プロレスとは欧州でのグレコローマンスタイルの商業スタイルの発展系、あるいはアメリカでのフリースタイルの同じく商業スタイルの発展系でしかないである。
実はその辺りに、古代パンクラチオンが突如として現代に蘇った総合格闘技と、所詮、レスリング競技のディフォルメした商業スタイルであるプロレスとが、相容れない理由があるのだと私は思う。
1960年代、あるいは1970年代のプロレスとは、特にアメリカにおいて、アマチュアレスリングのフリースタイルの技術のディフォルメそのものの世界であった。
現に、今でさえ、純プロレスの基本的なムーブは、フリースタイルレスリングの技術を極端に、誰しも使いやすく、かつ、観ている者に分かりやすく、ディフォルメしたものである。
私が驚愕するのがジャック・ブリスコである。
ブリスコ全盛当時のアメリカは、さして五輪には興味の持たない、カレッジルールでの最高峰だとの誉れのみを目指して、誰しもが、しのぎを削った、世界とは異質のレスリング大国であった。
そのブリスコは文字通り、アメリカのレスリングの最高峰の承認を得たトップ・アスリートでもあった。
東京、そしてメキシコと、五輪二連覇を果たした上武(小幡)選手は、留学先のアメリカのオクラホマ州立大学で観たプリスコの印象をこう語った。
「重量級でありながら、あまりの軽量級の選手のスピードに驚いた」と。
そのブリスコが商業レスリングであるプロレスにおいてトップに立ちながら、ブリスコと対する多くの選手たちは、実はブリスコの隠れた力の前にひれ伏していた訳ではなかった。
肝心な事であるが、当時のプロレスラーとは、プロレスファンあるいはボディ・ビルダー出身だらけの現在のアメリカのプロレスラーたちでは無かったのである。
当時アメリカのプロレスラーたちの半数を占めたアマチュア・レスリング出身者の試合中の力試しを、ブリスコはことごとく退け、そして予定通りに結末を守って来た。
結末において自分にプロモーターが与えてくれた役割を遂行するだけでなく、試合中においても、腕自慢の相手の挑戦を退けて来たのである。
ビル・ロピンソンが、シュートでブリスコに負けたとの噂があった。
ロビンソンは、ブリスコとシュートに成った事等無いと主張した。
おそらくロビンソンの主張は正しいのであろう。
少なくとも1960年代、70年代のアメリカマット界においては、シュートになろうがなかろうが試合中のリアルで能動的な主導権争いは日常茶飯事であったのであろう。
これは仕事、これはシュートというような分け方のロビンソンの発想とは別の所で、おそらくブリスコは日々、身体を張って来たのだと私は思う。
私の主観であるが、もしロビンソンがブリスコにリアルに挑んだとしたら、大人と子供の差があると思っている。
ロビンソンを貶しているのでは無い。
全てのフォークスタイル=キャッチ・レスリングの技術がアメリカに渡り、イギリスにはキャッチの決めの部分しか残らなかったイギリスで、キャッチを学んだロビンソンと、イギリスとは比較に成らないレスリングの技術を持つアメリカの王者ブリスコとは、あまりにもレベルが違いすぎるのである。
もし、ブリスコのレスリング技術と、そしてロビンソンのレスリングからの決めが、合わされば、誰が太刀打ち出来るのであろうと。
何度も記して来たが、フリースタイルの源フォークスタイル=カレッジスタイルとは、イギリスのキャッチの関節技を取り除いてアメリカに輸入された技術である。
イギリスから離れた事によって、フォークスタイルはアメリカで飛躍的な発展を遂げた。
しかし関節技を取り除いての発展である。
ブリスコとロビンソンの遭遇が事実なら、イギリスからアメリカにレスリングが移りいく果てに失ったミッシング・リンク(失われた輪)が、そこに存在している闘いが実現していた事に成る。
その失われた輪とは、ゴッチさんがUWFの弟子たちに教えながらも途中で抜けている技術と同じ類いのものである。
プロレスはパンクラチオンとは別物である。
しかしパンクラチオンにも勝るとも劣らない技術体系を持つ古典的スポーツでもある。
総合格闘技のシーンで、だからこそ、キャッチレスラー、すなわちフォークスタイルの後継者が勝たなくては成らないのだ。
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