プロレスが上手いどころかプロレスの基本さえ出来ているわけではない。
しかし上手さの変わりに最低限の強さの基本がある。
プロレス的なパフォーマンスの変わりに、アントニオ猪木的プロレス演劇論を実践している男でもある。
リアルファイトでも、セメントでもないのに、同様の刃をしっかりと心内に納めながら闘う。
かつ、納めながらも、決して抜くことは無い。
抜けばプロレスではなくなる。
心内に存在している感情を全開はさせず溜める事で、醸し出すのは、色気であり、殺気である。
村上の場合、それら色気と殺気の度が過ぎて妖気さえ醸し出している。
アントニオ猪木は別にロープワークの練習も、派手なジェスチャーもプロレスに必要だとは思っていない。
本当に闘える男であること、そして闘う感情を持ちつづけること、その感情を露出せず内に秘めることで色気を醸し出すこと。
プロレスというフェイクの闘いにこそ、それらの要素が必要不可欠であると考えて、逆に言えば、それらがあれば、プロレスは出来ると考えているふしがある。
フェイクだからこそ、本当に闘える能力、そして、闘う感情が必要なのに、多くの格闘家出身のプロレスラーたちは、闘う感情を捨て去ることがプロレスだと思っているようである。
あるいは普通のプロレスラーならば、いたずらに感情の放出先を安全地帯への胸板へのチョップ合戦にしてしまいがちである。
猪木的プロレスとはそうではない。
本当に命のやり取りをするほどのリアルな感情を持ち、かつ、いたずらに露出させず、内に秘めることで、色気と殺気を醸し出すプロレスである。
そういう意味で村上和成ほどアントニオ猪木的プロレスを忠実に表現している男もいないであろう。
本人は決して言わないが、格闘家以前に、プロレスファンであった気配がある。
しかし自分はプロレスファンであったことは言わない点は村上のセンスでもある。
格闘家出身で、あそこまで、プロレスに対してのリスペクトを持つ男もいないであろう。
おそらく身体的にはともかく、精神的にはリアルな闘いと同様の熱量を消費している男なのではないだろうか?
プロレスの基本とは何か?
プロレスのパフォーマンスとは何か?
ロープワークが出来る前に、強い事。
プロレス的な技の応酬が出来る前に、闘う気持ちを持つ事ではなかったか?
プロレスの約束的な動きで客を沸かす前に、その佇まいだけで客を掌に乗せてしまうことではないのか。
私的には、村上和成ほど、プロレスの基本の知り実践している男はいないと思っている。
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