私は、世界一情が厚く、世界一暖かい血の流れる人間は前田日明であると思っている。
私と同じ世代の人間が前田に失望し、呆れ、それでも前田を追いかけせざるを得ない理由は前田の果てしない情の幻影を求める事で、あまりにも劇的とは成らない自分たちの人生観を投影しているからでもあると私は思う。
私は前田日明が世界一大嫌いでもあるので、前田の暴力に屈するような人間を軽蔑する。
暴力に屈するようならペン等いらないのだ。
私が同胞として前田を好きなのは、同じ関西圏の同胞でもあるからだ。
幼き頃より孤独と振り向き合った少年なら、周りの人の好意に過剰に感謝し、過剰に感謝することにつけ込む輩を知り、そして警戒の為に心を刺のようにする過程は理解出来る。
港区を歩き、前田の生家らしき場所を偶然通りかかった時に、新日本プロレスという心の故郷を見つけた前田の数奇な半生を頭の中で想い描いた所で、まだ結果の出ていない行く末の答えでしかないのだと思った。
前田日明はいつも自分の心の故郷を求め続ける人間である。
前田日明の口癖がある。
「こと…」である。
「こと、リングの上に関して言えば猪木さんは姑息ではなかった」
「こと、佐山さん…」「こと長州さんが…」
自身の人生において対峙した人間たちを何とか認めようとする時の前田の口癖である。
それは前田が新たなる敵と対峙していることを伝える信号としての言葉でもある。
カレリン戦前、とうとう、こういう言葉が出た。
「こと、受け身に関しては新日本プロレスは世界最高のレベルを持っていたから、カレリンに投げられても平気だ」と。
プロレスラーでありながら中途半端に格闘技界の顔役を果たした前田は、またしても自分の属性を探し求め、ヤンキー集団の闘いまで構築してしまった。
しかし前田はヤンキーとは程遠い。
一人で喧嘩してきた孤独な文学青年である。
きっと自身の心の拠り所を求め創り上げたイベントの中で、また、孤独を感じる事であろう。
どんなものを、なにをもとめても、前田の属性は満たされる事は無いのだ。
前田の孤独を満たすための属性は、不良にも、格闘家にも無く、血筋にも無く、「ブロレスラー前田日明」として常に孤独と振り向き合ってきた自身の名前以外には存在しないはずである。
よってどこにも属さない孤独なプロレスラーとしての自身を属性とするしかないのである。
そんな前田の好きな漢詩がある。
「月下独酌」の世界は前田という頑固な性に苦しめられる人間が憧れる桃源郷でもある。
その詩を読めば、前田が、どれだけ暴力と戦争を嫌っている人間であるか、理解出来るはずである。
暴力以外には暴力は絶対にふるわない男なのである。
私は前田日明と出会えたら、多分、鼻血を出して気を失うだろう。
それくらい私が世界で一番憧れる人間であり、そして、世界で一番嫌いな人間でもある。
人気ブログランキングへ

