2008年03月25日

昭和プロレス者/4・長州力という情動によるリアル猪木ゲノム

私のブログを御読み頂く方には、私の一つの大きな矛盾に気づいている方もいるようだ。

私は長州力というプロレスラーが好きである。
同時に長州力のプロレスは好きではない。

それは私が長州力を観るより先に、プロレスブーム前のアントニオ猪木の試合を観て育った事が大きな要因であろうと思う。

猪木のプロレスを観て育ったファンにとって、長州力のプロレスとは、ハリウッド映画や売れ線歌謡曲そのものの世界である。
全編クライマックスや、全編サビだらけの、刹那的な消費物でしかない。
ファンに想像力を働かせる間もなく、受け身的にファンを高揚させ、ジャンルを楽しむ耐性を無くす、後の平成プロレスに続くプロレス衰退のA級戦犯でもあると私は思っているからだ。

しかし、私は長州のプロレスを否定しながらも、それでも、長州力の発散する熱量に夢中にならざるを得なかった。
私の好みでないプロレスを展開しても、なお、私を惹き付ける情動の塊として長州のプロレスは存在していたのである。

属性とは、結局は、各々が属する場でのコウモリの如くの都合の良い逃避的な自己防衛でしかない。

しかし私は日本人の中にいる時、レスリングの集団にいる時、プロレスファンの中にいる時、その全ての場面、場面において孤独を感じている時、私の求める属性を全て満たす男である長州力が救ってくれたのは事実であった。

プロレスファンとして、同胞として、アマチュア・レスラーとして、長州力はまさしく私の神であった。

私が以前も記した事だが、私は長州力のアマチュア時代を知る恩師に、長州力の誰も知らない本当の闘い方を聞いた事がある。
私は出来るだけの想像を働かせ、長州のまだ見ぬ闘い方を、反復し、身につけた。

安生と中野と闘った長州によって、私の想像はようやく、頭の中だけでなく、実際のリング上のスクリーンに映し出された。

腕取り、がふり、腰高のタックル、ツーオンワン、ネルソン、本当の自分の闘いを貫く長州力は、普段とは別の人間であるかのように、感情を抑制し、淡々と、相手を追いつめ続けた。
それは情動を全開させる長州力のプロレスとは異質の、抑制された感情としての色気を醸し出した。

アントニオ猪木は放送席でその試合を絶賛した。

おそらく、アントニオ猪木はIGFにおいて、この日の長州のような「プロレス」を心底、願っているのだと、私は強く信じている。

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posted by shingol at 19:33| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする