最近、自転車で通勤する事が多くなりました。
先月は、会社よりも別の研修会場に通う事が多く、通勤定期を購入しなかったのが、そもそもの原因でした。
自宅から会社までおおよそ片道10キロくらいでしょうか?
自転車通勤を始めて最初は遠いなと感じたこともありましたが、時折、電車に乗ると余計に満員電車のストレスを感じてしまいます。
なので次第に電車に乗る回数が減り、自転車通勤の度合いが増えていきました。
気候の良さもあいまって今のところ快適な自転車通勤ですが、一つだけ不便なことがあります。
淀川を越えるのに一番近くて便利な「赤川鉄橋」を私は渡れないのです。
理由は単純で、単に極度の高所恐怖症だからということだけです。
一度、自転車の列の流れに任せて、赤川鉄橋に突入しましたが、数メートルで無理と感じ、引き返したこともあります。
後ろの人に見られて恥ずかしかったので、忘れ物に気づいたようなふりをして引き返したものです。
未だ赤川鉄橋を「しらふ」で渡ったことはありません。
しかしアルコールに任せて、初めてあの橋を渡ったときでさえ生きた心地がしませんでした。
私にとっては人生で味わった最大の恐怖そのものでした。
なので赤川鉄橋と比べると、遥かに車幅も広く、頑丈そうな、城北大橋までわざわざ迂回して淀川を渡っています。
私の高所恐怖症は病的かもしれません。
例えば、コンサート会場などで二階席の一番前列に座ったりしようものなら、鑑賞どころではありません。
モノレールの駅などは最悪です。
もしモノレールのレールの上を一駅分歩かなければいけないのなら、私はライオンの檻の中に入るほうが、遥かにましだと思ったりしてしまいます。
実は私はかつて、自分自身の高所恐怖症を試合前に利用していました。
目をつぶり、リアルに高所の風景を頭の中でイメージします。
怖いものほどリアルにイメージできますので、思わず足元に震えが来てしまいます。
その後、目を開け、相手に対峙します。
どれだけ強い相手と対峙しても、高所の恐怖と比べると、存在が物凄く小さく見えてしまうのです。
これを逆手にとって、赤川鉄橋以上の高所の恐怖を利用して、赤川鉄橋を克服できるように試合前と同じパターンのイメージを試みました。
私が赤川鉄橋の少し前で、イメージを試みたのが、高さ100メートルの鉄塔の上に取り残される自分でした。
当然、足元はがくがくと震えだしました。
試合前のパターンからすれば、ここで目を開けると、赤川鉄橋という対峙する相手も小さく見えるはずでした。
しかし目を開けた瞬間に、普段より余計に怖くなって、一目散に鉄橋付近から退散しました。
そこで私が思ったのは、何々よりはマシだと自分の脳に言い聞かせ、自分が対峙するストレスや恐怖を軽減するためには、同質の恐怖では効き目がないという事でした。
同質であれば、余計に同質の恐怖が刻印されてしまうようです。
異質で、かつ対峙するものよりも強度の強い恐怖でこそ、目の前に対峙するものが小さく見えるのでしょう。
しかし私には高所以上の恐怖はありませんので、一生、この恐怖を克服できることはありえないような気がしています。
2008年05月05日
赤川鉄橋を渡れない人は大阪に何人いますか?
posted by shingol at 14:57| 私の好きな有機的な世界