私はブログをスタートしたのが2005年と、比較的最近の事です。
元々、同じ世代の昭和のプロレスファンに対して、想い出の共感を出来るようなブログが出来たらなと思い始めたのですが、いつしか、現在のプロレスへの問題提起等の記事が中心となりつつあります。
昭和のプロレスが好きだからといって、現在のプロレスを全て批判しているわけではありません。
しかし、私は、プロレス村という狭い世界の住人つまりファンの機嫌を取り続けるようになった事で衰退したプロレスと云うジャンルを、マニアやファンから取り戻したいという願いがあります。
私の根本的な考えの中には、プロレス界が、これまで通り、プロレスファンだけの顔色を伺い続ける限り、今の市場規模から抜け出せる事は絶対にないであろうと断言出来ます。
極論すれば、プロレスファンの顔色等伺わず、世間に通じるプロレスラーやプロレスを育てる事だと思います。
それは世間に迎合するという意味ではありません。
また、世間に対して、アントニオ猪木の後期の環状線理論のごとく、核なき空洞化としての世間を振り向かせる戦略でもありません。
異形の人でもいい。
世間の人が振り向く、プロレスラーを、まず作り上げる事が大切だと思います。
棚橋というプロレスラーがいます。
プロレス界の中ではかなりのイケメンです。
しかし街を歩いていて、世間の若者が棚橋を格好よいと思うでしょうか?
棚橋くらいのルックスは世間に五万といます。
しかも、残念な事に、棚橋は、世間のファッションリーダーでもなく、世間の若者の流行の後追い人でしかないという事です。
プロレスファンを刺激するわけではありませんが、プロレス村の中だけのレベルの低いお洒落人でしかありません。
私はファイトスタイル的には嫌いですが、長州も、藤波も、プロレス界にしかいない世間とは異形の格好よさを持って多くのファンを開拓してきました。
90年代の武藤や橋本もそうでしょう。
猪木も、前田もそうでした。
あるいはWWEにバティースタというプロレスラーがいます。
見事な逆三角形の肉体に、クラシックスーツを着こなすプロレスラーです。
あれほどクラシコイタリアのスーツを、本来の目的としてのシェィプされた見栄えを持って着こなす男は珍しいでしょう。
世間的にはお洒落かどうかはともかく、世間の人が真似出来ない異形の格好よさを持つ男です。
あるいは仲邑というプロレスラーがいます。
プロレス村的なセンスでは棚橋に劣る仲邑ですが、少なくとも、世間の人は棚橋より仲邑の方を振り向くはずです。
少なくとも世間に迎合しない、それでいて世間の潮流と同じで、なおかつ、少し先を行く感性とオーラを仲邑は持っているからです。
しかし、今の仲邑は次第にプロレス村に染まりつつありますが…。
世間の潮流と同じ感性を持つなら、世間より、少し速く先を歩くプロレスラー。
あるいは世間とは異形の魅力で惹き付けるプロレスラー。
その、どちらも、今のプロレス界には少なくなってきたような気がします。
インディー団体は私は好きです。
ジャンルの中の特化した専門性を売りにすれば、求めるファンは、ある程度のマニアックさを必要とするから仕方ないかとは思います。
しかしメジャーである新日本のファン層が、新日本というインディー団体を支えるマニアックなファンになってしまえばおしまいでしょう。
だいたい今の新日本の市場規模では、我も我もの、我の強い選手の給与さえ支払えないでしょう。
なのに相変わらず市場を開拓する努力を怠り、ひたすらプロレス村の住人だけを相手にした興行を続けていけばメジャー団体等運営出来るはずは在りません。
昭和の新日本はコアな核のファンは全体のファンの半分にも満たなかったものです。
プロレス等良く分からないけれど、格好よい、面白い連中がいるなとの匂いをかぎつけてやってくるお客こそ大切だと思います。
そんなお客は閉鎖された今のプロレス村にやってくる事等絶対に在りません。
しかしインディーにはやってくるでしょう。
小さな規模の熱の在る空間には、小さいジャンルに対して一見さんでも感情移入しやすい敷居の低さがあるからです。
大きな団体では在りますが、ノアにも、WWEにも、似たような、一見さんの入り込みやすい雰囲気があります。
プロレスというジャンルの特価性を大切にしながらマニアのファンも大事にしながら、一見さんも入り込みやすい世間に対しての団体のイメージを常に模索しているからでしょう。
しかし新日本には何があるのでしょうか?
新日本のファンが格好よいと信じている棚橋が、ノアのマットで、ノアの選手以上に華やかな雰囲気を出せるのでしょうか?
棚橋は抜群にプロレスの上手い名選手だと私は思っています。
しかし、それはマイティ井上やアニマル浜口のように、バイプレーヤーとしての魅力のはずです。
例えばプロレスの上手さにこだわらず、個性の強さで、ファンを惹き付けるレスラーたちの荒削りな試合の中で、棚橋の上手いプロレスは生きるはずです。
しかしプロレスの上手いだけの棚橋に、団体側が、棚橋は世間に通じるスター性を持っていると考えているならば、もはや新日本自体が、世間との大きな感覚のズレを持っていると云う事でしょう。
肝心要のメジャー団体としての新日本が、世間を意識せず、一番プロレス村の匂いを発散している団体である事は辛い事です。
僭越ながら当ブログの誉れ
人気ブログランキングへ

