2007年12月16日

プロレスとは何か?

私はプロレスに一番必要なのは、プロレスの上手さなどでなく、強さだと常に記し続けてきた。
プロレスに上手さが必要となったのは、プロレスブーム以後の商業性のあまりの進化の故だとも思ってもいる。
プロレスブームを見て育ったファンたちが、名勝負、完成度、スイングありきの試合を一つの良いプロレスの尺度としてしまった。
また悪いことに、そういうプロレスを見て育ったファンがプロレスラーになったために、完全にプロレス界が村社会となってしまったのである。
簡単にいえばサビを多用した歌謡曲、あるいはクライマックスシーンだらけの映画しか見れない耐性しか持たないファンたちによってプロレス村が作られてしまったのである。
しかも、その商業性としてのプロレス技術は驚くほどのスピートで進化してしまったので、それに対応するには学生プロレスでもやっていることが最も理にかなっている感もある。
プロレスとは強く闘える人間が、仕事として、怪我することなく、商業ベースの間隔で試合、すなわち、仕事を遂行出来るために、多少の約束事、取り決めが出来ただけである。
多少の取り決めたからこそ、強ささえあれば、それは出来るものであった。
しかし、今のプロレスに強いだけの格闘家はついていけないであろう。
それくらい商業性は進化しすぎてしまったのだ。
私は前記事で、◎アナログ昭和試合発掘動画賞 ジャックブリスコ・ジェリー・ブリスコ対?組として、紹介した試合を見てもらいたい。

アマチュアレスリングでは考えられない約束事のロックアップから始まり、しかし、双方意地になってのアマチュアレスリング、特にカレッジルールの動きをリアルに繰り出す。プロレス的約束ムーブと、リアルな攻防が、繰り返され、そして呆気なく、試合は終わる。
私が昭和のプロレスブーム以前に見ていた試合とは、実は、こういう試合が多かったような気がする。

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posted by shingol at 18:43| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする