K−1心中様も危惧していますが、秋山の件に関して、心ない韓国批判がネットで繰り広げられているのは残念な事です。
ここで、在日韓国人としての私也の私的な差別に対する考え方を記したい思っています。
私は幼い頃より、在日韓国人としての自分を意識して生活してきました。
私の生まれ育った長屋は、在日韓国人、在日朝鮮人、そして日本人でありながら被差別側に立つ人たち、そして本土の人たちではない沖縄の人たち、そういう人たちが混在する、ある意味、無国籍の混沌とした街にありました。
多数決の論理でいえば日本において社会的弱者に位置する人たちの群れの中で育ちましたが、長屋の誰も、声高に差別されなどと言う者は少なかったように思います。
私自身も親から、差別された等と言うなと言われ育ちました。
実際、親の世代ほどではありませんが、韓国人として生まれた故の、不条理、中傷、孤独感は私自身、かなりあったように思います。
それでも、韓国人であろうが無かろうが、尊敬される人は尊敬され、愛される人は愛される。
差別等と声高く叫ぶ前に、尊敬され、愛される人間になれというのが親の考え方でした。
また、逆のパターンで、韓国に行けば在日の多くは嫌な気分、淋しい気分を時として味わう事もあります。
自分が母国と慕う国だけは絶対的に自分を受け入れて欲しいと想う気持ちが強いだけに、余計、ちょっとした事で、冷たさを感じるせいかもしれません。
秋山の件に対して、心ない在日批判が繰り返されてますが、残念だと思いつつ、私自身はそんなに感情的にはなりません。
そういう人たちはネットでしか言えないのだし、国家ひとまとめの考え方しか出来ない淋しい人たちなのですから。
むしろ、太極旗を身につけてリングに上がっているのに、秋山よ、多くの在日に恥をかかせやがってという怒りの気持ちが強いのです。
在日ならば、暖かく、秋山を見守れば良いのでしょうが、殆どの在日が暖かく見守っているので私は温かい気持ちにならなくても良いかなと思います。
ひょっとして多くの在日が秋山批判を繰り広げれば、その時は私は秋山を擁護しているかなとも思ったりもします。
やはり秋山に対しての同胞意識はあります。
私は右でも左でもありません。
戦争は勝てば官軍です。
負けた日本が歴史を歪曲されている部分は確かにあると思っています。
かといって、軍国主義の過ちは繰り返さないでほしいとも思っています。
必要以上な被虐史感は嫌ですし、かといって愛国=軍国に結びつく極端な右翼思想も嫌です。
また軍国主義や主君に対する忠誠の為に利用される儒教ひいては武士道も嫌です。
しかし、元々は儒教にしろ、武士道、また武士道の柔らかい部分を受け持つ禅の思想等、古くからの東洋思想は本当に民主主義に適した平和的な思想だとは思っています。
国家を愛するのではなく、自分の郷土を愛するという意味で、私は日本を愛しています。
自分の生まれ育った国の良い点と悪い点を共に咀嚼して、自分也の愛国心というものは持っています。
どうか悪戯に反日、嫌韓を唱える日韓両国の人たちは無駄な事に時間を費やさないでください。
そんな暇があったなら、自分の家族を愛し、自分の友人や仕事を愛し、自分の隣人を愛し、ひいては自分の郷土を愛してください。
それが、それぞれが愛する国の発展につながるのだと思います。
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