長州対藤波がハイスパートプロレスの原点だといわれる事が多い。
しかし私の知る限りでは、新日本のハイスパートプロレスの原点は、地方でのテレビマッチのメーンに行なわれる事が多かった6人タッグマッチである。
テレビの放送の残り時間に追われるように、藤波や星野、木村健吾、長州が、むやみやたらと外国人相手に動き回っていた試合の数々だ。
中身等何も無い、ドタバタした、攻防だけで、観客を沸かせる事に終始した、ああいった試合は、ある意味、地方及びテレビの前の一見さんに対しての安易で適当な売れ線的なスタイルでもあった。
技がそれほどある時代でもない。また、今のように純プロレスの進化した攻防に対応出来る外国人選手等いない。
結果、ハイスパートを維持する為に、繰り出す技は、ロープに飛ばしてのショルダースルーやドロップキックくらい。
それを何度も何度も繰り出しては、悪戯に観客を沸かすだけの、あまりにも安易なお茶の濁し方であった。
星野や藤波の軽快さは、ああいう試合では欠かせないものであったが、私が驚くのは、そういうスタイルに不慣れな外国人たちが、よくぞ、あそこまで動き回るスタイルに付き合っていた事だ。
だからこそ6人タッグマッチで無ければ体力的に不可能な試合であったのだろう。
丁度、プロレスブームの少し前、新日本は普段のTVマッチでは、そういうドタバタしたプロレスを展開しながらも、最終戦の国技館あたりではじっくりとした味わい深い攻防のプロレスを展開してくれる事が多かった。
田舎及びテレビの一見さんを意識した安易に観客を沸かせるだけのプロレス。
固定ファンを意識した最終戦での静かなプロレス。
そういう意味では、その頃の新日本は、地方向けのドタバタしたプロレスをケ・日常として、最終戦でのファン向けのじっくりしたプロレスをハレ・非日常としてきっちりと使い分けていたようにも思える。
※現在の新日本においても、この名残はある。しかし、永田を除き、この区分けの意味をしっかりと把握しているレスラーは少ないように思う。
その事については後日、記させてもらう。
全日本プロレスが、シリーズごとに、参加メンバーによって、やや知識層向け、子供や一見さん向けと区分けしていたのとは異なる方法で、つまり試合内容によって、新日本也にファン向けと一般向けのプロレスを区別していたのである。
全日にも新日にも、共通するのは、普段、区分けしていたものを融合させると、爆発的なブームを巻き起こすという事だ。
全日本はファン向けのNWAスタイルの大物たちと、一見さんや子供向けのブッチャーを直接対決させる事で、人気を博した。
新日本は普段、田舎で行なっているハイスパートを、都会でも行なう事で、プロレスブームの礎を築いていった。
しかし共通するのは、マニアと一般が共存した世界は一時は、かなりの熱気を生むが、結局はマニアの核を無くし、ジャンルの核の熱を無くし、衰退していく。
マニアと一般層に大切なのは融合ではなく、棲み分けだ。
融合するのは特別なお祭り時だけで良かったはずである。
最大公約数のファンを一度に求めた時、プロレス界は必ず人気を博す。しかし、それは一過性の物でしかない。
プロレス界に明確なハレとケの概念が無くなってしまい、もう25年は経っている事であろう。
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2008年04月08日
昭和の新日本の不思議な6人タッグ・ハレとケを無くしたプロレス界
posted by shingol at 07:06| 新・レッスルする世界