2007年11月26日

近藤有己という波動/2

私は近藤有己ほど波動感を持つレスラーは存在しないと思っている。

一時の桜庭も似たような波動を感じさせたものだが、波動感にかけては近藤が現在最も際立っている。
単なる癒し系ということでなく、身体、闘い方から、もう少し鋭角で、かつ牧歌的、アナログ的なものが漂っているのである。

牧歌的でアナログ的ではあるが、鋭角的、先鋭的であるので、どこかにファッショナブルな色気を醸し出すのも当然の事である。

何に例えれば良いか難しいところであるが、私の街、大阪で例えると、堀江辺りのカフェや衣料品店の匂いと、近藤の醸し出す匂いが同じなのだ。

近藤の闘いぶりには我は無い。
プロレス的な例えを持ち出せば、決して張り手合戦に意地を張るようなタイプではないであろう。
誰かとの比較などとは関係の無いたった一人の自分の世界が完成されつつあるからこそ、他者との競争心は無いのだ。

本来なら須藤元気あたりが達観していそうな精神世界にも、ひょっとすれば近藤は須藤よりも先に到達しているのかもしれない。
須藤の場合、その闘いぶりに、まだ、近藤ほどのアナログ感は無かった。

その精神世界が高ければ高い世界であるほど、近藤のファイト振りは空回りしてきつつあるのが現状である。

しかし、何故か、多くの観客は、敗戦を重ねる近藤の試合があれば、やはり注目してしまうであろう。
多くの人があの波動感を観たいのだ。

近藤の心の奥底に、ほんの少しのアドレナリン的世界を維持できたら、近藤はあの郷野を恐ろしく淡々と病院送りにしたような、闘いぶりを見せてくれるような気がする。
以前も記したが、リラックスを心がけるあまり、攻撃性、サイキングアップの点火を疎かにしているのではないか?


好不調の波も激しいが、上手くその波を乗りこなすのが近藤という男である。
来年の活躍を待ちたい。

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posted by shingol at 17:40| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする