2007年10月04日

私的・猪木ゲノムの正体を探れ!〜外伝〜新日本スタイルらしさは何所へ?

私は小学生のとき、新日本を旗揚げしたアントニオ猪木のプロレスに洗礼を受けた
人間である。
プロレス的約束ムーブ、予定調和、体型とは遠くかけ離れたアントニオ猪木のプロレスを
見れたからこそ、自分の揺るぎないプロレスファンとしての基盤を得る事が出来た。

自分のファンとしての基盤が揺るがなければ、他のプロレスも愛せるものである。

私は実は全日本プロレスも心底楽しんだファンでも有った。
その辺りの事は何度か記事にしているので御覧頂きたい。
※70年代全日本プロレスと言う桃源郷

自分の生活の中、心の中にアントニオ猪木がデーンと居座ってしまえば、全日本プロレスの
純プロレス的な世界も、全く、別世界の事として楽しめるものだ。

私は豪華外国人集うまるで桃源郷のようなプロレスの夢を70年代全日本プロレスで味わう
事が出来た。
アントニオ猪木がロープワークに失敗する場面は何度も見た。
しかし全日本プロレスでは一度も無かった。
私はアントニオ猪木の不規則性、アナログ感とは正反対の規則性と計算され尽くした
プロレス的約束ムーブの芸術作品としての純プロレスを全日本によって楽しめた。

60分のフルタイムの試合が何度も有った。
試合のハイライトなど、ゴングが鳴ってせいぜい40分は経過した頃であった。
まだか、まだかと試合が動き出すのを待ちわびながら、動きだしたと思えば、ハーリー・
レイスもドリー・ファンクも、馬場も、鶴田も、またもフライングメイヤーからグランド
で相手を締め付ける展開がしばらく続く。
今思えばそういう退屈なプロレスであった。

しかし、アントニオ猪木であれ、全日本プロレスであれ、ファンとの優位性において、
圧倒的にレスラー側が優位であった時代である。

私はただ、60分の内の数分のハイライトシーンを楽しむためだけに野球中継で深夜に
放送された「全日本プロレス中継」の画面を小学生の身で凝視していた。


古き良き時代のプロレスとはそういうものである。
私たちは自分の思い通りにならないものにこそ夢中になるものである。

なのに今のプロレスは、ファンとの関係に置いて、絶対的にファンの優位性の中で存在
している。
レスラーたちが、何より、ファンの為に、ファンの望む良い試合を心がける。
アントニオ猪木が今のプロレスを「ファンに媚を売るだけ」と嘆く言葉の意味もそこに有る。
ファンの為に、ファンが一番等、プロレスラーが言う言葉かと思う。

プロレスラーが第一に考えるべきは一見さんである。
昭和のプロレスラーもそうであった。
都会の目の肥えたファンに媚を売るでなく、地方のファンを大切にした。
都会のファンたちにリードされるプロレスラー等いなかった。

プロレス界のカリスマである力道山、アントニオ猪木、長州力、前田日明、彼らに共通
していることはプロレスファンに媚を売らない事であった。
細かく言えばプロレスが上手くないのだ。
私は断言出来る、プロレスの上手さに必死になるプロレスラー等がジャンルを越える
カリスマになれる事は間違っても無い。
所詮、プロレス村だけに好まれるプロレスラーになるのがオチである。
世間の人はプロレスファンが思う程、プロレス的ベストバウトに心打たれないものである。

話は少しそれてしまったが、全日本プロレスの話で有る。
中身は入れ替わってしまったが、武藤を中心とした新日本に有っては、プロレスが上手い
選手たちによって、純プロレスの伝統は引き継いでいるようにも思える。

新日本である。
元々アントニオ猪木の創った団体である。
プロレスの約束ムーブ、プロレスの上手さにおいて、全日本、ノアに勝てる訳は無い。
しかし、どういうわけか新日本プロレスが純プロレスにおいて、プロレス村のファンの
支持を得るのに必死なようである。

しかし、アントニオ猪木は純プロレスが下手な人間である。
その下手な遺伝子を継いだ新日本が闘いを忘れ、純プロレスに精を出す。

純プロレスとはアントニオ猪木の劣性遺伝子である事を気付かずにだ。

もったいない話である。

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posted by shingol at 19:10| 私的・猪木ゲノムの正体を探れ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする