2007年11月28日

プロレスと云う動詞の愛

私は幼い頃より両親が離婚した。
しかし私の心の中の愛情のタンクは幼き頃より一杯であった。
父も、母も、どれほど私を溺愛してくれたかというのは潜在的にも理解出来るからである。
もう一つ私の愛情のタンクが満杯になっている原因としてプロレスの存在が有る。
どれほど孤独な時でもブラウン管の中のプロレスラー達は、勇気、愛、様々なメッセッージを無償で送り続けて来てくれたからだ。
プロレスの闘いがフェイクであれ、プロレスラーが行う運動量に嘘は無い。
プロレスとはリアル、フェイク、そういう名詞で片付けられる世界では無い。
リアルであれ、フェイクであれ、プロレスラー達が私に向けて、実際に消費してくれた熱量、運動量は動詞でしかないのである。

私は孤独に少年時代、私を救ってくれたプロレスラーにどれほどの動詞の愛をもらったかは分からない。
それほどプロレスとは多くの人を救う、まさしく偽の闘い、つまり人の為の闘いであるにも関わらず、今のプロレス界は多くの人にメッセージを発信する事を忘れ、プロレスの小さな社会での発信業務に夢中である。

私はそれがもの凄く淋しくも有る。

プロレスが上手い者同士のプロレス的ベストバウトをいくら展開した所で、多くの潜在的にプロレスを必要とする弱者に、プロレスの存在を知らせてあげる事は出来ないのである。

しかし、どんどんどんどんプロレス界がムラ社会と化して行く。
私はそれが心底、悲しくもある。

プロレスとは決して完成されたベストバウとを提供してファンを喜ばせるだけのジャンルではなかったはずである。

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posted by shingol at 20:53| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする