かつて、70年代から80年代の米マットで隆盛を誇ったAWAは何気に五輪のアスリートのスカウトに躍起になっていたものだ。
レスリングのクリス・テイラー、アイアン・シーク、ブラッド・レイガンス、重量挙げのケン・パテラ、そしてマサ斎藤、当時のアメリカマットではあそこまで他のアマチュアでの実績を持つ選手たちが揃うテリトリーは存在していなかった。
ボスのバーン・ガニアからしてトップのアマチュアレスラー出身でもあったのだが、AWAの試合は今に成って動画サイト等で見る限り、例えば同じ年代のフロリダ・マット等と比べても、比較的、能動的に主導権争いを展開する事の少ない純プロレスの要素の強い普通のアメリカンプロレスの印象でもあった。(純プロレスとしての各々の選手は独特の個性の集う集団であったが)
では取り立てて、遂行すべきプロレススタイルにさほど必要の無い技術と実績を持つアマチュア五輪者を何故、あれほどまでに多く揃えていたのであろうか?
プロレスとしての強さのイメージに箔を付ける為と言えばそれまでの事だ。
私は更に気になる事がある。
コーチに携わっていたのがビル・ロビンソンであったことである。
かつてリック・フレアーは、ロビンソンの厳しい指導に何度かキャンプから逃げ出した事を著書で告白している。
またプロレスラーとしてのロビンソンが試合中、リアルな行為に走る米マットにおける悪い評判を持つレスラーである事も同じく著書の中で記している。
アメリカで、純プロレスの完全な遂行者・模範者としての評価とは、真逆の評価を持つロビンソンを、純プロレスを遂行すべき集団がコーチに雇っていた事は、すなわちAWAマット界の基本的な姿勢とは、例え純プロレスを遂行していようがプロレスラーは強く無ければ行けないという事を示唆しているのではないかと私は思う。
リアルに強いプロレスラーのタイプには二つのタイプが存在している。
リアルに強いがプロレスに対しては滅多にリアルさを発揮する事無く黙々と純プロレスを遂行するタイプ。
そしてリアルな強さを押し出して能動的な主導権争いを展開する事を好むタイプである。
前者においてAWAは長くアメリカマットで独立した隆盛を獲得したのだ。
AWAと同じく、新日本プロレスも前者の方法で90年代圧倒的な最強神話を創り上げた。
長州、武藤、馳から若手の小原・石沢・永田に至るまでリアルな猛者ぞろいの集団であり、かつ、若手全選手に初めて能動的なスパーリングの遂行を練習で義務づけた初めてのプロレス団体でもあった。
(馳コーチのもと時間内に攻め続けなければいけないスパーリングと、昭和のただ先輩相手に関節を決められまくるスパーリングとは全く能動性・リアルな闘争心獲得・肉体の消費量において全くレベルの異なる質のものである)
では、前者タイプを引き継ぐ現在のプロレス界の団体とはどこであろうと考えるまでもなく、ノアの名前が浮かぶはずである。
プロレス団体史上、あそこまでアマチュア出身の実績を持つ選手たちが何気に集う団体は無い。
五輪の常連、全日本王者、大学選手権二位、西日本学生王者、国体王者、自衛隊、トップから若手に至るまで蒼々たるアマチュア出身者たちを揃えた集団である。
しかも大相撲で名を馳せたものが二人も存在している事も大きい。
ノアについても基本的なプロレスについての考え方はAWAや90年代の新日本と同じではないかというのが私の考えである。
(ただし実際の練習において、強さと直結する練習をしているのかという点では、AWA、新日本とやや異なるとは思うが)
私は、ノアがリアルな強さとは全く関係のない純プロレスに特化した団体ならば、もっと、肉体を鍛錬したプロレスファン出身者たちが、多くいてもおかしくはないと思う。
そのほうが効率的な純プロレスを展開出来るからだ。
しかしリング場で展開する純プロレスとは関係のないアマチュアレスリング出身者たちが、あそこまで集う事は、ノアも又、最低限、プロレスラーは強く無ければいけないという基本姿勢を貫き、そして、リアルな強者たちが純プロレスを遂行するという、プロレスの基本的な姿勢を全うしているのである。
純プロレスを遂行し続けた90年代の新日本も、AWAも、そしてWWEにしろ、もちろんノアも、トップから若手に至るまでアマチュアの実績があろうが無かろうが、本物のアスリートとしてのリアリティをベースの時点で醸し出しながら、リング上では純プロレスを展開し、隆盛を誇って来た事は以外と気づかれていないマット界の盲点である。
リアルに強い男たちが、リアルな主導権争いのプロレスを展開しようが、純プロレスに専念しようが、いずれにしてもプロレスラーはまず基本的にリアルに強いという事が大切なのである。
しかし、今のプロレス界はあまりにも特化しすぎた純プロレスの約束事の技術を効率的に身につける為に、強さのベースを省いてしまっている団体が殆どであると私は思う。
昔から、プロレスファンとはプロレスラーよりもプロレス頭が冴えているのは当たり前の事である。
自分たちと同じプロレスファンが喜ぶ試合展開等、プロレスラーよりも思いつきやすいのは当然である。
しかし、今のプロレス界は、そういうプロレスファン出身のプロレスラーによるプロレス頭が蔓延している世界である。
そういう中で、ノアという本当の強さを持った集団が行なう純プロレスの世界は、プロレスファン出身者たちの強さとは無縁のプロレス頭でつくりだす純プロレスとは、レベルが全く異なるのは当然の事である。
そういうノア勢が純プロレスではなく、リアルで能動的な主導権争いにも似た試合を見せてくれた事もある。
言うまでもなく、三沢・力皇対小川・村上戦である。
その試合前、橋本と闘った三沢は、同じプロレスラーである橋本相手に純プロレスの名の下に己の肉体を預けすぎ、橋本に強さのイメージを奪い取られてしまった。
リアルに重く痛い攻撃を繰り出すといってもプロレス的様式を守る技を放つ橋本に対しては、純プロレスの体裁を守ってしまったのである。
しかし、小川は、三沢や力皇にとっては、己の肉体を預けるにはいささか信用出来ない相手でもあった。
結果、試合は、リアルで能動的な主導権争いを持ったプロレスが成立したのである。
国体王者三沢が、柔道家小川のタックルを、当たり前のようにリアルに切り、そして力皇が差しまくり、突っ張り、小川や村をコーナーに追いつめた。
リアルな攻防の果てに、どうにか結末はしっかりとプロレスとして成立した。
平成で観られた「リアルで能動的な主導権争いのプロレス」でもあった。
実は、この頃、杉浦貴もそういうプロレスを行なった。
アレクサンダー大塚との試合で、リアルなグレコの戦法で試合中圧倒的にコントロールした試合だ。
完全なリアルファイトで名を馳せた大塚の技を例えプロレス的にでも受けてしまえば、強さのイメージは保たれない。
リアルファイターの大塚を、プロレスラーの杉浦が、リアルに圧倒したのである。
そういう強さに対応出来るリアルな技術を持ちながらも、ノアは又、基本的な強さを持たないプロレスラー達に対しての偏見も無い。
ノアにふさわしい試合が出来ればインディーの選手にも門出は開放している。
分け隔てない他者との関わりは、自己に揺らぐ事の無い自信を持つが故でもあるのだろう。
それがプロレス界の良心として馬場的遺伝子を引き継ぐノアの素晴らしい点だ。
しかし私はかつての新日本の振りまく偏見や毒性によってプロレスに夢中になった人間である。
残念なのは、新日本までが、ノアのような良心を得てしまった事だ。
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