2007年10月05日

前田日明と李白の詩/2

私が小学校1年になると、夜の自宅に両親がいる事は無かった。
それでも長屋の棟には温もりが有り、自宅の開き戸の向こうから聞こえる
酔うた人たちの声々 に心が落ち着き孤独を意識する事は無かった。

そんな中で一人テレビのアントニオ猪木のプロレスを観た。
大観衆の視線を一人占めにして自己を顕示するアントニオ猪木を観ながら、
自己を顕示する場が酒の場しかない引き戸の向こうの酔うた人たちの声々 を子供心に哀れんだ。

私の父は酔うて自己を顕示する事は無かった。
しらふの時が自己顕示欲の塊であったために、酒を借りて自己を顕示する必要も無かったのだ。
豪快に大酒を煽りながらも、険しい顔の眉間の皺が取れ、肩の力の抜けた父の姿が見られる酒の席に付き添う時間は私の好きな時間であった。

私の父が酔うて無くすのは理性ではなかった。
私の父は感情を無くす為に酔うていた。
酔いで感情を消し去り、無情になる事で、人を認められる。
無情になる事で人に優しく出来る。

酒の席での一番の「あて」は「孤独」である。
孤独と共に飲み干す酒の味は格別である。
他者と酒を汲み合わすときは酔いに任せて共感の材料を探し出す。
酔いが自分の感情を消し去ってくれる。
無情になる事で他者との違いを認められる。
他者と違う絶対的な孤独を肯定出来る。


ならず者の父であったが無学だったゆえか、よく私に本をプレゼントしてくれた。
父は李白の詩を愛していた。

中学校一年の私にくれた李白の詩集等何の意味があるのかと思ったが、
大人になり血を受け継ぎ酔うた後父の孤独を少し理解できたように感じた。

前田日明が李白の世界観を語ってくれたのは父が私に李白の詩集を渡してくれてから
18年後の事であった。

2007/07/12掲載

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posted by shingol at 11:27| スポーツナビ版アーカイブズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする