2008年02月15日

アントニオ猪木の一拍/スタン・ハンセン戦の想い出/小川直也の可能性

明日のIGFにはTAJIRIが出場する。
TAJIRIの事である。
プロレス下手な連中の揃う興行の中で、自らのサイコロジーとやらを発揮し、これぞプロレスの差別化と好評価を狙っているであろう。
具体的には、間を駆使して、理詰めの、純プロレス作品としての醍醐味を見せつける気であろう。

しかし所詮、演出された「間」に有機的な匂いは無い。
プロレスが少なくとも人間の肉体のぶつかりあいとしての有機的な娯楽である以上、TAJIRIの提示する「間」というものが、当日いかに昭和のプロレスファンにとっては無機的な味気ない演出物であるかを感じ取れるはずだ。

アントニオ猪木の「間」とは有機的な世界であった。

今回、来日するスタン・ハンセンとの闘いが例えにしやすい。
ハンセンのラリアットは、ハンセンにとって最大の武器でもあるが、実はアントニオ猪木のアナログ的演出にとっての格好の材料でもあった。
ハンセンのラリアートを綺麗なフォームで躱してカウンター技を放つ選手は多い。
しかしアントニオ猪木はハンセンのラリアートを機械仕掛けの人形のごとく綺麗に躱した事等一度も無かった。
以前も記したが、体表面積に対して足の長いアントニオ猪木は身体の折り畳みに普通の選手より時間がかかる。
結果、ハンセンのラリアートを躱す猪木の動作に、一拍、「間」が空く。
その「間」が攻防の攻守交代の為に、観客に僅かながらも凝視する時間を与え、攻守交代のシーンのサインとダイナミズムの予感を生み出すのだ。

おそらく、いかに失敗の無い機械仕掛けのアクロバットショーのようなプロレスに励み、熱中する、現在のプロレスラーやプロレスファンにはその醍醐味は分からないであろう。

TAJIRIがいかに無機的な「間」を演出しようとしても、アントニオ猪木の自然の「間」の持つアナログ的有機的演出感とは異なる世界である。

そういう「間」において現在のプロレスで長けている選手は、実は西村修でもある。
アントニオ猪木と同じような体型の西村は、プロレスの攻守交代のシーンにおいて、猪木同様の一拍の「間」を生み出すレスラーである。
西村修の逆さ押さえ込みの一拍ほどアナログ感の詰まった技は無い。
西村修は実はアントニオ猪木の「純プロレス」的演出の後継者でもある。
しかし「純プロレス」の部分だけの後継者でしかない半端なレスラーでもある。
「闘い」が無いからだ。

そういう意味ではプロレスのヘタウマ小川直也のプロレスの攻防のつなぎに少し注目してもらいたい。
下手だからこそ、プロレスの約束的な攻防に、一拍遅れを生じる。
攻防する両者の肉体がひずむ。
プロレス等所詮、人間同士の、極めてアナログな手作りの作業でしかない。
その、ひずむ攻防にこそ、潜在的なファンの求めるプロレスという娯楽の「間」がひそんでいるのである。
小川直也は、アントニオ猪木の純プロレスの部分の魅力と、「闘うプロレス」の部分の魅力、その両方を継承出来る可能性はまだ持っているのである。

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posted by shingol at 20:55| 新・猪木ゲノムの正体を探れ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする