2007年10月21日

西村修に見るプロレス村の歪み

西村修の葛藤とはもの凄いものがあったらしい。
「胃や内臓が飛び出しそうな」葛藤の中を、経た上での、決断である。
私のようなファンが、一人の男の決断に対して、どうのこうの言える資格等無いのであるが、思うのは、プロレスラーとは、本当にひ弱になってしまったという事である。
自分の決断がそれほど悩んだ末のものであったならば、しっかりと、決断の末に迷惑をかける人間に言葉で伝える事が必要なのであろう。
しかし、今のプロレスラーとはそれが出来ないのだ。
言い出しにくい人に、先に話し、筋を通す事よりも、「胃や内臓が飛び出しそうな」悩みのほうが楽だったのであろう。

私が考えられないのは、無我のスタッフ(社内スタッフであれ社外スタッフであれ)が、西村を擁護する発言を自分のブログで行っている事である。
擁護云々は本人の考えであろうが、少なくとも、自分が所属スタッフであれ、外注スタッフであれ、無我に関わっているスタッフである事に変わりはないのだ。
無我の会場に来れば、ファンは誰が所属か契約か等、関係なく、レギュラーであるそのスタッフや選手を無我の人間として見ているのだ。
そんなスタッフの口から、実は無我はこうなってるなどの言葉が、こんな時に、よくブログに記されるものだと思い驚いた。
まさしくプロレス村である。

資本を出すのは藤波の家族である。
その家族が借金してお金をかき集めてでも、無我の興行を乱発しなければいけないのか?
ギリギリの採算ラインで、身の丈に合った興行を、誰の為にやっていたのか?
あの優柔不断な藤波が、それでも、人の良さで、多くの選手たちの受け皿を作った。
作った以上は、経営者なら、借金してでも、選手が満足する試合数と報酬を用意しろと言いたいのか?

なら藤波が経営に口出し出来ないくらい、経営責任全てを引っ括めて、無我を引っ張って行けば良かったではないか?
しかし、そういうリスクはいつも他人に負わせるのが、西村である。

私が子供の頃、アブドーラ・ザ・ブッチャーが新日本に引き抜かれた。
しかし、全日本への最後の参戦直後の移籍発表を避けた理由というのが、全日本プロレスに用意してもらったチケットで今はまだ日本にいるのだからという事であった。
些細な事だが、悪役のブッチャーの行動一つにでも、昔のプロレス界には社会常識というのが存在した。

しかし今のプロレス村には社会常識等必要ないのだ。
そのプロレス村の歪んだ象徴を見るかのような西村の今回の一件であった。

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posted by shingol at 11:31| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする