私は実は様々なインディーを観ていて、心底面白いと思う。
何より私自身が子供の頃よりプロレスファンであったので、同様にプロレスファン出身者のプロレスラーたちの作り出す柔らかいプロレス頭による演出はツボにはまる事が多い。
しかし、そういうインディーと同じ発想をメジャー団体が行なう事ほど情けない事は無い。
だいたいプロレス頭でメジャー団体の選手が、インディーやプロレスファンに勝てるはずは無い。
同時にプロレス頭ほど、世間とかけ離れた世界も無い。
プロレスブーム後、私の周りに続出したのが、「俺に全ての仕掛けを任せとけば上手く行く」と本気で思っているプロレスファンであった。
それでも私は、誤解を承知で記せば、プロレスファンの心理が分かるプロレスラーやフロントたちによって、プロレスのパイが小さくなってしまったのだ。
プロレスファンの心理等、プロレスファン以外、誰も分かりはしない。
極端な話、プロレスファンか、プロレスファン以外かを取らなければ行けないなら、プロレスファン以外の趣向を優先させる事だ。
勘違い無いように、それはアントニオ猪木のジャンルの核無き環状線理論等ではない。
プロレスはジャンルとして成熟しており時として遊び心が生まれる。
今の多くのプロレスラーたちは、プロレファン出身であり、プロレスの柔らかい遊び心を知り得ているので、遊び心を全開にさせる時もある。
しかし、そんな遊び心等、小さなムラ社会の身内ノリでしかないのだ。
試合内容に対しては、プロレスブーム後、プロレス界に絶対神が出現した。
「スイング」する試合かどうか否かである。
息の合った同士のスイングするミスの無い試合によって、プロレスブーム前の平均的な試合のグタグタ感が淘汰されてしまうようになった。
元々、スイングする試合とは、ブーム時、ファンではない一見さんに対しての分かりやすいプロレスの提示の仕方であった。
しかし、それらによってプロレスに導かれたファンたちによって、今のスイングする試合を絶対神とするプロレス村が生まれたのである。
歌ならサビの多い歌謡曲しか聞きません。
映画なら起承転結のはっきりとした、かつ、クライマックスシーンの多いハリウッド映画しか観ません。
そういう耐性無きファンによって作り上げられたプロレス村は、歌謡曲やハリウッド映画としての価値観を本質に求めながらも、極度にハリウッド映画や歌謡曲の完成度に拘り過ぎ、逆に、一般大衆の感性を無くしてしまっているような気がする。
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