2007年11月11日

橋本真也対秋山・三沢/プロレスと云うイメージ回復作戦

今程、プロレスというジャンルの個性が明確ではない時代、はっきりとした契約書も無い時代、プロレスの強さの象徴はセメントに強い事であった。
しかし、もし、プロレスの暗黙の了解を絶対に破っては行けないルールがあるならば、強さの象徴は少し変わって来る。
圧倒的に、体力やハードヒッティングな技を、暗黙の了解の中でも相手の肉体に放てる選手が強いとなる。
そこにセメントの強さ云々は関係ない。
ただ、大きく、ハードな技をこなせる選手が強いイメージを保つ事になる。

分かりやすいのがベイダーや橋本真也の存在で有る。
いくらベイダーの腕パンチや橋本のミドルキックが痛く重い技であっても、プロレスと云う仕事をこなす以上、急所への攻撃でない以上、相手は受ける義務、職務が有る。
しかし、それらを倍返し出来るプロレスの枠内の重く痛い技を持たなければ、どのような格闘技技術を持っていたとしてもプロレスの試合内で強さを印象づける事は出来ないであろう。
例えば船木誠勝あるいはケンドーカシンと、橋本真也が闘ったとする。
リアルならば船木は一発の打撃で橋本をノックアウトするかもしれない。
カシンは橋本をテイクダウンさせ、マウントパンチを叩き込めるであろう。
しかしプロレスの枠内で、橋本とリアルに感情をぶつけあっても圧倒的に橋本真也のプロレスの枠内での攻撃に押されまくり痛さを味わうだけである。
(もっともカシンならば片足タックルからのいやらしい技を繰り返し、相手を虐めるだろうが…)

例となる試合が有る。
かつてゼロワンの旗揚げ戦で行われた三沢・秋山対橋本・永田の一戦であった。
元々、新日本以上に技を受ける事を前提とするノア勢は、橋本の攻撃がいかに痛く重い技であっても受けざるを得ない。
痛く重い技には倍返ししたいものの、いかんせんプロレスの枠内での試合ならば、橋本以上に痛く重い技を出せない。
結果として、強さの印象として橋本真也の圧倒的な存在感が光ってしまった。
しかし、これがリアルで無かったらどうなるか?
おそらく秋山なら5分で橋本をテイクダウンさせ、屈服させられるだろう。
しかし、それはプロレスの枠内である以上、三沢も秋山もどうしようも無い橋本の圧倒的な攻撃に苦しむだけであった。
またケン・シャムロックが血反吐を吐いたベイダーとの試合も似たものがあった。

プロレスの強さのイメージを行うならば格闘家を格闘技戦スタイルでプロレスのリングに上げる事ではない。
どれだけ痛く重い攻撃をくらっても、プロレスとしての職務を全うする契約をしっかりと締結すれば良いのだ。
その中で、格闘家を、重く痛い技を持つレスラーとプロレスをさせれば良いのだ。
プロレスと云うルールで縛られれば、強さのイメージはプロレスラーに凱歌が上がるだろう。
関連記事.橋本真也対秋山・三沢/2
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posted by shingol at 18:57| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする