高田延彦のプロレスラーとしての特徴は元・野球少年だった事である。
例えプロレス入りが早くとも、プロレス入り前に憧れたプロ野球のスターたちの振る舞い、言動が、潜在的にでも脳裏に刻まれている事である。
したがって、中卒でプロレス入りした選手にしては、驚く程、世間と通じる振る舞いをこなせる人間でもある。
間違っても、プロレス村の恥ずかしくなるような蒼い世界とは無縁の人間なので有る。
元々のルックスの良さと相まって、高田は世間に届くスター性を発揮しだした。
もう十数年前になるであろうか、高田は柔軟剤か何かのCMに出た事が有る。
私はプロレスラーがこういう爽やかなイメージを持って世間に登場出来る時代になった事を喜んだ。
私がレスリングに熱中していた時期、デュアン・カズラスキー、馳浩といったレスリング出身の選手たちを「プロレス」で翻弄していた高田に対して、気持ちは複雑であったが、それでもプロレスファンとして、に世間一般に通じるスターとしての高田の存在に敬意を持って応援し続けて来た。
私が驚いたのは郷野の言葉であった。
かつて高田のポスターを部屋に張り、明日の高田を夢見て来た時代を返してくれと言った言葉であった。
どこの世界に仮面ライダーやブルース・リーに憧れた時代を返せという人間がいるのであろうか?
高田は常に、こうしてプロレスに憧れながらも、プロレスに対して近親憎悪の感情を抱く格闘家たちの標的となっていたのである。
Uインターという世界では高田の自らの振る舞いとは逆に世間知らずの側面が大いに出てしまった。
身分相応に地道に一団体の昭和の猪木のキャラをこなしていれば良かったものの、どこで自身の身の丈を間違えたのか、身分不相応のビッグイベントを通じて、高田は地に堕ちて行くのだ。
Uインターでこしらえた高田の債務は、闇の利権を求める人間たちによって、最高の美味しい価値を発揮し出した。
Uインターの崩壊後、どんどん自分を見失って行った高田は、ヒクソン戦実現の為に、かつては関わる事の無かった、闇社会の住民たちに翻弄されて行ってしまう。
安生、宮戸、所詮、プロレス少年たちの神輿に担がれていた高田は初めて世間の厳しさの中で自分の等身大の姿を、見せなければいけない状況になってしまったのである。
私は私的ながら自分がリアルな闘いの中で、何か超越的な闘いの勇気をもらいたかったからこそ、Uインター時代の高田に憧れた。
しかし、テレビ「情熱大陸」で特集された高田の姿は、私にとってはあまりにもリアルすぎて、観るに刹那いものであった。
ボブチャンチン戦を前に、新幹線で大阪に向かう際のインタビューで、高田は何とも、モチベーションのかけらも感じさせない表情で「楽しい闘い」がしたいと言ったのである。
その表情からは、闘いに向かう男の表情としては全くの冴えは無く、ただ仕方なく闘いに向かわざるを得ない一人の男の悲壮感しか感じ得なかった。
私は、それでも、会場で高田の奮闘振りを垣間見た。
ミルコ戦もそうであったが、タックルに行った際、あまりにも下手クソなフォームながら相手の足に必死にしがみつき、最後は必ずテイクダウンを奪うのである。
私はこれほど身体能力が強い選手が、自身のモチベーションを高めたならば、リアルな闘いでも決して「高速タップ」と揶揄されない実力を発揮する事は夢ではなかったと思っている。
そんな高田が自身をスターにしたUインター時代の債務をまだひきずっている。
闇の利権が手を引いた高田の働き場所は、比較的、平和なハッスルな舞台となった。
ハッスルはやむを得ずマネーを稼ぐためのプロレス界の駆け込み寺で有る。
しかし、私は、無責任ながら、私たちに夢を見せてくれたプロレスラーたちがハッスルに
登場する事は断固として反対である。
借金でどうにも縛られる状況であっても、貫く自身の姿が有る。
猪木や長州を観れば良い。
高田の先は分からないが、高田らしさとは身近な人間が思っている高田の姿等では決して無い。
人間のらしさなど身近な人間が、自分よりも、多くの人が思い求めているその人らしさに
こそあるのである。
高田延彦よ、まず、おまえこそPRIDEを取り戻すのだ。
プロレス昭和異人伝☆本サイト版/偽の闘い
高田延彦への想い
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