2008年04月16日

橋本真也の純プロレス的手法とは?2/アントニオ猪木の演出を引き継いだ男

橋本真也の純プロレス的の特性とは何か?
その事を記す前に、まず橋本のルックス及び体型について記しておきたい。

よく勘違いしたプロレスファンが、例えば、棚橋がプロレスブーム時にいれば物凄いスターに成っていたという意見を耳にする事が多い。

棚橋はプロレス界では「イケメン」でも世間では「イケメン」では無い。
その事に気づいていないファンが多い事は、私としては意外である。
棚橋は世間の流行の半歩後ろを歩くプロレス界の「イケメンギミック」でしか無い。
というよりもスポーツクラブに行けば棚橋くらいのそこそこのマッチョで、そこそこのマッチョファッションの人間は五万といる。
かつ、残念な事に、世間ではジム的なマッチョもまた人気がないという事だ。

そんな棚橋がプロレスブーム時、もしくはゴールデンタイム時に登場したとしても、世間を振り向かせる事等出来はしないはずである。

世間が振り向くのは、アントニオ猪木、長州力、前田日明、世間には存在しないプロレス界の異人達に対してなのである。

そういう意味で、重量感溢れる体型に黒いパンタロンを履いた橋本の容姿は、世間の何処にも存在していない異系のオーラが溢れる姿であった。

橋本真也の純プロレス特性とは、アントニオ猪木の純プロレス的自己演出そのものを継承している事である。

もちろん、猪木の純プロレスに、プロレス的な上手さは無い。

アントニオ猪木のリングの上での観客の惹き付け方とは、純プロレス的な技量とは全く別のものであるからだ。

橋本真也の猪木的特性の最たるものは「感情の溜め」である。
よくプロレスとは感情のぶつけあいだという意見が在る。
そういう意味では、佐々木健介対小橋のチョップ合戦等に勝る試合は無い。

私は小橋は好きなレスラーであるので、小橋に対しては、何も否定する気はない。
ただ記したいのは、皆、小橋や佐々木的な感情の露出法が、リアルでないプロレスの免罪符として利用している事についてである。

例えば、皆さんに聞きたい。
会社で働く同僚や部下、あるいは上司に、いつでも感情を満点に露出させる人がいたとする。
そういう人に気を使うだろうか?
もちろん、気難しい人として気を使う意識は在っても、皆さんの根底の意識の中では、そういう人は実は人間として見限っている事が多いはずである。
簡単に怒る人=簡単に感情を露出させる人には人間は慣れるものである。

今のプロレスは感情を露出させようとする余り、感情のストリッパーに成り、結果、色気と恐怖を無くしているのである。

本当に怖いのは、何か、不満を持っていると漂わせながらも、かつ、いたずらに感情を露出させない同僚、部下、上司であるはずである。

まさしく橋本の真骨頂は、怒りを簡単に露出させない事、そして、かつ、怒りを溜めている事を示していた事である。
その事はUWF、リングス時代よりももっとも前田日明が魅力的であった新日本参戦時と同じ類いのものだ。

重量級の橋本が、例えば佐々木健介や金本のようにいたずらに簡単に感情を露出させ、重爆キックを我慢比べ大会のように繰り出していれば、橋本の魅力は半減していてたであろう。

橋本の魅力とは、攻められている間も、攻め手側に観客の意識が向かない事であった。
橋本がいつ感情を露出させるか、すなわち怒りを示すかにしか、興味が向かないような、感情の溜め方をしていた事である。
すなわち、いくら橋本が攻めれていても、観客は、橋本がいつ怒るか?いつ感情を露出させるかしか興味が無いので、橋本の「感情の溜め」に付き合わざるを得ない。

何故なら、橋本には、プロレスの怒りの表現としての最大の技である重爆キックがあったからである。

橋本が重爆キックに行く前の「感情の為め」の表現は最高である。
ゆっくりと間を取って、静かに、全身に力を入れる。
そこに、それまで耐えていた感情を溜めて行く。
その感情の「溜め」の信号に、観客の視線は一点に集まる。
その一点に集まる信号には何より、それまでの「感情の溜め」が必要であるのに、今のプロレスラーはそんな時間を作る事等まず無い。
そんな時間よりも感情のストリッパーと成って観客を沸かす事の方が先決であるからだ。

そういう佐々木的な感情の露出に支配された平成プロレスであるが、いたずらに感情を露出させない事はプロレスの原点でもある。
何故、こうもプロレス界は感情的である事を最優先し、感情のストリッパーだらけの世界と成ってしまったのであろうか?

そんな橋本も、他団体の相手には、感情の露出を維持する事を止め、最初から徹底して叩き潰す事に拘った。
それはそれで私は橋本の強さのイメージを維持する為に良かったとは思う。

それはアントニオ猪木が実践して来た、相手を「溜めながら」持ち上げても良いプロレスと、「溜めずに」持ち上げては行けないプロレスとの区分けを実践している証明でもあるからだ。

だからこそ橋本がUインターとの対抗戦で、中野のジャーマンを受けた事に対して怒った猪木の気持ちはよく分かる。

橋本の猪木的演出のもう一つは攻守交代のスイッチの絶妙のタイミングと場所の選択である。

コーナーポストとリング中央を攻守交代のスイッチに使う選手は多い。
しかしリングという日常以外の非日常の空間とは、実はエプロンサイドにしかないのである。
アントニオ猪木は実にエプロンサイドでの攻防を、プロレスの試合の攻守交代のスイッチに利用したレスラーであった。

エプロンサイドは、リングと同じ高さ=視覚的にはリングと変わらない見やすさを提供する場所ながら、リング内とは異なり、非日常の場所を提供する場所でもある。

いたずら場外乱闘を繰り返し、試合の非日常を見せつけるプロレスラーだらけの中で、橋本はしっかりとエプロンサイドの攻防に拘りもした。

私が驚いたのは小川との闘いである。

花道と合体したエプロンサイドを使って、橋本が小川に水面蹴りを見舞った。

東京ドームでのプロレスの中で、あれほど、攻守交代のスイッチに、観客が沸いた試合は私は見た事は無い。

そういう風にアントニオ猪木の純プロレス的な演出を自然と踏襲していた橋本であるが、私は残念な事が在る。

おそらく橋本はプロレスブーム以後の猪木を見て影響を受けた事であろう事だ。

橋本が、もし、アントニオ猪木のプロレスブーム前の試合をも見ていたならば、間違っても、小川の攻撃をセメントだ等と勘違いせず、アントニオ猪木のリアルで能動的な主導権争いのプロレスをも、踏襲してくれていた事であろう。

それでも私の意見では、90年代たとえプロレス村化した最中であっても、三銃士中心のプロレスがあれほどのジャンル内とはいえ活況を呈した事は、忠実に三銃士が猪木の純プロレスを引き継いだからだとは思っている。

その上で、もし橋本が猪木の純プロレス以外の部分を引き継いでいてくれたならば、ひょっとして総合格闘技とプロレスはこれほどまでに立場は逆転しなかったのではないかと私は思っている。

猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
昭和プロレス者/3・世界一平和を願う男・前田日明の行く末
昭和プロレス者/4・長州力という情動によるリアル猪木ゲノム
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました

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2008年04月15日

志村けんとたけしのエレベーターコント

どなたか志村けんとたけしの銭湯コントの動画をお持ちの方、よろしく御願いいたします。

posted by shingol at 20:10| 私の好きな有機的な世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

橋本真也の純プロレス的手法とは?1/闘魂三銃士とはアントニオ猪木の純プロレスの細分化した姿である。

闘魂三銃士とは、アントニオ猪木の純プロレス的世界観を細分化させたスター選手たちである。

蝶野正洋は、プロレスファンとしてのキャリアは短い。
エプロンサイドで間近に見つめて来た後期・アントニオ猪木の純プロレスが刻印されている男でもある。
蝶野の転機が在る。
首を故障してしまった事だ。
結果、蝶野は、激しいプロレスと異なる独自のプロレススタイルを作り上げなければいけなかった。
幸いだったのは、後期とはいえ。猪木を知っていた事だ。

比較的、大技には頼らず、対角線の攻防での攻守交代シーンを始め、衰えていた時のアントニオ猪木のプロレスを知っていた事は、首を痛めた蝶野にとって、師との不思議な縁であると私は思う。

武藤敬司も、猪木の純プロレス的世界観を踏襲するレスラーでもある。
平成プロレス的な失敗の無い効率的かつ機械的な上手いプロレスとは一線を画し、意図的かどうか、あえて不規則性のリズムにて、観衆に驚きを与えていたレスラーでもある。

武藤のもう一つの猪木的側面は、ナルシストゆえの見栄の切り方である。
これについてはもあえて記す事も無いであろう。

では橋本真也はどうであったか?

ストロングスタイル、猪木イズムの後継者といわれた橋本であったが、結局は、アントニオ猪木の純プロレス的部門の三つの要素の一つの担い手でしかなかった。

では、その橋本真也が受け継いだ猪木の純プロレス的手法とは何かを、私也に記していきたいと思う。

まずプロレスファンでしか無い私の一妄想を御許し頂きたいが、私が仮にプロレスラーであったとして、一番闘いたく無い相手は、まず橋本真也である。

プロレスである以上、橋本の見るからに痛く思い攻撃を受けなければいけない。
あのスティッフで重い橋本の攻撃を、受けなければいけないのは、想像しただけで恐ろしい事だ。
重く痛い攻撃を受けたなら、同じく痛い技で倍返しすれば良い。
しかし橋本の重さに及ばないレスラーは、痛く重い技を返しても、結果、また橋本の倍返しの攻撃を受けなければ行けない。
何をどうした所で、プロレスの枠内で橋本、及び体重で上回る相手以上に強さの印象を与える事は不可能なのである。

しかし、これまた単なるアマチュア競技出身者として記させてもらえば、リアルファイトで橋本と闘う事は何の恐怖も感じ得ない。

しかしプロレスの枠内で、橋本と闘う事は恐ろしい事だと私は思う。

橋本真也に強さの印象を与えたのは、プロレスの枠内での受ける構図故の事だ。
もし橋本真也の技を躱していいのなら、逆に、自分の攻撃を放っても良いのなら、おそらく武藤敬司は、橋本以上の強さの印象を残せたであろう。

あるいは橋本真也が、小川直也のリアルで能動的なプロレスを、セメントと誤解する事が無ければ、橋本は猪木の真の後継者であったと私は思う。
しかし、そうではなかった。
橋本の強さの印象は、受け手の意識無くして有り得ない。
能動的に放てる技も数多く持つ橋本であるが、それでも橋本の本質とは純プロレス的世界観である。
そして純プロレスによって「強さ」を提示して来たプロレスラーなのである。

では多くのファンを熱狂させて来た橋本真也の純プロレス的手法とは何なのか?

(続く)

武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
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posted by shingol at 19:39| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

裏切られる事を恐れるファンに支配されたジャンル・プロレス村

今のプロレスに何の疑問符も持たず、プロレスに熱狂しているファンの共通のキーワードが在る。
今のプロレスは命を削って闘ってくれているという言葉だ。
私的に言わせれば、まるでサド伯爵の言葉そのものだ。

命を削らなければ付いて来てくれないファンに頼る、今のプロレスラーは本当に不幸な職種だ。

自分が愛する人間が、能動的でなく、受け身的に、危険にさらされるシーンに興奮し、涙する事は、もはや常軌を逸している。

これが平成プロレス村の現実だ。

プロレスが小さなジャンルと成る前は、実は、プロレスは欲求不満の最たるジャンルでもあった。
ここでこうすればハッピーエンドで終えるのに。
ここでこうすれば盛り上がるのに。
ここでこうすれば最高の興行に成るのに。

皆、ファンは、自分の想像通りに成らないジャンルに、歯がゆい想いをし、それでも、そのジャンルに夢中になった。

自分の言う事を全て聞き入れてくれる女性に等、何の魅力も持たない、男としての気概を持ってプロレスと相対していたのだ。

今のファンは、まず自分の思う通りになることしか満足出来ない。
それは裏切られ、傷つく事を恐れる、か弱い人間を対象としてしかプロレスが存在しなくなった事を証明している。
実世界の闘いに挑み傷つく弱者を救済して来たプロレスではなく、闘う事を知らない人たち向けのプロレスなのである。
自分の愛したジャンルなら、そっぽを向かれ、利用されるくらいの覚悟等無いのかと私は思う。

見えない出血ほど怖い物は無い/危険信号を無くしたプロレス界の行く末
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?

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posted by shingol at 17:39| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

見えない出血ほど怖い物は無い/危険信号を無くしたプロレス界の行く末

かつてのプロレスラーたちは、本当の刃にて、本当に、相手か自分の頭部を切り、試合をしていました。
私は衛生上、疑問も在りますので、それらの行為を全面的に認めているわけではありません。

しかし誤解を承知の上で記しますが、間違いなく、本当の出血を行なうよりも、出血を伴う事の少なくなった今のプロレスの方が残酷で、危険です。

問題なのは、流血という目に見える行為に対しての、残酷性、危険性は、誰でも気づく事なのですが、流血の無い、つまり目に見えない物に対しての残酷性、危険性については、意外と誰も気づかない事です。
その事が危ないのです。

P-logpasin.exblog.jp様がこう記されておられます。
レスラーは柔らかいマットで軽い脳震盪を繰り返し、ダメージを蓄積することを止めないでしょう。そのうち死人や廃人が続出、結果ハッスルみたいな形でしかプロレスは残れないのかもしれません。

まさしく、私も同感です。
外傷的な出血を繰り返す事も確かに危険で残酷です。
しかしもっと怖いのは、自分が脳内で軽い内出血を繰り返ししつづけるような今のあまりにも危険で、残酷なプロレスの風景です。

かつてプロレスはリアリティを出す為に、本物の血を出したり、本物の血袋を口に含んでいたりしたと聞きます。
私はそれが精一杯の純プロレスのリアルを用いてのリアリティなら、衛生的な問題は在ったとしても、まだ安全だと思っています。

血に弱い方は顔を背ける。また血を見て興奮する。
そういう危険と非日常の信号を伴っていたからです。

しかし今のプロレスには、そういう危険と非日常の信号はありません。
何故なら、今のプロレス自体が、そういう危険と非日常の世界に麻痺してしまっているからです。

世の中に様々な暴力が存在します。
私はあらゆる暴力を肯定するつもりは毛頭、在りません。

しかし最大の暴力は、自分の手を汚さずしてボタン一つで間接的に多くの人を死に至らしめる事だと思っています。
つまり「出血」を見ないで済む、手を汚さないで済む、そういう暴力です。

私が怖いのは今のプロレスがそういう目に見えない暴力の麻痺とエスカレートによって、滅亡する事です。

プロレス的な受けの美学とは、プロレスを商業ベースにて遂行していくための、信用を持って、相手に身を預ける事ではないでしょうか?
そして相手を傷つけない、少なくとも、相手に誰の目にも見えないような頭部の内出血を誘発するような危険な技の攻防ではないはずです。

私の意見が全てだとは思っていません。

しかし、今のファンたちが、プロレスラーたちの頭部への危険な大技、ハードヒットなプロレスに、熱狂し続ける事の危険性を少しでも多くの人に知ってもらいたいと思っています。

もし、レスラー、ファン共に、単に激しさの中に身を置きたいのであれば、まさしくリアルファイト、もしくは昔の新日本や永田たちが行なって来たリアルで能動的な主導権争いのプロレスを求めれば良いのではないのでしょうか?

かつて永田は、金原の蹴りを受けず、捌く事で、本当のリアリティと激しさを体現しました。
かつ、それは今のプロレスよりは緊張感がありながらも、頭部への損傷の可能性は限りなく今のプロレスよりは低いと思っています。
(もとろん本物の受けられない打撃が当たれば別問題ですが)

また昔の新日本プロレスにおいても、藤波についてblogのプロレス様の記事にて、私も思わぬ気づきを与えてもらいました。
昔の新日本でも純プロレス的な印象の強かった藤波でさえ、能動的な闘いを意識しながら純プロレスをこなしていたことは特筆すべき事実だと思います。
確かに藤波の軽量当時の技の放ち方は、いたずらに相手の受けに頼らない緊張感みなぎるものでした。

あるいは完全な純プロレスを求めるのなら、武藤敬司、蝶野のようにリアルに頼らず純プロレスのリアリティ、説得力を出すようなものが、もっと評価されても良いはずです。

私は昭和プロレスをブログ名に掲げ、過去を郷愁しているわけではありません。
プロレスが未来に向かい、永遠に続いてほしいから、記し続けているのです。

そういう中で、メールやプックマーク等で日々、ご支持して頂いている皆様、
そしてP-logpasin.exblog.jp様
blogのプロレス様そして、プロレスにも造詣の深いK-1心中様のような今のプロレスの問題点について僭越ながら共感させていただけるブログが存在する事は、私もブログを続ける上で大変な力を頂いています。

この場を借りて御礼申し上げます。
本当にありがとうごさいます。

今後とも当ブログをよろしく御願いいたします。

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posted by shingol at 06:55| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月14日

プロレス昭和異人伝勝手に推薦・おすすめプロレス・ブログ紹介/1

先日のプロレス昭和異人伝勝手に推薦・おすすめ格闘技ブログ紹介と併せてご覧下さい。

私が数あるプロレスブログの中で、思わぬ気づきを与えさせてもらっているのが、P-logpasin.exblog.jp様blogのプロレス様です。

共に、昭和プロレス及び現在のプロレスに造詣の深い両管理人様の、プロレス記事は、大変、僭越なのですが、私も考えが似ていると思う事が多く、同時に、私も気づいていない事を気づかされる事も多く在ります。

かといって昭和プロレスという共通のキーワードを通じてプロレスを学んだものの、現在の細分化されたプロレス界では、当然、二人の管理人様及び私の、各々の現在のプロレスについての嗜好が全て一致しているわけでは無いと思います。

それでも根底に昭和プロレスを見て来られた両ブログの管理人様の、過去について、及び、現在についての記事を拝見させて頂くたび、同じ時代にプロレスを見て来た喜びを感じさせてもらっています。

P-logpasin.exblog.jp様blogのプロレス様は、昭和プロレスの目撃者として、また、昭和のプロレスをベースにされながらも、それだけに踏みとどまらない各ジャンルについての鋭い記事が満載のプログです。

僭越ながら、私が自信を持って御勧めさせていただくブログ様です。

blogのプロレス様の管理人awo666様のもう一つのサイト横道もご覧下さい。


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posted by shingol at 20:49| 私の好きな有機的な世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?

プロレスラーが、プロ入り前に行なっていた各々のスポーツの動作をディフォルメして、独自のプロレス技を作り出す事は結構多い。

ジャンボ鶴田のジャンピング・ニーパットはバスケットのシュートのフォームであり、アントニオ猪木のナックル・パートは砲丸投げ等の投てきのフォームそのものでもある。

武藤敬司の独特のエルボーの動作は、おそらく、柔道の横受け身から来ていると私は予想している。

しかし、武藤の場合はフォームそのものに柔道の横受け身の癖が出ているだけであって、武藤の独特のエルボーを演出しているのは、武藤の圧倒的なプロレスセンスだ。

あまりにもスピードを感じさせる武藤の代表的な技であったが、大切なのは、その技が、実は観客が瞬き出来ないようなスピードでは無いという事だ。
実は無駄で時間のかかる動きを、足を大げさに振り上げて旋回させる事で、実際以上のスピード感を与えているのである。
つまり視覚の錯覚を与えているのだ。
しかも、足の大げさな振り上げにて、観客の視線を一瞬、遮断する。
初めて見れば、それがどのようなフォームなのかは分からないので、観客に余韻を残す。
観客に見えない技を提供する事で、観客に想像の機会を与えているのである。

単純な技にしろ、複雑な技にしろ、目にも留まらぬ早さで効率的な動きで放つ選手は多い。
しかしそれらの機械的な技を見続ければ観客にも、やがて食傷感が残るであろう。

しかし武藤の動きはそういう食傷感とは無縁だ。
無駄で、効率的でない事、目に見えない早さでない事、なのに観客を錯覚させるプロとしてのトリック技術を持って、観客にはっきりと分解されるような分かりやすさを示していないからだ。

全てを分かりやすい言語で伝えようとするレスラーは多いが、武藤は分かりにくさを持って、観客に自分を提示するレスラーでもあった。
そして大切なのは、よく分からないが凄いという印象を与えている事である。

プロレス界の分かりすぎるほど分かりやすい説明や言語の追求が、ついに本当の痛みを伴うまでに変化したのとは対照的である。

武藤のスペースローリングエルボーも興味深い。
側転という、実は、のどかで揺るやかさを感じさせる動作からの攻撃に、スピード感を与えているのは、側転に行く前の武藤のこれまた大げさかつ瞬間の身震いである。
その一瞬の「溜め」が武藤のスペースローリングエルボーの速さの印象の全てだ。
無駄な動作によって、またしても観客にスピード感を与えているのである。

それらの技術を駆使して来たゆえの膝の故障は、武藤という天才的職人の勲章としての職業病でもある。

しかし私は頭部や頸椎に故障を抱えるよりは、プロレスラーらしい職業病だと思っている。

武藤は従来の純プロレスの手法にとどまらず、観客を掌にのせて来たレスラーであるが、少し残念な事がある。

かつて闘った前田に対しての印象である。
プロレスの枠内で、相手の技を受けないのひどいという言葉である。

そんな武藤も、技を受けない前田に、強引に内股を仕掛けた事があった。
しかし何故か、最後まで投げ切る事はしなかった。

武藤にとって、リアルで能動的な主導権争い等意味が無かったのかも知れない。
リアルで能動的な主導権争いの「闘うプロレス」が好きな私には残念であるが、純プロレスに拘り続ける武藤は立派だと思う。

しかし、その武藤の純プロレスは、間違いなく、他の純プロレスラーと一線を引く、格超高くエレガントな世界でもある。

例えば、実際に速く動く事が、速さのリアリティでは無い。
それはリアリティではなく、リアルでしかないからだ。

そういう意味で、リアルなものに頼らず、トリックを駆使し、リアリティを伝えて来た武藤敬司の純プロレスにおいての功績は大きいはずである。


アントニオ猪木の純プロレス部門を引き継ぐ男・蝶野正洋
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2008年04月13日

プロレスは間違いなく滅亡します。

今のプロレスには非言語コミニュケーションの世界は無い。
今のプロレスファンには行間に込めた意味を読み取る能力は必要ない。
全て言語のみのチャンネルで成り立っている世界であるからだ。

その言語はとうとう絵文字付きでなければ、成り立たない世界と成ってしまった。

とにかく実際に目に見える事柄でしか、激しさが伝わらない、あるいは読み取れないのないのなら、もうジャンルとして存続する意味は無いと私は思っている。

私は天龍源一郎は好きなレスラーである。
しかし天龍の「本当の痛みをもって」プロレスの激しさを伝えてきた功績が、歪に進化したのが、今のプロレスだ。

どこの世界に、技を受けてくれる相手に、本当に痛く危険な技を放たなければいけないのか?
かつて、プロレスが、商業ペースの試合数を維持する為に、自然と成立して来た、相手の身を守る職人芸の伝統の意味すら見失っているようだ。

それほど激しさが欲しかったら、総合格闘技に行けばよい。

リアルでない事への免罪符を激しさに求める傾向は、総合格闘技出現以降、更に激しくなった。

ファンの皆さんは、今、自分の首を、自分の手で固定し、決して、気を失わない程度に、軽い打撃を自分で打ち続ければ良い。
決して致命傷とは成らない、軽い衝撃であっても、連発すれば、必ず脳に衝撃を与える。

そんな危険な技を持ってしか観客を沸かせられないのなら、そして、激しさを伝えられないのなら、もうプロレス等無くなってしまえば良いと私は思う。

そんな危険な技と言う言語を持ってしか、今のファンはプロレスというジャンルを読む事が出来ない。

そして、ファン出身のプロレスラーたちが、ファンの感覚で、ファンを沸かそうと、相手と自分の脳を揺らし続ける。

私ははっきりと記すが、今のプロレス界のA級戦犯は、マスコミだ。
何故、おかしいと気づかないのか?
言わないのか?

相手に身を投げだすのは、相手との信頼関係があるからだ。
その信頼関係に甘えて、身を投げ出してくれる相手に、本当に脳が揺れる技を放つ人間がどこにいるのだ?

激しさという免罪符に溺れ続ける限り、「純プロレス」も「闘うプロレス」も忘れたプロレス界が行き着く果ては、もう滅亡しか無いと私は思っている。

プロレスラーは鍛えられた肉体を駆使して技を受け合うジャンルとしての要素もある。
しかし間違っても、頭部は鍛えられない。

何故プロレスメディアはこんな危険な風潮に警笛を鳴らさないのか?
私は残念で成らない。

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2008年04月12日

アントニオ猪木が頬を張れる男・小川直也よ、古典を見よ。

今のファンは知る訳は無いであろが、かつて、力道山に殴られ続けた日々に対して、アントニオ猪木がTBSの吉川美代子アナウンサーに答えた事がある。
力道山にとって殴りやすい弟子とそうでない弟子がいた。
私は殴られやすかった弟子だと。
だから力道山の事が分かると。

そういう意味で、猪木にとって、小川直也は、藤波や長州のようなかつての順々な弟子と並んで、もっとも、頬を張りやすい相手でもある。

多くの選手の、頬を張り、本当に怒った相手に相手に後ずさりし、気後れした猪木の表情などは何度も見て来た。
それらも全てのファンが知る等身大のアントニオ猪木の姿でしかないのである。

私は大阪に住んでいながら、府立のIGFを見逃した。

それでも猪木がアドリブの、かつ、リアルな怒りを込めて、小川を張った事は瞬間的に理解出来る。

きっと、小川が切れた所で、どうでも良い。
それでも観客と、そして、小川に伝えなければ行けない動詞として、小川に張り手を見舞ったのである。

小川直也はきっと、猪木に頬を張られる有難さに気づくであろう。

出来る事なら、自身が、プロレスブームの際に見た猪木の姿ではなく、ブーム少し前の猪木の姿を見てほしい。
アントニオ猪木の古典を見る事である。

そうすれば小川は、プロレスに効率的な上手さ等全く必要ない事を、全てのファンに対して証明出来る男に成るであろう。

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アントニオ猪木の最後の人気の波がやってくる?/猪木の「罪」と「徳」異人伝・私的ベストバウト
私的・1976年のアントニオ猪木2/猪木を語った時間
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O先輩の殺人タックルとリップ・ロジャース

研修二日目。
明日で今月の研修は終えて、後は次月。

◎ちゃん、今日も、俺から目をそらしたね。
けど、俺も咄嗟に顔を伏せていたから、◎ちゃんが目を伏せていたかどうかは分からへんけどな。


O先輩から今月計8回目ほどの着信が研修中に二回あったので、さすがに研修後、コールバックする。

少し内に隠っている時は、O先輩の電話に出れない。

電話をかけた私に先輩は尋ねた。
「変わりないか?」
変わりない事を伝えたら、早めに、電話を切られた。

昔から変わらない先輩の声かけだ。

もし先輩の現役時代、総合格闘技があれば、おそらく、先輩は無敵の王者だ。
やや斜めの角度から、ダイレクトに相手に飛びつく先輩のタックルを食らえば、どんな格闘家でも、心が折れるに違いない。

というよりも、胸骨か、脇腹か、腰骨か、それらのいずれかの骨が折れているに違いない。

あのタックルは間違いなくシウバでも吹っ飛ばされる。
同じ体重ならミルコも脳しんとうを受ける。

O先輩は、私と同じ階級だったけれども、私が◎ちゃんと、夜遊びに興じていた時期に、やや手足の長い私に、足を折り畳まないで済むタックルの方法を無愛想に教えてくれた。

それが私の財産だ。

私とプロレスの話等した事の無いO先輩だったけれど、確か二十年前、私に、突然聞きましたね。

「全日本に来てる、リック・フレアーに似てる奴誰や?」と。

私は、その時は分からなかったが、一昨年にようやく分かった。

「それはリップ・ロジャースですよ」

ブログを読んでくれた方が教えてくれた。

辰吉丈一郎と薬師寺の一戦/アース・ウインド・&ファイアーとラロ・シフリンの想い出



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プロレス昭和異人伝・オフ会のお知らせ

IGFスタッフが見てくれている事が判明した当ブログですが、今日は大失態を犯し大阪府立には行けていません。
間違いなくチケットは余っていると予想していたので、売り切れに唖然としていた事。
それでも府立の前まで出向き、会場の雰囲気を確かめようとしたのですが、少し倦怠感が有り、辞めました。
今回、IGFの地元大会に行けなかった事は、常々、IGFの可能性を記事にし続けて来た当ブログの最大の汚点です。

よって、次回、IGF大阪大会が行われる際は、必ず、会場に出向く事。
そして試合後、ミナミで当ブログを応援くださる方々とのオフ会を開催する事を誓う事にしました。

オフ会は私の試合が翌日でない限り、絶対に行ないます。

参加していただける方は次回IGF大阪大会決定後、私宛にメールを下さい。

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2008年04月11日

叩けばホコリしか出ない古き友達へ

今日から、私の仕事に必要な免許の、五年に一度の実に50時間もの更新研修が始まった。

大阪の果てまで来た。
二十年前住んでいた、この場所は、無機的な雰囲気だけは残していたが、店舗の中身は全く様変りしていたので全く知らない土地に来たようであった。

研修会場の大きなホールで昔の友達を見たので少し顔を伏せた。

二十年前、ミナミのVANのバーゲンに顔色を変えて向かった◎ちゃんに付き合ったね。

◎ちゃんが声かけた女の子とのドライブに、俺も異人館まで付き合ったね。
その帰り、ヤクザのベンツのオカマを掘ってえらい目にあったね。
俺がヤクザに軽く足払いしたら、ヤクザが何故か後頭部から血を流していたね。
あの時は、何もかも、後始末を押し付けてごめんね。

俺が、ふざけて尾崎豊の真似をした姿を一眼レフで写してくれたね。
尾崎が復帰してTVに出た時の録画テープを、何故か俺に渡してくれたね。
尾崎を狂人扱いして馬鹿にしてた◎ちゃんやったのに。

そんな◎ちゃんが、俺と同じ堅い職業についてる事は実に腹立たしい事だ。
もっとも俺は当たり前のように一発で試験に受かったけど、◎ちゃんは三回目でようやく受かったらしいね。
けどそれ自体、奇跡やで。
漫画の吹き出しすら読み飛ばしてた、活字とは無縁の◎ちゃんがよく受かったなぁ。

今日声をかけたかったけど、声をかけたら朝までミナミにおらなあかんかったやろ。
けど、もう昔の俺とちゃうねん。


帰り、乗り継ぎ駅の天下茶屋で降り、立ち飲みに寄った。
生ビールは四杯で我慢して、焼き鳥二本、生レバー、おでんの糸こんにゃくと厚揚げを食べた。
壁のメニューに、生センと、牛刺しを見つけた。
二十年前の私のほうがよっぽど財布等気にしない男だったが、もう四十を過ぎたら、いくら酔うべき場所でも刹那的には成れないものだ。

俺はもう試合の事で頭が一杯やねん。
仕事して、練習して、読書して、試合して、それしか頭に無いねん。
おかしいやろ?
いまだにレスリングやってんねん。
仕事だけでは生きてる気になれへんねん。
もし試合が終わった後やったら、◎ちゃんに声をかけてたよ。
そして、ミナミの中年ディスコで一緒に再びタコ踊りを踊りたかったな。

しかし、今日、俺が顔を伏せる前に、◎ちゃんも俺を見て、間違いなく顔を伏せたね。
お互い、過去は捨てたいね。

叩いてホコリの出ない男なんて、いてへんからね。


きっと側に私の全ての好みを知る妻がいてくれたら、黙って生センと牛刺しと、ついでに生ビールを後三杯は頼んでくれた事だろう。

今日の昼休み、俺が妻と電話で話していた時、◎ちゃんも誰かと携帯で話していたね。
けど多分、奥さんとちゃうやろな。









posted by shingol at 21:05| 私の好きな有機的な世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

長州力の逆一本背負い/動画・改訂版

長州力がマダガスカル人とシュートで闘った時の動画です。

組もうとしない相手にツーオンワンを仕掛け、逆一本背負いを仕掛けました。
また二戦目では、相手を抜群の方向に退き落としました。
引き落としの角度はコツがあります。

二つとも体格の違う相手に全く力を使って強引な技を仕掛けていない事に注目してもらいたいと思います。
たかが草レスリング(?)の相手に強さを見せつけても大した事はありませんが、特筆すべきは素人に近い相手であっても技術を見せつけている事です。

素人相手であろうがレスリングを出来る事は意外と難しい事です。
しかも、全く力を使っていない事に気づいてほしいと思います。

私も青春時代(恥ずかしい言い方ですが)恩師に教えてもらった長州のレスリングを頭の中で勝手にイメージし、反復練習しました。
本サイトのほうにその記事は載せています。


恩師に教えてもらった中に、長州のこの逆一本背負い、引き落としはありました。
後は小川戦で見せた足掛け片足タックル、そして安生戦で見せたがぶり、小内刈りでした。

私的・1976年のアントニオ猪木2/猪木を語った時間
昭和プロレス者/3・世界一平和を願う男・前田日明の行く末
昭和プロレス者/4・長州力という情動によるリアル猪木ゲノム
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました

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posted by shingol at 20:21| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今月の大阪人

今月の「大阪人」はようやく西成特集です!

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ついでに当ブログの西成の記事も読んで頂ければ嬉しいです。
難波から新世界まで

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posted by shingol at 01:32| 私の好きな有機的な世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アントニオ猪木の最後の人気の波がやってくる?/猪木の「罪」と「徳」

IGFの府立体育館のチケットが売り切れているという事です。
さすがに猪木ファンの私も半信半疑です。

しかし長く猪木のファンをしていると、アントニオ猪木の人気には独特の波がある事が分かります。
なんとなく静かに、何度目かの猪木の人気の波が押し寄せているかのような気がしています。

しつこいくらい記して来た事ですが、私は猪木信者ではありません。
猪木を信じていては身が持たない事を小学生の頃には気が付いていました。
しかし猪木のファンたちの実体というのは、信者たちの集まりでない事は、実は意外と知られていないプロレス界の一つの盲点です。

そして信者たちでない根強いファンに支えられている事は、アントニオ猪木というスターの強みでもあると思います。

色々な欠点、負の部分を誰よりも露呈して来たアントニオ猪木ですが、何故、これほどまでに根強いファンに愛されているのでしょうか?

暴露本をうのみにするわけではありませんが、猪木ほど側近の人たちに信頼されていない人間もいないでしょう。
そういう真実の猪木の姿は、我々にも垣間見えてしまいます。

本来ならば、そういう人間は過去の栄光にすがり、転落の人生を歩んでいく事が自然の摂理でしょう。

多くの罪を持つ(と決めつけてしまいましたが・・・)アントニオ猪木が、何故、地に堕ちないのか?

答えは簡単です。

側近の人たちに与えて来た罪以上に、我々ファンに対して「徳」を与え続けて来たからです。

ライガーは、猪木の付き人時代の想い出を語りました。
疲れながら走っている時も、ファンに会えば、必ず、笑顔を振り向いていた姿が印象深かったとの事です。

リング外でも、ファンを大切する姿勢を示すエピソードだと思います。
もちろん、ファンと距離を取る考えで意志を貫くレスラーは別の話ですが。

しかしアントニオ猪木の「徳」とは、リング外のファンサービス程度の事では在りません。

我々の為にヒーローを演じ続けてくれた、つまり、人の為に=偽の闘いを演じ続けてくれた熱量は、まさしく本当に消費した熱量でしかなかった事が何よりも一番大きい事なのです。

心の中で、どれだけ、善良な心を持っていても、何の熱量にも変化しなければ、何も人に与えるものはありません。
アントニオ猪木が、どれだけ、悪人であろうが、負の感情で動いていようが、リングの上で動き消費してくれた熱量は、我々に「勇気」や「闘う気持ち」というものを与えてくれました。

それが猪木の「徳」なのです。

特に若くして糖尿病を患ったアントニオ猪木の日常の倦怠感は、我々が想像出来ないものがあるでしょう。

そんな自分に活を入れ、リングの上で演じてくれた英雄像の余韻は、今もIGFを成功させるべく営業に走り回る猪木の姿にだぶってきます。

結果とは、結局は消費した熱量の大きさに比例するものでしかありません。

そういう意味で、IGF大阪大会が、IGFの認知のきっかけとなる大会であってほしい。
そして、そうなるだろうと私は思っています。

しかし今のプロレス村に認知される必要は無いと思います。
私は普段、プロレス雑誌等見ない人たちによってIGFが栄えてほしいと思っています。

プロレス村を脱出しなければ、いつまでも、平成的プロレスの価値観でしかIGFは評価されないのです。

幸い、辻仁成さんの監督映画、また西加奈子さんの小説によって、プロレス村以外の人たちにアントニオ猪木の事が再評価され始めています。

私は子供の頃よりアントニオ猪木を見続けてきました。
何度も、背けたい猪木の姿、呆れ果てそうになる猪木の言動を見続けてきました。
しかし、猪木ファンとして胸を張れるのは、一度も、猪木に裏切られたと思った事はないという事です。
常に猪木はファンに対して何かを与えようとして動いてくれる人間である事を知っているからです。

しかしもう猪木から何か与えてほしいと望む事は在りません。
ただ、もう一度だけ、多くの人たちから歓声を浴びる、アントニオ猪木を見たい。

それが実際の猪木ファンたちの本音の願いでは無いでしょうか?

そういう猪木ファンの人々の願いと、猪木の進行形の「徳」と「努力」の結晶が、今年、そして来年当たりに結実する事でしょう。

そして、その時こそ、最後の猪木の人気の波に成るはずです。

猪木ファンよ、最後まで、アントニオ猪木を応援し続けましょう。

私的・1976年のアントニオ猪木2/猪木を語った時間
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2008年04月10日

高田城の桜

当ブログをいつも応援頂く平岡様より、高田城の桜の写真を頂きました。
ありがとうございます。

私は元々花見が好きでしたが、若い頃は、屋台でビールを飲む事に夢中で、桜をじっくりと見る事は無かったように思います。

しかし年を重ねるごとに、遅ればせながら、桜の美しさに気づいていくような気がします。

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posted by shingol at 21:26| 管理人より | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

故郷を無くした男・藤田和之の「イノキボンバイエ」

藤田和之は、自分に対して誠意を尽くしてくれる人を意気に感じる人間である。
PRIDEに復帰したとき、戦極に参戦を決めたとき、いずれも、自分に熱い動詞の気持ちを伝えてくれる人に応えたいと思う人間なのである。

皆さんは例えば、喧嘩屋相手に、格闘技の高度な技術が発揮されると思っているだろうか?
藤田は喧嘩屋でなく、格闘のプロたちとの、あまりにも、高度な技術の攻防での闘いの中に、実に大学一年から身を置いた逸材である。

誰よりも、高度な技術を持ちつつも、総合格闘技では、いつものように、マットを蹴るアウトサイドの片足タックルを中心に攻めるだけのパターンでしか評価されない男だ。

しかし誤解を承知で記せば、誰も藤田に高度な技術を出させるほどの技術も無いのである。

単調なパワーファイターに見えるが、実は、藤田は相手がテクニシャンであればあるほど誰も総合で見せる事の出来ないような技術を発揮出来る男なのである。

私が驚いたのは、安田戦だ。
相撲対レスリングの立ち技最高峰の技術レベルの闘いにおいて、藤田はあまりにも見事な「すかしタックル」で安田を転倒させた。
これほどまでに相撲取りを綺麗に転倒させられる格闘家は他にどこにいるであろう?

総合格闘技の技術が上がれば上がるほど必須にしなければ行けない技術を、誰も知らないのである。

それは藤田がプロレスラーだからだ。
格闘家も、格闘技オタクも、藤田の技術を認める事が怖いのだ。

マーク・ケアー戦では、猪木直伝のフェース・ロックを仕掛けた。
試合前、高田道場において、桜庭とともに、猪木の決めの技術を公開伝授された藤田は、マスコミ向けのサービスではなく、本当に猪木の技を使ったのだ。

藤田が常々言う言葉がある。
長州力に教えられた気を抜かない意識と、アントニオ猪木と過ごした日々の素晴らしさだ。

自分を認め意気に感じさせてくれる人だけでなく、自分の恩人を忘れない義理堅い男なのである。

五輪王者カラム・イブラヒムと闘う時は、スコット・ノートンに投げられたプロレスラーとしての経験を、自身の心の糧として、そして勝利した。
プロレスに素っ気なく思われがちであるが、総合で歩んで来た藤田の心の拠り所としてのプロレスの存在は、その入場テーマの印象とともに、小さくは無いはずである。

そんな藤田にも郷愁の気持ちはある。
しかし古巣・新日本プロレスに参戦した時に故郷のぬくもりなど少しも無かった。
藤田がプロレスラーとして身体を張って闘って来てくれた事等、誰も他人事のように思う新しいプロレスファンの世界の中で、それでも汗をかいてプロレスを遂行する藤田を見て、私は悲しい気持ちになった。
もはや新日本プロレスに昔のファン等いない。
故郷喪失者としての自分を確認してからの藤田は、以後、猪木からも離れ、そして猪木と離れた遠い場所から入場テーマのみに郷愁の気持ちを込める男である。

シウバ戦、実質の体格は変わらないものの、イメージとして体格の違いすぎる小型のシウバに完敗を喫した藤田の姿に、私は気持ちをどう処理して良いのか分からなかった。

しかし藤田が本領を発揮出来るのは喧嘩屋ではなく、実は、技術屋を相手にした時だ。

例えば実際には闘う事は無いが、ノゲイラとの闘いが私は見たい。
あの試合前、藤田は「シウバが俺をとうやって倒せるのか」と強気を示したが、私は藤田のアマチュア時代からのファンとして自信を持って言える。

「ノゲイラが、どうやって藤田を倒せるのか?」

ノゲイラのような中途半端なレスリングテクを持つ男にこそ、藤田は信じられないような技術を発揮し、培って来た裸体格闘技のレベルの違いを見せつけるであろう。

昭和プロレス者8/マサ斎藤のGo for broke!生きた成功哲学/日野皓正対談他
猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
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2008年04月08日

不良・やんちゃ者の定義?

私の考える不良・やんちゃ者の定義とは、何より、あらゆる年代の人とコミュニケーションが取れる事だ。
少々やんちゃであっても、全世代共通の、言い回しと発音で、全世代の人々とコミュニケーションが取れる人間である事、これほど大切な事は無い。

そういう意味で今の不良と言われる人たちは、独特のしゃべり方や振る舞いの格好よさを持ちながらも、全てのコミュニケーションが同世代だけで完結しているような気がする。

劇画のように格好よい台詞を使うようだが、昔のやんちゃ者は恥ずかしくて格好よい言葉は言えなかったものだ。
同年代だけで完結するような振る舞いや言葉の語尾やアクセントも、昔のやんちゃ者は持っていなかった。

昔は、やんちゃ者でも市井の庶民に嫌われたらおしまいであった。

漫画「ナニワトモアレ」にもモデルとして登場した私の同級生は、そういえば、同年代よりお年寄りとのコミニュケーションに秀でていたなと思った。

SHINGO☆西成も、西成という街がそうさせるのか、昔の下町の大衆的なやんちゃ者を彷彿させて私は好きだ。
動画の中で酔っぱらいのおっさんとコミュニュケートするSHINGO☆西成は、少々年を食っているが、男前の不良・やんちゃ者だ。






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昭和の新日本の不思議な6人タッグ・ハレとケを無くしたプロレス界

長州対藤波がハイスパートプロレスの原点だといわれる事が多い。
しかし私の知る限りでは、新日本のハイスパートプロレスの原点は、地方でのテレビマッチのメーンに行なわれる事が多かった6人タッグマッチである。

テレビの放送の残り時間に追われるように、藤波や星野、木村健吾、長州が、むやみやたらと外国人相手に動き回っていた試合の数々だ。

中身等何も無い、ドタバタした、攻防だけで、観客を沸かせる事に終始した、ああいった試合は、ある意味、地方及びテレビの前の一見さんに対しての安易で適当な売れ線的なスタイルでもあった。

技がそれほどある時代でもない。また、今のように純プロレスの進化した攻防に対応出来る外国人選手等いない。

結果、ハイスパートを維持する為に、繰り出す技は、ロープに飛ばしてのショルダースルーやドロップキックくらい。
それを何度も何度も繰り出しては、悪戯に観客を沸かすだけの、あまりにも安易なお茶の濁し方であった。

星野や藤波の軽快さは、ああいう試合では欠かせないものであったが、私が驚くのは、そういうスタイルに不慣れな外国人たちが、よくぞ、あそこまで動き回るスタイルに付き合っていた事だ。
だからこそ6人タッグマッチで無ければ体力的に不可能な試合であったのだろう。

丁度、プロレスブームの少し前、新日本は普段のTVマッチでは、そういうドタバタしたプロレスを展開しながらも、最終戦の国技館あたりではじっくりとした味わい深い攻防のプロレスを展開してくれる事が多かった。

田舎及びテレビの一見さんを意識した安易に観客を沸かせるだけのプロレス。
固定ファンを意識した最終戦での静かなプロレス。

そういう意味では、その頃の新日本は、地方向けのドタバタしたプロレスをケ・日常として、最終戦でのファン向けのじっくりしたプロレスをハレ・非日常としてきっちりと使い分けていたようにも思える。

※現在の新日本においても、この名残はある。しかし、永田を除き、この区分けの意味をしっかりと把握しているレスラーは少ないように思う。
その事については後日、記させてもらう。


全日本プロレスが、シリーズごとに、参加メンバーによって、やや知識層向け、子供や一見さん向けと区分けしていたのとは異なる方法で、つまり試合内容によって、新日本也にファン向けと一般向けのプロレスを区別していたのである。

全日にも新日にも、共通するのは、普段、区分けしていたものを融合させると、爆発的なブームを巻き起こすという事だ。

全日本はファン向けのNWAスタイルの大物たちと、一見さんや子供向けのブッチャーを直接対決させる事で、人気を博した。

新日本は普段、田舎で行なっているハイスパートを、都会でも行なう事で、プロレスブームの礎を築いていった。

しかし共通するのは、マニアと一般が共存した世界は一時は、かなりの熱気を生むが、結局はマニアの核を無くし、ジャンルの核の熱を無くし、衰退していく。

マニアと一般層に大切なのは融合ではなく、棲み分けだ。
融合するのは特別なお祭り時だけで良かったはずである。
最大公約数のファンを一度に求めた時、プロレス界は必ず人気を博す。しかし、それは一過性の物でしかない。

プロレス界に明確なハレとケの概念が無くなってしまい、もう25年は経っている事であろう。

格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
大衆とマニアの融合体・70年代全日本プロレスの完成形/ファンクス対ブッチャー・シーク動画

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2008年04月07日

大阪観光案内所1/新梅田食道街

体調も優れず、今週は休み無しなので、休めるときに休んでおこうと、今日は早く仕事を片付けられたので、午後から代休を取りました。

帰り、東梅田で降り、旭屋書店に寄って「ダスティ・ローデス」の自伝を立ち読みしました。

阪急「梅田」のコンコースに向かう途中、新梅田食道街を素通りしました。
お気に入りの串カツ屋の前を通り過ぎる時は辛い気持ちに成りました。

もし、大阪にお住まいの方で、串カツが好きで、なおかつ、油に強い方は、新梅田食道街の串カツ屋「百百」に行って下さい。

流行の西成系の女性でも抵抗の無い串カツのまろやかさ、柔らかさとは異なる、のボリュームたっぷりのジューシーな串カツを食べられますよ。
ただし向かって左側のカウンターを仕切るおばちゃんの愛想無さには我慢して下さい。

新梅田食道街(堂では無く、道です)に行けば、立ち食いうどんの潮屋梅田店の前を通って下さい。
関西のジャニス・ジョプリンと呼ばれる、レジ係のおばちゃんのハスキーな美声を聴けますよ。
あれは絶対に意図的な声だと思います。
しかし情けない事に、あの声に導かれ、店に入る中高年が意外と多いものです。

新梅田食道街といえば、やはり、洋食屋の洋食マルマンが最高です。
安くて美味しくてボリューム満点の、古き良き洋食メニューが満点の店です。

マルマンと言えば、二階のバーのマルマンもお勧めです。
ここで、私は「1976年のアントニオ猪木」の著者・柳沢健さんとアントニオ猪木について、たっぷり語らせてもらう至福の時を過ごせました。

私が妻と行くのは、喫茶「DRYAD ドリヤード」です。
私の行く所、文句を言わず、黙って付いて来てくれる妻への感謝の気持ちを込めて、ここでボリューム満点のプレートのパフェを食べる妻の顔を見ながら、私は再び、ビールを飲むのも、これまた至福の時です。

(補足)

焼き鳥好きの人がいれば、この食道街に二店あるとり平※リンク付きがおすすめです。
私の中の焼き鳥全国ランキング第二位の店です。
ちなみに私の飲食ランキングはロス地区認定USタイトルのようなもので、大阪だけの全国ランキングです・・・。
この店は特にホルモン系が充実してます。

他は新梅田食道街のホームページを参考にして下さい。
もし遠方の方で、大阪観光に来られたら、是非、この新梅田食道街に寄って下さい。
美味しい店が勢揃いしていますよ。


posted by shingol at 15:02| 私の好きな有機的な世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする