永田裕志のアクシデントで、何とも、嫌な気分になった。
一昔前のプロレスの突発的な不慮の事故とは異なり、今のような試合内容を続けていけば、これからも、今後、プロレス界で、この種のアクシデントは定期的に増えていきそうな気がしてしまう。
誤解を怖れずに言えば、今のプロレスラーたちは、プロレスファンの奴隷だ。
ひたすらプロレスファンの受身的な感性を満足させるべく奉仕し続けているのが、現在のプロレスラーでもある。
私は、天龍源一郎が最初にブレークしたとき、嫌な予感を覚えたことがある。
プロレスにリアルな痛みを持ち込む事など、本来は避けなければいけないことであるのに、天龍はファンの支持の元、激しいゴツゴツとしたプロレスを展開し続けた。
リアルな痛みを持ち出さなければ、観客に痛みが伝わらない、安易な方法に多くのレスラーたちが追従した。
総合格闘技の本物の技術、迫力に対して、それでもプロレスの傷みは本物だという、最後の免罪符を持ってしか、プロレスラーはプロレスを語れず、プロレスファンはプロレスに満足できないのだ。
どのようなスポーツであれ、長く続ければ、多少なりとも身体に故障を抱えるものだ。
私のようなアマチュアレベルであっても、冬になれば靴下も履けないほど腰痛は悪化し、一年中、頚椎からの腕の痺れ、膝の痛みなど、古傷は絶えない。
ましてプロの職務を遂行する上で、プロレスラーたちにも職業病はあるであろう。
70年代の多くのプロレスラーたちは、受身を取りすぎた為に、引退以後も多くの後遺症に悩まされているのが現実である。
しかし高山の例以後、プロレスラーたちには脳に異変が見られることが増えてきたような気がする。
当たり前の話である。
激しいハード・ヒッティングや脳から落とす危険な大技を持ってしか、プロレスに説得力を持たせられないのであるから、当然である。
プロレスがリアルな格闘技でないと皆知っている時代に、何故、プロレスに痛みが必要なのか?
本当に痛い技、危険な技でしか、痛みや凄さを伝えられないのなら、それらは三流役者の集いでしかない。
アントニオ猪木や、前田日明、長州力、藤波辰巳、馬場、鶴田、かつてのスターは皆どのようなプロレスを展開しようとも、あえて相手の頭部にダメージの残るプロレス技を仕掛けることも無かったし、それらを受けることも無かった。
壊し屋といわれた新日時代の前田でさえ、硬い試合内容と、相手に外傷を負わせる遠慮の無い激しい技を持って、誤解されている部分もあるが、決して肉体の我慢比べ、脳へのダメージが蓄積するようなプロレスを展開していたわけではない。
そういう彼らを持ってしても、皆、肉体は壊れていくのである。
私が不安なのは例えば三沢である。
あまりにも激しく大技とハードヒットなプロレスを展開する日々の中で、脳にダメージが残る。
しかし、試合後、美味しい酒で、身体の痛みを忘れるような日々を続けていけば、やがてどうなるのか普通に考えれば分かるはずである。
永田は何度も記してきたが、プロレスとしての闘いを、金原たちとの闘いで我々に見せ付けてくれた男である。
金原は危険なプロレス技を出したわけでもなければ、永田は自分の身体を痛めつける技を出したわけでもない。
それでも、あれだけの興奮を与えてくれた男である。
極論すれば、プロレスに本物の痛みなど無くても、それがアントニオ猪木的世界であれ、馬場的世界であれ、本当ならプロレスの迫力も素晴らしさも伝わるはずなのだ。
なのに本物の痛みを持ってしかプロレスを伝えられない、このプロレス界の風潮はかなり歪な世界でしかないだろう。
私の好きな永田が、馬鹿なプロレス村の住人たちを喜ばす為に、自分の身体を犠牲にさせて、今のようなプロレスを遂行していることは、なんとも悲しいことだと私は思う。
人気ブログランキングへ

