2008年05月15日

近藤有己という波動/X

近藤が、何やらグレイシーと闘うという事。
かなり体重差があるとの事だが、近藤に勝機があるとすれば、相手に瞬発力、、ラッシュ力があるか無いかに尽きるであろう。

打撃、レスリング共に近藤が不得手とするタイプは、近藤のスロースターターぶりを崩すラッシングパワーを誇る選手でもある。
しかし逆に、スタンドで近藤の緩やかな呼吸を崩さない程度の攻撃しか仕掛けてこない選手は、近藤の呼吸に飲み込まれてしまうのが常である。

意外と、プラジル人相手に勝率の良い近藤でもあり、今回は期待しても良いのではないかと私は考えている。

近藤有己という波動/3.日本人格闘家たちを撃退し続けた無我のプロレスラー

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posted by shingol at 20:27| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

柴田勝頼について雑記

先日の柴田勝頼〜29歳の地図〜の記事に関しまして、OMASUKIFIGHT様に御紹介頂きました。
有難うごさいます。

私はプロレスラーが総合出陣以来、敗戦を重ねる姿に、実はある懐古的な感情を抱かざるを得ません。

それは、かつ自分の思うようにならなかった昭和のプロレスに対しての心象風景と良く似ているものです。

昔のプロレスは、思うようにならない世界そのものでした。
両者リングアウトや乱入、ベストバウトを期待しても呆気なく終わったり、今のように機械仕掛けの歯車のように相手とかみ合うような試合展開など皆無でした。

あの頃、プロレス界を思うように動かしたかった、ファンを満足させたかったファンたちの手によって今のプロレス界が存在しているような気がします。

テレビの前でファンたちの想い描く風景を現実に見れる事等、年に数回あるかないかです。

あの頃の、ジャンルへの渇望の気持ちと、今、柴田に対して、総合の場での柴田らしさの発揮を渇望する気持ちとは、どこか私自身、似ているような気がしてしまいます。

柴田が総合に出陣した際に、藤田レベルの活躍を期待したファン等皆無でしょう。
誰もが、等身大の柴田の実力を朧げに知りつつ、それでも、柴田が出場するとなると、勝利して欲しいとエールを送り続ける。

しかし、それは弱者に対しての哀れみの気持ち等ではないはずです。
自分の弱さや孤独と振り向き、闘い続ける柴田の姿勢に、多くのプロレスファンは感情を突き動かされているのではないかと私は思っています。

そういう意味で、柴田勝頼と同様のプロとしてのメッセンジャーぶりを持つ格闘家はそれほどは存在していないような気がしています。

柴田の勝利は、最短距離で強くなる為の練習を積み、総合格闘技の基礎を体に染み付かせて来た連中が勝利するのとは、ファンに対しての影響は大きく異なると私は思っています。

柴田の闘い続けた結果の先に、勝利があろうが無かろうが、私は柴田を応援し続けたいと思います。


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posted by shingol at 06:31| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月13日

ジャンルとしてのプロレス崩壊の原因とは?

私は実は様々なインディーを観ていて、心底面白いと思う。
何より私自身が子供の頃よりプロレスファンであったので、同様にプロレスファン出身者のプロレスラーたちの作り出す柔らかいプロレス頭による演出はツボにはまる事が多い。
しかし、そういうインディーと同じ発想をメジャー団体が行なう事ほど情けない事は無い。

だいたいプロレス頭でメジャー団体の選手が、インディーやプロレスファンに勝てるはずは無い。
同時にプロレス頭ほど、世間とかけ離れた世界も無い。

プロレスブーム後、私の周りに続出したのが、「俺に全ての仕掛けを任せとけば上手く行く」と本気で思っているプロレスファンであった。

それでも私は、誤解を承知で記せば、プロレスファンの心理が分かるプロレスラーやフロントたちによって、プロレスのパイが小さくなってしまったのだ。

プロレスファンの心理等、プロレスファン以外、誰も分かりはしない。

極端な話、プロレスファンか、プロレスファン以外かを取らなければ行けないなら、プロレスファン以外の趣向を優先させる事だ。

勘違い無いように、それはアントニオ猪木のジャンルの核無き環状線理論等ではない。

プロレスはジャンルとして成熟しており時として遊び心が生まれる。
今の多くのプロレスラーたちは、プロレファン出身であり、プロレスの柔らかい遊び心を知り得ているので、遊び心を全開にさせる時もある。

しかし、そんな遊び心等、小さなムラ社会の身内ノリでしかないのだ。

試合内容に対しては、プロレスブーム後、プロレス界に絶対神が出現した。
「スイング」する試合かどうか否かである。

息の合った同士のスイングするミスの無い試合によって、プロレスブーム前の平均的な試合のグタグタ感が淘汰されてしまうようになった。

元々、スイングする試合とは、ブーム時、ファンではない一見さんに対しての分かりやすいプロレスの提示の仕方であった。
しかし、それらによってプロレスに導かれたファンたちによって、今のスイングする試合を絶対神とするプロレス村が生まれたのである。

歌ならサビの多い歌謡曲しか聞きません。
映画なら起承転結のはっきりとした、かつ、クライマックスシーンの多いハリウッド映画しか観ません。

そういう耐性無きファンによって作り上げられたプロレス村は、歌謡曲やハリウッド映画としての価値観を本質に求めながらも、極度にハリウッド映画や歌謡曲の完成度に拘り過ぎ、逆に、一般大衆の感性を無くしてしまっているような気がする。

桜庭和志の七発のタックル/ナカハラの腰は本当に強いのか?
ジャンボ鶴田二世と言われた男・永田 裕志のリアル・フロント・ネック・チャンスリー
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posted by shingol at 19:46| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

プロレスだからこそ、簡単に勝敗を決めるな!

プロレス界は、予め決められた勝敗に対して、もっと慎重になるべきである。
(私はプロレス暴露本程度に汚染されるファンでは無いので◎ックなどという言葉は恥ずかして使えないが・・・)

プロレスとは、本当の勝負ではない事を誰もが知りながらも、一応は競技スポーツの体裁を借りたスポーツである。
本当の競技以上に、実は、勝敗が、選手たちの強さや価値のイメージを絶対化させる事を知るべきである。

昔、強豪外国人レスラーにフォール勝ちする事は、馬場、猪木クラスでも至難の業であった。
日本で育てたブッチャー、シン、ハンセン等に対してはともかく、アメリカでも地位を築くファンクス、バックランド、ローデスあたりに、白黒決着をつける事等、日本の選手には不可能な事であった。

プロレスとは本当の実力以外に、政治力含めあらゆるパワーゲームによって勝敗が決していた事を当時のファンは知っていたはずである。

プロレスに完全決着が求められたのは、プロレスよりもファンたちが、ジャンルの優位性を掴み出してからの事である。
ブームの衰退によって、プロレスラーよりも力を手にしたファンたちによって作り上げられたのがプロレスの完全決着であった。

同時に、ブームが去り、残ったファンたちによって、プロレスという「思うようにならないジャンル」を、「思うようにさせよう」という運動が続出した。

それが新日本に続出した暴動騒ぎである。

全ての灰色を消滅させようとした所で、元々プロレスという灰色のジャンルが、白黒付けようとしても、リアルな競技に勝てるはず等無いのだ。
そして勝敗という政治力含めあらゆるパワーゲームによって決定される決め事こそが、プロレスという灰色のジャンルが、リアルな競技に勝る、リアルな力比べの醍醐味だったのである。

小さなプロレス村の中で、メジャーの選手がインディーの選手にフォールされたり、それはそれでプロレスに勝敗等関係ないと思う上級のファンの達観した世界でもある。

しかしプロレスに対して達観した人たちの作り出す世界こそが、最も、世間とかけ離れているのである。

新日本とノアの選手は簡単に勝ちを譲ってはいけない。


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posted by shingol at 19:21| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月11日

負けなければいけないプロレスならリアルな強さを見せて欲しい!

昔のプロレスは、負け役を演じさせられるレスラーが、試合中は徹底的にリアルに相手を痛めつける試合が多かった。
勝利する側の逆転勝ちのシナリオではない。
そういう場が、負け役に成るレスラーの意地とリアルな強さの唯一の露出の場であったのだ。

平成に入っても、そういう試合は何度か在った。

杉浦貴がアレクサンダー大塚を徹底的にコントロールした試合もそうであったし、金原が木村健吾を蹴り続けた試合もそうであった。

そういえば最近、ヤマケンが西村修を痛めつけた試合の想い出を語った。
痛めつけられた部下を守る為に、ヤマケンに説教した長州の有り難みをを西村は知っているのか?

情けない西村とは反対に、長州や永田は例え相手がそういうプロレス枠内の自己主張を仕掛けてこようと退ける強さを持っていた。

最近では諏訪魔と鈴木みのるの試合が印象深い。
おそらく試合中、もっと徹底的に鈴木みのるを諏訪魔はリアルな主導権争いで圧倒出来たであろう。

しかし、どこかに遠慮が垣間見える。

私が中西学に期待したいのは、諏訪魔以上のものである。

田中などに負ける試合も良い。
しかし、負けるなら、試合中、もっと徹底的に観客に強さを印象づけて欲しい。



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posted by shingol at 22:43| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

柴田勝頼〜29歳の地図〜

私の考えでは、総合のリングに立つ柴田は闘わない連中より、よっぽど勝利に近い人間である。

相手のミラーにマウントを取られ続ける中、柴田は何を感じていただろうか?

自分の体を、相手にコントロールされつづける屈辱感の中で、どれだけ、もがいても自分の意志通りに体が動かない。
その中で感じる無力感はどれほどのものであろう。

無力感に打ち勝とうと、気合いや咆哮を叫んでも、どうする事も出来ないのが格闘技の試合だ。

柴田はそういう状況の中で、天井を眺めた回数が他の格闘家よりも多いレスラーに成ってしまった。

今晩、柴田が一人の部屋で、肉体の痛さと不眠と闘いながら、感じるであろう孤独感と悔しさを考えると、ファンとして胸が痛む。

人は強くなる為に格闘技を続けるというが、負け試合が続き、一時的に性的に不能になった友人を私は何人も知っている。
人は強くなる為に、格闘技をはじめ、なのに更に自分の弱さと振り向き合わなければいけない時が多いものである。

私も情けない話、スパーリング中苦しさに失禁した事もある。
恐怖でトイレに逃げ込んだ時もある。

強くなる為に始めた格闘技で、更に自分の弱さを知るとは皮肉なものだ。

闘わずして、市井の場所で、俺は強いんだと粋っているよりは立派に男らしい世界を柴田は生きている。

勝利や技術だけが格闘家に必要な事だと思われがちであるが、格闘技オタクに何を言われようと気にしない事である。

マウントから抜け出せないなら、抜け出せる技術を持つのではなく、倒されない技術を磨けば良い。
マウントから抜け出そうが抜け出せまいが、狂犬ならばマウントされた時点で、負けだと割り切れば良い。

試合時間が決められているのなら、まずは1分、次に5分、時間を分割して相手と互角な自分を目指して欲しい。

諦めなければ、必ず、勝利の女神は微笑んでくれる。

寝技の技術等柴田に必要ないであろう。
格闘技オタクがでも覚えられる技術よりも、スクワットや雑用をこなして来た柴田にしか出来ない肉体と精神の技術が他にあるはずである。

柴田勝頼、船木誠勝、闘い続ける彼らの先には勝利だけがあると私は信じている。

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posted by shingol at 22:18| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リアル・大阪電撃作戦/1

大阪人の誇り。生野の誇り。
スピード社に負けない!日本競泳界に救世主

大阪最大の個人的恐怖。
大阪DEEP案内/淀川河川敷を歩く(2)赤川鉄橋編

大阪地区認定洋食屋世界王者。
マルマン

大阪地区認定カレー世界王者。
インデアンカレー

大阪地区認定カレーUS王者。
カレーダイヤ

posted by shingol at 13:37| 私の好きな有機的な世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

水谷豊は格好いいですね

しかし最近、私がつくづく格好よいなと思うのは、水谷豊です。
丁度、テレビドラマ「熱中時代」が始まった時は、私はまだ小学生でした。
中学に入り再放送の「傷だらけの天使」を見ました。

今年、何事も無かったように再ブレイクを果たした水谷豊は、若い頃よりも、更に格好よさを増している気がします。

私は子供の頃、水谷豊、松田優作、ショーケン、猪木といった二十代、三十代のスターたちに憧れて早く二十代、三十代になりたいと思ってきましたが、水谷豊のような素敵な五十五歳の男を見るにつけ、早く五十代になりたいと思ってしまいます。


posted by shingol at 12:45| 私の好きな有機的な世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

プロレスよ「競技」スポーツとしての体裁を全うせよ!

私はハッスルは嫌いである。
かといってハッスルを楽しむ人たちを否定している訳では無い。
私の趣向としてプロレスではないハッスルを好きには慣れないという事だけだ。

多分、私がハッスルを嫌いなのは、前田や猪木、あるいは邪道や外道、ノアの選手たちが、政治的な理由以外にハッスルと関わらないのと同じ理由のような気がする。

私の考えではプロレスとは、あくまで、糞真面目に「競技」としての体裁を借り演じ続けるショーであるという事だ。
バレバレのフェイクの「競技」であっても、団体側、マスコミ、ファンの三者がバレバレの空間の中での共犯関係を遂行して成り立つジャンルであると私は思っている。

今、この共犯関係を実は団体やファンといったプロレス村の方から崩していっている事が私には驚きだ。
逆にプロレス村とは距離のある一般朝刊スポーツ紙などは本当に真面目に競技スポーツとしての報道ぶりを完遂している。
プロレス村の方にこそ、「競技」の体裁を全うする恥ずかしさがあるのではないのだろうか?

プロレスとはカミングアウトしては実はおしまいの競技なのである。

私が子供の頃、ジャンボ鶴田がドス・カラスと闘う時は、必ずエプロンのドスにショルダータックルを仕掛け回転エビで返されるというお約束の攻防があった。
アントニオ猪木の当たっていない延髄斬りで一回転して倒れたシーンも実に多かった。

子供ですら、本当の「競技」では無いプロレスというジャンルにうすうす気づきながらも、「競技」という体裁に共犯関係として乗っかって楽しむ事が出来たのだ。

倉持アナウンサーは何ら野球中継やアマチュアスポーツの中継と変わりない競技としてのしゃべり口に徹した。
後にカミングアウト発言をした倉持氏であったが、逆に現役アナ当時の共犯者としての遂行ぶりを再確認させてもらった気がした。

プロレス界で唯一メジャー級の熱を維持するノアを見てみれば分かりやすい。
私はノアの大技や激しさには抵抗があって、あまり好きではないのだが、それでも、リング場の光景はひたすら「競技」としての体裁を借りたものだ。
あらかじめ結果の決まったジャンルに対して、団体もマスコミもファンも三者の共犯関係で、あくまで「競技」の体裁を作り上げ、まるで五輪の決勝戦のように勝敗の結果に歓声を送る。

私は新日本がレッスルランドを行なった時ほど情けない事は無かった。

しかし全日本の物まね芸人とのプロレスはやや理解出来る。
素人とのしょっきりプロレスでしかないからだ。

しかしハッスルにおいて天龍が素人に本当に痛いチョップを放った時は愕然とした。
本当に痛いチョップも、多少スポーツクラブで肉体を鍛えれば耐えられる事を証明してしまったのだ。

素人が奮闘した云々の話ではない見事なカミングアウトぶりである。

私が長州を尊敬するのは、どれだけ金に困った所で、プライドを売り渡さないプロレスラーとしての誇りだ。

キレた振りをして、台本をぶち破いた事が合った。
プロレスファンは、五輪にまで出場した長州が、「競技」としてのプロレスを全うする姿勢に何かを感じ取って欲しいと私は思う。

私はジャンボ鶴田の痙攣が大好きであった。
しかしジャンボ鶴田は「競技」としてのプロレスショーを貫く上の笑いを誘った事等無い。

プロレスとは意図的に笑いを誘うものでは断じて無い。
あくまで共犯関係の中でこぼれ落ちるお約束への笑みがこぼれる世界なのである。

私が心底、恐ろしいのは、プロレスというジャンルにおいて必要以上にプロレス頭を柔らかくさせた連中たちのプロレスである。

プロレスの笑いを、意図的に演出させてしまったからだ。

真面目に「競技」スポーツを演じる上での笑いを、最初から意図的に笑いにしてしまえばおしまいである。

私は、プロレスという馬鹿馬鹿しいジャンルが大好きである。
しかし馬鹿馬鹿しさは、あくまで団体、マスコミ、ファンが共犯関係を保ち「競技」スポーツの空間を保った上でこそ楽しめるのである。

しかし最初から、カミングアウトギリギリの意図的な演出をこなしたプロレス等、一生世間に認知される事などないであろう。

プロレスの正体とは、カラクリの示されないマジックと同じである。

これはインチキですと最初からカミングアウトした手品師に誰もグレーゾーンを楽しむ事等出来はしないはずだ。

情けないのはプロレスの隠語に夢中な連中である。
ブック、ジョブ、ワーク
それらを使いたがるのは、まるで芸能人で無いのに芸能用語を使いたがる連中と全く同じ恥ずかしさだ。

暴露本程度の言葉に支配されて、プロレスファンが務まるはずも無いであろう。

DERAMに向けての雑記

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posted by shingol at 09:43| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

異人伝/DERAMに向けての雑記

私が低レベルながらも、長い間、格闘技を経験して来た故の気持ちなのですが、今の格闘技ファンは冷たいなぁと思う時が良くあります。
格闘技を経験してきたから、格闘技を経験していないファンをバカにしているという分けではありません。
冷たいなと感じるという事だけです。

勝敗の結果以上に残酷で冷たい世界はありません。
しかし今のファンの冷たさは、それ以上ではないかとも思う時があります。

多くの格闘家たちはその結果という冷たさ以上に、ファンたちの嘲笑の冷たさにも攻撃されなければ行けません。
しかし、それがプロとして自分の技量を満点下に曝け出し生業とする者の宿命ともいえるかもしれません。

そういう意味で、プロ格闘技に出る格闘家たちは、公開処刑場ならぬ、ファンという名の全国の陪審員の裁くリングで自分の裁量を見届けなければ行けないのです。

特に参戦する事に対して風当たりの強いプロレスラーたちへは、その傾向が強いかと思います。

プロレスファンの比率が次第に少なくなっていった時期のプライドのリングで、高山はドン・フライと死闘を演じ、ファンの高い評価を勝ち取りました。
自分の格闘家としての技量ではなく、自分の肉体を犠牲にしての特攻ファイトで格闘技ファンからも承認を得たのです。

結果的にフライ戦はファイトスタイルが合致した事や、体格差があった事で、高山が壮絶に玉砕する為の奮闘ぶりを発揮できた試合でもありました。

しかし、シュルト戦、サップ戦、藤田戦、総合に上がる高山の心意気はフライ戦と何ら変わるものではなかったと私は思っています。
フライと拳をぶつけ合った高山と、他の相手と闘った時の高山とは全く同じ人間なのです。

私の中では、根性の殴り合いで顔を腫らし壮絶に散った高山と、シュルトやサップに呆気なく破れた高山とは同じなのです。

よって、高山は、正面から殴り合い顔を腫らす試合をする事でしか評価されないレスラーでは絶対にないのです。

柴田勝頼が再び、総合に出陣します。
正直、勝ち目は無いのではと私は考えています。
壮絶に散るどころか、一方的に呆気なく試合が終わる可能性もあります。

しかし、勝とうが、負けようが、奮闘しようが、秒殺されようが、総合に出場する柴田の心意気はぶれる事の無い等身大の柴田の姿でしかないのです。

私は、どのような柴田も応援していきたいと思います。

しかし、それらは私がプロレスファン故の気持ちです。

プロ競技者として連敗を続け、リングに上がる機会も限られて来た柴田は、今回、かませ犬としての役割が強い出場機会を得たと私は思っています。

しかし名も無いながらも実力派の日本人選手と闘い負けるよりは柴田の価値を落とさないだろうとの主催者側の意図もあるかとは思っています。

主催者側が、柴田が必要と感じ続ける限り、柴田は総合のリングに上がり続けられるのです。

私は柴田こそがプロレス界の救世主ではないかと思う事が多々あります。

いつか柴田がプロレス界に帰って来たとき、どのようなプロレスを見せてくれるか非常に楽しみにしています。

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posted by shingol at 08:52| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月09日

闘いにいく人々に/1

試合中に「何が何でも勝つ」「絶対に勝つ」という意識は時として必要。
その願望に負けて、勝利の女神が貴方に勝利をプレゼントしてくれる事も確かにある。
しかし必ず、無理を言ってプレゼントしてもらった勝利には歪みが生じるものだ。

出来たら試合中は、「勝敗」の事はすっかりと頭から消して欲しい。
当たり前の事だが、「勝敗」よりも自分のベストを時間内に発揮する事だけを考えて欲しい。
自分のベストを出し切った後は、どんな結果であれ、「良い結果」でしか無いのだ。

一対一で闘うスポーツの結果等、自分の決められる範囲の事ではない。
そんなことは勝利の女神に任せて、貴方はただ時間内のベストを尽くしてくれれば良い。

試合中は相手を見ない事。
もし組技競技の人ならば、相手とおでこが重なるような、中間距離で見合う事等せず、自分の組み手側の位地に頭を持っていく事。
常に気持ちと肉体の前傾姿勢を崩さない事。
相手に踊らされるのではなく、自分の呼吸の中で踊る事。

試合に相手は関係ない。
負けて元々など思わない事。
勝利に執着しすぎない事。
弱い相手にホッとしないこと。
どんな相手でも「相手は強い。けど自分の方が少し強い」と考えて挑めば試合中のパニックも少ない。

限られた時間内、ただ自分のベストを尽くす事だけを考える事。

死にもの狂いでのベストなんかではない。
時間内、ただ淡々と自分のベストを自分の呼吸で尽くす事。








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2008年05月07日

プロレスブーム後と格闘技バブル後のファンは良く似ている。

昭和のプロレスブーム、及び平成の格闘技バブル、しいて付け加えれば、新星UWFのミニバブル。
それらに共通しているのはブーム真っ只中において内部分裂や移籍などの自滅によってブームを終わらせた事だ。
自然と飽きられたというよりも内部崩壊を果たした事でこそ、逆に、ブームとは自然の摂理によって必ず終焉する世界である事を物語っているのだ。

私が昭和のプロレスブーム前後にてプロレスの基準がガラリと変わったと感じたのは、とにかくプロレスファンの耐性が無くなってしまった事に対してである。
プロレスブームという熱狂の最中の光景を原体験としているだけに、プロレスを測る基準とは会場の一体化、熱気、スイングする試合、それらでしかプロレスを測れなくなってしまっているのだ。
測る定規が少ないのである。
前田日明の言葉を借りれば、等身大のメートル原器を持たず、ブーム時の基準に基づいた物差ししか持っていないのである。
ブームとは、あくまで、世間の最大公約数に対しての分かりやすさを提示したものであって、決してジャンルの本質ではない。
なのに、ブーム時の基準を、ブーム後のジャンルにまで求めてしまうのである。

今の格闘技ファンたちと、プロレスブーム後にああだこうだと騒いでいたファンは、私は同じで無いかと、ふと思う時がある。

煽りVがどうだ、会場の熱気がどうだ、会場の熱がどうだ、ひたすらブームの幻影を追い求めている姿は、プロレスブーム後のプロレスファンの心理と全く同じである。

自分の好きなジャンルとは、実は、自分の思うようにならないジャンルなのである。
その事を知れば、好きなジャンルに対して片思いであっても追いかけ続ける気概も出て来るのではないかと私は思う。

桜庭和志の七発のタックル/ナカハラの腰は本当に強いのか?
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昭和プロレス者10/阿修羅原のプロレス愛

私が小学六年の時であったか、中学一年の時であったか、突如、神戸のUHF局サンTVを通じて「国際プロレス・アワー」が放送され始めた。
月曜夜八時という時間帯に、プロレス中継を見ることのできる喜びを感じた。
正座でドキドキしながら観戦する金曜夜八時、夢の世界にワクワクしながら観戦する土曜夜八時と並んで月曜の夜にも突如として増えたプロレス中継の時間は、私には贅沢な時間であった。

それまで雑誌「ゴング」のモノクロ・グラビアでしか見る事の出来なかった光景を、ブラウン管で観る事の出来る喜びは大きかったが、何がしかの感情を有しながら眺めた金曜や土曜のプロレスとは異なり、あくまで「おまけ」の時間のように気楽に眺め楽しむ事の出来るプロレスの時間であった。

私はアレックス・スミルノフ、ジョー・ルダック、オックス・ベイカー、ジプシー・ジョーといった決して新日本や全日本では観られない凡庸な個性ながらも味わい深い悪役外国人レスラーたちを興味深く見つめ、私が子供の頃よく観たグラインドハウスのB級映画と同じ匂いを感じる事が出来た。

そんな「国際プロレス・アワー」に阿修羅原が凱旋帰国した。
作家野坂昭如に名付けられたリングネームは、阿修羅のアマチュアスポーツとしての実績以上に、プロとしての伯を付けた気がする。

船木誠勝にアンクル・ホールドを授けたミレ・ツルノと闘った阿修羅は、まとまりのあるシンプルな好試合を演じた。

他競技からプロ入りした選手には、二通りのタイプがある。
他の競技を行ないながらもプロレスが好きで、将来のプロ入りを夢見ていた者。
全くプロレス等興味なかったが、スカウトされて入った者。

私は後者が好きだ。

後者がプロレスという職業に目覚めていく過程が好きなのである。

所詮、仕事と割り切って、プロレスの予定調和の中で、自らの熱量を淡々としか消費しないまま終わっていく者も多いが、突如として、転向前の競技と同様の熱量をプロレスに求める者も出てくる。

しかし、彼らが求める己の肉体を消費させる為の熱量は、プロレスにおいてはなかなか求められないのが現実であった。

どうすればプロレスに、自分の行なって来たスポーツと同等の熱量の消費を求められるかと考えた者たちの葛藤の果てが、長州、天龍、阿修羅たちの作り出したプロレスである。

私はそれらのプロレスはあまり好きではないが、彼らの葛藤と、自らの肉体を消費させたゆえのプロレスへの職業を越えた愛情は好きである。

私は天龍革命の試合よりも、断然ミレ・ツルノと阿修羅の試合が好きである。
しかしプロレスの愛に目覚めた天龍革命の際の阿修羅の姿は、ミレ・ツルノ戦とは比べものにならないくらいプロレス者としての雰囲気を漂わせていた。

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posted by shingol at 05:28| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月06日

異人伝/永田兄弟全面応援宣言〜永田克彦はやりますよ〜

DREAMにて青木対永田克彦のトーナメント二回線が延期されたとの事。
私的には、それに対しては、どうのこうのはありません。
しかし、青木が私の愛する永田裕志を例えリップ・サービスであっても挑発したという事に対しては、プロレスファン、そして元アマチュア・レスラー、何より永田兄弟のファンとして、正直、不快な気持ちにさせられました。
例え青木がトーナメント優勝を果たし、大晦日のお祭りカードとして、永田兄対青木戦が実現するような事がない事を願っています。
色々な意味で。

しかし私は、意外と、永田兄が話題に出されるまでもなく、永田克彦は青木との試合では、ひょっとして、ひょっとするとという気持ちもあるのです。

まず青木のスリムな体型、青木との身長差は、永田にとって、「不慣れな両足タックル」に入るまでもなく、得意の胴タックルを組み合いに成るまでもなく、仕掛けられるチャンスが大いにあるはずです。
同時に青木も引き込みを狙ってくるでしょうが、私は永田が胴タックルでのリフト後、圧力をかけて青木をドロップしつつければ、目に見えない範囲で青木の体力と精神にダメージを与え続ける事は出来ると信じています。

肝心な事は、グラウンドにおいてもグレコを忘れない事。
これにつきます。
スタンドでの差し手争いと同じ頭の位地、及び、感覚で、青木の上体に乗っていく事。
丁度、スタンドでのグレコの永田の得意な位地、形がそのままグランドに移行したような形にする事です。
少しだけ異なるのは、青木の脇をさすのでもなく、自分の脇を占め、青木の上腕を自分の掌もしくは自分の前腕でしっかりと制す事。
その位地から小刻みにパウンドを重ねて欲しいと思います。
パウンドを坐位のまま行なうよりも、永田にとっては自分の形で、安定したパウンドを打てると信じています。

密着戦の多いグレコのスタンド技術をグランドでも応用すれば、意外と柔術家との寝技の攻防でも効果があると、私は低いレベルでの経験にて信じています。

肝心なのは相手の脇を差す事ではなく、自分の脇を占め、相手の上腕を制する事。
自分の頭の位地と、相手の頭へのおっつけ。
これをグランドでやると、意外と嫌がる柔術家は多いのです。
そこからの軌道範囲でのパウンドを続けていって欲しいと思います。

まあ雲の上のメダリスト永田克彦に私ごときが個人ブログ上とはいえ、ああしろ、こうしろとは恥ずかしい事この上ないのですが、柔術家とのスパーを多く経験した三流アマチュア・レスラーとしての戯言か妄想として記させてもらいました。

永田克彦が五輪で欧州王者のロシア選手を破ったとき、多くのアマチュアレスラーは驚愕しました。
しかも、しっかりとした研究と地道な努力によっての実力で勝ち取った勝利でした。

永田克彦は大物食いを行なえる選手です。

まして今回、お兄さんを挑発された事で、永田克彦の闘志にも十分な火がついている事でしょう。

永田流グレコの技術と兄弟愛、それらが結びつき、青木を倒してくれる事を私は強く願っています。

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posted by shingol at 06:53| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月05日

赤川鉄橋を渡れない人は大阪に何人いますか?

最近、自転車で通勤する事が多くなりました。
先月は、会社よりも別の研修会場に通う事が多く、通勤定期を購入しなかったのが、そもそもの原因でした。

自宅から会社までおおよそ片道10キロくらいでしょうか?
自転車通勤を始めて最初は遠いなと感じたこともありましたが、時折、電車に乗ると余計に満員電車のストレスを感じてしまいます。
なので次第に電車に乗る回数が減り、自転車通勤の度合いが増えていきました。

気候の良さもあいまって今のところ快適な自転車通勤ですが、一つだけ不便なことがあります。

淀川を越えるのに一番近くて便利な「赤川鉄橋」を私は渡れないのです。

理由は単純で、単に極度の高所恐怖症だからということだけです。
一度、自転車の列の流れに任せて、赤川鉄橋に突入しましたが、数メートルで無理と感じ、引き返したこともあります。
後ろの人に見られて恥ずかしかったので、忘れ物に気づいたようなふりをして引き返したものです。
未だ赤川鉄橋を「しらふ」で渡ったことはありません。
しかしアルコールに任せて、初めてあの橋を渡ったときでさえ生きた心地がしませんでした。
私にとっては人生で味わった最大の恐怖そのものでした。

なので赤川鉄橋と比べると、遥かに車幅も広く、頑丈そうな、城北大橋までわざわざ迂回して淀川を渡っています。

私の高所恐怖症は病的かもしれません。
例えば、コンサート会場などで二階席の一番前列に座ったりしようものなら、鑑賞どころではありません。

モノレールの駅などは最悪です。
もしモノレールのレールの上を一駅分歩かなければいけないのなら、私はライオンの檻の中に入るほうが、遥かにましだと思ったりしてしまいます。

実は私はかつて、自分自身の高所恐怖症を試合前に利用していました。

目をつぶり、リアルに高所の風景を頭の中でイメージします。
怖いものほどリアルにイメージできますので、思わず足元に震えが来てしまいます。

その後、目を開け、相手に対峙します。
どれだけ強い相手と対峙しても、高所の恐怖と比べると、存在が物凄く小さく見えてしまうのです。

これを逆手にとって、赤川鉄橋以上の高所の恐怖を利用して、赤川鉄橋を克服できるように試合前と同じパターンのイメージを試みました。

私が赤川鉄橋の少し前で、イメージを試みたのが、高さ100メートルの鉄塔の上に取り残される自分でした。
当然、足元はがくがくと震えだしました。
試合前のパターンからすれば、ここで目を開けると、赤川鉄橋という対峙する相手も小さく見えるはずでした。
しかし目を開けた瞬間に、普段より余計に怖くなって、一目散に鉄橋付近から退散しました。

そこで私が思ったのは、何々よりはマシだと自分の脳に言い聞かせ、自分が対峙するストレスや恐怖を軽減するためには、同質の恐怖では効き目がないという事でした。
同質であれば、余計に同質の恐怖が刻印されてしまうようです。

異質で、かつ対峙するものよりも強度の強い恐怖でこそ、目の前に対峙するものが小さく見えるのでしょう。


しかし私には高所以上の恐怖はありませんので、一生、この恐怖を克服できることはありえないような気がしています。

posted by shingol at 14:57| 私の好きな有機的な世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

船木誠勝についての鋭い考察

K−1心中様が船木誠勝の闘いぶりに付いて鋭い考察を記してくれています。

簡単に見たままで船木は終わった、弱いと嘆くのは誰でも出来ますが、ここまで冷静に船木の現状の問題点について分析されているプログは無いのではないでしょうか?

私は正直、K−1心中様の問題提起されるような高いレベルでの要求は船木には求めていませんでした。
とりあえず前田憲作にOSを奪われた船木であっても、OSの空っぽの船木よりはましだとは思い、今回の試合で自ら手を出したことに対しただけで強く船木を擁護してきました。
私も内心、船木の勝利について諦めている部分もあります。
なので、正直、リングに上がってもらえるだけで、何か攻撃を繰り出してくれるだけで充分だとの思いもあったのです。

しかし船木という希代のスターの存在意義と潜在能力を昔から知るweb新様が、本気の問題提起を記されたことに対して、私も今後、船木について、勝利への貪欲なレベルでの実力の発揮を求め記事にしていきたいと思いました。

新様が記されるようにこれだけの雰囲気を醸し出せる格闘家はなかなかいませんから、『DREAM』実行委員会にはこれからも船木を意義のあるマッチメイクで重用することを望みますという意見は、他にも多くの方が感じられたことだろうと思います。

船木については様々な批判が成されています。
同時に、もう終わっているという嘆きも数多く有ります。

その中で新様が本気で記された船木へのワンランク高い要求と、存在を認める記述には、船木ファンの私としてはおおいに気づきと力をもらった感じです。


船木の復帰ロードも長くはありません。

格闘技とは何か?
プロとは何か?
商業格闘技とは何か?

ロードの先に、それらの答えを船木が出してくれる事を信じ、私も船木誠勝を応援していきたいと思います。

桜庭和志の七発のタックル/ナカハラの腰は本当に強いのか?

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posted by shingol at 12:36| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月04日

尾崎豊と高校時代

十代の時の尾崎と、二十歳を越えた尾崎は別人です。
後期の尾崎しか知らない奴らが、尾崎を狂人扱いしますが、尾崎豊とは能動的に自分の人生と振り向き合い多くの人に勇気や力を、暖かさとともに、伝えて来たアーチストです。

私は高校時代、二学年上の尾崎の詩とともに、人生に立ち向かう勇気をもらい続けました。

十代の時の尾崎の名作を並べてみました。

ついでに二十代、覚せい剤で捕まり、復帰後、地方のコンサート会場の仕様を断られ、止むなく、少しでも社会性をアビールする為に、敬遠するTV番組に出た尾崎の「太陽の破片」も是非、聞いて下さい。

勇気をくれる唄と、孤独を癒してくれる唄と、交互に聴き、どうか尾崎豊という希有のメッセンシャーの素晴らしさを知って下さい。

後期の尾崎を蝕んだあらゆるドラッグを私は心底、憎く思います。
何の薬にも頼らず、受け身的な精神のコントロールではなく、能動的に人生と立ち向かう事を私は、あらゆる社会の中で弱さと振り向き合う人たちに勧めたいと思います。















posted by shingol at 21:01| 私の好きな有機的な世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジャンボ鶴田二世と言われた男・永田 裕志のリアル・フロント・ネック・チャンスリー

私が愛する新日本の現役プロレスラーは、永田裕志である。
永田はアマチュア時代ジャンボ鶴田二世と言われた男である。
確かにその風貌、何よりもリーチの長さは鶴田を彷彿させるものがあった。

永田のプロレスは丁寧極まりない。
新日本と全日本の約束的な動きの大きな違いは、新日本がリストを攻める技を中心に試合を組み立てていく事に対して、全日本は主にフライングメイヤー系を中心としている事であろうか。
リスト攻めを中心に丁寧に純プロレスを組み立てようとする永田の姿は、どこか前田日明のプロレスとだぶりもする。

永田は新日本の暗黒期を支えた功労者でもある。
同時に新日本の全盛期を支えた真の立役者でもあった。

90年代、新日本は前座に中西・永田・石沢・そして福田がいたことで最強神話に更なる厚みを持つ事が出来た。

Uインターとの対抗戦初戦では、全く相手の協力なしで能動的なプロレス技を発揮出来る若手が必要であった。
相手の協力無しにでも掛けられる技を持つ事。
それがリスト攻め以上の新日本の選手のまず基本的な姿勢だ。
馳浩は実はそういう事を多くの若手選手に伝えて来た。
しかし、さすがに相手がUインター勢では、普通の若手では心もとない。
永田が抜擢されるのは当然の事であった。

結果、永田は全く相手の協力なしに、かつ、相手の反発をものともせず、リアルな「フロント・ネック・チャンスリー」を中野に仕掛ける事に成功した。
アマチュア・レスリングの後方がぶり返しである。

第二戦では金原にジャーマンまで決めた。

私は、ふと七色のスープレックスを武器に凱旋帰国した時の前田と永田の闘いが見たくなった。
もちろん総合でもリアルファイトでもない。
昭和の新日本のリアルで能動的な主導権争いのプロレスでである。

私が思っている事はただ一つ。
前田日明が最も強かった時代とは、UWF参戦後ではなく、実はこの凱旋帰国当時であったという事だ。
見事にシェイプされた肉体と投げ技のそり具合。
驚いたのがポール・オーンドルフ戦だ。
アマチュア・レスリングの基本を見事に守った前方角度45度の飛行機投げを放った時だ。
帰国前のゴッチさんのレスリングレクチャーがどれだけ本物であった事を私は感じてしまう。
レスリングは筋肉だけでは出来ないが、同時に、護身術ではない。
あの凱旋帰国当時の肉体のシェイプさを無くした前田は、ゴッチさんから教わった本当のゴッチ・スタイルの技術を失ってしまったのだ。

もっとも凱旋帰国当時であっても前田など永田の足下にも及ばないであろう。
前田がゴッチさんのもとで修行した数ヶ月どころか、リアルな投げ技習得の為の地獄練習を永田は徹底的に虎の穴・日体大でこなしてきたのだ。

ゴッチさんが、Uインターと闘う永田を見たとき、どう思うであろう。
私はゴッチさんが最も感情移入出来るレスラーの誕生であったと思っている。

プロレスでリアルなグレコローマンの技術を発揮したレスラー、永田裕志は実は猪木の最もお気に入りのレスラーでもある。

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posted by shingol at 20:39| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

帝塚山の「あかと」とNの想い出

私が学生の頃、6歳年上の悪友のNが帝塚山のレンタルレコード店でアルバイトをしていました。
「おごったるから帝塚山にこいや」と言われ、帝塚山のNのバイト先まで行きました。
アルバイトを終えたNが連れて行ってくれた場所はお好み焼きやの「あかと」でした。
前にも記したように尼崎と異なる大阪の混ぜ焼きのお好み焼きには馴染めない私でしたが、この「あかと」の柔らかく溶け出しそうな食感にはまってしまいました。
我が・故郷のお好み焼きとは別の意味で最高に美味しいと思ったのです。

「何でこんなに美味しい店知ってはるんですか?」と尋ねた所、Nいわく、「女の子が喜びそうな店は全部知ってる」という事でした。
確かに、「あかと」のお好み焼きは、どちらかといえば女の子が喜ぶソフトな食感のお好み焼きです。
とにかく柔らかさに驚きますよ。

「天王寺からチンチン電車に乗ってな、帝塚山に来て、この店の後、美味しいケーキ屋連れてったれや。その後、万代池でプロポーズしてみ、一発やで」と自信満々に語っていたNの言葉は、それらを遂行した他の友人たちの限りなく100パーセントの成功率を聞く限り、間違いないようです。

十数年後、マネーの虎のオファーを受けるまでに出世したNでしたが、今でも帝塚山にはよく行くそうです。
しかし、その時は、女等連れず、黙って一人で、ジャズ喫茶に入り浸るようです。
女をドライブに誘う時は、好みでない「ユーミン」をBGMにしなければいけません。
本当はお好み焼き屋やケーキ屋などにも行きたくも無かったのでしょう。
Nの軟派ぶりに敬服しました。

学生時代、Nのぞんざいな態度に切れた私がNに殴り掛かる最中、ファイティングポーズを取り「来んかい!」と叫び続けながら、恐るべき早足で逃げ続けたNの姿は忘れられません。

そんなNが学費まで出して東京の大学に通わせた可愛い女の子を某有名格闘家に寝取られた時の、Nのやけ酒と付き合いながら、窓の向こうに「フィアットパンダ」が走っていました。

Nの女々しい愚痴に疲れて来た私は車好きのNに「フィアットパンダ」について30分しゃべらせ続けました。

難波から新世界まで






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posted by shingol at 13:11| 私の好きな有機的な世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

プロレス界の帝王中西学の「野人プロレス」と「闘うプロレス」

私が現在の新日本プロレスのレスラーで観ていて単純に面白いと思えるレスラーは中西学である。
何年前か、ドームでカシンと組んだ元WWE組との試合等は最高だ。
中西の試合は、私には昔の新日本のある部分を思い出せてくれるような試合であった。

昔の新日本にも丁寧に作り上げる純プロレスはあった。
そちらの後継者は永田だ。
そういえば前田日明の純プロレスと永田のそれとのリズムも似ているような気がする。
(当然キックを除いての部分である)

では中西の純プロレスとは昔の新日本の何を感じさせるかというと、大都市での丁寧に作り上げる純プロレスではなく、地方で行なわれていた6人タッグマッチなのである。
その6人タッグについては昭和の新日本の不思議な6人タッグ・ハレとケを無くしたプロレス界に記しているのでお読み頂きたい。

中西は昭和の新日本で行なわれていた一般層、一見さんたちに対しての分かりやすいプロレスを踏襲している男なのである。

特に元WWE組との試合では、観客もシーンとしていたので、私はテレビで見た、田舎の体育館での光景と似たものを感じてしまった。
プロレスの楽しみ方等知らない観客たちを前にして、別に、声援に乗って観客と一体化する必要等無いのだ。

観客との一体化、熱、スイングする世界。
そういうものは平成のプロレスファンたちが作り上げたプロレス村の基準でしかないのだ。

もっとも中西にしても、ドタバタした分かりやすいプロレスと、コアなファン向けのプロレスを使い分けても良いはずである。

それがレッスルランドでの黒いロングタイツ姿の中西であるはずが無い。

総合に出てくれとは思わない。
しかし、プロレスの中で、私はもっと暗い中西が見たい。

縦横無尽に野人ぶりを発揮する純プロレスでの中西も面白いが、緊張し、カチカチな中西も見たい。

中西の五輪初戦、緊張し、相手に何も出来ず敗れた。
プロ入り後も、総合であれ、K-1であれ、プロレスの枠内での長州と組んでの小川、村上戦であれ、「闘う」中西は必ず緊張する。

そして緊張した中西は、暗いオーラを漂わせる。

私は、そんな中西が好きだ。

そしてプロレスの枠内で、緊張するような相手と、リアルで能動的な主導権争いを展開し、かつ己の緊張を制する事が出来たなら、誰からもチキンだとか馬鹿だとか言われる筋合いは無いのだ。

私が許せないのは、前田日明が面識も無い中西を世間の声を盗み聞きし、「バカの中西」と語った事だ。

中西ほど、頭が良く、繊細で、かつ恐ろしく強い男はいない。

そんな中西の遂行する「野人プロレス」も面白いが、私は中西の「闘うプロレス」こそ、是非見てみたい。

私は新日本とUインターとの対抗戦の際に、中西がいなかった事は残念であった。
プロレスの枠内で、リアルで能動的な主導権争いを展開してくれる中西が見れたはずなのにである。
もし中西にそういうプロレスをする意思があるのなら、川田のタックルを切り続けプロレスの枠内ギリギリで強さのイメージを奪った時のような高山などがふさわしい。

高山は中西の小指一本触れただけのタックルで吹っ飛ばされるであろう。

本来プロレス界の帝王とは中西学なのである。

異人伝/桜庭和志の七発のタックル/ナカハラの腰は本当に強いのか?
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました

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posted by shingol at 08:49| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする