2008年05月13日

ジャンルとしてのプロレス崩壊の原因とは?

私は実は様々なインディーを観ていて、心底面白いと思う。
何より私自身が子供の頃よりプロレスファンであったので、同様にプロレスファン出身者のプロレスラーたちの作り出す柔らかいプロレス頭による演出はツボにはまる事が多い。
しかし、そういうインディーと同じ発想をメジャー団体が行なう事ほど情けない事は無い。

だいたいプロレス頭でメジャー団体の選手が、インディーやプロレスファンに勝てるはずは無い。
同時にプロレス頭ほど、世間とかけ離れた世界も無い。

プロレスブーム後、私の周りに続出したのが、「俺に全ての仕掛けを任せとけば上手く行く」と本気で思っているプロレスファンであった。

それでも私は、誤解を承知で記せば、プロレスファンの心理が分かるプロレスラーやフロントたちによって、プロレスのパイが小さくなってしまったのだ。

プロレスファンの心理等、プロレスファン以外、誰も分かりはしない。

極端な話、プロレスファンか、プロレスファン以外かを取らなければ行けないなら、プロレスファン以外の趣向を優先させる事だ。

勘違い無いように、それはアントニオ猪木のジャンルの核無き環状線理論等ではない。

プロレスはジャンルとして成熟しており時として遊び心が生まれる。
今の多くのプロレスラーたちは、プロレファン出身であり、プロレスの柔らかい遊び心を知り得ているので、遊び心を全開にさせる時もある。

しかし、そんな遊び心等、小さなムラ社会の身内ノリでしかないのだ。

試合内容に対しては、プロレスブーム後、プロレス界に絶対神が出現した。
「スイング」する試合かどうか否かである。

息の合った同士のスイングするミスの無い試合によって、プロレスブーム前の平均的な試合のグタグタ感が淘汰されてしまうようになった。

元々、スイングする試合とは、ブーム時、ファンではない一見さんに対しての分かりやすいプロレスの提示の仕方であった。
しかし、それらによってプロレスに導かれたファンたちによって、今のスイングする試合を絶対神とするプロレス村が生まれたのである。

歌ならサビの多い歌謡曲しか聞きません。
映画なら起承転結のはっきりとした、かつ、クライマックスシーンの多いハリウッド映画しか観ません。

そういう耐性無きファンによって作り上げられたプロレス村は、歌謡曲やハリウッド映画としての価値観を本質に求めながらも、極度にハリウッド映画や歌謡曲の完成度に拘り過ぎ、逆に、一般大衆の感性を無くしてしまっているような気がする。

桜庭和志の七発のタックル/ナカハラの腰は本当に強いのか?
ジャンボ鶴田二世と言われた男・永田 裕志のリアル・フロント・ネック・チャンスリー
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posted by shingol at 19:46| 新・レッスルする世界

プロレスだからこそ、簡単に勝敗を決めるな!

プロレス界は、予め決められた勝敗に対して、もっと慎重になるべきである。
(私はプロレス暴露本程度に汚染されるファンでは無いので◎ックなどという言葉は恥ずかして使えないが・・・)

プロレスとは、本当の勝負ではない事を誰もが知りながらも、一応は競技スポーツの体裁を借りたスポーツである。
本当の競技以上に、実は、勝敗が、選手たちの強さや価値のイメージを絶対化させる事を知るべきである。

昔、強豪外国人レスラーにフォール勝ちする事は、馬場、猪木クラスでも至難の業であった。
日本で育てたブッチャー、シン、ハンセン等に対してはともかく、アメリカでも地位を築くファンクス、バックランド、ローデスあたりに、白黒決着をつける事等、日本の選手には不可能な事であった。

プロレスとは本当の実力以外に、政治力含めあらゆるパワーゲームによって勝敗が決していた事を当時のファンは知っていたはずである。

プロレスに完全決着が求められたのは、プロレスよりもファンたちが、ジャンルの優位性を掴み出してからの事である。
ブームの衰退によって、プロレスラーよりも力を手にしたファンたちによって作り上げられたのがプロレスの完全決着であった。

同時に、ブームが去り、残ったファンたちによって、プロレスという「思うようにならないジャンル」を、「思うようにさせよう」という運動が続出した。

それが新日本に続出した暴動騒ぎである。

全ての灰色を消滅させようとした所で、元々プロレスという灰色のジャンルが、白黒付けようとしても、リアルな競技に勝てるはず等無いのだ。
そして勝敗という政治力含めあらゆるパワーゲームによって決定される決め事こそが、プロレスという灰色のジャンルが、リアルな競技に勝る、リアルな力比べの醍醐味だったのである。

小さなプロレス村の中で、メジャーの選手がインディーの選手にフォールされたり、それはそれでプロレスに勝敗等関係ないと思う上級のファンの達観した世界でもある。

しかしプロレスに対して達観した人たちの作り出す世界こそが、最も、世間とかけ離れているのである。

新日本とノアの選手は簡単に勝ちを譲ってはいけない。


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posted by shingol at 19:21| 新・レッスルする世界

2008年05月11日

負けなければいけないプロレスならリアルな強さを見せて欲しい!

昔のプロレスは、負け役を演じさせられるレスラーが、試合中は徹底的にリアルに相手を痛めつける試合が多かった。
勝利する側の逆転勝ちのシナリオではない。
そういう場が、負け役に成るレスラーの意地とリアルな強さの唯一の露出の場であったのだ。

平成に入っても、そういう試合は何度か在った。

杉浦貴がアレクサンダー大塚を徹底的にコントロールした試合もそうであったし、金原が木村健吾を蹴り続けた試合もそうであった。

そういえば最近、ヤマケンが西村修を痛めつけた試合の想い出を語った。
痛めつけられた部下を守る為に、ヤマケンに説教した長州の有り難みをを西村は知っているのか?

情けない西村とは反対に、長州や永田は例え相手がそういうプロレス枠内の自己主張を仕掛けてこようと退ける強さを持っていた。

最近では諏訪魔と鈴木みのるの試合が印象深い。
おそらく試合中、もっと徹底的に鈴木みのるを諏訪魔はリアルな主導権争いで圧倒出来たであろう。

しかし、どこかに遠慮が垣間見える。

私が中西学に期待したいのは、諏訪魔以上のものである。

田中などに負ける試合も良い。
しかし、負けるなら、試合中、もっと徹底的に観客に強さを印象づけて欲しい。



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posted by shingol at 22:43| 新・レッスルする世界

柴田勝頼〜29歳の地図〜

私の考えでは、総合のリングに立つ柴田は闘わない連中より、よっぽど勝利に近い人間である。

相手のミラーにマウントを取られ続ける中、柴田は何を感じていただろうか?

自分の体を、相手にコントロールされつづける屈辱感の中で、どれだけ、もがいても自分の意志通りに体が動かない。
その中で感じる無力感はどれほどのものであろう。

無力感に打ち勝とうと、気合いや咆哮を叫んでも、どうする事も出来ないのが格闘技の試合だ。

柴田はそういう状況の中で、天井を眺めた回数が他の格闘家よりも多いレスラーに成ってしまった。

今晩、柴田が一人の部屋で、肉体の痛さと不眠と闘いながら、感じるであろう孤独感と悔しさを考えると、ファンとして胸が痛む。

人は強くなる為に格闘技を続けるというが、負け試合が続き、一時的に性的に不能になった友人を私は何人も知っている。
人は強くなる為に、格闘技をはじめ、なのに更に自分の弱さと振り向き合わなければいけない時が多いものである。

私も情けない話、スパーリング中苦しさに失禁した事もある。
恐怖でトイレに逃げ込んだ時もある。

強くなる為に始めた格闘技で、更に自分の弱さを知るとは皮肉なものだ。

闘わずして、市井の場所で、俺は強いんだと粋っているよりは立派に男らしい世界を柴田は生きている。

勝利や技術だけが格闘家に必要な事だと思われがちであるが、格闘技オタクに何を言われようと気にしない事である。

マウントから抜け出せないなら、抜け出せる技術を持つのではなく、倒されない技術を磨けば良い。
マウントから抜け出そうが抜け出せまいが、狂犬ならばマウントされた時点で、負けだと割り切れば良い。

試合時間が決められているのなら、まずは1分、次に5分、時間を分割して相手と互角な自分を目指して欲しい。

諦めなければ、必ず、勝利の女神は微笑んでくれる。

寝技の技術等柴田に必要ないであろう。
格闘技オタクがでも覚えられる技術よりも、スクワットや雑用をこなして来た柴田にしか出来ない肉体と精神の技術が他にあるはずである。

柴田勝頼、船木誠勝、闘い続ける彼らの先には勝利だけがあると私は信じている。

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posted by shingol at 22:18| 新・レッスルする世界

プロレスよ「競技」スポーツとしての体裁を全うせよ!

私はハッスルは嫌いである。
かといってハッスルを楽しむ人たちを否定している訳では無い。
私の趣向としてプロレスではないハッスルを好きには慣れないという事だけだ。

多分、私がハッスルを嫌いなのは、前田や猪木、あるいは邪道や外道、ノアの選手たちが、政治的な理由以外にハッスルと関わらないのと同じ理由のような気がする。

私の考えではプロレスとは、あくまで、糞真面目に「競技」としての体裁を借り演じ続けるショーであるという事だ。
バレバレのフェイクの「競技」であっても、団体側、マスコミ、ファンの三者がバレバレの空間の中での共犯関係を遂行して成り立つジャンルであると私は思っている。

今、この共犯関係を実は団体やファンといったプロレス村の方から崩していっている事が私には驚きだ。
逆にプロレス村とは距離のある一般朝刊スポーツ紙などは本当に真面目に競技スポーツとしての報道ぶりを完遂している。
プロレス村の方にこそ、「競技」の体裁を全うする恥ずかしさがあるのではないのだろうか?

プロレスとはカミングアウトしては実はおしまいの競技なのである。

私が子供の頃、ジャンボ鶴田がドス・カラスと闘う時は、必ずエプロンのドスにショルダータックルを仕掛け回転エビで返されるというお約束の攻防があった。
アントニオ猪木の当たっていない延髄斬りで一回転して倒れたシーンも実に多かった。

子供ですら、本当の「競技」では無いプロレスというジャンルにうすうす気づきながらも、「競技」という体裁に共犯関係として乗っかって楽しむ事が出来たのだ。

倉持アナウンサーは何ら野球中継やアマチュアスポーツの中継と変わりない競技としてのしゃべり口に徹した。
後にカミングアウト発言をした倉持氏であったが、逆に現役アナ当時の共犯者としての遂行ぶりを再確認させてもらった気がした。

プロレス界で唯一メジャー級の熱を維持するノアを見てみれば分かりやすい。
私はノアの大技や激しさには抵抗があって、あまり好きではないのだが、それでも、リング場の光景はひたすら「競技」としての体裁を借りたものだ。
あらかじめ結果の決まったジャンルに対して、団体もマスコミもファンも三者の共犯関係で、あくまで「競技」の体裁を作り上げ、まるで五輪の決勝戦のように勝敗の結果に歓声を送る。

私は新日本がレッスルランドを行なった時ほど情けない事は無かった。

しかし全日本の物まね芸人とのプロレスはやや理解出来る。
素人とのしょっきりプロレスでしかないからだ。

しかしハッスルにおいて天龍が素人に本当に痛いチョップを放った時は愕然とした。
本当に痛いチョップも、多少スポーツクラブで肉体を鍛えれば耐えられる事を証明してしまったのだ。

素人が奮闘した云々の話ではない見事なカミングアウトぶりである。

私が長州を尊敬するのは、どれだけ金に困った所で、プライドを売り渡さないプロレスラーとしての誇りだ。

キレた振りをして、台本をぶち破いた事が合った。
プロレスファンは、五輪にまで出場した長州が、「競技」としてのプロレスを全うする姿勢に何かを感じ取って欲しいと私は思う。

私はジャンボ鶴田の痙攣が大好きであった。
しかしジャンボ鶴田は「競技」としてのプロレスショーを貫く上の笑いを誘った事等無い。

プロレスとは意図的に笑いを誘うものでは断じて無い。
あくまで共犯関係の中でこぼれ落ちるお約束への笑みがこぼれる世界なのである。

私が心底、恐ろしいのは、プロレスというジャンルにおいて必要以上にプロレス頭を柔らかくさせた連中たちのプロレスである。

プロレスの笑いを、意図的に演出させてしまったからだ。

真面目に「競技」スポーツを演じる上での笑いを、最初から意図的に笑いにしてしまえばおしまいである。

私は、プロレスという馬鹿馬鹿しいジャンルが大好きである。
しかし馬鹿馬鹿しさは、あくまで団体、マスコミ、ファンが共犯関係を保ち「競技」スポーツの空間を保った上でこそ楽しめるのである。

しかし最初から、カミングアウトギリギリの意図的な演出をこなしたプロレス等、一生世間に認知される事などないであろう。

プロレスの正体とは、カラクリの示されないマジックと同じである。

これはインチキですと最初からカミングアウトした手品師に誰もグレーゾーンを楽しむ事等出来はしないはずだ。

情けないのはプロレスの隠語に夢中な連中である。
ブック、ジョブ、ワーク
それらを使いたがるのは、まるで芸能人で無いのに芸能用語を使いたがる連中と全く同じ恥ずかしさだ。

暴露本程度の言葉に支配されて、プロレスファンが務まるはずも無いであろう。

DERAMに向けての雑記

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posted by shingol at 09:43| 新・レッスルする世界

異人伝/DERAMに向けての雑記

私が低レベルながらも、長い間、格闘技を経験して来た故の気持ちなのですが、今の格闘技ファンは冷たいなぁと思う時が良くあります。
格闘技を経験してきたから、格闘技を経験していないファンをバカにしているという分けではありません。
冷たいなと感じるという事だけです。

勝敗の結果以上に残酷で冷たい世界はありません。
しかし今のファンの冷たさは、それ以上ではないかとも思う時があります。

多くの格闘家たちはその結果という冷たさ以上に、ファンたちの嘲笑の冷たさにも攻撃されなければ行けません。
しかし、それがプロとして自分の技量を満点下に曝け出し生業とする者の宿命ともいえるかもしれません。

そういう意味で、プロ格闘技に出る格闘家たちは、公開処刑場ならぬ、ファンという名の全国の陪審員の裁くリングで自分の裁量を見届けなければ行けないのです。

特に参戦する事に対して風当たりの強いプロレスラーたちへは、その傾向が強いかと思います。

プロレスファンの比率が次第に少なくなっていった時期のプライドのリングで、高山はドン・フライと死闘を演じ、ファンの高い評価を勝ち取りました。
自分の格闘家としての技量ではなく、自分の肉体を犠牲にしての特攻ファイトで格闘技ファンからも承認を得たのです。

結果的にフライ戦はファイトスタイルが合致した事や、体格差があった事で、高山が壮絶に玉砕する為の奮闘ぶりを発揮できた試合でもありました。

しかし、シュルト戦、サップ戦、藤田戦、総合に上がる高山の心意気はフライ戦と何ら変わるものではなかったと私は思っています。
フライと拳をぶつけ合った高山と、他の相手と闘った時の高山とは全く同じ人間なのです。

私の中では、根性の殴り合いで顔を腫らし壮絶に散った高山と、シュルトやサップに呆気なく破れた高山とは同じなのです。

よって、高山は、正面から殴り合い顔を腫らす試合をする事でしか評価されないレスラーでは絶対にないのです。

柴田勝頼が再び、総合に出陣します。
正直、勝ち目は無いのではと私は考えています。
壮絶に散るどころか、一方的に呆気なく試合が終わる可能性もあります。

しかし、勝とうが、負けようが、奮闘しようが、秒殺されようが、総合に出場する柴田の心意気はぶれる事の無い等身大の柴田の姿でしかないのです。

私は、どのような柴田も応援していきたいと思います。

しかし、それらは私がプロレスファン故の気持ちです。

プロ競技者として連敗を続け、リングに上がる機会も限られて来た柴田は、今回、かませ犬としての役割が強い出場機会を得たと私は思っています。

しかし名も無いながらも実力派の日本人選手と闘い負けるよりは柴田の価値を落とさないだろうとの主催者側の意図もあるかとは思っています。

主催者側が、柴田が必要と感じ続ける限り、柴田は総合のリングに上がり続けられるのです。

私は柴田こそがプロレス界の救世主ではないかと思う事が多々あります。

いつか柴田がプロレス界に帰って来たとき、どのようなプロレスを見せてくれるか非常に楽しみにしています。

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posted by shingol at 08:52| 新・レッスルする世界

2008年05月07日

プロレスブーム後と格闘技バブル後のファンは良く似ている。

昭和のプロレスブーム、及び平成の格闘技バブル、しいて付け加えれば、新星UWFのミニバブル。
それらに共通しているのはブーム真っ只中において内部分裂や移籍などの自滅によってブームを終わらせた事だ。
自然と飽きられたというよりも内部崩壊を果たした事でこそ、逆に、ブームとは自然の摂理によって必ず終焉する世界である事を物語っているのだ。

私が昭和のプロレスブーム前後にてプロレスの基準がガラリと変わったと感じたのは、とにかくプロレスファンの耐性が無くなってしまった事に対してである。
プロレスブームという熱狂の最中の光景を原体験としているだけに、プロレスを測る基準とは会場の一体化、熱気、スイングする試合、それらでしかプロレスを測れなくなってしまっているのだ。
測る定規が少ないのである。
前田日明の言葉を借りれば、等身大のメートル原器を持たず、ブーム時の基準に基づいた物差ししか持っていないのである。
ブームとは、あくまで、世間の最大公約数に対しての分かりやすさを提示したものであって、決してジャンルの本質ではない。
なのに、ブーム時の基準を、ブーム後のジャンルにまで求めてしまうのである。

今の格闘技ファンたちと、プロレスブーム後にああだこうだと騒いでいたファンは、私は同じで無いかと、ふと思う時がある。

煽りVがどうだ、会場の熱気がどうだ、会場の熱がどうだ、ひたすらブームの幻影を追い求めている姿は、プロレスブーム後のプロレスファンの心理と全く同じである。

自分の好きなジャンルとは、実は、自分の思うようにならないジャンルなのである。
その事を知れば、好きなジャンルに対して片思いであっても追いかけ続ける気概も出て来るのではないかと私は思う。

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posted by shingol at 16:29| 新・レッスルする世界

昭和プロレス者10/阿修羅原のプロレス愛

私が小学六年の時であったか、中学一年の時であったか、突如、神戸のUHF局サンTVを通じて「国際プロレス・アワー」が放送され始めた。
月曜夜八時という時間帯に、プロレス中継を見ることのできる喜びを感じた。
正座でドキドキしながら観戦する金曜夜八時、夢の世界にワクワクしながら観戦する土曜夜八時と並んで月曜の夜にも突如として増えたプロレス中継の時間は、私には贅沢な時間であった。

それまで雑誌「ゴング」のモノクロ・グラビアでしか見る事の出来なかった光景を、ブラウン管で観る事の出来る喜びは大きかったが、何がしかの感情を有しながら眺めた金曜や土曜のプロレスとは異なり、あくまで「おまけ」の時間のように気楽に眺め楽しむ事の出来るプロレスの時間であった。

私はアレックス・スミルノフ、ジョー・ルダック、オックス・ベイカー、ジプシー・ジョーといった決して新日本や全日本では観られない凡庸な個性ながらも味わい深い悪役外国人レスラーたちを興味深く見つめ、私が子供の頃よく観たグラインドハウスのB級映画と同じ匂いを感じる事が出来た。

そんな「国際プロレス・アワー」に阿修羅原が凱旋帰国した。
作家野坂昭如に名付けられたリングネームは、阿修羅のアマチュアスポーツとしての実績以上に、プロとしての伯を付けた気がする。

船木誠勝にアンクル・ホールドを授けたミレ・ツルノと闘った阿修羅は、まとまりのあるシンプルな好試合を演じた。

他競技からプロ入りした選手には、二通りのタイプがある。
他の競技を行ないながらもプロレスが好きで、将来のプロ入りを夢見ていた者。
全くプロレス等興味なかったが、スカウトされて入った者。

私は後者が好きだ。

後者がプロレスという職業に目覚めていく過程が好きなのである。

所詮、仕事と割り切って、プロレスの予定調和の中で、自らの熱量を淡々としか消費しないまま終わっていく者も多いが、突如として、転向前の競技と同様の熱量をプロレスに求める者も出てくる。

しかし、彼らが求める己の肉体を消費させる為の熱量は、プロレスにおいてはなかなか求められないのが現実であった。

どうすればプロレスに、自分の行なって来たスポーツと同等の熱量の消費を求められるかと考えた者たちの葛藤の果てが、長州、天龍、阿修羅たちの作り出したプロレスである。

私はそれらのプロレスはあまり好きではないが、彼らの葛藤と、自らの肉体を消費させたゆえのプロレスへの職業を越えた愛情は好きである。

私は天龍革命の試合よりも、断然ミレ・ツルノと阿修羅の試合が好きである。
しかしプロレスの愛に目覚めた天龍革命の際の阿修羅の姿は、ミレ・ツルノ戦とは比べものにならないくらいプロレス者としての雰囲気を漂わせていた。

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posted by shingol at 05:28| 新・レッスルする世界

2008年05月06日

異人伝/永田兄弟全面応援宣言〜永田克彦はやりますよ〜

DREAMにて青木対永田克彦のトーナメント二回線が延期されたとの事。
私的には、それに対しては、どうのこうのはありません。
しかし、青木が私の愛する永田裕志を例えリップ・サービスであっても挑発したという事に対しては、プロレスファン、そして元アマチュア・レスラー、何より永田兄弟のファンとして、正直、不快な気持ちにさせられました。
例え青木がトーナメント優勝を果たし、大晦日のお祭りカードとして、永田兄対青木戦が実現するような事がない事を願っています。
色々な意味で。

しかし私は、意外と、永田兄が話題に出されるまでもなく、永田克彦は青木との試合では、ひょっとして、ひょっとするとという気持ちもあるのです。

まず青木のスリムな体型、青木との身長差は、永田にとって、「不慣れな両足タックル」に入るまでもなく、得意の胴タックルを組み合いに成るまでもなく、仕掛けられるチャンスが大いにあるはずです。
同時に青木も引き込みを狙ってくるでしょうが、私は永田が胴タックルでのリフト後、圧力をかけて青木をドロップしつつければ、目に見えない範囲で青木の体力と精神にダメージを与え続ける事は出来ると信じています。

肝心な事は、グラウンドにおいてもグレコを忘れない事。
これにつきます。
スタンドでの差し手争いと同じ頭の位地、及び、感覚で、青木の上体に乗っていく事。
丁度、スタンドでのグレコの永田の得意な位地、形がそのままグランドに移行したような形にする事です。
少しだけ異なるのは、青木の脇をさすのでもなく、自分の脇を占め、青木の上腕を自分の掌もしくは自分の前腕でしっかりと制す事。
その位地から小刻みにパウンドを重ねて欲しいと思います。
パウンドを坐位のまま行なうよりも、永田にとっては自分の形で、安定したパウンドを打てると信じています。

密着戦の多いグレコのスタンド技術をグランドでも応用すれば、意外と柔術家との寝技の攻防でも効果があると、私は低いレベルでの経験にて信じています。

肝心なのは相手の脇を差す事ではなく、自分の脇を占め、相手の上腕を制する事。
自分の頭の位地と、相手の頭へのおっつけ。
これをグランドでやると、意外と嫌がる柔術家は多いのです。
そこからの軌道範囲でのパウンドを続けていって欲しいと思います。

まあ雲の上のメダリスト永田克彦に私ごときが個人ブログ上とはいえ、ああしろ、こうしろとは恥ずかしい事この上ないのですが、柔術家とのスパーを多く経験した三流アマチュア・レスラーとしての戯言か妄想として記させてもらいました。

永田克彦が五輪で欧州王者のロシア選手を破ったとき、多くのアマチュアレスラーは驚愕しました。
しかも、しっかりとした研究と地道な努力によっての実力で勝ち取った勝利でした。

永田克彦は大物食いを行なえる選手です。

まして今回、お兄さんを挑発された事で、永田克彦の闘志にも十分な火がついている事でしょう。

永田流グレコの技術と兄弟愛、それらが結びつき、青木を倒してくれる事を私は強く願っています。

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2008年05月05日

船木誠勝についての鋭い考察

K−1心中様が船木誠勝の闘いぶりに付いて鋭い考察を記してくれています。

簡単に見たままで船木は終わった、弱いと嘆くのは誰でも出来ますが、ここまで冷静に船木の現状の問題点について分析されているプログは無いのではないでしょうか?

私は正直、K−1心中様の問題提起されるような高いレベルでの要求は船木には求めていませんでした。
とりあえず前田憲作にOSを奪われた船木であっても、OSの空っぽの船木よりはましだとは思い、今回の試合で自ら手を出したことに対しただけで強く船木を擁護してきました。
私も内心、船木の勝利について諦めている部分もあります。
なので、正直、リングに上がってもらえるだけで、何か攻撃を繰り出してくれるだけで充分だとの思いもあったのです。

しかし船木という希代のスターの存在意義と潜在能力を昔から知るweb新様が、本気の問題提起を記されたことに対して、私も今後、船木について、勝利への貪欲なレベルでの実力の発揮を求め記事にしていきたいと思いました。

新様が記されるようにこれだけの雰囲気を醸し出せる格闘家はなかなかいませんから、『DREAM』実行委員会にはこれからも船木を意義のあるマッチメイクで重用することを望みますという意見は、他にも多くの方が感じられたことだろうと思います。

船木については様々な批判が成されています。
同時に、もう終わっているという嘆きも数多く有ります。

その中で新様が本気で記された船木へのワンランク高い要求と、存在を認める記述には、船木ファンの私としてはおおいに気づきと力をもらった感じです。


船木の復帰ロードも長くはありません。

格闘技とは何か?
プロとは何か?
商業格闘技とは何か?

ロードの先に、それらの答えを船木が出してくれる事を信じ、私も船木誠勝を応援していきたいと思います。

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posted by shingol at 12:36| 新・レッスルする世界

2008年05月04日

ジャンボ鶴田二世と言われた男・永田 裕志のリアル・フロント・ネック・チャンスリー

私が愛する新日本の現役プロレスラーは、永田裕志である。
永田はアマチュア時代ジャンボ鶴田二世と言われた男である。
確かにその風貌、何よりもリーチの長さは鶴田を彷彿させるものがあった。

永田のプロレスは丁寧極まりない。
新日本と全日本の約束的な動きの大きな違いは、新日本がリストを攻める技を中心に試合を組み立てていく事に対して、全日本は主にフライングメイヤー系を中心としている事であろうか。
リスト攻めを中心に丁寧に純プロレスを組み立てようとする永田の姿は、どこか前田日明のプロレスとだぶりもする。

永田は新日本の暗黒期を支えた功労者でもある。
同時に新日本の全盛期を支えた真の立役者でもあった。

90年代、新日本は前座に中西・永田・石沢・そして福田がいたことで最強神話に更なる厚みを持つ事が出来た。

Uインターとの対抗戦初戦では、全く相手の協力なしで能動的なプロレス技を発揮出来る若手が必要であった。
相手の協力無しにでも掛けられる技を持つ事。
それがリスト攻め以上の新日本の選手のまず基本的な姿勢だ。
馳浩は実はそういう事を多くの若手選手に伝えて来た。
しかし、さすがに相手がUインター勢では、普通の若手では心もとない。
永田が抜擢されるのは当然の事であった。

結果、永田は全く相手の協力なしに、かつ、相手の反発をものともせず、リアルな「フロント・ネック・チャンスリー」を中野に仕掛ける事に成功した。
アマチュア・レスリングの後方がぶり返しである。

第二戦では金原にジャーマンまで決めた。

私は、ふと七色のスープレックスを武器に凱旋帰国した時の前田と永田の闘いが見たくなった。
もちろん総合でもリアルファイトでもない。
昭和の新日本のリアルで能動的な主導権争いのプロレスでである。

私が思っている事はただ一つ。
前田日明が最も強かった時代とは、UWF参戦後ではなく、実はこの凱旋帰国当時であったという事だ。
見事にシェイプされた肉体と投げ技のそり具合。
驚いたのがポール・オーンドルフ戦だ。
アマチュア・レスリングの基本を見事に守った前方角度45度の飛行機投げを放った時だ。
帰国前のゴッチさんのレスリングレクチャーがどれだけ本物であった事を私は感じてしまう。
レスリングは筋肉だけでは出来ないが、同時に、護身術ではない。
あの凱旋帰国当時の肉体のシェイプさを無くした前田は、ゴッチさんから教わった本当のゴッチ・スタイルの技術を失ってしまったのだ。

もっとも凱旋帰国当時であっても前田など永田の足下にも及ばないであろう。
前田がゴッチさんのもとで修行した数ヶ月どころか、リアルな投げ技習得の為の地獄練習を永田は徹底的に虎の穴・日体大でこなしてきたのだ。

ゴッチさんが、Uインターと闘う永田を見たとき、どう思うであろう。
私はゴッチさんが最も感情移入出来るレスラーの誕生であったと思っている。

プロレスでリアルなグレコローマンの技術を発揮したレスラー、永田裕志は実は猪木の最もお気に入りのレスラーでもある。

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posted by shingol at 20:39| 新・レッスルする世界

プロレス界の帝王中西学の「野人プロレス」と「闘うプロレス」

私が現在の新日本プロレスのレスラーで観ていて単純に面白いと思えるレスラーは中西学である。
何年前か、ドームでカシンと組んだ元WWE組との試合等は最高だ。
中西の試合は、私には昔の新日本のある部分を思い出せてくれるような試合であった。

昔の新日本にも丁寧に作り上げる純プロレスはあった。
そちらの後継者は永田だ。
そういえば前田日明の純プロレスと永田のそれとのリズムも似ているような気がする。
(当然キックを除いての部分である)

では中西の純プロレスとは昔の新日本の何を感じさせるかというと、大都市での丁寧に作り上げる純プロレスではなく、地方で行なわれていた6人タッグマッチなのである。
その6人タッグについては昭和の新日本の不思議な6人タッグ・ハレとケを無くしたプロレス界に記しているのでお読み頂きたい。

中西は昭和の新日本で行なわれていた一般層、一見さんたちに対しての分かりやすいプロレスを踏襲している男なのである。

特に元WWE組との試合では、観客もシーンとしていたので、私はテレビで見た、田舎の体育館での光景と似たものを感じてしまった。
プロレスの楽しみ方等知らない観客たちを前にして、別に、声援に乗って観客と一体化する必要等無いのだ。

観客との一体化、熱、スイングする世界。
そういうものは平成のプロレスファンたちが作り上げたプロレス村の基準でしかないのだ。

もっとも中西にしても、ドタバタした分かりやすいプロレスと、コアなファン向けのプロレスを使い分けても良いはずである。

それがレッスルランドでの黒いロングタイツ姿の中西であるはずが無い。

総合に出てくれとは思わない。
しかし、プロレスの中で、私はもっと暗い中西が見たい。

縦横無尽に野人ぶりを発揮する純プロレスでの中西も面白いが、緊張し、カチカチな中西も見たい。

中西の五輪初戦、緊張し、相手に何も出来ず敗れた。
プロ入り後も、総合であれ、K-1であれ、プロレスの枠内での長州と組んでの小川、村上戦であれ、「闘う」中西は必ず緊張する。

そして緊張した中西は、暗いオーラを漂わせる。

私は、そんな中西が好きだ。

そしてプロレスの枠内で、緊張するような相手と、リアルで能動的な主導権争いを展開し、かつ己の緊張を制する事が出来たなら、誰からもチキンだとか馬鹿だとか言われる筋合いは無いのだ。

私が許せないのは、前田日明が面識も無い中西を世間の声を盗み聞きし、「バカの中西」と語った事だ。

中西ほど、頭が良く、繊細で、かつ恐ろしく強い男はいない。

そんな中西の遂行する「野人プロレス」も面白いが、私は中西の「闘うプロレス」こそ、是非見てみたい。

私は新日本とUインターとの対抗戦の際に、中西がいなかった事は残念であった。
プロレスの枠内で、リアルで能動的な主導権争いを展開してくれる中西が見れたはずなのにである。
もし中西にそういうプロレスをする意思があるのなら、川田のタックルを切り続けプロレスの枠内ギリギリで強さのイメージを奪った時のような高山などがふさわしい。

高山は中西の小指一本触れただけのタックルで吹っ飛ばされるであろう。

本来プロレス界の帝王とは中西学なのである。

異人伝/桜庭和志の七発のタックル/ナカハラの腰は本当に強いのか?
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました

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posted by shingol at 08:49| 新・レッスルする世界

船木が勝たなかったら私はブログを辞めます。

今更、亀田の事を記すのは、何か後だしジャンケンのような気がして申し訳ないのですが、私は亀田の突出した個性はプロスポーツとしては「アリ」だと思っています。
但し、プロとして「アリ」の個性の範疇を越えた扱いを越え、等身大の実力にふさわしい位地を飛び越えた分不相応さには、私も心の中でブーイングを浴びせ続けていたものです。

亀田と比較する分けではありませんが、船木も又、等身大の実力と分不相応のステージでの活躍の特権を得ています。
単純に記せば人気と個性先行でしか無いのは亀田と同じです。

それでも船木は、亀田が異常なまでに、様々な手で強さのイメージを守ろうとした周囲の鉄壁のガードにプロテクトされているわけではありません。
等身大の自分の姿をさらけ出しているに過ぎないのです。

その船木に後は無いのは誰が見ても確かです。

しかし私は、自分が格闘技経験者出る事だけを頼りに記させてもらいますが、船木は皆さんが見えない範囲で、少しずつ着実に、過去を取り戻しつつあるのです。
勝敗という目に見える言語の範囲でしか船木を見れないならば、そういうファンは格闘技を見る必要も無いでしょう。

闘う気持ちを忘れた船木が、とりあえずは、闘う気持ちを取り戻した。
それが田村戦でした。

着実にステップアップしている事を、もっと知るべきです。
そのステップアップは、引退前を超える範囲であるとも私は思っています。
まず格闘技の基本である「闘う気持ち」を取り戻した船木には、高次なレベルの技術論にさえ辿りつかないレベルでしかありません。

今の船木はゼロ地点を脱したばかりです。
しかしゼロから1になるまでは、また遠い道のりでしかありません。

ただし私は船木がゼロから1に辿り着くまでの間に、勝敗の結果だけを頼りに仕事を奪われるような事は無いと信じています。

何故なら、DREAMのフロント陣は、船木の存在価値を、今の若いファン以上に知っているからです。

プロとは何なのでしょうか?
トーナメントやリーグ戦だけの勝利至上主義の場は、総合格闘技には似合いません。
誰と誰が闘って、どちらが強いのか、私はそんなものは、PRIDEで見飽きました。

ワンマッチでも良い。
船木は総合格闘技市場にいなくてはならない存在なのです。

格闘技バブル時、身の丈を越えたファイトマネーを多くのアマチュア的精神の格闘家たちは手にしてきました。
しかしバブルがはじけた今、強いだけ以上の付加価値が、このマーケットの為には必要なのです。

私は船木が勝利を掴んだとき、今後のマーケットを担う若い選手たちの指標になるような存在に船木が成ると信じています。


まだまだの船木ですが、それでも死に顔のまま闘った時期からは脱出しました。

どうか船木を長い目で見て下さい。

必要でなければ、自ずと呼ばれなくなります。

しかし船木という存在が今の総合格闘技市場に必要な限り、船木は着実に自分を取り戻してくれるはずです。

私は船木が復帰して大きな総合格闘技イベントで勝利を手にしなければ、私もプログを辞める。

そういう覚悟で船木を応援しています。


船木が復帰後、今後二年間、勝利を掴まなければブログを辞めます。

一介のアマチュアレスラーであった私に、試合前、とてつもない勇気と力をくれたのが船木でした。
私が試合前、テープがすり切れるほど聞いた船木の「レッド・ゾーン」に乗って、今の船木が入場してくれる光景は、また今の私にとてつもない力を与えてくれます。

そんな船木と心中出来るなら、これほど嬉しい事はありません。

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posted by shingol at 00:09| 新・レッスルする世界

2008年05月03日

平成にもあった闘うプロレス列伝4/柴田勝頼、プロレスに戻る為の武者修行

柴田勝頼がDREAM出場の機会を得た。
人気や個性先行である柴田の総合メジャー団体への継続的な参戦の機会はこれで最初で最後であるような気がする。

現に今回は柴田を勝たせるマッチメイクでもなく、おそらく初参戦のジェイソン・ミラーの強さを引き立たせる相手として選ばれた感もある。

それでも柴田にとってメジャー団体出場の機会に変わりはないのである。

何とか頑張ってほしいと思う。

プロレスファンでしかない私としては、大変僭越ながら、プロレスやプロレスラーに対しての考え方が非常に近いなと感じさせてくれるレスラーが柴田だ。

理想のプロレスとして「永田・石沢対金原・桜庭」を挙げている事。
総合に出向かざるを得ないプロレスラーの性分。

私はそんな柴田が、先日の船木の試合を観て何を感じたか気になっていたが、やはり船木の試合ぶりから「闘う気持ち」を感じた様子である。

私が痛快なのは、総合の試合に出る為の記者会見の集合写真において、拳を握りしめてではなく、掌を広げてプロレスラーとしてのポーズを示す柴田である。
どんな場所であっても自分を貫ける男であるはずだ。

柴田は総合で結果を残していけば、いずれプロレスに帰ってくる男であろうと私は思う。
その時、おそらく柴田は格闘技風プロレスでは無く、昭和の新日本プロレスの闘い模様を再現させてくれるはずだ。

桜庭和志の七発のタックル/ナカハラの腰は本当に強いのか?

平成にもあった闘うプロレス列伝1/鈴木健想

格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました

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posted by shingol at 07:19| 新・レッスルする世界

船木誠勝は57秒で何をしたのか?/プロレスラーが勝つ為に2

私は船木誠勝は復活したと記しました。
ああいう短時間での敗北、完敗で何が出来たのかという意見もあるでしょうが、私的には船木誠勝は、大きく勝利に近づいていると感じています。

格闘技の試合での基本は、能動性です。
相手が何をしてこようが関係なく、つまり相手に合わさず、受け身的にならず、主体的に自分の行なうべき行動をとる事。

全ての選手に能動性が大きな要素を占めるというわけではありませんが、テクニシャンでもない船木が行なうべきは闘いの基本の前提は能動性しかありません。

引退前のヒクソン戦、復帰後の桜庭戦と、船木には能動性のかけらも感じられませんでした。
相手を見て、受け身的に、反応し、結果、自分の主体性を無くしたまま、あっさりと敗北を喫しました。

しかし田村戦、最初の攻撃こそ田村であったかもしれませんが、以後、短い時間の中に船木は田村の攻撃がどうであれ、関係のない能動性ある攻撃を繰り出しました。
ヒクソン戦、桜庭戦とは全く別物の闘いです。

引退前の船木は、総合格闘技の技術に出遅れている等身大の自分と振り向いてしまった事で、闘いの気持ちを揺らがせてしまったと私は思っています。
結果、船木の持ち味でもある能動性の感じられない闘いの中で、後手後手に回る闘いを余儀なくされてきました。
能動性を無くした船木の闘いはおそらくエベンゼール・ブラガ戦あたりから始まっていたように思います。

船木の肉体的特性や技術は、能動性を維持した闘いの中でこそ、発揮されるものだと私は思っています。

元々、パンクラス時代より船木は勝とうが負けまいが能動性ある闘いの中でこそ、自分を発揮し、そして強いメッセージ性を残してきました。

その時の船木と同じ匂いを私は田村戦で感じる事が出来たのです。

同じプロレスラーで総合で敗戦を続けた高田について記したいと思います。
田延彦は総合の試合で、もう少し頑張れるべきはずであるのに、最後まで自分を信じる事が出来ず、結果、粘りや踏ん張りを無くし、惜しい敗北を喫したような試合が幾度かあったように私は思っています。
高田の肉体的特性と練習量による本来の実力は、技術の未熟さをカバーして、もっと堂々と当時の何段もレベルの高い相手に発揮出来たはずだと私は信じています。
ボブチャンチン戦などは私は高田がもう少し最後まで自分自身を信じる事が出来たなら、ひょっとして勝利を掴めていたような気がするのです。
その試合の時の高田のタックルは、レスリング経験者の私から見て上手いとは思えませんが、高田の肉体の強さと練習量が凝縮された高田独自の粘り溢れる根性のタックルであったように思います。
ケアー戦では玉砕覚悟で数秒ケアーをたじろがせました。
高田は要所要所で本来の実力を発揮出来ていた選手だったのです。
しかし試合途中で、自分を信じることを維持出来なくなるのか、一度苦戦すれば、あっさりと弱々しい高田に戻っていたようです。

試合中、自分が何を行なうべきかがはっきりと分かっている選手、迷いの無い選手ほど、逞しい者はありません。
テクニシャンでもない船木や高田が発揮すべきは、能動性溢れる自分の信念に基づいた攻撃しか無かったはずです。
かつ高田や船木は、自分の能動性を貫く肉体のボテンシャルを持っているのです。

モーリス・スミス戦、ダウンを喫し後が無くなった船木は覚悟を決め、能動性を爆発させました。
迷いの無い信念が技術を凌駕する瞬発力を生み、そして勝利しました。

能動性の敵とは、相手ではありません。
自分の心臓でしかないのです。
しかし限られた試合時間、相手を見ず、自分を貫くために練習しているはずなのです。

相手を見ず、自分の呼吸によって試合を動かす事。
その結果等、あくまで副次的なものでしかありません。

船木の短時間での敗北で、船木は終わったと考えているような人も多いようですが、私は
田村戦、船木が復活したと記した意味は以上のような理由からです。

船木は少しずつ闘う気持ち、すなわち能動性を取り戻しています。

前も記しましたが、私は前田憲作がコーチに就いた事は、船木の能動性を迷い無く発揮してくれる可能性が高いと思っています。

プロなのですら、負けが込めば自然と船木も主催者やファンからお払い箱にされるでしょう。
しかし船木を見たがっているファン、船木の試合を組みたい主催者がいる限り、船木は闘い続ければ良いのです。

その中で、船木誠勝は大いなる前進を見せてくれました。

諦めない事。
限られた試合時間中、何も考えず自分を信じ続ける事。
そこに相手の介在する余地等本当は無いのです。
相手を見る前に自分を信じる事。

船木が自分の呼吸を貫けば、勝利は自然と転がり込みます。

私は船木誠勝、桜庭和志、柴田、プロレスラーの総合での戦いを応援していきたいと思っています。

桜庭和志の七発のタックル/ナカハラの腰は本当に強いのか?

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posted by shingol at 06:17| 新・レッスルする世界

2008年04月30日

昭和プロレス者9/闘う事を知らない奴らは船木を笑うな

私は再度記すが、昨夜、我々の世代の英雄である船木誠勝が復活したと思っている。

自分の神経をすり減らし、リアルファイトの黎明期を闘って来た船木は、その時代のレベルが、いかなるものであれ、船木が経験して来た精神世界のレベルは常人では経験出来ない苦痛と孤独を伴っている事は確かだ。

私は船木が壊れていると思ったのは、鈴木みのる戦である。

レッドゾーンと共に流れた、自身の心の葛藤をさらけ出した表現の仕様の無い自作詩を読み上げる船木の声が流れたとき、私は船木の精神のバランスが、テーマ曲そのものの境地に行き着いてしまったのだと思った。

動画で改めて観る船木の変遷は同世代の誰もが経験して来た変遷ではないだろうか?

つい十数年前まで、これだけ強気なとんがり具合だった船木が、今は柔和な猿顔の中年と化してしまった。

それでも等身大の船木が、リングに再び戻ったという事実を中傷するのなら、中傷する人は自分を鏡で映し出せば良い。

貴方たちが決して、経験出来ない世界に出る為に、船木の肉体はどのような若者にも負けない艶と輝きを取り戻したのだ。

そして大切なのは、田村戦で見せた能動性である。

どの時代であっても、英雄とは、強いだけの男では断じて無い。
弱さや孤独と振り向き合って、自分の弱さをさらけだしても、それでも闘う男に、人は憧れ、そして勇気をもらうものである。

私は船木の打撃のコーチが前田憲作であることは良かったと思う。
決して、イケイケの強面では無い前田であるからこそ、船木の心を奮い立たせる術も知っているのだと思っている。

船木は必ず後少しで、完全に復活する。
そして、その時、誰もが、船木誠勝というプロレスラーの商品価値に改めて気づくはずである。







異人伝/船木誠勝という同世代の英雄/復活の夜

異人伝/桜庭和志の七発のタックル/ナカハラの腰は本当に強いのか?

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posted by shingol at 20:46| 新・レッスルする世界

異人伝/船木誠勝という同世代の英雄/復活の夜

船木誠勝が復活してくれた。
私のような船木と同時代を生き、船木に闘う勇気を与えてもらって来たファンが、待ちこがれていた船木の姿が昨日のDREAMのリング場で確かに存在していたと思っている。

総合のキャリアが数戦であろうが、ブランクが長かろうが、船木が間違いなく日本初のリアルファイトのプロレス団体のトップとして、商業ベースとしてのリアル・ファイトの市場の礎を築き上げたのは確かな事実なのである。

その中で船木が悲壮な決意とともに、同世代の人間たちに送り続けてくれた闘って来た姿は、我々の世代には非常にメッセージ性の高いものであった。

私は何度も、引退前のヒクソン戦を前に船木の表情が変わってしまった事を記して来た。

闘う気持ちを失い、能動性のかけらも無い、ヒクソン戦、そして復帰後の桜庭戦での船木を観るにつけ、私は船木を記事中で否定し続けた。

どのような年の取り方をしようとも、リングに上がる以上、闘う姿勢、能動性を見せつけなければ、闘う場に復帰する意味が無いからだ。

今回の田村戦、相変わらず自信を失っている船木がいた。
しかし、これまでと違うのは、自信を感じさせないながらも、闘う気持ちが前面に出ていた事である。

最初に手を出したのは田村であったかも知れないが、以後、船木は田村を観ずに、受け身ではなく、能動的に、迷い無く、自分をさらけ出した。

昔の船木も、また、大切な試合によく負ける男であった。
しかし、それはまた、自己の能動性ゆえに、敗北を招く男でもあったのだ。

今回は打撃一本に覚悟を決めた事で、迷いが吹っ切れた感もあった。

まだまだ以前の自信は感じられないのも事実だ。
しかし、それでも船木は着実に「闘う気持ち」を取り戻しつつある。

自信がなくとも、怖いながらも、闘う覚悟を決める船木の悲壮感が、観れた事は、私にとつて大きな喜びである。

その悲壮感は、闘う覚悟よりも迷いと弱気だけが垣間見えたヒクソン戦、桜庭戦での船木からは感じる事の出来なかったオーラの片鱗を感じさせてくれた。

それは、まさしく同世代の人間たちに闘う勇気を与えてきた10年前の船木誠勝の片鱗であったと私は思う。

船木関連過去記事

異人伝/桜庭和志の七発のタックル/ナカハラの腰は本当に強いのか?

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posted by shingol at 03:54| 新・レッスルする世界

異人伝/桜庭和志の七発のタックル/ナカハラの腰は本当に強いのか?

桜庭と中原の試合について、私が残念なのは、桜庭がナカハラへの苦戦の原因が、ほぼ「腰が強い」で片付けられている事だ。

これは格闘技ファンの風潮でもあるが、テイクダウンを防げる選手は全て「腰が強い」の一言で片付けすぎているような気がしてならない。

実際に闘った桜庭の言葉から「腰が強い」という評価が出るのならまだしも、桜庭は現段階ではそういった事はコメントしていない。

私程度の低レベルの競技者の意見であるが、「ナカハラの腰は特別は強く無い」という印象を試合を見る限り感じた。

当然、極真空手という非常に競技としてのレベルの高い格闘技の王者であるだけに、その体力や気持ちの強さは並の格闘家よりも高いレベルにある事は間違いない。
その体と心の強さが、例え短期間であっても、桜庭への対応策としてタックル対策を練って来た成果を挙げ、レスラーやグラップラーと比べて、それほど強くは無い粘り腰をカバーし、被テイクダウン率の低さにつながったのだと私思っている。

まず最初のタックルであるローシングル。
背を向けて前に進んだナカハラはロープによって転倒を逃れる事が出来た。
その後、桜庭はローシングルによって捕まえたナカハラの踵を不安定のまま持たざるを得なくなり、総合格闘技では滅多に使わなかった「踵の持ち上げ」に行ってしまう。
しかし、レスリングの基本を忘れた桜庭は、ナカハラの踵を下から両手で持ち上げてしまい、当然のように相手に逃げられる事に成る。
「踵の持ち上げ」の際は、自分の片手を相手の首などに廻しておく事を忘れた、もしくはナカハラのパンチで廻せられなかったのかのどちらかであると考えられる。

差し合い(パメリング)の攻防では、桜庭は元々、不得手であり、そこから相手を転倒させる意思は無いと私は考えている。

二回目。
相手の間合いにやや遠い位地から仕掛ける。
バックステップされる。

三回目。
ナカハラのハイキックにバランスを崩し気味に、全く遠い位地から仕掛ける。
当然、簡単にバックステップされる。

四回目。
ナカハラのリズムの中でタイミングの合わないタックル。
バックステップされる。

特筆すべきはパックステップした後、相手に組み付かれても、すぐにナカハラが、桜庭の脇を差している事。

焦った桜庭が不慣れな投げを放とうとするが、脇をしっかりと差し、ナカハラはこらえている。

五回目。
バランスを崩され低い位地に追いやられた桜庭が、そのまま、今度は両足に入る。
ナカハラに粘り腰は無い。

しかし転倒後、ナカハラは上手くロープを利用して立ち上がる。

ここで六回目。桜庭はナカハラの片足膝裏を掴む。
しかしコーナーポスト際。
直前の攻防が尾を引き、桜庭の重心が高いまま片足を捕まえてしまっている事。
かつ、ナカハラが桜庭の脇を下から差している事。

この状態ではナカハラの腰が強い云々以前に、テイクダウンは非常に難しくなるはずである。

やむなく、桜庭は片足リフトを試みる。
(藤田がヒョードルを倒したボディスラムの原型技)

しかし、重心の高いままの桜庭はナカハラを持ち上げられない。

自分の頭をインサイドからアウトサイドに移行した桜庭は、自分の足を一歩引きながら、自分の重心を下げ、かつ、ナカハラのバランスを崩し、見事テイクダウンに成功する。

相手に脇を差され、自分の重心が高い位地のままから、見事にテイクダウンにつなげた桜庭の技術は私はもっと正当に評価されるべきだと思う。
おそらく総合であの体勢から相手を倒せる選手は数えるほどしかいないはずである。

最後のタックル。
再び両足を成功させる。

このようにナカハラは桜庭のタックルをこらえ切ったのは、実は一度も無い。
ナカハラがバックステップによって防いだタックルは全て、ナカハラの反応の良さ、適切な間合いの維持、それらによって誘発させた桜庭の焦りなどが全て合わさった要因としてのものである。

かつ、最初のタックル、及び五回目のタックル後のグランドからの脱出には上手くリングを利用する研究の後が見受けられた。

六回目の片足を粘ったのは、再度記すが、桜庭を高い重心に追いやり、かつ、桜庭の脇をしっかりと差していた事が原因である。

私は短期間で、これほどまでに、研究や努力の跡を見せたナカハラは立派だと思うし、元々のポテンシャルも相まって、もし今後、総合のリングで活躍するのなら、十分楽しみな存在であると思っている。

しかしナカハラの研究や努力が、たった一言、「腰が強い」だけで片付けられるなら、ナカハラの評価されるべき本質が見えなくなってしまうのではないかと思ってしまう。

かつ桜庭のタックルは、再三記して来た事だが、相手の腰の強さに関係なくテイクダウンを奪える技術である。
桜庭のタックルを防げるのは技術と反射神経でしかない。

つまりナカハラは、片足を掴まれた後の対処方法、リングの使い方、反射神経、それらによって「腰のバランスの良さ」を発揮し、桜庭を苦しめたのである。

なのに相も変わらず、桜庭からのテイクダウンを防ぐ選手を「腰が強い」で片付ける風潮は、かなり以前のガイ・メッツァー戦に対しても同様であったが、結局、格闘技メディアやファンの姿とは流行の技術だけを追い求め本質的なものは黎明期と何一つ変わっていないのではないかと私は危惧してしまう。

私的・プロレスラー桜庭和志/伝家の宝刀・ローシングルよ蘇れ!

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posted by shingol at 02:25| 新・レッスルする世界

2008年04月29日

プロレス昭和異人伝/DREAM直前インスタント予想&雑記

珍しく当ブログでも試合直前のDREAMの結果予想を記してみたいと思います。

船木対田村に関しては、タックルで上になったままの田村の判定勝ち。
もしくはスタンドでのKO勝ちとなりそうです。

田村のタックルはかなり我流ながらも倒すまでは完成されているので、船木以外でも切ることの出来る選手はそうそうはいないはずです。
しかし、田村のタックルで問題なのは、タックルで転倒させた後の自分の頭の位置と身の置き方が、総合のみならずレスリングの基本にすらなっていないことです。
つまり転倒させた後の技術が田村にとってのミッシングリンクなのです。
それは転倒させた後の柔術的なパスガードという意味ではありません。
レスリングの基本が抜けているのです。
田村のタックルとは相手を転倒させた時点で終わってしまっています。
相手の身体がマットについてからの動作が失われているという意味です。

柔術を練習している金に対して田村がタックルで倒しながらも、攻めあぐねた原因は、柔術対策を怠ったというよりも、自身の元々のレスリング技術の欠落です。

以前も記しましたが、あの試合、レスリング的にはものすごくコントロールしやすいガードを金は取ってくれていました。

打倒極の三拍子が平均点以上でバランスよく構成されていると思えた田村ですが、それぞれの技術の狭間に基本的な技術の欠落を感じてしまうことが多いような気がします。

ミノワマン対金は、私はやはり同胞かつ同郷の金よりもプロレスファンとしてミノワマンを応援したいと思います。
金がミノワマンのタックルを切ってくれた時がミノワマンのチャンスだと思います。
タックルを切ってくれることによってミノワマンの潜在能力と技術が発揮されるかと思います。
なので、中途半端にミノワマンはタックルを成功させないでほしいものです。

後、私的には、圧倒的にイアン・マーフィーに注目しています。
マーフィは限りなく現役そのもののカレッジ・スタイルのトップレスラーです。
デビュー戦のマーフィに勝利は望んでいませんが、多分ですが、サイドまでは取れるのではないかと私は思っています。

金のガードを突破できなかった田村には、そういうマーフィの格闘技の基本技術を再確認してもらたいと思います。

田村は決して完成されたり、下り坂の選手ではありません。
実は今の技術を生かす為のポイントの技術が所々で抜け落ちている(新しい技術の習得という意味では有りません)逆に言えば、実に伸びしろの大きい選手だと思っています。

頑張ってほしいものです。

平成にもあった闘うプロレス列伝3/リアルな最強集団ノア

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posted by shingol at 12:16| 新・レッスルする世界

2008年04月28日

最高の格闘技映画「アンチェイン」をご存知ですか?

7、8年前に成るでしょうか?
梅田のLOFTの地下のテアトル梅田にて映画「アンチェイン」を見終わったときの衝撃と焦燥感は物凄いものがありました。

元ボクサー「アンチェイン梶」を中心に、キックボクシングのガルーダ・テツ、シュートボクシングの西林誠一郎、ボクシングの永石磨らの風変わりな絆と闘いの歴史を追いかけた大阪が舞台のドキュメント映画です。

闘いを生業とする格闘家のドキュメント映画という事ですが、TVの情熱大陸のような爽やかさ、ポジティヴさを期待しても、そういった性質のものは作品中に存在しません。

思うように行かない人生へ悪戦苦闘し、もがき、時に破滅へと向かう彼らの不器用な遍歴があまりにも胸に込み入る映画です。

私は、この映画は、何らかの形で格闘技に携わったり、あるいは仕事や趣味等で等身大の自分の弱さ、不器用さと振り向き合っているような人たちに観て頂きたいと思います。

きっと熱い共感を抱く事は間違いないと思います。
そして同時に、何一つ答えの無い映画でもあります。
答えの無い映画の中に強烈な余韻を感じる事だと思います。

もし、興味がある方は下のアマゾンのリンクから、黄色いデザインのジャケットの映画を探して下さい。黄色の意味は映画を見れば分かるはずです。

※同じ黄色いデザインのジャケットの「恋する惑星」と「嘘LIES」と御間違えのないように。

動画はアンチェインの音楽を担当したソウル・フラワー・ユニオンです。

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