私はプロレスに本物の痛み等必要だろうか?とも思う。
少し考えてみたら分かるかと思うが、人が痛がっているのを見て喜ぶ人間なんているのだろうか?
きつい打撃は、相手をリアルにKOするためにある技であって、受ける相手に放つものではないであろう。
きつい打撃技を身体を張って受け合う事は、いつからプロレスラーの本質になったのだろうか?
プロレスが闘いを放棄してからは益々、きつい打撃技での痛さを免罪符にしだしてきた気がする。
昔のプロレスは安易に相手のきつい技を受ける事は無かった。
ラッシャー木村のチョップがきつければ、猪木は半身で流していたものだ。
逆に、そのほうがリアリティも感じられた。
プロレスとは闘いである。
前田日明の蹴りを真正面から受け止めた藤波よりも、私は金原の蹴りを必死にさばこうとした永田の姿が好きである。
プロレスラーの痛みとは、リアルであれ、約束事であれ、プロレスという職務を全うする上でのあらゆる要素を重ねた上での「痛み」だ。
受け身を繰り返し、間接痛を生じたり、神経が麻痺したりする。
その身体で巡業を繰り返す。
プロレスラーでいる事が充分痛みを感じている事なのに、更に激しい打撃技という項目等プロレスに必要なのかと思う。
約束事に終始するプロレスならば、ゆるいストンピングで試合を組み立てれば良い。
闘いを意識するプロレスならば、蹴りはさばけば良い。
どちらにしても、プロレスラーたちは充分痛みを持ってプロレスという職業を全うしているのだ。
もう、これ以上のハードヒットはいらないだろうと私は思っている。
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