2008年03月30日

猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解

私が少し驚く事は、小川と橋本の三度目の対戦がセメントだと、世間では思われている事だ。
正確には、小川がセメントを仕掛けたと言われている事である。

おそらく70年代の猪木を見てきたファンならば、この試合がセメントを狙って、小川が橋本に仕掛けた試合ではない事は理解出来るはずである。

しかし、今のファンには小川がセメントを仕掛けたという考えしか出来ないのかなと、私は年代の差を感じてしまった。

猪木は決して小川にセメントを指令したわけでは無かった。
単純に、相手の技を受けず能動的に主導権を奪えと小川に命令したはずである。
それが何故セメント指令だったと誤解されるのかは私は分からない。

純プロレス的世界観で、橋本の重い攻撃を受ける事は、観客に対して、強さのイメージを示す事は出来ない。
したがって、もし強さのイメージを大切にするレスラーならば、橋本の蹴りは簡単には受けてはいけない技なのである。

橋本もベイダーも、相手が受けてくれる事を前提とした世界の中で、強烈な強さのイメージを維持してきた。

しかし技を受けてくれない相手に対しても、能動的に自分の技を放つ事が出来れば、まさしくアントニオ猪木の理想とするリアルな主導権争いによるプロレスが展開出来た事であろう。

しかし橋本はそうはとらなかった。
まるでプロレス技としては硬めの攻撃を繰り出すUWFの攻撃にセメントだと勘違いする外国人レスラーのように、橋本自身が、この試合はセメントだと勘違いしてしまったのである。

しかも外国人レスラーのように切れる事も無く、試合を放棄してしまった。

あの時の小川の攻撃は、新日本との対抗戦で金原が、永田や石沢らに繰り出した攻撃と同質のものである。
しかし、何故その試合はセメントマッチと成らなかったのか?
永田や石沢は、金原の攻撃を捌け、かつ技を安易に受けない金原の意思に関係なく、リアルに放てる技術を持っていたからである。
何度も記すが、アントニオ猪木が絶賛した試合である。


橋本は重く痛い攻撃によって強さのイメージを限りなく示す選手であった。
あのUWF勢でさえ、プロレスの枠内では、橋本に「強さのイメージ」を独占された。

私は高田が橋本の攻撃を受ける前に怯えた表情をしていたのを忘れられない。
リアルに痛いのであろう。
リアルに痛い技を、避けずに受けなければ行けない。
これほどの恐怖は無いのかも知れない。

それはそれでプロレスの美学であるが、昔のプロレスはリアルに痛い技を受けたりはしなかったものだ。

リアルに痛い技は、受けてくれる相手に放つものではない。
避けようとする相手に放つ技である。
そして、その攻防をリアルに魅せるものである。

格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
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posted by shingol at 22:21| 新・レッスルする世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする