あの小林邦明ですら「Gスピリット」誌のインタビューで、ゴールデンタイムで棚橋が放映されたらすごいスターになるというようなことを語っていたのには驚いてしまった。
棚橋はそこそこにお洒落でそこそこにマスクもよく、そこそこに肉体も見栄えがする。
プロレスもそこそこに上手い。
つまり、全てがそこそこでしかないのだ。
世間において棚橋と同タイプのそこそこのイケメンの若者など五万といるのだ。
流行の服装に身を包みプロレスファンの中だけでファッションリーダーを気取っても、流行を身に着ける時点で、もう流行りの便乗者でしかないのだ。
最大公約数相手の流行の世界から一歩も抜け出せないような男でしかないのである。
逆に最大公約数よりも更に感度の高い人間相手に感性が評価される宇野薫などとの違いを見るにつけ、格闘技界とプロレス界の時代のリードの差を感じずにはおられない。
もっともプロレス界には棚橋以上に世間的にいい男、お洒落な男はもっと存在している。
しかし悲しいのはプロレス界の最大公約数のデパート団体である新日本で棚橋が一番のいい男であるという点である。
世間の若者は時代に迎合する人間になど魅力など持たないはすである。
服装など無頓着であれ、異形の人であれ、自分たちには無い何がしかの魅力的なものを持つ選手を応援するはずである。
あるいはお洒落であれば、宇野薫のように世間の人をリードするほど感性を高くすれば良い。
かつて藤波が凱旋帰国したとき、驚異的なカットされた肉体で我々の度肝を抜いたことがある。しかし素人がウェートトレでそこそこの肉体を作れる時代に棚橋は特別な肉体であるのか?
私は棚橋を嫌いなわけではない。
私が腹立たしいのは世間的に突出したルックスでもなんでもない棚橋を、世間が振り向くいい男と勘違いし、売り出す新日本プロレスのセンスにである。
棚橋の見事にミニマムにかたまった小粒感は貴重である。
エースではなく脇として、そのプロレスの上手さと個性を発揮すべきなのだ。
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