プロレスラーの定義は様々です。
しかし総合格闘技に限定してのプロレスラーの定義は簡単な事だと私は思っています。
無駄な事をしてきた事。
つまり最短距離で強くなってこなかった選手たちが、すなわちプロレスラーであるのだと私は思っています。
プロレスの道場神話というものがありました。
しかし、そこは強くなる為の最短距離の虎の穴でない事は、誰もが、知っている事です。
プロという環境であるにも関わらず、実際には働きながら、町の道場において最短距離での強さを求めていった多くの格闘家と比べ、プロレスの道場は強さの追求に対しては非効率な環境でもありました。
強さに直結するわけではない地道な補強練習、精神力につながるわけではない先輩のいじめ、雑用、それらは強さを最短距離で求める人間たちにとっては何ら意味の無い事でしかありません。
しかし、同時に、このように強さに直結しない無駄な部分にこそ、多くのファンは、どういうわけか魅力を感じ、プロレスラーに感情移入出来てきた事も事実です。
常人では真似の出来ない生活環境を乗り越えてきた特別な人間へのリスペクトを、皆、潜在的にプロレスラーに持っているのではないでしょうか?
そういうプロレスラーが町の道場出身の選手たちに実力差を見せつけられ、敗退する現実を見せつけられるようになり、どれくらいの月日が流れているでしょう。
単純に考えると、スクワットを何千回とこなすよりも、親切丁寧に技術を教えてもらい反復し続けるほうが強さの最短距離である事は皆、分かっている事です。
それでも、皆、スクワットを何千回とこなし続けてきたプロレスラーに勝ってほしいのです。
競技だけでなく、空いた時間はお洒落や別の事を楽しむ格闘家の生活は、素晴らしい生活スタイルの一つのモデルと成りました。
しかし、練習を終えても丸刈り姿で雑用に追われるプロレスラーの新人を、プロレスファンは応援し続けてきたのです。
私はプロレスバカは嫌いです。
土台を作ってもなお、プロレスだけの上積みを行なうプロレスラーたちに対しての気持ちです。
しかし、土台を築くまでの間は、それ一本に掛けて懸命に生きなければいけない時期があるはずです。
そういう意味で、プロレスラーたちは、プロレスラーという土台づくりのために、人の真似出来ない日々を過ごしてきた誇りをもっと持ってもらいたいと私は思います。
それが最短距離での強さにつながるものでなかったとしてもです。
私は三流のアマチュア競技者でしたが、そんな私でも、強く信じている気持ちがあります。
最短距離で強くなった所で何の意味も無いという事です。
別にいたずらな根性論等全く意識した事はありませんが、それでも非科学的に無意味な事を懸命にやってきた人間はどこか常人とは雰囲気や表情が違います。
もし総合に出陣するプロレスラーに、異質のオーラを感じるファンがいたとすれば、それはプロレスラーが無駄な事、意味のない事を続けてきた人間としての揺るがない土台が醸し出しているともいえるでしょう。
そういう意味では、パンクラスの選手には若手からでも似たような雰囲気を感じてしまうものです。
かつて佐藤に勝った竹内は「強くなる為の練習をしているのか?」と佐藤に言い放ちました。
強くなる為の最短距離の練習をしてこなかったからこそ、プロレスラーたちの魅力がある事を、多くの格闘家たちは未だに気づいていないようです。
しかし私は少しだけ、プロレスラーたちの口癖が気になりもします。
何千回スクワットをやらされた。ひどい雑用だった。
全て「受け身の苦労自慢」なのです。
プロレスラーたちの新人時代の苦労は誰もが分かっている事です。
しかし、逆説的に記せば、受け身的な環境に入り込んで、耐えていただけの苦労自慢でしか聞こえない時もあるのです。
例えば人生のベテランと話していて、皆さんは、苦労自慢を聞きたいでしょうか?
どれだけ苦労に耐えてきた話よりも、自ら能動的に努力を買ってきた話を聞きたいのではないでしょうか?
そういう意味で、プロレス道場での受け身的な苦労を、更に昇華させたパイオニアが田村潔司でしょう。
たった独りの新弟子として耐え抜いた苦労の新人時代を終えると、今度は能動的な努力を果たそうと、町道場や大学のレスリング部での出稽古を始めました。
それらの何層もの苦労と努力の歴史は、田村が良くも悪くも、他のプロレスラーたちよりも更に輝くオーラを身に纏うスター性を持つ要因でもあると私は思っています。
かつてリアルファイトの場に挑みつつあるとき、田村はこう言いました。
「ファンの持ってくれている自分への強さのイメージを守りたい」と。
そういう悲壮な決意のもと、能動的に自ら努力を買い、総合に出陣していた頃の田村は、本当に魅力的でした。
しかし今の田村はあの頃のような悲愴な表情をする事はありません。
涼しい顔で闘っていこうとしているのなら、田村は過去の苦労と努力の貯金を自ら食いつぶしていく事になると思います。
田村はひとつ勘違いしている事があります。
総合において桜庭ほどの実績は無いという事です。
実績の無い男が、自らのプロレスラーとしてのスター性を持って、団体やファンから総合格闘技への出陣を望まれているのなら、もう涼しい言動をしている暇は無いはずです。
「ファンのイメージを守りたい」と悲壮だった田村はリスクのある闘いを悲壮な決意で突破してきました。
しかし最近では、闘う事よりも、闘う相手を選ぶ事でイメージを守りたいとでも思っているのでしょうか?
かえすがえす田村には、桜庭ほどのジャンルに対しての優位性はありません。
優位性の無い男が、対戦相手を選んではがりいると、ファンは白けていってしまうだけです。
田村の魅力の一つとは、強さ弱さではなく、ファンの為に強さのイメージを守ろうと闘ってくれた部分だと私は思っています。
まさしく人の為に闘うプロレスラーそのものの姿でした。
一生懸命ファンの為にリスクのある闘いでベストを出してくれた結果なら、負けた所で、ファンは誰一人失望等しないはずです。
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