私が総合格闘技イベントを観るのは二つの理由だからである。
プロレスラーが出る事。
そして、プロレスファンであるとともに、私はアマチュアレスラーでもあるので、レスリング出身選手が出る事。
この二つ無くして私が格闘技イベントに夢中になる事は無い。
私にとってプロレスとは「闘う事」であるので、リアルファイトの場所で闘うプロレスラーは、まさにファンとして理想の「プロレス」である。
そういえば、元々は、PRIDEのリングも、リアルファイトで闘うプロレスラーを追い求めるファンを乗せたノアの箱船のようで有った。
昭和の新日ファンを中心とした、そういう闘いを求めるファン達の理想郷として、PRIDEの黎明期は存在していた。
私はプロレスファンなのだから、当然、そういうPRIDE。
プロレスラーが主役であったPRIDEが好きである。
いくらスタッフの熱、ファンの熱、選手の熱が一体化したイベントとしてのPRIDEの魅力を追い求めるファンが未だ存在していたとしても、私には、もうあの熱気は食傷気味である。
過剰な音響と演出、全て、ファンはコントロールされているのだ。
そこに能動的な世界観は無い。
高揚する音響、琴線にアプローチする煽りVTR、受け身的な消費者的感性をコントロールされて成り立つPRIDEの世界観の中で、ファンは何を求めていたのであろうか?
後、5年、10年経てば皆、理解するだろう。
PRIDEというバブルに踊らされていた自分達を。
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