例えばの話であるが、この試合は総合格闘技なんだと自分の頭の中で自分を騙しきりながら、プロレスを行なうようなレスラーが現れないものだろうかと私は思う。
もちろん全ての攻撃の負荷を総合と同じ負荷をかけて、かつ、急所に対して放つような意識ではない。
むしろ防御面において、総合並の意識を維持すれば、プロレスにおいての緊張感は少しは蘇るのではないかと私は思う。
それが昔の新日本プロレスでもあった。
昭和の時代の全日本と新日本の違いが最もあらわれた光景は、ロープ際でのブレーク時である。
良くも悪くも相手との信頼関係に基づいて上質のプロレスを展開する全日本のレスラーたちのロープ際での攻防はスマートで、様式美に溢れている。
しかし、新日本の場合は、ロープに押し込まれた相手の肉体の緊張ぶりが最も目立つシーンでもあった。
相手に身を預ける柔らかさを持った全日本のプロレスに対して、新日本は簡単には相手に身を預けない堅さを持っていたという事である。
また猪木は相手をロープに押し込む際も、相手の片腕をロープに絡めた後で、プロレス的な見栄を切る事が多かった。
見栄を切る際にも、ロープ際での緊張を意識しているのである。
それを考えると、猪木が何故、大谷進二郎の顔面ウォッシュを否定するか分かるような気がする。
藤田和之が総合に参戦後も頑に守っている長州の教えとして、相手から目を離さない事を頑に守っていると語った事がある。
今のプロレスは簡単に身を預けすぎている。
かつ、信頼のもと、身を預けた上に返って来るのは、頭部や頸椎への打撃だ。
軽い負荷とはいえ、頭部への攻撃を放つ相手に等、簡単に身を預けるべきではない。
もう少し堅いレスラーが現れてくれないだろうかと私は思う。
当然、堅さは逆に時として怪我を誘発しやすい。
しかし、簡単に相手に身を預けた上に、受けなければ行けない技は、頭部や頸椎へのえげつない技なら、すかしてもいいはずである。
それが人間の防衛本能だ。
自分を傷つける技等受ける必要は無いのだ。
そういう行為がプロレスの緊張感をどんどん無くしてしまっている原因では無いだろうか?
(一方、純プロレスの世界なら、相手に身を預ける事で、様式美の世界が生まれる。
しかし、そこにおいても、身を預けてくれた相手の脳を揺らす技等行なえば、そこに信頼関係の上に成り立つ純プロレスの美しさすら醸し出せないと私は思う)
緊張感を無くしている原因は他にもある。
前々から記している事だが、簡単に感情を露出させすぎている事だ。
プロレス的感情とは露出する事で色気を無くしてしまうものだ。
皆が皆、女子プロレラーのように簡単に感情を露出させるプロレスを展開してしまっている。
感情を意識の中にしっかりと内に秘め、かつ、簡単に露出させない事で、色気を醸し出す。
猪木、長州、前田、橋本、全て内に秘めた感情の露出を抑制する事で、見る者に、色気と緊張感を与えて来たのだ。
プロレスラーのリアルな感情とは簡単に露出させれば安っぽく白々しくしか見えないものだ。
それよりも内に何かを秘めてるなと匂わせてくれるようなレスラーを、見る者は凝視してしまうものである。
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