私が子供の頃の覆面レスラーほど、神秘的で、得体の知れない雰囲気を醸し出す存在は無かった。
メキシコの覆面レスラーは文字通り、ペルソナ(仮面)を持って個性を演出していた。
しかしアメリカの覆面レスラーは、逆に、個性を消す為にペルソナを被る者の、不気味さを感じさせてくれた。
個性をこれでもかとばかり誇張するメキシコの覆面のデザインよりも、個性を消し去る為の顔隠しとしての意味しか感じさせないアメリカの覆面のデザインであったが、それでもシンプルな中に不変な調和のとれたデザインを感じさせてくれるものであった。
メキシコの覆面は当時から、奇麗に縫製・裁断された上に、カラフルで派手なデザインのものが多かった。
しかし私はアメリカの側頭部が膨らんでいるような未熟な縫製の覆面に、何故か丁寧な作りを感じてしまった。
それがアナログ感というものかも知れない。
私が興味を抱いたのはジャケットやスーツ姿のアメリカの覆面レスラーたちであった。
リングの上の覆面レスラーよりも、衣服を着ている時の覆面レスラーのほうが、非日常的に思えた。
奇妙で、怪しげな風体が、子供時分の私をどこかへ連れ去る不気味な使者のようにも思えた。
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