2007年10月05日

猪木ゲノムのアナログ感/闘えるけどプロレスが下手な選手集まれ

私が二十代半ばの頃であったろうか、香港映画界にウォン・カーウァイという奇才が出現した。
役者に必要最低限の指示しか与えず殆どあってないような脚本。
おまけに計算され尽くしたアングルとは無縁のクリストファー・ドイルの手持ちカメラの前で己の感性とアドリブだけを頼りに役者たちが演じた世界は、まるでドキュメンタリー映画を観ているかのような錯覚にも陥った。
計算やデジタルとは無縁のアナログ感たっぶりの世界に私は衝撃を受けた。

斬新な手法であったが、プロレス界では馴染みの手法で有る。
アントニオ猪木のプロレスがそうであったからだ。
良くも悪くも外国人選手に直接ギャラを渡し、ゴルフにも一緒に出掛ける
ジャイアント馬場の世界と、意地悪なMr.高橋に焚き付けられた外国人選手たちに
きつい攻めを受ける猪木のプロレスとは正反対の世界であった。
プロレスの方程式に基づいて完成度の高いプロレスをじっくり味わえる馬場の世界と
比べ、猪木のでたとこ勝負、最低限の取り決めだけを持ってリングに上がる世界は
実に消化不良の多い、あっけない世界であった。
しかし、実際には、そういうアントニオ猪木の世界に我々は惹かれて来たのである。

真剣勝負でないなら、そういうアドリブの世界も、綿密なブックのプロレスと何ら変わ
らない世界ではないかという声も有る。
ひどいのは真剣勝負の世界が人気を得る今の時代にプロレスが必要なのかとの意見である。
リアルで無ければいけないなら、世の中に小説も映画も存在しない。
リアルで無ければ、真面目にやってはいけないなら、世の中の小説も映画も、バラエティー
と化さなければならないのだろうか?

しかし、実際には小説も映画も衰退などしていない。
その中で、ウォン・カーウァイのようなアナログ感たっぷりのプロレスがあっていい。
ちなみにウォン・カーウァイが注目した東映のヤクザ映画の手持ちカメラ。
カーウァイ、東映映画、両方にインスパイアを受けたタランティーノが計算づくめで
アナログ感を演出したのが「キル・ビル」であった。
しかし、そこで感じたのは刹那的な消費主義だけである。
アナログ感による余韻は計算されない世界でしか起こりえないからだ。

K1のお下がり、シウバ、プレデターといったプロレスが上手くない連中が、プロレスを、しかもアドリブプロレスをしたとして結果は目に見えている。

それでも、猪木はアドリブの世界にこだわり、本当に闘える人間たちをキャストに添える
事にこだわる。

私はアントニオ猪木の世界が好きである。

2007/08/08掲載

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posted by shingol at 10:22| 私的・猪木ゲノムの正体を探れ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする