2007年11月14日

プロレスのカミングアウトの馬鹿さ加減

プロレスはイメージ産業である。
何度も記して来たが、フィクションだからこそ、役柄とあまりにもかけ離れた実像の人間は演じきられない世界なのである。
少なくともプロレスはドラマに例えると、格闘技アクションドラマであった。
ブルース・リーがリアルにどれだけ強いのかどうかともか、ブルース・リーもジャッキー・チェンも「私は映画の中だけ強いのです」とは言わなかった。
それがアクション映画を楽しむファンに対する礼儀でもあり、自分のイメージを最低ラインから守る術でもあった。
例えば仮面ライダーを演じる役者が、子供達にわざわざ「お兄ちゃんは本当は強くないんだよ」「これはインチキだよ」と言うだろうか?
子供以上に親達がしらけるであろう。

そういう「しらけた世界」の真っただ中にいるのが、現在のプロレス界で有る。
僕たちは本当は弱いんです。
これはプロレスだから成立しているのです。
格闘家の方達も分かってくれています。

これがプロレスの実像で有る。

プロレスと格闘技の人気の逆転減少は何故起こったか?
私はプロレス側が、格闘技に降参し、プロレスはフィクションであると宣言し、格闘家達に憎まれないジャンルに成り果てた事が大きいと思っている。

プロレスが最後までフィクションを演じる責任感を持っていた頃、格闘家達の多くの嫉妬と怒りを買った。
格闘家達曰く「あれはフィクションだ」「一緒になりたくない」
そう声高に叫ばなければいけないほど、プロレスはまだ、強さのイメージを持つ、格闘技にとっては意識せざるを得ないジャンルであったのである。

プロレスとは決してカミングアウトしてはならない。
最後までファンに責任感を持って強さのギミックを貫き通さなければいけない競技である。

フィクションだと分かっていても、攻防に一喜一憂し、好きな選手の奮闘に驚喜する。
元々、ファンとマスコミはプロレスの仕組みを知っているのだから、ファン、マスコミ、プロレス団体と三者揃って、競技の形を借りたフィクションのジャンルを成立させる共犯関係で成り立っているのだ。

その共犯関係をファンもマスコミも納得して引き受けているのに、団体側がカミングアウト等ファンを馬鹿にしているとしか思えない。

もっとも今はプロレスはアクションドラマではなく、お笑いバラエテイーになっているのだから、私ももう、何も記せない。
人気ブログランキングへ






posted by shingol at 20:37| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする