののカレッジ・スタイルのトップレスラーです。
デビュー戦のマーフィに勝利は望んでいませんが、多分ですが、サイドまでは取れるのではないかと私は思っています。

金のガードを突破できなかった田村には、そういうマーフィの格闘技の基本技術を再確認してもらたいと思います。

田村は決して完成されたり、下り坂の選手ではありません。
実は今の技術を生かす為のポイントの技術が所々で抜け落ちている(新しい技術の習得という意味では有りません)逆に言えば、実に伸びしろの大きい選手だと思っています。

頑張ってほしいものです。

平成にもあった闘うプロレス列伝3/リアルな最強集団ノア

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posted by shingol at 12:16| 新・レッスルする世界

2008年04月28日

最高の格闘技映画「アンチェイン」をご存知ですか?

7、8年前に成るでしょうか?
梅田のLOFTの地下のテアトル梅田にて映画「アンチェイン」を見終わったときの衝撃と焦燥感は物凄いものがありました。

元ボクサー「アンチェイン梶」を中心に、キックボクシングのガルーダ・テツ、シュートボクシングの西林誠一郎、ボクシングの永石磨らの風変わりな絆と闘いの歴史を追いかけた大阪が舞台のドキュメント映画です。

闘いを生業とする格闘家のドキュメント映画という事ですが、TVの情熱大陸のような爽やかさ、ポジティヴさを期待しても、そういった性質のものは作品中に存在しません。

思うように行かない人生へ悪戦苦闘し、もがき、時に破滅へと向かう彼らの不器用な遍歴があまりにも胸に込み入る映画です。

私は、この映画は、何らかの形で格闘技に携わったり、あるいは仕事や趣味等で等身大の自分の弱さ、不器用さと振り向き合っているような人たちに観て頂きたいと思います。

きっと熱い共感を抱く事は間違いないと思います。
そして同時に、何一つ答えの無い映画でもあります。
答えの無い映画の中に強烈な余韻を感じる事だと思います。

もし、興味がある方は下のアマゾンのリンクから、黄色いデザインのジャケットの映画を探して下さい。黄色の意味は映画を見れば分かるはずです。

※同じ黄色いデザインのジャケットの「恋する惑星」と「嘘LIES」と御間違えのないように。

動画はアンチェインの音楽を担当したソウル・フラワー・ユニオンです。

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posted by shingol at 00:30| 新・レッスルする世界

2008年04月27日

アントニオ猪木が頑張るならファンとして頑張って燃え尽きたい

休日の今日の予定

朝・愛犬の散歩30分
休日の家の掃除60分
原稿作成60分
勉強45分・「痛快!新論語学」孔健著作・集英社インターナショナル刊
読書60分・「江戸の風呂」今野信雄著作・新潮選書刊
    ・「中世の罪と罰」綱野善彦/笠松宏至/石井進/勝俣鎭夫/共著・東京大学出版社刊

その合間、逃避するようにブログ記事作成

今からの予定、20キロランニング
その後サーキット5分×10
タックル打ち込み各100本×10

帰宅後、愛犬の散歩パート2の30分

就寝前の予定・原稿作成60分パート2

講座関係や練習環境の揃うジム設備へは受け身的になるので行かない。
勉強や練習については能動性を意識して独学のみ。
道場へはあくまでスパーリングと指導のみ。
独学の習得具合の確認方法については秘密。

休日なのでまだまし。
平日は仕事が入るので、原稿用紙に向かう二回のうち一回と大掃除はカット。
毎日四時二十分起き。

もっとクタクタになりたい。

そしてクタクタになりたく無いので、ミナミに行きたい。

それかサウナ「ニュージャパン」に行って癒されたい。

もしくは効くビタミン剤か精力剤を知りたい。

もしくは愛する女に膝枕されたい。

けれど心配するまでもなく力尽きたる者は地に廃す。
倒れるまでやり抜きたい。

糖尿病のアントニオ猪木の倦怠感はもっとひどい。
アントニオ猪木が頑張るなら、私もやれる。

それが猪木チルドレンの誇りだ。

猪木と出会えて本当に良かった。

ついでにアサヒ・スーパードライと出会えて本当に良かった。





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大阪観光案内所1/新梅田食道街

この世の中の桃源郷とヤクザたち

難波から新世界まで

前田日明と私の愛した「李白」の詩

民族って何やろか?

posted by shingol at 13:39| 私の好きな有機的な世界

私のブログについての考え

プロレスブログとしては恥ずかしながら記す事ですが、私のプログは実はプロレス以外の記事に対して評価を頂く事の方が多いようです。
それは実は私にとってプロレスや格闘技関係の記事が評価される事と同じくらい嬉しい事でもあります。
プロレスなど興味の無い人たちが、私のブログで、少しでもプロレスに興味を持って頂ける事ほど、プロレスファン冥利に尽きる事は無いからです。

例えば私の敬愛するプログK-1心中様を観る度、人生の楽しみを一杯知り伝えてくれながらも、格闘技に対しても愛で記事をしたためるweb新様の世界観を同じ格闘技ファンとして誇りに思います。

僭越ながら私のブログもプロレス村に対してだけ発信するブログではありません。
プロレス村以外の人たちにも、プロレスの素晴らしさを伝えたいと思い発信するブログです。

私の勝手な定義によるプロレス村とは、お洒落や、読書や、教養や、遊びや、そういうものに無頓着で、人生がプロレスだけで完結している人たちです。

昔のプロレス者は違いました。

多くのプロレス以外の人生の娯楽や遊びや教養を知り、それでもプロレスを愛した人たちによって成り立つジャンルでした。
(私に教養はありませんが)

私は、あの頃のプロレスを夢見ています。

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この世の中の桃源郷とヤクザたち

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長州軍団OBの行方/人生の成功者・新倉さん

極私的な話に成りますが、私の青春時代の夢はリキプロダクションすなわち長州軍団に入る事でした。
UWF勢と長州軍団が揃う新日本で、何故か、長州軍団はUWF相手に相手に純プロレスに終始しました。
私が忘れられないのは馳浩が山崎と闘った時の事です。
片足タックルで捉えた後、綺麗にかにばさみで返されました。
しかし見事なプロレス的な受け身の取り方から、馳がプロレス的な約束的な応酬の中でUWF勢の技に掛かっている事は明白でした。
しかし当時のファンは、とにかくUWF最強神話の信者ばかりでしたので、関節技を持たないアマチュアレスリング出身の選手等たいした事は無いというのが一般的な概念でした。
私は当時、何故、長州たちは本当の技術を発揮してUWFを痛めつけないのか、じれったい気持ちで一杯でした。

思えばリアルで能動的な主導権争いのプロレスにて、Uインター勢を撃退した90年代の長州軍団のプロレスが、凱旋したての馳のいる当時観られなかったのは残念でした。

私が今でも好きなのは永田と中西です。
リキプロダクションでなくとも、私の心の中の勝手な長州軍団だからです。

初期のリキプロは長州、斎藤、服部、馳、そして実績は劣りますが笹崎とアマチュアレスリング出身者の大派閥でした。
もし、その中に身を投じる事が出来たら、あまり好きではないハイスパートレスリングであっても、長州力の手先と成って動きまくってやると勝手な恥ずかしい妄想を抱いていました。

そんな私にとって、かつてジャパンプロレスにおいて長州軍団の一員として活躍された新倉 史祐さんが人生の成功者として活躍されている事は感慨深いものがあります。

私は大阪人ですのでお店にはいけませんが、東京の方は是非、新倉さんのお店を覗いて見て下さい。

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posted by shingol at 12:14| 新・レッスルする世界

平成にもあった闘うプロレス列伝3/リアルな最強集団ノア

かつて、70年代から80年代の米マットで隆盛を誇ったAWAは何気に五輪のアスリートのスカウトに躍起になっていたものだ。
レスリングのクリス・テイラー、アイアン・シーク、ブラッド・レイガンス、重量挙げのケン・パテラ、そしてマサ斎藤、当時のアメリカマットではあそこまで他のアマチュアでの実績を持つ選手たちが揃うテリトリーは存在していなかった。
ボスのバーン・ガニアからしてトップのアマチュアレスラー出身でもあったのだが、AWAの試合は今に成って動画サイト等で見る限り、例えば同じ年代のフロリダ・マット等と比べても、比較的、能動的に主導権争いを展開する事の少ない純プロレスの要素の強い普通のアメリカンプロレスの印象でもあった。(純プロレスとしての各々の選手は独特の個性の集う集団であったが)

では取り立てて、遂行すべきプロレススタイルにさほど必要の無い技術と実績を持つアマチュア五輪者を何故、あれほどまでに多く揃えていたのであろうか?
プロレスとしての強さのイメージに箔を付ける為と言えばそれまでの事だ。

私は更に気になる事がある。
コーチに携わっていたのがビル・ロビンソンであったことである。
かつてリック・フレアーは、ロビンソンの厳しい指導に何度かキャンプから逃げ出した事を著書で告白している。
またプロレスラーとしてのロビンソンが試合中、リアルな行為に走る米マットにおける悪い評判を持つレスラーである事も同じく著書の中で記している。

アメリカで、純プロレスの完全な遂行者・模範者としての評価とは、真逆の評価を持つロビンソンを、純プロレスを遂行すべき集団がコーチに雇っていた事は、すなわちAWAマット界の基本的な姿勢とは、例え純プロレスを遂行していようがプロレスラーは強く無ければ行けないという事を示唆しているのではないかと私は思う。

リアルに強いプロレスラーのタイプには二つのタイプが存在している。
リアルに強いがプロレスに対しては滅多にリアルさを発揮する事無く黙々と純プロレスを遂行するタイプ。
そしてリアルな強さを押し出して能動的な主導権争いを展開する事を好むタイプである。

前者においてAWAは長くアメリカマットで独立した隆盛を獲得したのだ。
AWAと同じく、新日本プロレスも前者の方法で90年代圧倒的な最強神話を創り上げた。
長州、武藤、馳から若手の小原・石沢・永田に至るまでリアルな猛者ぞろいの集団であり、かつ、若手全選手に初めて能動的なスパーリングの遂行を練習で義務づけた初めてのプロレス団体でもあった。
(馳コーチのもと時間内に攻め続けなければいけないスパーリングと、昭和のただ先輩相手に関節を決められまくるスパーリングとは全く能動性・リアルな闘争心獲得・肉体の消費量において全くレベルの異なる質のものである)

では、前者タイプを引き継ぐ現在のプロレス界の団体とはどこであろうと考えるまでもなく、ノアの名前が浮かぶはずである。
プロレス団体史上、あそこまでアマチュア出身の実績を持つ選手たちが何気に集う団体は無い。
五輪の常連、全日本王者、大学選手権二位、西日本学生王者、国体王者、自衛隊、トップから若手に至るまで蒼々たるアマチュア出身者たちを揃えた集団である。

しかも大相撲で名を馳せたものが二人も存在している事も大きい。

ノアについても基本的なプロレスについての考え方はAWAや90年代の新日本と同じではないかというのが私の考えである。

(ただし実際の練習において、強さと直結する練習をしているのかという点では、AWA、新日本とやや異なるとは思うが)

私は、ノアがリアルな強さとは全く関係のない純プロレスに特化した団体ならば、もっと、肉体を鍛錬したプロレスファン出身者たちが、多くいてもおかしくはないと思う。
そのほうが効率的な純プロレスを展開出来るからだ。

しかしリング場で展開する純プロレスとは関係のないアマチュアレスリング出身者たちが、あそこまで集う事は、ノアも又、最低限、プロレスラーは強く無ければいけないという基本姿勢を貫き、そして、リアルな強者たちが純プロレスを遂行するという、プロレスの基本的な姿勢を全うしているのである。

純プロレスを遂行し続けた90年代の新日本も、AWAも、そしてWWEにしろ、もちろんノアも、トップから若手に至るまでアマチュアの実績があろうが無かろうが、本物のアスリートとしてのリアリティをベースの時点で醸し出しながら、リング上では純プロレスを展開し、隆盛を誇って来た事は以外と気づかれていないマット界の盲点である。

リアルに強い男たちが、リアルな主導権争いのプロレスを展開しようが、純プロレスに専念しようが、いずれにしてもプロレスラーはまず基本的にリアルに強いという事が大切なのである。

しかし、今のプロレス界はあまりにも特化しすぎた純プロレスの約束事の技術を効率的に身につける為に、強さのベースを省いてしまっている団体が殆どであると私は思う。

昔から、プロレスファンとはプロレスラーよりもプロレス頭が冴えているのは当たり前の事である。
自分たちと同じプロレスファンが喜ぶ試合展開等、プロレスラーよりも思いつきやすいのは当然である。
しかし、今のプロレス界は、そういうプロレスファン出身のプロレスラーによるプロレス頭が蔓延している世界である。

そういう中で、ノアという本当の強さを持った集団が行なう純プロレスの世界は、プロレスファン出身者たちの強さとは無縁のプロレス頭でつくりだす純プロレスとは、レベルが全く異なるのは当然の事である。

そういうノア勢が純プロレスではなく、リアルで能動的な主導権争いにも似た試合を見せてくれた事もある。

言うまでもなく、三沢・力皇対小川・村上戦である。
その試合前、橋本と闘った三沢は、同じプロレスラーである橋本相手に純プロレスの名の下に己の肉体を預けすぎ、橋本に強さのイメージを奪い取られてしまった。
リアルに重く痛い攻撃を繰り出すといってもプロレス的様式を守る技を放つ橋本に対しては、純プロレスの体裁を守ってしまったのである。
しかし、小川は、三沢や力皇にとっては、己の肉体を預けるにはいささか信用出来ない相手でもあった。
結果、試合は、リアルで能動的な主導権争いを持ったプロレスが成立したのである。

国体王者三沢が、柔道家小川のタックルを、当たり前のようにリアルに切り、そして力皇が差しまくり、突っ張り、小川や村をコーナーに追いつめた。

リアルな攻防の果てに、どうにか結末はしっかりとプロレスとして成立した。

平成で観られた「リアルで能動的な主導権争いのプロレス」でもあった。

実は、この頃、杉浦貴もそういうプロレスを行なった。
アレクサンダー大塚との試合で、リアルなグレコの戦法で試合中圧倒的にコントロールした試合だ。
完全なリアルファイトで名を馳せた大塚の技を例えプロレス的にでも受けてしまえば、強さのイメージは保たれない。
リアルファイターの大塚を、プロレスラーの杉浦が、リアルに圧倒したのである。

そういう強さに対応出来るリアルな技術を持ちながらも、ノアは又、基本的な強さを持たないプロレスラー達に対しての偏見も無い。
ノアにふさわしい試合が出来ればインディーの選手にも門出は開放している。

分け隔てない他者との関わりは、自己に揺らぐ事の無い自信を持つが故でもあるのだろう。
それがプロレス界の良心として馬場的遺伝子を引き継ぐノアの素晴らしい点だ。

しかし私はかつての新日本の振りまく偏見や毒性によってプロレスに夢中になった人間である。
残念なのは、新日本までが、ノアのような良心を得てしまった事だ。

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2008年04月26日

愛する犬

私はゴールデン・レトリーバーを飼っています。
中学生の頃から飼っていた犬は、ヨークシャーテリアでしたが、実に16年側にいてくれました。
しかし当時は予防接種等をかなりいい加減にしていた為か、死ぬ一年前から心臓が弱りだし、以降は、一年間、発作が続く毎日でした。

辛いのは夜間の発作です。
軽い発作なら、抱いて散歩に出かけ、治まるのを待ち、大きな発作の場合は、当時は、夜間の救急動物病院等無かったので、電話で獣医さんを起こして無理を言って診察してもらっていました。
ある晩、大きな発作で苦しむ愛犬を側で見守りながら、心の中で、このまま死んだら愛する犬も楽になるだろうと思った自分がいました。

病院に行き、先生に「安楽死」という選択肢は正しいのか?と尋ねました。
幸いな事に、その先生は、せっかくの一生を貫いてあげようとおっしゃって下さったので、私の気持ちも楽になれました。

以後、死ぬまでの一年間、犬の介護?中心の生活が続きました。
仕事に行く時は毎日、断腸の思いでした。
まさか職場に「犬が体調悪いので遅れて出勤します」とは言えません。
仕事を終えて家に帰る度、何とか犬が室内をおぼつかない足取りで歩いているのを見るとホッとしました。

一年後、食べ物を口にしなくなり、次第にやせ細っていきました。
しかし、食べ物を口にしなくなってから数日後、発作が治まりました。
先生曰く、食べない事で心臓の負担が軽減されていたとの事でしたが。

発作が治まって二日後、穏やかに、愛犬は息を引き取りました。

診療費は馬鹿になりませんでした。
今の犬は、しっかりと動物保険に加入しています。

しかし毎年春の狂犬病、フィラリア予防、三種ワクチンの予防三本立ての時期は、保険も利きませんので、きついものですね。

私はペットショップの犬を見るだけで、涙が出そうになるくらいの犬バカです。

最近は商業主義まるだしの雑なペットショップも多く見かけるようになりました。

一匹でも多くの犬たちが、この世に生を受けた幸せのもと、一生を過ごしてほしいものです。

もっとも、何が犬にとって大切なのかなど、人間が決められる事ではありません。
しかし幸いな事に、犬は笑います。
同時に、人間を困らせないように苦しい顔を見せない事もあるのです。

所詮、犬の飼い方等飼い主の勝手な世界でしょうが、犬の言葉に成らない言葉を少しでも聞き取れるような姿勢で今の犬も愛し続けていければと思っています。

愛犬です(後ろは姪です)

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posted by shingol at 22:46| 私の好きな有機的な世界

お詫び

本日4月26日エントリーしました「前田日明と私の愛した李白の詩」という記事を、誤って、スポーツナビへのトラックバックを設定したままアップしてしました。
慌てて、その記事URLを削除し、新しい記事URLで再アップしなおしましたが、どういうわけか削除したはずの記事URLが生きており、スポーツナビからのリンクが出来る状態のままとなっています。

しかし、削除しているはずの、存在していない記事URLが何故表示されるのか、あまりパソコンは詳しくありませんので分かりません。
ネット上に、キャッシュが残っていたとしても、リンクからの表示は可能なのでしょうか?
以前も、同様の事があり、スポナビにトラックバック後すぐに削除したのですが、その際はスポーツナビからリンクしても、ページは存在していないので、当然、表示される事は無かったのですが。

いづれにしても、本日、格闘技やプロレスと関係のない記事をスポーツナビにリンクしつづけている状態となっており、大変、申し訳ありません。

さて明日は真面目に?ブロレスや格闘技の記事を書きますので、よろしく御願いいたします。
posted by shingol at 20:49| 管理人より

前田日明と私の愛した「李白」の詩

月下独酌  李白

花間 一壷の酒
独酌 相親しむ無し
杯を挙げて 明月を邀むかえ
影に対して 三人を成す
月既に 飲を解せず
影徒に 我が身に随う
暫く月と影を伴うて
行楽 須すべからく春に及ぶべし
我歌えば 月 徘徊し
我舞えば 影 零乱
醒時 同じく交歓し
酔後 各 分散す
永く無情の遊を結び
相期して 雲漢はるかなり


(異人伝流訳)

一人で呑んでるよ。
瓶ビールの手酌酒は淋しいので缶ビールにした。
側にいるのは、お月さんと、俺の影だけ。
そやから一応、三人で呑んでんねん。

けど月は下戸なんで付き合ってもらってるだけ。
影は俺の真似するだけ。
春の間くらい、仕事と思って、黙って側にいてな。

俺が唄ったら、月が手拍子とかけ声をしてくれる。
俺が踊ると、影も一緒に踊ってくれる。

仕事のうちは、月も、影も、俺の相手をしてくれた。
けど、いささか月と影に酒を呑まし過ぎたかな。

仕事を忘れた月と影は自我を出して来て、
結局は三人とも、相容れない。
そうなると、皆んなバラバラに、去ってしまうだけやねんなぁ。

酔いすぎない時は、
月を美しいと思える、そんな、たった一つの共通項だけで、
孤独から解放されて、皆んなと一緒に成れた。

けど酔いすぎれば、
月を美しいと思える気持ちだけでは我慢出来なくて、
月ではなくて、貴方の中に自分の心を映し出そうとしてしまう。

だからホロ酔いが結局はいいんちゃうかな?
今度も、そんな時、逢おうね。
天の川で。


昭和プロレス者/3・世界一平和を願う男・前田日明の行く末
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posted by shingol at 19:20| 新・レッスルする世界

5月18日(日)は大阪・りんくう公園に向かえ!

20080425.jpg

当ブログを応援してくださるK井様のアニキこと、DJA-1が主催する祭り(フリーライブ)が5月18日(日)にりんくう公園で行われます。

OPEN 12:00〜17:00

入場無料!

出演



韻踏合組合
韻シスト
ASTREET
COE LA CANTH
ZIOPS
アラデジャムスタ
BOM GROW
INSIDE WORKERS
ALL THAT'S
アストニッシュ
パイナップーキラー

電車
南海空港線「りんくうタウン駅」から北西へ300m
JR関西空港線「りんくうタウン駅」から北西へ300m


府道63号 泉佐野岩出線「臨海南4号」交差点を北西進、すぐに駐車場着
りんくう駅前南」交差点を北西進、すぐに駐車場着

私も行きたかったのですが、当日、研修の為、泣く泣く断念いたしました…。
皆さんは是非、駆けつけてください!
posted by shingol at 17:13| 私の好きな有機的な世界

格闘技をやる上でストレスは必要か?

K-1心中様の記事を読んで市原の事を思い出しました。
K-1心中様でも記述されている通り、総合格闘技の基礎技術さえ伝播されていなかった当時、相手に髪の毛を掴まれてはいけないと頭を丸めてまで初期UFCに出場した市原の後だとジャンケンとは無縁の覚悟は、今では女子でも参加する総合格闘技の良い意味でのスポーツ感覚さとは異なります。

私が低いレベルながらも、長く格闘技に携わっていた中で、気づいた事があります。
皆、格闘技が好きなオーラが発散されている事です。
私たちの世代は、というよりも、私の場合は、自分で選択して始めながら、やっていて、嫌で嫌で仕方ありませんでした。

技術の反復練習等、私にとっては試験前の勉強と同じくらいストレスでありましたが、最近の若者は、意気揚々とTVで憧れのスター選手の技術を真似、反復し、身につけているケースが多いようです。

リングス世代というのがあるようで、プロレスや格闘技に関係なく、WOWWOWでのいちソフトとしての「リングス」に夢中になり、オタク根性で、選手たちの技術を真似し反復し身につけていた人たちは多いものです。

リングスのあの空間は「格闘展示会」とも言うべき、各格闘技の個性のぶつかり合いの場として、意外と一見さんにも入ってきやすい要素が一杯あったと思います。

地味な練習については、仕方なく嫌々反復しようが、意気揚々と練習しようが、技の反復の部分については結局は同じ熱量です。

なら私も、あまり気負わず、軽い気持ちで、例え淡々とでも、新しい技を覚えようと思った事もあります。
実はその方が効率的に身につけられるのです。

しかし一つだけ記したいのは、ストレスなき明るさで、技術を身につけ、成功を手にした人たちと、市原の顔は明らかに異なります。

私が最近の後輩たちを見て心配なのは、「楽しさ信仰」の下、ストレスと振り向き合う事を忘れている事です。

例えば桜庭和志は明るい表情をしていますが、どれだけ桜庭がストレスと振り向き合い、その結果、明るさを大切だと感じた気づきの部分には誰も気づかず、最短距離のカンニングペーパーとも言うべき成功哲学に夢中なようです。

流行の若手実業家たちと同じ表情で成功したかったら、それも可でしょう。

しかし、市原、桜庭、タイプは違えど、そういう味わい深い男の表情を目指すなら、思い切って、あらゆる反ストレス信仰を断ち切って、時間内の覚悟を決める事です。

大切なのは努力すべき時は、あらゆるストレスと振り向き合う覚悟で、かつ、その後で、自分の努力を癒す場を見つける事です。

努力すべき場所に、楽しさの工夫を見つける必要はありません。
それは桜庭のように、さんざんストレスを背負って自分の土台を気づいた選手たちのやる事です。

男には結局アドレナリンが必要なのです。
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posted by shingol at 04:41| 私の好きな有機的な世界

2008年04月25日

再びイ・サンウン

前回好評であったイ・サンウン、後のリーチェです。

前回のイ・サンウン後のリーチェでの記事を御読み頂ければ幸いです。
今回は最後に新しい動画を挿入しています。







posted by shingol at 19:23| 私の好きな有機的な世界

ブリスコ対ロビンソン、プロレスのルーツとは?パンクラチオンか、キャッチか?

プロレスとは、よく誤解される事であるが、古代パンクラチオンを源流にしているものでは無い。
プロレスとは欧州でのグレコローマンスタイルの商業スタイルの発展系、あるいはアメリカでのフリースタイルの同じく商業スタイルの発展系でしかないである。

実はその辺りに、古代パンクラチオンが突如として現代に蘇った総合格闘技と、所詮、レスリング競技のディフォルメした商業スタイルであるプロレスとが、相容れない理由があるのだと私は思う。

1960年代、あるいは1970年代のプロレスとは、特にアメリカにおいて、アマチュアレスリングのフリースタイルの技術のディフォルメそのものの世界であった。
現に、今でさえ、純プロレスの基本的なムーブは、フリースタイルレスリングの技術を極端に、誰しも使いやすく、かつ、観ている者に分かりやすく、ディフォルメしたものである。

私が驚愕するのがジャック・ブリスコである。
ブリスコ全盛当時のアメリカは、さして五輪には興味の持たない、カレッジルールでの最高峰だとの誉れのみを目指して、誰しもが、しのぎを削った、世界とは異質のレスリング大国であった。
そのブリスコは文字通り、アメリカのレスリングの最高峰の承認を得たトップ・アスリートでもあった。

東京、そしてメキシコと、五輪二連覇を果たした上武(小幡)選手は、留学先のアメリカのオクラホマ州立大学で観たプリスコの印象をこう語った。
「重量級でありながら、あまりの軽量級の選手のスピードに驚いた」と。

そのブリスコが商業レスリングであるプロレスにおいてトップに立ちながら、ブリスコと対する多くの選手たちは、実はブリスコの隠れた力の前にひれ伏していた訳ではなかった。

肝心な事であるが、当時のプロレスラーとは、プロレスファンあるいはボディ・ビルダー出身だらけの現在のアメリカのプロレスラーたちでは無かったのである。

当時アメリカのプロレスラーたちの半数を占めたアマチュア・レスリング出身者の試合中の力試しを、ブリスコはことごとく退け、そして予定通りに結末を守って来た。

結末において自分にプロモーターが与えてくれた役割を遂行するだけでなく、試合中においても、腕自慢の相手の挑戦を退けて来たのである。

ビル・ロピンソンが、シュートでブリスコに負けたとの噂があった。
ロビンソンは、ブリスコとシュートに成った事等無いと主張した。
おそらくロビンソンの主張は正しいのであろう。
少なくとも1960年代、70年代のアメリカマット界においては、シュートになろうがなかろうが試合中のリアルで能動的な主導権争いは日常茶飯事であったのであろう。
これは仕事、これはシュートというような分け方のロビンソンの発想とは別の所で、おそらくブリスコは日々、身体を張って来たのだと私は思う。

私の主観であるが、もしロビンソンがブリスコにリアルに挑んだとしたら、大人と子供の差があると思っている。
ロビンソンを貶しているのでは無い。
全てのフォークスタイル=キャッチ・レスリングの技術がアメリカに渡り、イギリスにはキャッチの決めの部分しか残らなかったイギリスで、キャッチを学んだロビンソンと、イギリスとは比較に成らないレスリングの技術を持つアメリカの王者ブリスコとは、あまりにもレベルが違いすぎるのである。

もし、ブリスコのレスリング技術と、そしてロビンソンのレスリングからの決めが、合わされば、誰が太刀打ち出来るのであろうと。

何度も記して来たが、フリースタイルの源フォークスタイル=カレッジスタイルとは、イギリスのキャッチの関節技を取り除いてアメリカに輸入された技術である。

イギリスから離れた事によって、フォークスタイルはアメリカで飛躍的な発展を遂げた。
しかし関節技を取り除いての発展である。

ブリスコとロビンソンの遭遇が事実なら、イギリスからアメリカにレスリングが移りいく果てに失ったミッシング・リンク(失われた輪)が、そこに存在している闘いが実現していた事に成る。

その失われた輪とは、ゴッチさんがUWFの弟子たちに教えながらも途中で抜けている技術と同じ類いのものである。

プロレスはパンクラチオンとは別物である。
しかしパンクラチオンにも勝るとも劣らない技術体系を持つ古典的スポーツでもある。

総合格闘技のシーンで、だからこそ、キャッチレスラー、すなわちフォークスタイルの後継者が勝たなくては成らないのだ。

武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
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posted by shingol at 18:54| 新・レッスルする世界

男には結局アドレナリンが必要なのです。

私の記憶のうろ覚えの世界でしかありませんが、確か、赤ちゃんはお母さんのお腹から出て来るとき、アドレナリンのホルモンを出しながら、窒息を免れているというような記述をある本で読みました。

それが事実なら、人間は、この世に生まれた時から、闘っているのです。

私も子供の自分より、柔道、そしてレスリングに取り組む中で、自分の分泌する激しいアドレナリンによるストレスに、自分自身で苦しみ、そして、様々な文献に救いを求めました。

行き着く所、かつて武士たちの心の拠り所であった禅の教え、そして、禅の教えをベースとして欧米で発達したスポーツ心理学に救いを求めるしか無い時期もありました。

もちろんスポーツ心理学を通じて学んだ事は私の財産でもあります。
元々、仕事柄、必要な知識と似ていた事で、今は仕事の場でもその時学び実践した知識は役立っています。

しかし、それでも私は思います。

いたずらなプラス思想、ストレス排除主義、あるがまま思想、そのままで100点満点、巷に氾濫する癒し本、成功哲学、それらの俗にいう自然体のポジティヴ思想、あるいはカンニングペーパー本と接するうちに、どこか違和感を覚えてしまうのです。

赤ん坊だって、アドレナリンを出すのです。

限られた時間に、何かの力を発揮する時は、必ずしもアドレナリン、ノルアドレナリンは毒性ホルモンではありません。

ドーパミン、ベータエンドルフィン、それらの快楽系のホルモンも必要ですが、闘うときにまで、それらを意識しない事です。

人間は皆、闘わなければ行けない時があるのです。
しかし肝心な事は、闘った後の結果を絶対に考えない事。
何も考えず時間内のベストを尽くす事。

時間が決まっているなら、ストレス等気にせず、安心して、アドレナリンを放出すべきです。

限られた人生、迷う事無く、ストレスの中に身を置く時間は絶対に必要だと私は思います。

高校時代、溢れ出るアドレナリンを、毎夜、尾崎の曲で私は癒していました。

私が高校時代の尾崎は本当に力強かったのです。

何の受け身的な快楽ホルモン(はっきりいってドラッグでは無いという事です)にも頼らず、傷つく事を恐れず、前のめりに倒れ込むような闘う姿勢の末に、いつもどこか暖かく優しい曲を創り上げてくれていたものです。

今の世代は尾崎の事を精神病扱いしますが、それはアルバム4作目以降の尾崎でしかありません。
それまでの尾崎は、誰よりも強く、暖かく、優しく、人生に対峙していこうとする力強さを感じさせてくれました。

私はチキンな心を、いつもアントニオ猪木や尾崎豊の強く暖かいメッセージによって奮い立たせていた人間です。
試合前、何回も尾崎の「存在」(4つ目の動画です)を聞き、恐怖を克服し、そして勇気を奮い立たせ、タックルに入っていました。

今のプロレスラーで、最大公約数の若者にそのような力を与える存在は、新日派の私からすれば残念なのですが、小橋くらいしかいないのではないのでしょうか?










posted by shingol at 16:53| 私の好きな有機的な世界

2008年04月24日

プロレスは果たして毎日「燃え尽きなければいけない」ジャンルなのか?

私が驚くプロレスファンの認識の一つに、レスラーは受け身を取っているのだから云々という話があります。
受け身を取っているから実際は危険でないというという信じられないような認識を持つファンが、まだまだ多いようです。

あくまで受け身というのは、危険回避の為のやむを得ない場合に取る技術や手段であって、受け身自体、物凄いダメージを伴う作業である事を、もっと認識してほしいと私は思います。

受け身の必要性はあくまで怪我の防止であり、怪我の防止の為に、連日、受け身によってレスラーたちは日々、肉体にダメージを蓄積し、そして、脳を揺らしているのです。

高度な技に対しては、高度な受け身が必要になって来ます。

しかし、何故それほどまでに高度な技が、そして高度な受け身が、必要なのでしょう?

私の勝手な基準ですが、かつてのハーリー・レイスの売り物であったトップロープからのデッドリードライブに対しての受け身以上に難易度やダメージの深い受け身等、果たしてプロレス界に必要なのでしょうか?

かつて、古舘伊知郎は橋本真也の死に対して、プロレス界の危険な風潮を嘆くコメントを発しました。
橋本の死因自体が、そういう危険なプロレスによるものではなかったため、古舘伊知郎のコメントに的外れのような印象を感じたファンも多かったと思います。
しかし古舘伊知郎にしてみれば、レスラーの死=危険なプロレスに結びつくほど、ここ十数年のプロレス界の常軌を逸した「危険なプロレス信仰」に何らかの危惧を持っていた事は確かでしょう。
かつて昭和の新日本を「過激なプロレス」と名付けた古館伊知郎だからこそ、「過激なプロレス」とは実は、激しさや危険な技に頼らないでリアリティを構成する職人たちによるものだという事は潜在的に、今のプロレスと比べて分かっているのでしょう。

ジャンルとしてのエスカレートに対しての自制作用を、かつてのプロレス界は頑に守っていたような気がします。
しかし、90年代、死をも恐れぬ女子プロレスラーたちの出現によって、一気にジャンルとしての自制作用は消え去りました。

ジャンルとしての未来よりも、刹那的な自分たちのエゴが上回ってしまったのです。

私はアントニオ猪木が90年代に開いたイベント「突然卍固め」に足を運びました。
猪木による猪木の為のイベントに対して、メーン以外のカードに出場する多くのレスラーたちは、前座としての役割を全うし続けました。
観客を暖める事のみに終始し、決して観客を熱くさせないように、意識しながら淡々と好試合を展開していたように思います。

しかし前座で一試合組まれた女子プロレスのカードだけは違いました。
自分たちの求められた役割以上の物を出そうと、過剰に、観客を熱くさせる死闘を繰り広げました。

しかし私の考えでは、メーンを食う熱戦を、その場で、女子プロレスラーたちが行なう必要はあったのだろうかと思います。

私はそれらの行為の全てが刹那的でエゴな姿勢としか感じられませんでした。

しかも女子プロレスのこれでもかの危険な大技ラッシュに鑑賞者としての体力を使い果たした観客は、メーンに向けて気持ちを暖めるどころか、食傷気味になってしまった感もありました。

一つ一つの試合で燃え尽きる事は大切な事だと思います。
しかし、プロレスは、また、燃え尽きるような試合を常時見せるようなジャンルでもないのです。

プロレスに必要なのは毎試合のベストであって、決してバーニングアウトではないのです。

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posted by shingol at 07:55| 新・レッスルする世界

2008年04月23日

ネルの初ゴールデン

当ブログがささやかながら応援させてもらっているネルが、とうとうゴールデンの歌番組に進出したとの事です。
これをきっかけに、どんどんステップアップしていってほしいものです。

posted by shingol at 20:52| 私の好きな有機的な世界