私はこの不況のご時世に幸いにも、不況とは関係のない仕事に就けている。
努力して掴んだ専門職の地位であり、気持ちの乗らぬ日は毎度とはいかないが、半休を容易に取れリセット出来る美味しい勤務形態を維持出来てもいる。
しかし仕事柄、顔を合わす役人の人たちの死に顔を見るにつけ、安泰とした
仕事につくまでの努力の貯金等すぐに底をつき、後は、この人たちと同じように死に顔のまま年を取り、年を重ねて行くのだと思う時も有る。
私の父は立ち退き、土建、飲食を生業をしたが実態は中学を中退後、自らを長とする集合体を創り上げた、ならず者であった。
その父が、社会人となり堅い仕事についた私を、友人たちに実に誇らしげに紹介してくれた。
堅い仕事に飽き足らず、父の後を継ぎたいと申し出た時、父に殴り掛かられた。
レスリング都道府県二位の成績を持つ私は、幼い頃の恨みも含め、父に馬乗りになったが、父が屈服する事は無かった。
気を抜いて離れた後、ボコボコにされた私に父は「息子に負ける親なんか
おらんぞ」と告げた。
そんな父は若くして亡くなったが、大阪ミナミ、阪神尼崎のクラブ、ラウンジのホステスたちが気持ちでビールを差し入れし手伝いをしてくれた通夜と告別式には普段、父を怖れる一般の近所の人たちが綺麗な女給のただ酒を目当てに賑わいを見せてくれた。
プロレス等観ない父であったが、アントニオ猪木に対しては「色気が有る」と
言い、焼き肉屋のテレビで観た前田日明に対しては、前田が出自を公にする遥か前から
「こいつは女真族や、内と同じ家系や」と淡々と語っていた。
父は前田日明より数センチ低いだけの前田と同じ垂れ目の巨漢であった。
父がそう語ってくれた焼き肉屋の娘の女優が最近になって出自を公にした。
私が幼き頃よく遊んでもらったお姉ちゃんは私の大嫌いなキザな作家の男と別れた後、
私が好感を覚える俳優と一緒になり、遠い場所から私は勝手な安堵を覚えた。
人生の半ばを過ぎ、貯金を消費しているだけの自分と振り向き合う。
等身大の自分を誰よりも知る年齢になり、何かを追い掛ける事も出来ないだろう。
ただ自分と言う弱い人間が、少なくとも実生活ではプロレスラーが教えてくれた知恵と立ち振る舞い、言葉、身なりを持って何とか生きて行けている。
私を救ってくれたプロレスラーたちの姿を、実生活で生きる私の仕事、練習、指導、そして酒席の日々の中、ブログで少しでも伝えて行けたらなと思う。
2007/07/27掲載
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