月下独酌 李白
花間 一壷の酒
独酌 相親しむ無し
杯を挙げて 明月を邀むかえ
影に対して 三人を成す
月既に 飲を解せず
影徒に 我が身に随う
暫く月と影を伴うて
行楽 須すべからく春に及ぶべし
我歌えば 月 徘徊し
我舞えば 影 零乱
醒時 同じく交歓し
酔後 各 分散す
永く無情の遊を結び
相期して 雲漢はるかなり
(異人伝流訳)
一人で呑んでるよ。
瓶ビールの手酌酒は淋しいので缶ビールにした。
側にいるのは、お月さんと、俺の影だけ。
そやから一応、三人で呑んでんねん。
けど月は下戸なんで付き合ってもらってるだけ。
影は俺の真似するだけ。
春の間くらい、仕事と思って、黙って側にいてな。
俺が唄ったら、月が手拍子とかけ声をしてくれる。
俺が踊ると、影も一緒に踊ってくれる。
仕事のうちは、月も、影も、俺の相手をしてくれた。
けど、いささか月と影に酒を呑まし過ぎたかな。
仕事を忘れた月と影は自我を出して来て、
結局は三人とも、相容れない。
そうなると、皆んなバラバラに、去ってしまうだけやねんなぁ。
酔いすぎない時は、
月を美しいと思える、そんな、たった一つの共通項だけで、
孤独から解放されて、皆んなと一緒に成れた。
けど酔いすぎれば、
月を美しいと思える気持ちだけでは我慢出来なくて、
月ではなくて、貴方の中に自分の心を映し出そうとしてしまう。
だからホロ酔いが結局はいいんちゃうかな?
今度も、そんな時、逢おうね。
天の川で。
昭和プロレス者/3・世界一平和を願う男・前田日明の行く末
人気ブログランキングへ
2008年04月26日
2008年04月25日
ブリスコ対ロビンソン、プロレスのルーツとは?パンクラチオンか、キャッチか?
プロレスとは、よく誤解される事であるが、古代パンクラチオンを源流にしているものでは無い。
プロレスとは欧州でのグレコローマンスタイルの商業スタイルの発展系、あるいはアメリカでのフリースタイルの同じく商業スタイルの発展系でしかないである。
実はその辺りに、古代パンクラチオンが突如として現代に蘇った総合格闘技と、所詮、レスリング競技のディフォルメした商業スタイルであるプロレスとが、相容れない理由があるのだと私は思う。
1960年代、あるいは1970年代のプロレスとは、特にアメリカにおいて、アマチュアレスリングのフリースタイルの技術のディフォルメそのものの世界であった。
現に、今でさえ、純プロレスの基本的なムーブは、フリースタイルレスリングの技術を極端に、誰しも使いやすく、かつ、観ている者に分かりやすく、ディフォルメしたものである。
私が驚愕するのがジャック・ブリスコである。
ブリスコ全盛当時のアメリカは、さして五輪には興味の持たない、カレッジルールでの最高峰だとの誉れのみを目指して、誰しもが、しのぎを削った、世界とは異質のレスリング大国であった。
そのブリスコは文字通り、アメリカのレスリングの最高峰の承認を得たトップ・アスリートでもあった。
東京、そしてメキシコと、五輪二連覇を果たした上武(小幡)選手は、留学先のアメリカのオクラホマ州立大学で観たプリスコの印象をこう語った。
「重量級でありながら、あまりの軽量級の選手のスピードに驚いた」と。
そのブリスコが商業レスリングであるプロレスにおいてトップに立ちながら、ブリスコと対する多くの選手たちは、実はブリスコの隠れた力の前にひれ伏していた訳ではなかった。
肝心な事であるが、当時のプロレスラーとは、プロレスファンあるいはボディ・ビルダー出身だらけの現在のアメリカのプロレスラーたちでは無かったのである。
当時アメリカのプロレスラーたちの半数を占めたアマチュア・レスリング出身者の試合中の力試しを、ブリスコはことごとく退け、そして予定通りに結末を守って来た。
結末において自分にプロモーターが与えてくれた役割を遂行するだけでなく、試合中においても、腕自慢の相手の挑戦を退けて来たのである。
ビル・ロピンソンが、シュートでブリスコに負けたとの噂があった。
ロビンソンは、ブリスコとシュートに成った事等無いと主張した。
おそらくロビンソンの主張は正しいのであろう。
少なくとも1960年代、70年代のアメリカマット界においては、シュートになろうがなかろうが試合中のリアルで能動的な主導権争いは日常茶飯事であったのであろう。
これは仕事、これはシュートというような分け方のロビンソンの発想とは別の所で、おそらくブリスコは日々、身体を張って来たのだと私は思う。
私の主観であるが、もしロビンソンがブリスコにリアルに挑んだとしたら、大人と子供の差があると思っている。
ロビンソンを貶しているのでは無い。
全てのフォークスタイル=キャッチ・レスリングの技術がアメリカに渡り、イギリスにはキャッチの決めの部分しか残らなかったイギリスで、キャッチを学んだロビンソンと、イギリスとは比較に成らないレスリングの技術を持つアメリカの王者ブリスコとは、あまりにもレベルが違いすぎるのである。
もし、ブリスコのレスリング技術と、そしてロビンソンのレスリングからの決めが、合わされば、誰が太刀打ち出来るのであろうと。
何度も記して来たが、フリースタイルの源フォークスタイル=カレッジスタイルとは、イギリスのキャッチの関節技を取り除いてアメリカに輸入された技術である。
イギリスから離れた事によって、フォークスタイルはアメリカで飛躍的な発展を遂げた。
しかし関節技を取り除いての発展である。
ブリスコとロビンソンの遭遇が事実なら、イギリスからアメリカにレスリングが移りいく果てに失ったミッシング・リンク(失われた輪)が、そこに存在している闘いが実現していた事に成る。
その失われた輪とは、ゴッチさんがUWFの弟子たちに教えながらも途中で抜けている技術と同じ類いのものである。
プロレスはパンクラチオンとは別物である。
しかしパンクラチオンにも勝るとも劣らない技術体系を持つ古典的スポーツでもある。
総合格闘技のシーンで、だからこそ、キャッチレスラー、すなわちフォークスタイルの後継者が勝たなくては成らないのだ。
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
純プロレスの免罪符としての激しいプロレス
昭和のプロレスの緊張感と色気とは?
長州力の感情露出プロレスとは何か?/勘違いされている長州力
橋本真也の純プロレス的手法とは?2/アントニオ猪木の演出を引き継いだ男
猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
プロレスとは欧州でのグレコローマンスタイルの商業スタイルの発展系、あるいはアメリカでのフリースタイルの同じく商業スタイルの発展系でしかないである。
実はその辺りに、古代パンクラチオンが突如として現代に蘇った総合格闘技と、所詮、レスリング競技のディフォルメした商業スタイルであるプロレスとが、相容れない理由があるのだと私は思う。
1960年代、あるいは1970年代のプロレスとは、特にアメリカにおいて、アマチュアレスリングのフリースタイルの技術のディフォルメそのものの世界であった。
現に、今でさえ、純プロレスの基本的なムーブは、フリースタイルレスリングの技術を極端に、誰しも使いやすく、かつ、観ている者に分かりやすく、ディフォルメしたものである。
私が驚愕するのがジャック・ブリスコである。
ブリスコ全盛当時のアメリカは、さして五輪には興味の持たない、カレッジルールでの最高峰だとの誉れのみを目指して、誰しもが、しのぎを削った、世界とは異質のレスリング大国であった。
そのブリスコは文字通り、アメリカのレスリングの最高峰の承認を得たトップ・アスリートでもあった。
東京、そしてメキシコと、五輪二連覇を果たした上武(小幡)選手は、留学先のアメリカのオクラホマ州立大学で観たプリスコの印象をこう語った。
「重量級でありながら、あまりの軽量級の選手のスピードに驚いた」と。
そのブリスコが商業レスリングであるプロレスにおいてトップに立ちながら、ブリスコと対する多くの選手たちは、実はブリスコの隠れた力の前にひれ伏していた訳ではなかった。
肝心な事であるが、当時のプロレスラーとは、プロレスファンあるいはボディ・ビルダー出身だらけの現在のアメリカのプロレスラーたちでは無かったのである。
当時アメリカのプロレスラーたちの半数を占めたアマチュア・レスリング出身者の試合中の力試しを、ブリスコはことごとく退け、そして予定通りに結末を守って来た。
結末において自分にプロモーターが与えてくれた役割を遂行するだけでなく、試合中においても、腕自慢の相手の挑戦を退けて来たのである。
ビル・ロピンソンが、シュートでブリスコに負けたとの噂があった。
ロビンソンは、ブリスコとシュートに成った事等無いと主張した。
おそらくロビンソンの主張は正しいのであろう。
少なくとも1960年代、70年代のアメリカマット界においては、シュートになろうがなかろうが試合中のリアルで能動的な主導権争いは日常茶飯事であったのであろう。
これは仕事、これはシュートというような分け方のロビンソンの発想とは別の所で、おそらくブリスコは日々、身体を張って来たのだと私は思う。
私の主観であるが、もしロビンソンがブリスコにリアルに挑んだとしたら、大人と子供の差があると思っている。
ロビンソンを貶しているのでは無い。
全てのフォークスタイル=キャッチ・レスリングの技術がアメリカに渡り、イギリスにはキャッチの決めの部分しか残らなかったイギリスで、キャッチを学んだロビンソンと、イギリスとは比較に成らないレスリングの技術を持つアメリカの王者ブリスコとは、あまりにもレベルが違いすぎるのである。
もし、ブリスコのレスリング技術と、そしてロビンソンのレスリングからの決めが、合わされば、誰が太刀打ち出来るのであろうと。
何度も記して来たが、フリースタイルの源フォークスタイル=カレッジスタイルとは、イギリスのキャッチの関節技を取り除いてアメリカに輸入された技術である。
イギリスから離れた事によって、フォークスタイルはアメリカで飛躍的な発展を遂げた。
しかし関節技を取り除いての発展である。
ブリスコとロビンソンの遭遇が事実なら、イギリスからアメリカにレスリングが移りいく果てに失ったミッシング・リンク(失われた輪)が、そこに存在している闘いが実現していた事に成る。
その失われた輪とは、ゴッチさんがUWFの弟子たちに教えながらも途中で抜けている技術と同じ類いのものである。
プロレスはパンクラチオンとは別物である。
しかしパンクラチオンにも勝るとも劣らない技術体系を持つ古典的スポーツでもある。
総合格闘技のシーンで、だからこそ、キャッチレスラー、すなわちフォークスタイルの後継者が勝たなくては成らないのだ。
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
純プロレスの免罪符としての激しいプロレス
昭和のプロレスの緊張感と色気とは?
長州力の感情露出プロレスとは何か?/勘違いされている長州力
橋本真也の純プロレス的手法とは?2/アントニオ猪木の演出を引き継いだ男
猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
2008年04月24日
プロレスは果たして毎日「燃え尽きなければいけない」ジャンルなのか?
私が驚くプロレスファンの認識の一つに、レスラーは受け身を取っているのだから云々という話があります。
受け身を取っているから実際は危険でないというという信じられないような認識を持つファンが、まだまだ多いようです。
あくまで受け身というのは、危険回避の為のやむを得ない場合に取る技術や手段であって、受け身自体、物凄いダメージを伴う作業である事を、もっと認識してほしいと私は思います。
受け身の必要性はあくまで怪我の防止であり、怪我の防止の為に、連日、受け身によってレスラーたちは日々、肉体にダメージを蓄積し、そして、脳を揺らしているのです。
高度な技に対しては、高度な受け身が必要になって来ます。
しかし、何故それほどまでに高度な技が、そして高度な受け身が、必要なのでしょう?
私の勝手な基準ですが、かつてのハーリー・レイスの売り物であったトップロープからのデッドリードライブに対しての受け身以上に難易度やダメージの深い受け身等、果たしてプロレス界に必要なのでしょうか?
かつて、古舘伊知郎は橋本真也の死に対して、プロレス界の危険な風潮を嘆くコメントを発しました。
橋本の死因自体が、そういう危険なプロレスによるものではなかったため、古舘伊知郎のコメントに的外れのような印象を感じたファンも多かったと思います。
しかし古舘伊知郎にしてみれば、レスラーの死=危険なプロレスに結びつくほど、ここ十数年のプロレス界の常軌を逸した「危険なプロレス信仰」に何らかの危惧を持っていた事は確かでしょう。
かつて昭和の新日本を「過激なプロレス」と名付けた古館伊知郎だからこそ、「過激なプロレス」とは実は、激しさや危険な技に頼らないでリアリティを構成する職人たちによるものだという事は潜在的に、今のプロレスと比べて分かっているのでしょう。
ジャンルとしてのエスカレートに対しての自制作用を、かつてのプロレス界は頑に守っていたような気がします。
しかし、90年代、死をも恐れぬ女子プロレスラーたちの出現によって、一気にジャンルとしての自制作用は消え去りました。
ジャンルとしての未来よりも、刹那的な自分たちのエゴが上回ってしまったのです。
私はアントニオ猪木が90年代に開いたイベント「突然卍固め」に足を運びました。
猪木による猪木の為のイベントに対して、メーン以外のカードに出場する多くのレスラーたちは、前座としての役割を全うし続けました。
観客を暖める事のみに終始し、決して観客を熱くさせないように、意識しながら淡々と好試合を展開していたように思います。
しかし前座で一試合組まれた女子プロレスのカードだけは違いました。
自分たちの求められた役割以上の物を出そうと、過剰に、観客を熱くさせる死闘を繰り広げました。
しかし私の考えでは、メーンを食う熱戦を、その場で、女子プロレスラーたちが行なう必要はあったのだろうかと思います。
私はそれらの行為の全てが刹那的でエゴな姿勢としか感じられませんでした。
しかも女子プロレスのこれでもかの危険な大技ラッシュに鑑賞者としての体力を使い果たした観客は、メーンに向けて気持ちを暖めるどころか、食傷気味になってしまった感もありました。
一つ一つの試合で燃え尽きる事は大切な事だと思います。
しかし、プロレスは、また、燃え尽きるような試合を常時見せるようなジャンルでもないのです。
プロレスに必要なのは毎試合のベストであって、決してバーニングアウトではないのです。
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
純プロレスの免罪符としての激しいプロレス
昭和のプロレスの緊張感と色気とは?
長州力の感情露出プロレスとは何か?/勘違いされている長州力
橋本真也の純プロレス的手法とは?2/アントニオ猪木の演出を引き継いだ男
猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
受け身を取っているから実際は危険でないというという信じられないような認識を持つファンが、まだまだ多いようです。
あくまで受け身というのは、危険回避の為のやむを得ない場合に取る技術や手段であって、受け身自体、物凄いダメージを伴う作業である事を、もっと認識してほしいと私は思います。
受け身の必要性はあくまで怪我の防止であり、怪我の防止の為に、連日、受け身によってレスラーたちは日々、肉体にダメージを蓄積し、そして、脳を揺らしているのです。
高度な技に対しては、高度な受け身が必要になって来ます。
しかし、何故それほどまでに高度な技が、そして高度な受け身が、必要なのでしょう?
私の勝手な基準ですが、かつてのハーリー・レイスの売り物であったトップロープからのデッドリードライブに対しての受け身以上に難易度やダメージの深い受け身等、果たしてプロレス界に必要なのでしょうか?
かつて、古舘伊知郎は橋本真也の死に対して、プロレス界の危険な風潮を嘆くコメントを発しました。
橋本の死因自体が、そういう危険なプロレスによるものではなかったため、古舘伊知郎のコメントに的外れのような印象を感じたファンも多かったと思います。
しかし古舘伊知郎にしてみれば、レスラーの死=危険なプロレスに結びつくほど、ここ十数年のプロレス界の常軌を逸した「危険なプロレス信仰」に何らかの危惧を持っていた事は確かでしょう。
かつて昭和の新日本を「過激なプロレス」と名付けた古館伊知郎だからこそ、「過激なプロレス」とは実は、激しさや危険な技に頼らないでリアリティを構成する職人たちによるものだという事は潜在的に、今のプロレスと比べて分かっているのでしょう。
ジャンルとしてのエスカレートに対しての自制作用を、かつてのプロレス界は頑に守っていたような気がします。
しかし、90年代、死をも恐れぬ女子プロレスラーたちの出現によって、一気にジャンルとしての自制作用は消え去りました。
ジャンルとしての未来よりも、刹那的な自分たちのエゴが上回ってしまったのです。
私はアントニオ猪木が90年代に開いたイベント「突然卍固め」に足を運びました。
猪木による猪木の為のイベントに対して、メーン以外のカードに出場する多くのレスラーたちは、前座としての役割を全うし続けました。
観客を暖める事のみに終始し、決して観客を熱くさせないように、意識しながら淡々と好試合を展開していたように思います。
しかし前座で一試合組まれた女子プロレスのカードだけは違いました。
自分たちの求められた役割以上の物を出そうと、過剰に、観客を熱くさせる死闘を繰り広げました。
しかし私の考えでは、メーンを食う熱戦を、その場で、女子プロレスラーたちが行なう必要はあったのだろうかと思います。
私はそれらの行為の全てが刹那的でエゴな姿勢としか感じられませんでした。
しかも女子プロレスのこれでもかの危険な大技ラッシュに鑑賞者としての体力を使い果たした観客は、メーンに向けて気持ちを暖めるどころか、食傷気味になってしまった感もありました。
一つ一つの試合で燃え尽きる事は大切な事だと思います。
しかし、プロレスは、また、燃え尽きるような試合を常時見せるようなジャンルでもないのです。
プロレスに必要なのは毎試合のベストであって、決してバーニングアウトではないのです。
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
純プロレスの免罪符としての激しいプロレス
昭和のプロレスの緊張感と色気とは?
長州力の感情露出プロレスとは何か?/勘違いされている長州力
橋本真也の純プロレス的手法とは?2/アントニオ猪木の演出を引き継いだ男
猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
2008年04月23日
武藤敬司のプロレスに対する考え
私の唯一好きなプロレス雑誌「Gスピリッツ」誌のホームページで、武藤敬司のインビューを読んで驚いた。
これほどまでに冷静に現在のプロレスの小粒化、曲芸化、誤解を語れるレスラーは他にいないのではないか思った。
ほぼ全面的に私は武藤の意見に納得、支持してしまう。
ただし、それはもちろん純プロレスに付いてである。
誰か、昔の新日本のリアルで能動的な主導権争いのプロレスを、純プロレスを語る武藤のように語ってくれるレスラーはいないのかと思ってしまう。
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
純プロレスの免罪符としての激しいプロレス
昭和のプロレスの緊張感と色気とは?
長州力の感情露出プロレスとは何か?/勘違いされている長州力
橋本真也の純プロレス的手法とは?2/アントニオ猪木の演出を引き継いだ男
猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
これほどまでに冷静に現在のプロレスの小粒化、曲芸化、誤解を語れるレスラーは他にいないのではないか思った。
ほぼ全面的に私は武藤の意見に納得、支持してしまう。
ただし、それはもちろん純プロレスに付いてである。
誰か、昔の新日本のリアルで能動的な主導権争いのプロレスを、純プロレスを語る武藤のように語ってくれるレスラーはいないのかと思ってしまう。
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
純プロレスの免罪符としての激しいプロレス
昭和のプロレスの緊張感と色気とは?
長州力の感情露出プロレスとは何か?/勘違いされている長州力
橋本真也の純プロレス的手法とは?2/アントニオ猪木の演出を引き継いだ男
猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
プロレスという強さのイメージ/3
空想の話である。
もし仮にプロレスラーになったとして闘いたく無い相手を三人挙げるとすれば、私の場合は橋本真也、マードック、ベイダーで決まりである。
プロレスの枠内の中で、あの選手たちの痛くきつい攻撃を受けなければ行けないのは、私には考えただけでも、とても耐えられない話である。
今のプロレスラーに、そういう闘いたく無い相手はいるのだろうか?
きつい攻撃を受けたら倍返しすれば良いといったところで、所詮、急所を狙えないプロレスの枠内で体重の重い相手に同程度の攻撃を仕返しする事は不可能である。
私が印象深いのは、橋本と闘った高田の怯える表情である。
けさ斬りチョプをあれほど怯えた表情で受けた選手はいなかった。
あるいはシャムロックはベイダーとの試合で血反吐を吐くまでに痛めつけられた。
橋本もベイダーもプロレスの枠内で圧倒的な強さを示した選手である。
しかし、プロレスの枠内という事に甘えすぎていなければ、小川との闘いがセメントマッチと誤解される事も無かったのだ。
もし私がプロレス団体の長なら、プロレスの枠内である事を良い事に、橋本やベイダーがきつい攻撃を繰り出してくれば、急所を狙ってでも仕返ししろと言いたい。
そういえばドン・フライの場合は橋本の重く痛い攻撃に切れた事があった。
かといって、それがセメントに成った分けでもなんでもなかった。
純プロレスを守ろうと、馬鹿正直に、橋本の攻撃を受け続け、強さのイメージを奪われた三沢と秋山も切れれば良かったのだと私は思う。
プロレスの枠内でも切れる事は出来る。
受けたく無い技は売けない事、そして、相手が受けようが受けまいが、放てる技を持つ事。
それが昭和の新日本に頻繁にあった能動的な主導権争いのプロレスである。
純プロレスの免罪符としての激しいプロレス
昭和のプロレスの緊張感と色気とは?
長州力の感情露出プロレスとは何か?/勘違いされている長州力
橋本真也の純プロレス的手法とは?2/アントニオ猪木の演出を引き継いだ男
猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
人気ブログランキングへ
もし仮にプロレスラーになったとして闘いたく無い相手を三人挙げるとすれば、私の場合は橋本真也、マードック、ベイダーで決まりである。
プロレスの枠内の中で、あの選手たちの痛くきつい攻撃を受けなければ行けないのは、私には考えただけでも、とても耐えられない話である。
今のプロレスラーに、そういう闘いたく無い相手はいるのだろうか?
きつい攻撃を受けたら倍返しすれば良いといったところで、所詮、急所を狙えないプロレスの枠内で体重の重い相手に同程度の攻撃を仕返しする事は不可能である。
私が印象深いのは、橋本と闘った高田の怯える表情である。
けさ斬りチョプをあれほど怯えた表情で受けた選手はいなかった。
あるいはシャムロックはベイダーとの試合で血反吐を吐くまでに痛めつけられた。
橋本もベイダーもプロレスの枠内で圧倒的な強さを示した選手である。
しかし、プロレスの枠内という事に甘えすぎていなければ、小川との闘いがセメントマッチと誤解される事も無かったのだ。
もし私がプロレス団体の長なら、プロレスの枠内である事を良い事に、橋本やベイダーがきつい攻撃を繰り出してくれば、急所を狙ってでも仕返ししろと言いたい。
そういえばドン・フライの場合は橋本の重く痛い攻撃に切れた事があった。
かといって、それがセメントに成った分けでもなんでもなかった。
純プロレスを守ろうと、馬鹿正直に、橋本の攻撃を受け続け、強さのイメージを奪われた三沢と秋山も切れれば良かったのだと私は思う。
プロレスの枠内でも切れる事は出来る。
受けたく無い技は売けない事、そして、相手が受けようが受けまいが、放てる技を持つ事。
それが昭和の新日本に頻繁にあった能動的な主導権争いのプロレスである。
純プロレスの免罪符としての激しいプロレス
昭和のプロレスの緊張感と色気とは?
長州力の感情露出プロレスとは何か?/勘違いされている長州力
橋本真也の純プロレス的手法とは?2/アントニオ猪木の演出を引き継いだ男
猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
人気ブログランキングへ
大人のプロレス雑誌「Gスピリッツ」
以前も記しましたが、月刊(でなくなった?)Gスピリッツ誌は、私が子供の頃夢中になって熟読した「月刊ゴング」「別冊ゴング」の世界を蘇らせてくれている雑誌です。
丁寧な紙面づくりで、プロレスへの愛情こめた様々な記事が満載の雑誌でした。
基本的にマニア向けでありながら、興味さえ持てば子供や一見さんでも気安く入り込める部分も、かつてのゴングと同じでしょう。
かつて子供時代に夢中になった「ゴング」が史上初の大人のプロレス雑誌として蘇った感があります。
今月発売号の特集記事についてはP-logpasin.exblog.jp様が詳しく記事にされておられますのでご覧ください。
純プロレスの免罪符としての激しいプロレス
昭和のプロレスの緊張感と色気とは?
長州力の感情露出プロレスとは何か?/勘違いされている長州力
橋本真也の純プロレス的手法とは?2/アントニオ猪木の演出を引き継いだ男
猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
人気ブログランキングへ
丁寧な紙面づくりで、プロレスへの愛情こめた様々な記事が満載の雑誌でした。
基本的にマニア向けでありながら、興味さえ持てば子供や一見さんでも気安く入り込める部分も、かつてのゴングと同じでしょう。
かつて子供時代に夢中になった「ゴング」が史上初の大人のプロレス雑誌として蘇った感があります。
今月発売号の特集記事についてはP-logpasin.exblog.jp様が詳しく記事にされておられますのでご覧ください。
純プロレスの免罪符としての激しいプロレス
昭和のプロレスの緊張感と色気とは?
長州力の感情露出プロレスとは何か?/勘違いされている長州力
橋本真也の純プロレス的手法とは?2/アントニオ猪木の演出を引き継いだ男
猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
人気ブログランキングへ
2008年04月21日
八月のクリスマス
韓流ブーム等遥か先の頃、私はこの映画を見る為に、九条のシネ・ヌーヴォに出かけました。
子供の頃、母親の側で観た「ひまわり」の原体験が蘇ったような気がします。
「恋い死なん、後の煙にされと知れ、つひにもらさぬ中の想いは」
子供の頃、母親の側で観た「ひまわり」の原体験が蘇ったような気がします。
「恋い死なん、後の煙にされと知れ、つひにもらさぬ中の想いは」
秋山成勲という、リアルなナルシストの空転
秋山の最大の武器とは、自己に何の疑いも無く陶酔出来るナルシストぶりであった。
いちいち国籍を記しただけで、国籍問題に絡めるなという声を百も承知の上で記すが、在日韓国人の私から思うに、秋山の最大の武器とはナルシストぶりに他ならない。
それは間違いなく保証する。
私個人の考えであるが、ソフトとしての競争力としては、韓国人のソフトは、日本人のソフトを上回っている場合が多い。
それは、あくまで日本というハード、もしくはマーケットを対象とした場合である。
日本という国は、東アジアの人間にとって、間違いなく、ハードとしての最大の舞台を備えた国である。
ハードとしての役割を備えた国家として、日本は韓国等足下に及ばない東アジアの雄である事に変わりはないのだ。
それが日本の誇りだ。
ただし、その日本という最大のハードの国で、承認を得ようと言う東アジアの人間たちの競争の中では、韓国人のソフトとしての自己顕示欲は間違いなく、日本を含め他の国を大きく上回っているのだ。
日本人がソフトとして劣っているのではない。
自己顕示欲についての話だ。
秋山は、韓国の中でも典型的な醤油顔だ。
すなわち北方モンゴロイドの強く逞しい肉体を維持する者の典型的な顔立ちだ。
肉体としての屈強さをあらかじめ、観る者に信号として与え、そしてリングの上で、あまりにも堂々と、力強く、ステップを踏む秋山の自信の源は自己顕示欲である。
あの人を白けさせる一歩手前の自己顕示欲は、入場時に代表される。
子供たちと、愛した競技と、全ての道徳的模範に対しての、ナルシサスぶりが、秋山を、酔わせ、そして力強く闘わせて来た。
秋山のあまりに過剰な自己顕示欲の裏側とは、実は道徳心である。
例えば秋山は前田日明のイベントとは真逆の評価を常に得たい男なのである。
その道徳心の裏側と、自己顕示欲の、隙間の中に、何故、あのような「滑りけ」が存在したのか、私は分からないようで分かる気もする。
しかし、今の秋山は、自己陶酔出来ないほどのブーイングを浴びて来た男である。
自己陶酔によって自分に自信を得て来た男が、その自己陶酔ぶりを得られなければ、自己顕示欲は空回りするしか無い。
私は今日の記者会見の秋山の髪型を観て驚いた。
例えKYと言われようと、良くも悪くも、絶えずイタリアもどきの中年不良雑誌を忠実に模倣し続けて来たような秋山が、まるで三年前の若者のステレオタイプなような安っぽい髪型をして現れたのだ。
もはや秋山の自己陶酔ぶりは空転し始めたのは確かだ。
誰にも負けず、結局は、観客に負ける事で、秋山は自滅の道を歩み初めていると私は確信している。
人気ブログランキングへ
いちいち国籍を記しただけで、国籍問題に絡めるなという声を百も承知の上で記すが、在日韓国人の私から思うに、秋山の最大の武器とはナルシストぶりに他ならない。
それは間違いなく保証する。
私個人の考えであるが、ソフトとしての競争力としては、韓国人のソフトは、日本人のソフトを上回っている場合が多い。
それは、あくまで日本というハード、もしくはマーケットを対象とした場合である。
日本という国は、東アジアの人間にとって、間違いなく、ハードとしての最大の舞台を備えた国である。
ハードとしての役割を備えた国家として、日本は韓国等足下に及ばない東アジアの雄である事に変わりはないのだ。
それが日本の誇りだ。
ただし、その日本という最大のハードの国で、承認を得ようと言う東アジアの人間たちの競争の中では、韓国人のソフトとしての自己顕示欲は間違いなく、日本を含め他の国を大きく上回っているのだ。
日本人がソフトとして劣っているのではない。
自己顕示欲についての話だ。
秋山は、韓国の中でも典型的な醤油顔だ。
すなわち北方モンゴロイドの強く逞しい肉体を維持する者の典型的な顔立ちだ。
肉体としての屈強さをあらかじめ、観る者に信号として与え、そしてリングの上で、あまりにも堂々と、力強く、ステップを踏む秋山の自信の源は自己顕示欲である。
あの人を白けさせる一歩手前の自己顕示欲は、入場時に代表される。
子供たちと、愛した競技と、全ての道徳的模範に対しての、ナルシサスぶりが、秋山を、酔わせ、そして力強く闘わせて来た。
秋山のあまりに過剰な自己顕示欲の裏側とは、実は道徳心である。
例えば秋山は前田日明のイベントとは真逆の評価を常に得たい男なのである。
その道徳心の裏側と、自己顕示欲の、隙間の中に、何故、あのような「滑りけ」が存在したのか、私は分からないようで分かる気もする。
しかし、今の秋山は、自己陶酔出来ないほどのブーイングを浴びて来た男である。
自己陶酔によって自分に自信を得て来た男が、その自己陶酔ぶりを得られなければ、自己顕示欲は空回りするしか無い。
私は今日の記者会見の秋山の髪型を観て驚いた。
例えKYと言われようと、良くも悪くも、絶えずイタリアもどきの中年不良雑誌を忠実に模倣し続けて来たような秋山が、まるで三年前の若者のステレオタイプなような安っぽい髪型をして現れたのだ。
もはや秋山の自己陶酔ぶりは空転し始めたのは確かだ。
誰にも負けず、結局は、観客に負ける事で、秋山は自滅の道を歩み初めていると私は確信している。
人気ブログランキングへ
中尾の藤田への挑戦について
中尾が藤田を挑発している様子だ。
藤田相手に精神的に負担の無いセルフハンディキャップなき闘いを挑める中尾の挑戦表明は今後更に勢いづいていくような気がする。
私は中尾のファンとして、藤田戦の前にどうしても課題として克服してもらいたい試合がある。
柔道出身の総合の一流選手との闘いである。
中尾は、中村との闘いにおいて、裸体の組み技格闘技出身者として、柔道家相手に当然、見せ付けなければいけない裸体のグラップリングテクニックの差をとうとう見せ付けることが出来ないまま試合を終えてしまった。
同じレスリング出身、かつ、レスリング競技引退後の期間がより長い藤田相手に、中尾が、自らのポテンシャルと技術を発揮する事は、意外と難しいことではない。
しかし中尾に欠かせないタックルを変則に切ってくる柔道家を今度こそテイクダウンさせてもらいたいと私は思う。
レスラーがタックル、特に片足に入った時の、柔道家の「きびす返し」による逃げ方は、実は基本的なことを守れば絶対にレスラーがそれに引っかかることは無い。
しかし、あまりにも、レスリングの試合では見られない技術であるだけに、トップクラスでやってきたレスラーほど、逆に戸惑う部分もあるのだろう。
タックルのみに頼らなくなってきた中尾の闘いの軸はそれでもいつでもタックルで相手を倒せるという精神的支柱である。
その支柱を中村に崩されたまま、組しやすい同じレスラーの藤田と闘うことなど、まだまだの話であろう。
藤田に対しては、今のままで、中尾の挑戦に対しては無視を貫くことだ。
藤田和之が、これまでの闘いの中で築いてきた商品価値は、別に日本人格闘家同士のリアルな実力の査定の為にあるのではない。
実際、藤田はもう最強にはこだわっていない。
藤田の歩んできた闘いとは、最強や強さの査定を超越してしまっている。
中尾に負けることではなく、中尾と対するほどの、プロとして低い位置の男ではないはずだ。
トーナメントならまだしも、自分を安売りする必要など全く無いはずだ。
中尾にとっては直接的な美味しい対戦相手を選択する前に、私としては是非、他の日本人格闘家たちに出来ないような闘いを外敵たちを相手に行って欲しいと思っている。
しかし、結局は、私の本音としては、レスリング出身者同士の共食いはもう見たくないということなのかもしれないが・・・。
人気ブログランキングへ
藤田相手に精神的に負担の無いセルフハンディキャップなき闘いを挑める中尾の挑戦表明は今後更に勢いづいていくような気がする。
私は中尾のファンとして、藤田戦の前にどうしても課題として克服してもらいたい試合がある。
柔道出身の総合の一流選手との闘いである。
中尾は、中村との闘いにおいて、裸体の組み技格闘技出身者として、柔道家相手に当然、見せ付けなければいけない裸体のグラップリングテクニックの差をとうとう見せ付けることが出来ないまま試合を終えてしまった。
同じレスリング出身、かつ、レスリング競技引退後の期間がより長い藤田相手に、中尾が、自らのポテンシャルと技術を発揮する事は、意外と難しいことではない。
しかし中尾に欠かせないタックルを変則に切ってくる柔道家を今度こそテイクダウンさせてもらいたいと私は思う。
レスラーがタックル、特に片足に入った時の、柔道家の「きびす返し」による逃げ方は、実は基本的なことを守れば絶対にレスラーがそれに引っかかることは無い。
しかし、あまりにも、レスリングの試合では見られない技術であるだけに、トップクラスでやってきたレスラーほど、逆に戸惑う部分もあるのだろう。
タックルのみに頼らなくなってきた中尾の闘いの軸はそれでもいつでもタックルで相手を倒せるという精神的支柱である。
その支柱を中村に崩されたまま、組しやすい同じレスラーの藤田と闘うことなど、まだまだの話であろう。
藤田に対しては、今のままで、中尾の挑戦に対しては無視を貫くことだ。
藤田和之が、これまでの闘いの中で築いてきた商品価値は、別に日本人格闘家同士のリアルな実力の査定の為にあるのではない。
実際、藤田はもう最強にはこだわっていない。
藤田の歩んできた闘いとは、最強や強さの査定を超越してしまっている。
中尾に負けることではなく、中尾と対するほどの、プロとして低い位置の男ではないはずだ。
トーナメントならまだしも、自分を安売りする必要など全く無いはずだ。
中尾にとっては直接的な美味しい対戦相手を選択する前に、私としては是非、他の日本人格闘家たちに出来ないような闘いを外敵たちを相手に行って欲しいと思っている。
しかし、結局は、私の本音としては、レスリング出身者同士の共食いはもう見たくないということなのかもしれないが・・・。
人気ブログランキングへ
2008年04月20日
純プロレスの免罪符としての激しいプロレス
私は1970年代のプロレスを原体験として育ったプロレスファンですので、必ずしも、緊張感溢れる昭和の新日本のプロレスだけが好きなわけではありません。
様式美溢れる昭和全日本プロレスの世界も大好きでした。
私が好きだったのは、マイティ井上やマスカラスがよく行なっていた技?ですが、相手をヘッドロックに捉えた際に、相手の顔でなく、自分の胸めがけてパンチを連発する攻撃?でした。
子供ですら分かってしまうようなプロレスのお約束でしたが、ファンもプロレスラーも共犯関係のもと、牧歌的な光景を楽しめる世界が純プロレスにはありました。
私が危惧するのは常々記しているように、約束事の少ない能動的な主導権争いのプロレスが絶滅しかけ、全てが純プロレス化してしまった事。
そして純プロレスが、純プロレス的な魅せる技術を、本当の痛い技に求めてしまった事。
この二つです。
闘いを行なわない免罪符として、純プロレス的な攻防の中に、本当に危ない技、痛い技をはめ込み、リアリティを出そうとしているのでしょうか?
ブロレスはプロレスと割り切った感もあるプロレス界ですが、しかし、その根底は総合格闘技出現後のコンプレックスが歪に現れているような気がします。
プロレスはプロレスと闘いを忘れようとするあまり、免罪符としての、技のリアルな激しさに求めすぎているのではないでしょうか?
私の根底のプロレス感は、プロレスに本当の強烈な痛み等入らないという考えです。
本当の強い痛み等なくとも、プロレスラーは、日々の巡業、肉体作り、受け身、マットワークにおいて、生涯に肉体的痛みの残るような職務を全うしているのです。
その事をレスラーもファンも、もっと誇りに思ってほしいのです。
そういうプロレスの商業的ベースを維持する為に、先人の知恵として、プロレスの約束事は生まれました。
そこに本当の強烈な痛みを伴った技をかけあう発想が何故生まれなければ行けないのでしょうか?
あるいはアントニオ猪木は、約束事に頼らず、リアルで能動的な主導権争いのプロレスを昭和の新日本で発展させました。
そのプロレスも又、痛みの伴う技の掛け合いではありません。
捌き合いです。
現在のプロレスは受け身の技術が発達したと言っても、それは必要に迫られた一時的な危険回避の技術でしかありません。
どれだけ受け身をとっても昔のレスラーは肉体に後遺症を抱えました。
しかし今のレスラーたちは、肉体というよりも、脳に後遺症を抱えてしまうような気がして成りません。
私は心底、不思議なのは、この残酷であまりにも危険な風潮に、どのマスコミも警笛を鳴らさないという事です。
今のプロレスから頭部への高い位地からの叩き付け技、頭部や頸椎へのハードヒット技、それらの常用を取り除けば、もう少ないファンすら消え去ってしまう事は確実でしょう。
しかし、そんなものを用いてまで、プロレス村を維持する必要等無いはずです。
私は小川直也が痛い技の受け合いでなく、リアルで能動的な主導権争いによるプロレスを、橋本相手に行なおうとした際に、橋本も、ファンも、セコンドも、マスコミも、全てがセメントの一言で片付けた事にショックを受けました。
新日本が純プロレス化するならば、それで良いと私は思っています。
しかし、純プロレス化するならば、純プロレスの技量だけでファンを納得させるべきです。
純プロレスを行なう事への免罪符に、本当に痛く危険な技を常用する事等言語道断ではないでしょうか?
でなければ、胸板はともかく、鍛えられない箇所への、本当に痛い技は、安易に受けないでほしいと切に願っています。
そして、高度な受け身技術を持つ相手にしか放てないような技は放ってほしくもありません。
繰り返しますが、高度な受け身は、一時的な危険回避でしかなく、受け身を取り続けるたびに、生涯のダメージは歪に増え続けていく事でしょう。
K-1心中様
P-logpasin.exblog.jp様
blogのプロレス様
人気ブログランキングへ
様式美溢れる昭和全日本プロレスの世界も大好きでした。
私が好きだったのは、マイティ井上やマスカラスがよく行なっていた技?ですが、相手をヘッドロックに捉えた際に、相手の顔でなく、自分の胸めがけてパンチを連発する攻撃?でした。
子供ですら分かってしまうようなプロレスのお約束でしたが、ファンもプロレスラーも共犯関係のもと、牧歌的な光景を楽しめる世界が純プロレスにはありました。
私が危惧するのは常々記しているように、約束事の少ない能動的な主導権争いのプロレスが絶滅しかけ、全てが純プロレス化してしまった事。
そして純プロレスが、純プロレス的な魅せる技術を、本当の痛い技に求めてしまった事。
この二つです。
闘いを行なわない免罪符として、純プロレス的な攻防の中に、本当に危ない技、痛い技をはめ込み、リアリティを出そうとしているのでしょうか?
ブロレスはプロレスと割り切った感もあるプロレス界ですが、しかし、その根底は総合格闘技出現後のコンプレックスが歪に現れているような気がします。
プロレスはプロレスと闘いを忘れようとするあまり、免罪符としての、技のリアルな激しさに求めすぎているのではないでしょうか?
私の根底のプロレス感は、プロレスに本当の強烈な痛み等入らないという考えです。
本当の強い痛み等なくとも、プロレスラーは、日々の巡業、肉体作り、受け身、マットワークにおいて、生涯に肉体的痛みの残るような職務を全うしているのです。
その事をレスラーもファンも、もっと誇りに思ってほしいのです。
そういうプロレスの商業的ベースを維持する為に、先人の知恵として、プロレスの約束事は生まれました。
そこに本当の強烈な痛みを伴った技をかけあう発想が何故生まれなければ行けないのでしょうか?
あるいはアントニオ猪木は、約束事に頼らず、リアルで能動的な主導権争いのプロレスを昭和の新日本で発展させました。
そのプロレスも又、痛みの伴う技の掛け合いではありません。
捌き合いです。
現在のプロレスは受け身の技術が発達したと言っても、それは必要に迫られた一時的な危険回避の技術でしかありません。
どれだけ受け身をとっても昔のレスラーは肉体に後遺症を抱えました。
しかし今のレスラーたちは、肉体というよりも、脳に後遺症を抱えてしまうような気がして成りません。
私は心底、不思議なのは、この残酷であまりにも危険な風潮に、どのマスコミも警笛を鳴らさないという事です。
今のプロレスから頭部への高い位地からの叩き付け技、頭部や頸椎へのハードヒット技、それらの常用を取り除けば、もう少ないファンすら消え去ってしまう事は確実でしょう。
しかし、そんなものを用いてまで、プロレス村を維持する必要等無いはずです。
私は小川直也が痛い技の受け合いでなく、リアルで能動的な主導権争いによるプロレスを、橋本相手に行なおうとした際に、橋本も、ファンも、セコンドも、マスコミも、全てがセメントの一言で片付けた事にショックを受けました。
新日本が純プロレス化するならば、それで良いと私は思っています。
しかし、純プロレス化するならば、純プロレスの技量だけでファンを納得させるべきです。
純プロレスを行なう事への免罪符に、本当に痛く危険な技を常用する事等言語道断ではないでしょうか?
でなければ、胸板はともかく、鍛えられない箇所への、本当に痛い技は、安易に受けないでほしいと切に願っています。
そして、高度な受け身技術を持つ相手にしか放てないような技は放ってほしくもありません。
繰り返しますが、高度な受け身は、一時的な危険回避でしかなく、受け身を取り続けるたびに、生涯のダメージは歪に増え続けていく事でしょう。
K-1心中様
P-logpasin.exblog.jp様
blogのプロレス様
人気ブログランキングへ
昭和のプロレスの緊張感と色気とは?
例えばの話であるが、この試合は総合格闘技なんだと自分の頭の中で自分を騙しきりながら、プロレスを行なうようなレスラーが現れないものだろうかと私は思う。
もちろん全ての攻撃の負荷を総合と同じ負荷をかけて、かつ、急所に対して放つような意識ではない。
むしろ防御面において、総合並の意識を維持すれば、プロレスにおいての緊張感は少しは蘇るのではないかと私は思う。
それが昔の新日本プロレスでもあった。
昭和の時代の全日本と新日本の違いが最もあらわれた光景は、ロープ際でのブレーク時である。
良くも悪くも相手との信頼関係に基づいて上質のプロレスを展開する全日本のレスラーたちのロープ際での攻防はスマートで、様式美に溢れている。
しかし、新日本の場合は、ロープに押し込まれた相手の肉体の緊張ぶりが最も目立つシーンでもあった。
相手に身を預ける柔らかさを持った全日本のプロレスに対して、新日本は簡単には相手に身を預けない堅さを持っていたという事である。
また猪木は相手をロープに押し込む際も、相手の片腕をロープに絡めた後で、プロレス的な見栄を切る事が多かった。
見栄を切る際にも、ロープ際での緊張を意識しているのである。
それを考えると、猪木が何故、大谷進二郎の顔面ウォッシュを否定するか分かるような気がする。
藤田和之が総合に参戦後も頑に守っている長州の教えとして、相手から目を離さない事を頑に守っていると語った事がある。
今のプロレスは簡単に身を預けすぎている。
かつ、信頼のもと、身を預けた上に返って来るのは、頭部や頸椎への打撃だ。
軽い負荷とはいえ、頭部への攻撃を放つ相手に等、簡単に身を預けるべきではない。
もう少し堅いレスラーが現れてくれないだろうかと私は思う。
当然、堅さは逆に時として怪我を誘発しやすい。
しかし、簡単に相手に身を預けた上に、受けなければ行けない技は、頭部や頸椎へのえげつない技なら、すかしてもいいはずである。
それが人間の防衛本能だ。
自分を傷つける技等受ける必要は無いのだ。
そういう行為がプロレスの緊張感をどんどん無くしてしまっている原因では無いだろうか?
(一方、純プロレスの世界なら、相手に身を預ける事で、様式美の世界が生まれる。
しかし、そこにおいても、身を預けてくれた相手の脳を揺らす技等行なえば、そこに信頼関係の上に成り立つ純プロレスの美しさすら醸し出せないと私は思う)
緊張感を無くしている原因は他にもある。
前々から記している事だが、簡単に感情を露出させすぎている事だ。
プロレス的感情とは露出する事で色気を無くしてしまうものだ。
皆が皆、女子プロレラーのように簡単に感情を露出させるプロレスを展開してしまっている。
感情を意識の中にしっかりと内に秘め、かつ、簡単に露出させない事で、色気を醸し出す。
猪木、長州、前田、橋本、全て内に秘めた感情の露出を抑制する事で、見る者に、色気と緊張感を与えて来たのだ。
プロレスラーのリアルな感情とは簡単に露出させれば安っぽく白々しくしか見えないものだ。
それよりも内に何かを秘めてるなと匂わせてくれるようなレスラーを、見る者は凝視してしまうものである。
長州力の感情露出プロレスとは何か?/勘違いされている長州力
橋本真也の純プロレス的手法とは?2/アントニオ猪木の演出を引き継いだ男
猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
人気ブログランキングへ
もちろん全ての攻撃の負荷を総合と同じ負荷をかけて、かつ、急所に対して放つような意識ではない。
むしろ防御面において、総合並の意識を維持すれば、プロレスにおいての緊張感は少しは蘇るのではないかと私は思う。
それが昔の新日本プロレスでもあった。
昭和の時代の全日本と新日本の違いが最もあらわれた光景は、ロープ際でのブレーク時である。
良くも悪くも相手との信頼関係に基づいて上質のプロレスを展開する全日本のレスラーたちのロープ際での攻防はスマートで、様式美に溢れている。
しかし、新日本の場合は、ロープに押し込まれた相手の肉体の緊張ぶりが最も目立つシーンでもあった。
相手に身を預ける柔らかさを持った全日本のプロレスに対して、新日本は簡単には相手に身を預けない堅さを持っていたという事である。
また猪木は相手をロープに押し込む際も、相手の片腕をロープに絡めた後で、プロレス的な見栄を切る事が多かった。
見栄を切る際にも、ロープ際での緊張を意識しているのである。
それを考えると、猪木が何故、大谷進二郎の顔面ウォッシュを否定するか分かるような気がする。
藤田和之が総合に参戦後も頑に守っている長州の教えとして、相手から目を離さない事を頑に守っていると語った事がある。
今のプロレスは簡単に身を預けすぎている。
かつ、信頼のもと、身を預けた上に返って来るのは、頭部や頸椎への打撃だ。
軽い負荷とはいえ、頭部への攻撃を放つ相手に等、簡単に身を預けるべきではない。
もう少し堅いレスラーが現れてくれないだろうかと私は思う。
当然、堅さは逆に時として怪我を誘発しやすい。
しかし、簡単に相手に身を預けた上に、受けなければ行けない技は、頭部や頸椎へのえげつない技なら、すかしてもいいはずである。
それが人間の防衛本能だ。
自分を傷つける技等受ける必要は無いのだ。
そういう行為がプロレスの緊張感をどんどん無くしてしまっている原因では無いだろうか?
(一方、純プロレスの世界なら、相手に身を預ける事で、様式美の世界が生まれる。
しかし、そこにおいても、身を預けてくれた相手の脳を揺らす技等行なえば、そこに信頼関係の上に成り立つ純プロレスの美しさすら醸し出せないと私は思う)
緊張感を無くしている原因は他にもある。
前々から記している事だが、簡単に感情を露出させすぎている事だ。
プロレス的感情とは露出する事で色気を無くしてしまうものだ。
皆が皆、女子プロレラーのように簡単に感情を露出させるプロレスを展開してしまっている。
感情を意識の中にしっかりと内に秘め、かつ、簡単に露出させない事で、色気を醸し出す。
猪木、長州、前田、橋本、全て内に秘めた感情の露出を抑制する事で、見る者に、色気と緊張感を与えて来たのだ。
プロレスラーのリアルな感情とは簡単に露出させれば安っぽく白々しくしか見えないものだ。
それよりも内に何かを秘めてるなと匂わせてくれるようなレスラーを、見る者は凝視してしまうものである。
長州力の感情露出プロレスとは何か?/勘違いされている長州力
橋本真也の純プロレス的手法とは?2/アントニオ猪木の演出を引き継いだ男
猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
人気ブログランキングへ
2008年04月19日
平成にもあった闘うプロレス列伝2/馳浩
馳浩は、前田に言わせれば新日本の道場神話を崩壊に追いやった戦犯である。
根拠など何一つ示さず、馳を否定していたようだが、私は、その意見に対して理解なと出来ない。
もし前田が若手時代、馳のコーチのもと、スパーリングを行なえばどうなるか?
能動的に全力を発揮させられるスバーリングと、自分のやって来たアクションの無いスパーリングの違いを味わう事に成るだろう。
残念なのは、馳自身が、スパーリングとプロレスを区別していた事である。
しかし馳は何故、平成のプロレスに、馳の印象からすると、一見不必要なスパーリングを必須トレとしていたのか?
簡単である。
「闘う気持ち」を維持させる為である。
一切の受け身的な技術を評価されず、能動的な強迫観念の中で、時間を決めてスパーリングを行なえば誰しも分かる事だ。
攻めなければ失格と成る競技をベースにしたスパーリングによって、馳は新しい新日本の等身大のトレーニング量を築き上げたのだ。
90年代の新日本の隆盛ぶりと、数多い団体の中での見事な惑星ぶりは、平成の新日本の若手による誇りによって成り立ってもいた。
長州力と馳の道場哲学は、間違いなく、幻想でなく実体を伴う新日本の道場神話の新しい形でもあった。
受け身的な鍛錬から、能動性無くしては評価されない主体的な努力の場と道場が変化したのである。
昭和プロレス者/3・世界一平和を願う男・前田日明の行く末
長州力の感情露出プロレスとは何か?/勘違いされている長州力
橋本真也の純プロレス的手法とは?2/アントニオ猪木の演出を引き継いだ男
猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
人気ブログランキングへ
根拠など何一つ示さず、馳を否定していたようだが、私は、その意見に対して理解なと出来ない。
もし前田が若手時代、馳のコーチのもと、スパーリングを行なえばどうなるか?
能動的に全力を発揮させられるスバーリングと、自分のやって来たアクションの無いスパーリングの違いを味わう事に成るだろう。
残念なのは、馳自身が、スパーリングとプロレスを区別していた事である。
しかし馳は何故、平成のプロレスに、馳の印象からすると、一見不必要なスパーリングを必須トレとしていたのか?
簡単である。
「闘う気持ち」を維持させる為である。
一切の受け身的な技術を評価されず、能動的な強迫観念の中で、時間を決めてスパーリングを行なえば誰しも分かる事だ。
攻めなければ失格と成る競技をベースにしたスパーリングによって、馳は新しい新日本の等身大のトレーニング量を築き上げたのだ。
90年代の新日本の隆盛ぶりと、数多い団体の中での見事な惑星ぶりは、平成の新日本の若手による誇りによって成り立ってもいた。
長州力と馳の道場哲学は、間違いなく、幻想でなく実体を伴う新日本の道場神話の新しい形でもあった。
受け身的な鍛錬から、能動性無くしては評価されない主体的な努力の場と道場が変化したのである。
昭和プロレス者/3・世界一平和を願う男・前田日明の行く末
長州力の感情露出プロレスとは何か?/勘違いされている長州力
橋本真也の純プロレス的手法とは?2/アントニオ猪木の演出を引き継いだ男
猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
人気ブログランキングへ
アントニオ猪木チルドレンの誇り
私は半端者のレスラーでもありますが、レスラー、そしてプロレスファンという属性だけを頼りに、誰よりも暖かく優しい人間に成りたいと思ってきました。
アントニオ猪木を観て育った人間ならば、誰しも、他人に対して、世の中の人に対して、自分が提示出来る、暖かさや優しさを考えて来た経験はある事でしょう。
我々に、世の中の人に衝撃と薫習を与え、そして勇気や暖かさを与えてくれた猪木への恩を我々が感じる限り、そういうファンを育てて来たアントニオ猪木の功績と貯金は底をついてません。
私も、そういうアントニオ猪木チルドレンの一人です。
アントニオ猪木を観て育った人間ならば、誰しも、他人に対して、世の中の人に対して、自分が提示出来る、暖かさや優しさを考えて来た経験はある事でしょう。
我々に、世の中の人に衝撃と薫習を与え、そして勇気や暖かさを与えてくれた猪木への恩を我々が感じる限り、そういうファンを育てて来たアントニオ猪木の功績と貯金は底をついてません。
私も、そういうアントニオ猪木チルドレンの一人です。
2008年04月18日
平成にもあった闘うプロレス列伝1/鈴木健想
かつて昭和の新日本プロレスが、純プロレス的な約束事に頼らず、リアルで能動的な主導権争いを展開して来た事は、私のブログで最も多く伝えて来たテーマでもある。
(また、一方の、純プロレスの分野においても、新日本の場合は、感情の演出法や演劇的手法を用いて、従来の純プロレスとは異なる魅せるプロレスを展開していったが、その後継者は橋本真也以降出ていないと私は思っている)
それが昭和の新日本プロレスでもあった。
プロレスファン出身のレスラーが多くなり、プロレス的な技量の高い選手が増えた現在の新日本であるが、もはや前述した二つの昭和の新日本プロレスの要素は観る事は殆ど出来ない。
しかし平成以後も、僅かでは在るが、昭和の新日本を彷彿とさせてくれる「リアルで能動的な主導権争い」によってプロレスを成立させた選手が存在していた事も事実である。
もちろん、その筆頭は、Uインター相手に奇跡的な試合を展開した永田や石沢でもあったが、意外な選手がそういうプロレスを行なっていた事もある。
例えば、鈴木健想である。
正確には、試合ではなく、他人の試合中に乱入しての僅かな光景でしかなかったのだが、意外と、そのシーンを覚えている方は多いのではなかろうか?
橋本が確か引退を掛けて小川と闘った試合である。
試合途中、乱入した村上和成を、橋本のセコンド鈴木健想がリアルなラグビータックルの連発で撃退した名シーンである。
プロレス的にディフォルメしたラグビータックルではなく、リアルなラグビータックルをプロレスのリング上で放ったのは鈴木しかいない。
格闘球技といえる激しいスポーツながらも、一対一の格闘技経験の無い鈴木が、心底の感情を込めて至近距離で連発したタックルは、村上をたじろがせる事に成功した。
村上の乱入は橋本対小川の試合の一つのエッセンスでもあったが、重要だったのは、村上に向かっていったのが鈴木一人だったという事だ。
新日本の他のセコンドが腰を引けていたのではない。
おぞましい乱闘に発展した過去の反省と、リング上のあまりの緊張感に水を差さない配慮がセコンド陣からは感じられていた。
その中で村上に対する役回りは、橋本の付き人、鈴木しかいなかったのである。
結果、鈴木は、あの試合の緊張感を更に高める重要な役回りを成功させたのである。
小川がリアルで能動的な闘いを仕掛けた最初のドームでの試合と異なり、あくまで純プロレスに近く、かつ、猪木的純プロレス演出手法を引き継いだ傑作試合であったが、あの試合にリアルに勝る緊張感をもたらした鈴木の功績は大きいはずである。
大切なのは、あの頃、すでに総合格闘技がジャンルとしてのうねりを挙げていたという事である。
なのに、何故、ゴールデンタイムに恥じない「闘うプロレス」を多くのファンに見せつける事が出来たのか?
橋本の猪木的感情の演出、そして鈴木の瞬間のリアルで能動的な攻撃。
その二つの要素がダイナミズム溢れる昭和の新日本的な世界を再現したのだ。
橋本真也の純プロレス的手法とは?2/アントニオ猪木の演出を引き継いだ男
猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
人気ブログランキングへ
(また、一方の、純プロレスの分野においても、新日本の場合は、感情の演出法や演劇的手法を用いて、従来の純プロレスとは異なる魅せるプロレスを展開していったが、その後継者は橋本真也以降出ていないと私は思っている)
それが昭和の新日本プロレスでもあった。
プロレスファン出身のレスラーが多くなり、プロレス的な技量の高い選手が増えた現在の新日本であるが、もはや前述した二つの昭和の新日本プロレスの要素は観る事は殆ど出来ない。
しかし平成以後も、僅かでは在るが、昭和の新日本を彷彿とさせてくれる「リアルで能動的な主導権争い」によってプロレスを成立させた選手が存在していた事も事実である。
もちろん、その筆頭は、Uインター相手に奇跡的な試合を展開した永田や石沢でもあったが、意外な選手がそういうプロレスを行なっていた事もある。
例えば、鈴木健想である。
正確には、試合ではなく、他人の試合中に乱入しての僅かな光景でしかなかったのだが、意外と、そのシーンを覚えている方は多いのではなかろうか?
橋本が確か引退を掛けて小川と闘った試合である。
試合途中、乱入した村上和成を、橋本のセコンド鈴木健想がリアルなラグビータックルの連発で撃退した名シーンである。
プロレス的にディフォルメしたラグビータックルではなく、リアルなラグビータックルをプロレスのリング上で放ったのは鈴木しかいない。
格闘球技といえる激しいスポーツながらも、一対一の格闘技経験の無い鈴木が、心底の感情を込めて至近距離で連発したタックルは、村上をたじろがせる事に成功した。
村上の乱入は橋本対小川の試合の一つのエッセンスでもあったが、重要だったのは、村上に向かっていったのが鈴木一人だったという事だ。
新日本の他のセコンドが腰を引けていたのではない。
おぞましい乱闘に発展した過去の反省と、リング上のあまりの緊張感に水を差さない配慮がセコンド陣からは感じられていた。
その中で村上に対する役回りは、橋本の付き人、鈴木しかいなかったのである。
結果、鈴木は、あの試合の緊張感を更に高める重要な役回りを成功させたのである。
小川がリアルで能動的な闘いを仕掛けた最初のドームでの試合と異なり、あくまで純プロレスに近く、かつ、猪木的純プロレス演出手法を引き継いだ傑作試合であったが、あの試合にリアルに勝る緊張感をもたらした鈴木の功績は大きいはずである。
大切なのは、あの頃、すでに総合格闘技がジャンルとしてのうねりを挙げていたという事である。
なのに、何故、ゴールデンタイムに恥じない「闘うプロレス」を多くのファンに見せつける事が出来たのか?
橋本の猪木的感情の演出、そして鈴木の瞬間のリアルで能動的な攻撃。
その二つの要素がダイナミズム溢れる昭和の新日本的な世界を再現したのだ。
橋本真也の純プロレス的手法とは?2/アントニオ猪木の演出を引き継いだ男
猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
人気ブログランキングへ
2008年04月17日
長州力の感情露出プロレスとは何か?/勘違いされている長州力
私は常々、猪木や前田、橋本真也の魅力とは感情を悪戯に露出させず、「溜める」事で、観客に視線を集めて来た事だと記して来た。
プロレスはリアルではないからと、免罪符のごとく、余計に感情の露出に拘ろうとしているのが現在のプロレス界である。
これは少し今のプロレスファンにはきつい言い方も知れないが、今のプロレスファンが感動し興奮する「感情のぶつけあいプロレス」を赤面せず見つめる事が出来る人たちは、世の中で、プロレス村の住人たちしかいないと私は思っている。
世間の人があまりにもプロレス的な感情のぶつかり合いに空々しさやわざとらしさを感じている事にそろそろ気づくべきてある。
感情の露出と言えば、長州力もそうであろう。
しかし長州はその感情の露出によって多くの一見さんたちをプロレスに取り込んだ。
それは長州の感情の露出とは、現在の多くのプロレスラーのそれとは全く別物であるからだ。
長州は本当の深層心理の中に、ファンに対して見せた事の無い刃を持つ人間でもある。
しかし、深層心理の刃を、押し隠し、プロレス的に露出の許される感情に変化させている男なのである。
心の奥底の刃等無く、ただ単にプロレス的感情の露出の提示に多くのプロレスラーが夢中になろうとしても、長州の心の奥底からのリアルな感情をプロレス様式に加工した感情には勝る事は無いのだ。
多くの格闘技エリートたちはプロレスはプロレスだからと感情をあらかじめ捨て去ろうとする。
あるいは格闘技の刃を持たない純プロレスラーたちは、最初から鈍角なプロレス様式に加工された感情の露出を持って、感情のストリッププロレスを展開する。
長州はどちらでも無いのである。
そして前田とも異なる。
本質的に深層心理の世界では前田と同じ鋭角性を持ちながらも、前田がその鋭角的な刃を「溜め」ただし何か在れば露出させようという危険な雰囲気を醸し出すのに対して、長州は鋭角的な刃を「溜める」のではなく、最初からプロレス的な感情に転化させているのである。
長州力のプロレス的な感情の原材料は、純度の高い本当の怒りと、そして本当の怒りを溜め職務に全うする格闘家の色気である。
猪木にしても、長州にしても、結局は弟子に対しては、禅問答の教えのような抽象的な言語しか持たない人間である。
彼らの多くの弟子たちが、猪木プロレス、長州プロレスの本質を理解出来ず、外見だけを真似ているのか実情である。
私が残念なのは中西である。
おそらく中西はプロ入りしたエリートの中で、長州に似た主従関係のストレスを持つ男である。
そして頭が良すぎるからこそ、馬鹿なキャラを偽っている男なのである。
中西が、自分の本心を、とりあえず心の奥底くらいまで引っぱり出し、かつ、その引っ張りだした感情を、心の奥底に溜め、プロレス的な感情の露出に転化させれば、中西は違った魅力を持つ事が出来るであろう。
それくらいリアルな怒りを溜め込む中西は、恐ろしさを満点下のファンに見せつけられるはずである。
リアルな刃の感情等持たない連中が、いたずらに物凄い表情で、感情を演出しても、それは所詮、砂上の楼閣だ。
私が最近気づくのは、男子プロレスの女子プロレス化だ。
最初から物凄い表情で、感情を表現するのに必死だが、そこに根っこのリアルな感情は在るのか?
深層心理の中の感情以上の感情の露出を試みようとしても、そこには「殺気」も「緊張感」も「色気」も無い。
今のプロレスラーたちは、深層心理以上の感情を無理に表現しようとする。
自ずと、怒りの表情や気合いに頼らざるを得ない。
そこには観る者が白けるわざとらしい世界しか無いのだ。
あるいは待ち構える相手の頸椎めがけて物凄いエルボーを放っても、それは受け止めてくれる相手に甘えた感情の露出でしかない。
無理に感情を作ろうとしても、深層心理の中にリアルな感情等あれば作る必要等無くてもファンには「殺気」や「緊張感」は伝わるはずである。
長州力のストンピングを観れば良い。
相手を傷つける事無く、ただ自分の怒りを古典的な相手を傷つけない技に込め、自分の深層心理からのリアルな感情をぶつける。
長州がストンピングする相手は対戦相手ではない。
マットである。
その感情は絶対に前田のようにリアルには露出せず、プロレス様式に変えているものの、それでも実体のない感情の演出とは別次元の世界なのである。
橋本真也の純プロレス的手法とは?2/アントニオ猪木の演出を引き継いだ男
猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
昭和プロレス者/3・世界一平和を願う男・前田日明の行く末
昭和プロレス者/4・長州力という情動によるリアル猪木ゲノム
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
プロレスはリアルではないからと、免罪符のごとく、余計に感情の露出に拘ろうとしているのが現在のプロレス界である。
これは少し今のプロレスファンにはきつい言い方も知れないが、今のプロレスファンが感動し興奮する「感情のぶつけあいプロレス」を赤面せず見つめる事が出来る人たちは、世の中で、プロレス村の住人たちしかいないと私は思っている。
世間の人があまりにもプロレス的な感情のぶつかり合いに空々しさやわざとらしさを感じている事にそろそろ気づくべきてある。
感情の露出と言えば、長州力もそうであろう。
しかし長州はその感情の露出によって多くの一見さんたちをプロレスに取り込んだ。
それは長州の感情の露出とは、現在の多くのプロレスラーのそれとは全く別物であるからだ。
長州は本当の深層心理の中に、ファンに対して見せた事の無い刃を持つ人間でもある。
しかし、深層心理の刃を、押し隠し、プロレス的に露出の許される感情に変化させている男なのである。
心の奥底の刃等無く、ただ単にプロレス的感情の露出の提示に多くのプロレスラーが夢中になろうとしても、長州の心の奥底からのリアルな感情をプロレス様式に加工した感情には勝る事は無いのだ。
多くの格闘技エリートたちはプロレスはプロレスだからと感情をあらかじめ捨て去ろうとする。
あるいは格闘技の刃を持たない純プロレスラーたちは、最初から鈍角なプロレス様式に加工された感情の露出を持って、感情のストリッププロレスを展開する。
長州はどちらでも無いのである。
そして前田とも異なる。
本質的に深層心理の世界では前田と同じ鋭角性を持ちながらも、前田がその鋭角的な刃を「溜め」ただし何か在れば露出させようという危険な雰囲気を醸し出すのに対して、長州は鋭角的な刃を「溜める」のではなく、最初からプロレス的な感情に転化させているのである。
長州力のプロレス的な感情の原材料は、純度の高い本当の怒りと、そして本当の怒りを溜め職務に全うする格闘家の色気である。
猪木にしても、長州にしても、結局は弟子に対しては、禅問答の教えのような抽象的な言語しか持たない人間である。
彼らの多くの弟子たちが、猪木プロレス、長州プロレスの本質を理解出来ず、外見だけを真似ているのか実情である。
私が残念なのは中西である。
おそらく中西はプロ入りしたエリートの中で、長州に似た主従関係のストレスを持つ男である。
そして頭が良すぎるからこそ、馬鹿なキャラを偽っている男なのである。
中西が、自分の本心を、とりあえず心の奥底くらいまで引っぱり出し、かつ、その引っ張りだした感情を、心の奥底に溜め、プロレス的な感情の露出に転化させれば、中西は違った魅力を持つ事が出来るであろう。
それくらいリアルな怒りを溜め込む中西は、恐ろしさを満点下のファンに見せつけられるはずである。
リアルな刃の感情等持たない連中が、いたずらに物凄い表情で、感情を演出しても、それは所詮、砂上の楼閣だ。
私が最近気づくのは、男子プロレスの女子プロレス化だ。
最初から物凄い表情で、感情を表現するのに必死だが、そこに根っこのリアルな感情は在るのか?
深層心理の中の感情以上の感情の露出を試みようとしても、そこには「殺気」も「緊張感」も「色気」も無い。
今のプロレスラーたちは、深層心理以上の感情を無理に表現しようとする。
自ずと、怒りの表情や気合いに頼らざるを得ない。
そこには観る者が白けるわざとらしい世界しか無いのだ。
あるいは待ち構える相手の頸椎めがけて物凄いエルボーを放っても、それは受け止めてくれる相手に甘えた感情の露出でしかない。
無理に感情を作ろうとしても、深層心理の中にリアルな感情等あれば作る必要等無くてもファンには「殺気」や「緊張感」は伝わるはずである。
長州力のストンピングを観れば良い。
相手を傷つける事無く、ただ自分の怒りを古典的な相手を傷つけない技に込め、自分の深層心理からのリアルな感情をぶつける。
長州がストンピングする相手は対戦相手ではない。
マットである。
その感情は絶対に前田のようにリアルには露出せず、プロレス様式に変えているものの、それでも実体のない感情の演出とは別次元の世界なのである。
橋本真也の純プロレス的手法とは?2/アントニオ猪木の演出を引き継いだ男
猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
昭和プロレス者/3・世界一平和を願う男・前田日明の行く末
昭和プロレス者/4・長州力という情動によるリアル猪木ゲノム
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
2008年04月16日
内田裕也という私の神
私が世界一愛するアイドルは、アントニオ猪木ですが、猪木は私の神では在りません。
未だに猪木を愛するファンは皆、盲目的な猪木信者と思っている今のプロレスファンの輩がいるようですが。
私の神とは内田裕也をおいて他にいません。
裕也さんを神と思う時点で、私の神とは実はどうでも良い事を分かってほしいと思います。
間違っても内田裕也になりたくありませんが、裕也さんの全てが、私が格好良いと思うほとんど全ての世界とだぶっているからです。
男なら神に頼ってはいけない。
その事を「神を恐れない男」裕也さんに教えてもらいました。
未だに猪木を愛するファンは皆、盲目的な猪木信者と思っている今のプロレスファンの輩がいるようですが。
私の神とは内田裕也をおいて他にいません。
裕也さんを神と思う時点で、私の神とは実はどうでも良い事を分かってほしいと思います。
間違っても内田裕也になりたくありませんが、裕也さんの全てが、私が格好良いと思うほとんど全ての世界とだぶっているからです。
男なら神に頼ってはいけない。
その事を「神を恐れない男」裕也さんに教えてもらいました。
OSを無くしたプロレスファン
私がレスリング競技に没頭して来た事で得た一番のメリットは、能動性を身につけた事である。
能動性=アクションを持ってしか、審判にも、仲間にも、評価される事の無い競技で育った事は私にとっては良かった事だと思っている。
そういう私が他の格闘技で不思議に思うのは、タックルに来た相手をフロントヘッドロックに捉えて勝利して喜ぶ輩である。
そこに何の能動性があるのか?
しかし、私のタックルは間違ってもフロントヘッドロックに捉えられる事は無い。
タックルの打ち込みを1日一万回はこなし続けて来た私が、何故、フロントヘッドロックに捉えられなければ行けないのか、そう思い、柔術家たちを対角線からのタックルで飛ばし続けた。
受け身的な技術には絶対に負ける事等無いと信じている事が、私の属性だ。
私が能動性を意識したのは、レスリングを始める以前、プロレスファンであり、活字中毒でもあったからだ。
昔のプロレスは特に、言語は少なかった。
行間において観客の能動的な感性に任せる事が多かったので、今のように明確な「説明」や「絵文字」は無かった。
プロレスファンにだけではない。
全てのジャンルにおいて、人間の能動性が必要なくなっている。
今の時代、「言葉遣い」は多い。
相手の言葉にだけ反応する輩だ。
しかし大切なのは、「言葉遣い」では無く、「気遣い」だ。
相手からの言語と言う実体のある信号だけに反応するのではなく、耳に聞こえない、目に見えない非言語に反応する事。
そして、そういう感受性のセンサーを持つファンに対して発信していたのが、「非言語コミュニケーション」としてのプロレスであった。
昔のプロレスも、昔の様々なジャンルも、間違っても「煽りV」も「ブラウン管の下の字幕」など全く必要無かった。
一見さんでさえ、そのジャンルに本当の静かな熱があれば、だまって説明等求めず、そのジャンルを凝視した。
あの時代は良かったと懐かしむ人間に私は成りたくはない。
平安時代の文献に「今の若い人は」という記述が在るそうである。
しかし、今の世の中は、人類の歴史の大きな転換期である事は間違いない。
過剰な「言語コミュニケーション」が全ての人間の「能動性」を無くし続けているからだ。
人間が「能動性」を無くしてしまえば、ただのパソコンソフトにしか成らない。
間違っても人間が自身のOSとなる事は無いのだ。
受け身的な人間というソフトは、得体の知れないOSに操られ続けるしか無いのである。
一体化した会場、上手いプロレス、進行の上手く行くイベント、沸く試合、そういう言語の世界にだけしか反応しない今のプロレスを私は心底怖く感じる。
人気ブログランキングへ
能動性=アクションを持ってしか、審判にも、仲間にも、評価される事の無い競技で育った事は私にとっては良かった事だと思っている。
そういう私が他の格闘技で不思議に思うのは、タックルに来た相手をフロントヘッドロックに捉えて勝利して喜ぶ輩である。
そこに何の能動性があるのか?
しかし、私のタックルは間違ってもフロントヘッドロックに捉えられる事は無い。
タックルの打ち込みを1日一万回はこなし続けて来た私が、何故、フロントヘッドロックに捉えられなければ行けないのか、そう思い、柔術家たちを対角線からのタックルで飛ばし続けた。
受け身的な技術には絶対に負ける事等無いと信じている事が、私の属性だ。
私が能動性を意識したのは、レスリングを始める以前、プロレスファンであり、活字中毒でもあったからだ。
昔のプロレスは特に、言語は少なかった。
行間において観客の能動的な感性に任せる事が多かったので、今のように明確な「説明」や「絵文字」は無かった。
プロレスファンにだけではない。
全てのジャンルにおいて、人間の能動性が必要なくなっている。
今の時代、「言葉遣い」は多い。
相手の言葉にだけ反応する輩だ。
しかし大切なのは、「言葉遣い」では無く、「気遣い」だ。
相手からの言語と言う実体のある信号だけに反応するのではなく、耳に聞こえない、目に見えない非言語に反応する事。
そして、そういう感受性のセンサーを持つファンに対して発信していたのが、「非言語コミュニケーション」としてのプロレスであった。
昔のプロレスも、昔の様々なジャンルも、間違っても「煽りV」も「ブラウン管の下の字幕」など全く必要無かった。
一見さんでさえ、そのジャンルに本当の静かな熱があれば、だまって説明等求めず、そのジャンルを凝視した。
あの時代は良かったと懐かしむ人間に私は成りたくはない。
平安時代の文献に「今の若い人は」という記述が在るそうである。
しかし、今の世の中は、人類の歴史の大きな転換期である事は間違いない。
過剰な「言語コミュニケーション」が全ての人間の「能動性」を無くし続けているからだ。
人間が「能動性」を無くしてしまえば、ただのパソコンソフトにしか成らない。
間違っても人間が自身のOSとなる事は無いのだ。
受け身的な人間というソフトは、得体の知れないOSに操られ続けるしか無いのである。
一体化した会場、上手いプロレス、進行の上手く行くイベント、沸く試合、そういう言語の世界にだけしか反応しない今のプロレスを私は心底怖く感じる。
人気ブログランキングへ
橋本真也の純プロレス的手法とは?2/アントニオ猪木の演出を引き継いだ男
橋本真也の純プロレス的の特性とは何か?
その事を記す前に、まず橋本のルックス及び体型について記しておきたい。
よく勘違いしたプロレスファンが、例えば、棚橋がプロレスブーム時にいれば物凄いスターに成っていたという意見を耳にする事が多い。
棚橋はプロレス界では「イケメン」でも世間では「イケメン」では無い。
その事に気づいていないファンが多い事は、私としては意外である。
棚橋は世間の流行の半歩後ろを歩くプロレス界の「イケメンギミック」でしか無い。
というよりもスポーツクラブに行けば棚橋くらいのそこそこのマッチョで、そこそこのマッチョファッションの人間は五万といる。
かつ、残念な事に、世間ではジム的なマッチョもまた人気がないという事だ。
そんな棚橋がプロレスブーム時、もしくはゴールデンタイム時に登場したとしても、世間を振り向かせる事等出来はしないはずである。
世間が振り向くのは、アントニオ猪木、長州力、前田日明、世間には存在しないプロレス界の異人達に対してなのである。
そういう意味で、重量感溢れる体型に黒いパンタロンを履いた橋本の容姿は、世間の何処にも存在していない異系のオーラが溢れる姿であった。
橋本真也の純プロレス特性とは、アントニオ猪木の純プロレス的自己演出そのものを継承している事である。
もちろん、猪木の純プロレスに、プロレス的な上手さは無い。
アントニオ猪木のリングの上での観客の惹き付け方とは、純プロレス的な技量とは全く別のものであるからだ。
橋本真也の猪木的特性の最たるものは「感情の溜め」である。
よくプロレスとは感情のぶつけあいだという意見が在る。
そういう意味では、佐々木健介対小橋のチョップ合戦等に勝る試合は無い。
私は小橋は好きなレスラーであるので、小橋に対しては、何も否定する気はない。
ただ記したいのは、皆、小橋や佐々木的な感情の露出法が、リアルでないプロレスの免罪符として利用している事についてである。
例えば、皆さんに聞きたい。
会社で働く同僚や部下、あるいは上司に、いつでも感情を満点に露出させる人がいたとする。
そういう人に気を使うだろうか?
もちろん、気難しい人として気を使う意識は在っても、皆さんの根底の意識の中では、そういう人は実は人間として見限っている事が多いはずである。
簡単に怒る人=簡単に感情を露出させる人には人間は慣れるものである。
今のプロレスは感情を露出させようとする余り、感情のストリッパーに成り、結果、色気と恐怖を無くしているのである。
本当に怖いのは、何か、不満を持っていると漂わせながらも、かつ、いたずらに感情を露出させない同僚、部下、上司であるはずである。
まさしく橋本の真骨頂は、怒りを簡単に露出させない事、そして、かつ、怒りを溜めている事を示していた事である。
その事はUWF、リングス時代よりももっとも前田日明が魅力的であった新日本参戦時と同じ類いのものだ。
重量級の橋本が、例えば佐々木健介や金本のようにいたずらに簡単に感情を露出させ、重爆キックを我慢比べ大会のように繰り出していれば、橋本の魅力は半減していてたであろう。
橋本の魅力とは、攻められている間も、攻め手側に観客の意識が向かない事であった。
橋本がいつ感情を露出させるか、すなわち怒りを示すかにしか、興味が向かないような、感情の溜め方をしていた事である。
すなわち、いくら橋本が攻めれていても、観客は、橋本がいつ怒るか?いつ感情を露出させるかしか興味が無いので、橋本の「感情の溜め」に付き合わざるを得ない。
何故なら、橋本には、プロレスの怒りの表現としての最大の技である重爆キックがあったからである。
橋本が重爆キックに行く前の「感情の為め」の表現は最高である。
ゆっくりと間を取って、静かに、全身に力を入れる。
そこに、それまで耐えていた感情を溜めて行く。
その感情の「溜め」の信号に、観客の視線は一点に集まる。
その一点に集まる信号には何より、それまでの「感情の溜め」が必要であるのに、今のプロレスラーはそんな時間を作る事等まず無い。
そんな時間よりも感情のストリッパーと成って観客を沸かす事の方が先決であるからだ。
そういう佐々木的な感情の露出に支配された平成プロレスであるが、いたずらに感情を露出させない事はプロレスの原点でもある。
何故、こうもプロレス界は感情的である事を最優先し、感情のストリッパーだらけの世界と成ってしまったのであろうか?
そんな橋本も、他団体の相手には、感情の露出を維持する事を止め、最初から徹底して叩き潰す事に拘った。
それはそれで私は橋本の強さのイメージを維持する為に良かったとは思う。
それはアントニオ猪木が実践して来た、相手を「溜めながら」持ち上げても良いプロレスと、「溜めずに」持ち上げては行けないプロレスとの区分けを実践している証明でもあるからだ。
だからこそ橋本がUインターとの対抗戦で、中野のジャーマンを受けた事に対して怒った猪木の気持ちはよく分かる。
橋本の猪木的演出のもう一つは攻守交代のスイッチの絶妙のタイミングと場所の選択である。
コーナーポストとリング中央を攻守交代のスイッチに使う選手は多い。
しかしリングという日常以外の非日常の空間とは、実はエプロンサイドにしかないのである。
アントニオ猪木は実にエプロンサイドでの攻防を、プロレスの試合の攻守交代のスイッチに利用したレスラーであった。
エプロンサイドは、リングと同じ高さ=視覚的にはリングと変わらない見やすさを提供する場所ながら、リング内とは異なり、非日常の場所を提供する場所でもある。
いたずら場外乱闘を繰り返し、試合の非日常を見せつけるプロレスラーだらけの中で、橋本はしっかりとエプロンサイドの攻防に拘りもした。
私が驚いたのは小川との闘いである。
花道と合体したエプロンサイドを使って、橋本が小川に水面蹴りを見舞った。
東京ドームでのプロレスの中で、あれほど、攻守交代のスイッチに、観客が沸いた試合は私は見た事は無い。
そういう風にアントニオ猪木の純プロレス的な演出を自然と踏襲していた橋本であるが、私は残念な事が在る。
おそらく橋本はプロレスブーム以後の猪木を見て影響を受けた事であろう事だ。
橋本が、もし、アントニオ猪木のプロレスブーム前の試合をも見ていたならば、間違っても、小川の攻撃をセメントだ等と勘違いせず、アントニオ猪木のリアルで能動的な主導権争いのプロレスをも、踏襲してくれていた事であろう。
それでも私の意見では、90年代たとえプロレス村化した最中であっても、三銃士中心のプロレスがあれほどのジャンル内とはいえ活況を呈した事は、忠実に三銃士が猪木の純プロレスを引き継いだからだとは思っている。
その上で、もし橋本が猪木の純プロレス以外の部分を引き継いでいてくれたならば、ひょっとして総合格闘技とプロレスはこれほどまでに立場は逆転しなかったのではないかと私は思っている。
猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
昭和プロレス者/3・世界一平和を願う男・前田日明の行く末
昭和プロレス者/4・長州力という情動によるリアル猪木ゲノム
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
その事を記す前に、まず橋本のルックス及び体型について記しておきたい。
よく勘違いしたプロレスファンが、例えば、棚橋がプロレスブーム時にいれば物凄いスターに成っていたという意見を耳にする事が多い。
棚橋はプロレス界では「イケメン」でも世間では「イケメン」では無い。
その事に気づいていないファンが多い事は、私としては意外である。
棚橋は世間の流行の半歩後ろを歩くプロレス界の「イケメンギミック」でしか無い。
というよりもスポーツクラブに行けば棚橋くらいのそこそこのマッチョで、そこそこのマッチョファッションの人間は五万といる。
かつ、残念な事に、世間ではジム的なマッチョもまた人気がないという事だ。
そんな棚橋がプロレスブーム時、もしくはゴールデンタイム時に登場したとしても、世間を振り向かせる事等出来はしないはずである。
世間が振り向くのは、アントニオ猪木、長州力、前田日明、世間には存在しないプロレス界の異人達に対してなのである。
そういう意味で、重量感溢れる体型に黒いパンタロンを履いた橋本の容姿は、世間の何処にも存在していない異系のオーラが溢れる姿であった。
橋本真也の純プロレス特性とは、アントニオ猪木の純プロレス的自己演出そのものを継承している事である。
もちろん、猪木の純プロレスに、プロレス的な上手さは無い。
アントニオ猪木のリングの上での観客の惹き付け方とは、純プロレス的な技量とは全く別のものであるからだ。
橋本真也の猪木的特性の最たるものは「感情の溜め」である。
よくプロレスとは感情のぶつけあいだという意見が在る。
そういう意味では、佐々木健介対小橋のチョップ合戦等に勝る試合は無い。
私は小橋は好きなレスラーであるので、小橋に対しては、何も否定する気はない。
ただ記したいのは、皆、小橋や佐々木的な感情の露出法が、リアルでないプロレスの免罪符として利用している事についてである。
例えば、皆さんに聞きたい。
会社で働く同僚や部下、あるいは上司に、いつでも感情を満点に露出させる人がいたとする。
そういう人に気を使うだろうか?
もちろん、気難しい人として気を使う意識は在っても、皆さんの根底の意識の中では、そういう人は実は人間として見限っている事が多いはずである。
簡単に怒る人=簡単に感情を露出させる人には人間は慣れるものである。
今のプロレスは感情を露出させようとする余り、感情のストリッパーに成り、結果、色気と恐怖を無くしているのである。
本当に怖いのは、何か、不満を持っていると漂わせながらも、かつ、いたずらに感情を露出させない同僚、部下、上司であるはずである。
まさしく橋本の真骨頂は、怒りを簡単に露出させない事、そして、かつ、怒りを溜めている事を示していた事である。
その事はUWF、リングス時代よりももっとも前田日明が魅力的であった新日本参戦時と同じ類いのものだ。
重量級の橋本が、例えば佐々木健介や金本のようにいたずらに簡単に感情を露出させ、重爆キックを我慢比べ大会のように繰り出していれば、橋本の魅力は半減していてたであろう。
橋本の魅力とは、攻められている間も、攻め手側に観客の意識が向かない事であった。
橋本がいつ感情を露出させるか、すなわち怒りを示すかにしか、興味が向かないような、感情の溜め方をしていた事である。
すなわち、いくら橋本が攻めれていても、観客は、橋本がいつ怒るか?いつ感情を露出させるかしか興味が無いので、橋本の「感情の溜め」に付き合わざるを得ない。
何故なら、橋本には、プロレスの怒りの表現としての最大の技である重爆キックがあったからである。
橋本が重爆キックに行く前の「感情の為め」の表現は最高である。
ゆっくりと間を取って、静かに、全身に力を入れる。
そこに、それまで耐えていた感情を溜めて行く。
その感情の「溜め」の信号に、観客の視線は一点に集まる。
その一点に集まる信号には何より、それまでの「感情の溜め」が必要であるのに、今のプロレスラーはそんな時間を作る事等まず無い。
そんな時間よりも感情のストリッパーと成って観客を沸かす事の方が先決であるからだ。
そういう佐々木的な感情の露出に支配された平成プロレスであるが、いたずらに感情を露出させない事はプロレスの原点でもある。
何故、こうもプロレス界は感情的である事を最優先し、感情のストリッパーだらけの世界と成ってしまったのであろうか?
そんな橋本も、他団体の相手には、感情の露出を維持する事を止め、最初から徹底して叩き潰す事に拘った。
それはそれで私は橋本の強さのイメージを維持する為に良かったとは思う。
それはアントニオ猪木が実践して来た、相手を「溜めながら」持ち上げても良いプロレスと、「溜めずに」持ち上げては行けないプロレスとの区分けを実践している証明でもあるからだ。
だからこそ橋本がUインターとの対抗戦で、中野のジャーマンを受けた事に対して怒った猪木の気持ちはよく分かる。
橋本の猪木的演出のもう一つは攻守交代のスイッチの絶妙のタイミングと場所の選択である。
コーナーポストとリング中央を攻守交代のスイッチに使う選手は多い。
しかしリングという日常以外の非日常の空間とは、実はエプロンサイドにしかないのである。
アントニオ猪木は実にエプロンサイドでの攻防を、プロレスの試合の攻守交代のスイッチに利用したレスラーであった。
エプロンサイドは、リングと同じ高さ=視覚的にはリングと変わらない見やすさを提供する場所ながら、リング内とは異なり、非日常の場所を提供する場所でもある。
いたずら場外乱闘を繰り返し、試合の非日常を見せつけるプロレスラーだらけの中で、橋本はしっかりとエプロンサイドの攻防に拘りもした。
私が驚いたのは小川との闘いである。
花道と合体したエプロンサイドを使って、橋本が小川に水面蹴りを見舞った。
東京ドームでのプロレスの中で、あれほど、攻守交代のスイッチに、観客が沸いた試合は私は見た事は無い。
そういう風にアントニオ猪木の純プロレス的な演出を自然と踏襲していた橋本であるが、私は残念な事が在る。
おそらく橋本はプロレスブーム以後の猪木を見て影響を受けた事であろう事だ。
橋本が、もし、アントニオ猪木のプロレスブーム前の試合をも見ていたならば、間違っても、小川の攻撃をセメントだ等と勘違いせず、アントニオ猪木のリアルで能動的な主導権争いのプロレスをも、踏襲してくれていた事であろう。
それでも私の意見では、90年代たとえプロレス村化した最中であっても、三銃士中心のプロレスがあれほどのジャンル内とはいえ活況を呈した事は、忠実に三銃士が猪木の純プロレスを引き継いだからだとは思っている。
その上で、もし橋本が猪木の純プロレス以外の部分を引き継いでいてくれたならば、ひょっとして総合格闘技とプロレスはこれほどまでに立場は逆転しなかったのではないかと私は思っている。
猪木ゲノムは難しい/橋本対小川のセメントマッチの誤解
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
昭和プロレス者/3・世界一平和を願う男・前田日明の行く末
昭和プロレス者/4・長州力という情動によるリアル猪木ゲノム
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
2008年04月15日
橋本真也の純プロレス的手法とは?1/闘魂三銃士とはアントニオ猪木の純プロレスの細分化した姿である。
闘魂三銃士とは、アントニオ猪木の純プロレス的世界観を細分化させたスター選手たちである。
蝶野正洋は、プロレスファンとしてのキャリアは短い。
エプロンサイドで間近に見つめて来た後期・アントニオ猪木の純プロレスが刻印されている男でもある。
蝶野の転機が在る。
首を故障してしまった事だ。
結果、蝶野は、激しいプロレスと異なる独自のプロレススタイルを作り上げなければいけなかった。
幸いだったのは、後期とはいえ。猪木を知っていた事だ。
比較的、大技には頼らず、対角線の攻防での攻守交代シーンを始め、衰えていた時のアントニオ猪木のプロレスを知っていた事は、首を痛めた蝶野にとって、師との不思議な縁であると私は思う。
武藤敬司も、猪木の純プロレス的世界観を踏襲するレスラーでもある。
平成プロレス的な失敗の無い効率的かつ機械的な上手いプロレスとは一線を画し、意図的かどうか、あえて不規則性のリズムにて、観衆に驚きを与えていたレスラーでもある。
武藤のもう一つの猪木的側面は、ナルシストゆえの見栄の切り方である。
これについてはもあえて記す事も無いであろう。
では橋本真也はどうであったか?
ストロングスタイル、猪木イズムの後継者といわれた橋本であったが、結局は、アントニオ猪木の純プロレス的部門の三つの要素の一つの担い手でしかなかった。
では、その橋本真也が受け継いだ猪木の純プロレス的手法とは何かを、私也に記していきたいと思う。
まずプロレスファンでしか無い私の一妄想を御許し頂きたいが、私が仮にプロレスラーであったとして、一番闘いたく無い相手は、まず橋本真也である。
プロレスである以上、橋本の見るからに痛く思い攻撃を受けなければいけない。
あのスティッフで重い橋本の攻撃を、受けなければいけないのは、想像しただけで恐ろしい事だ。
重く痛い攻撃を受けたなら、同じく痛い技で倍返しすれば良い。
しかし橋本の重さに及ばないレスラーは、痛く重い技を返しても、結果、また橋本の倍返しの攻撃を受けなければ行けない。
何をどうした所で、プロレスの枠内で橋本、及び体重で上回る相手以上に強さの印象を与える事は不可能なのである。
しかし、これまた単なるアマチュア競技出身者として記させてもらえば、リアルファイトで橋本と闘う事は何の恐怖も感じ得ない。
しかしプロレスの枠内で、橋本と闘う事は恐ろしい事だと私は思う。
橋本真也に強さの印象を与えたのは、プロレスの枠内での受ける構図故の事だ。
もし橋本真也の技を躱していいのなら、逆に、自分の攻撃を放っても良いのなら、おそらく武藤敬司は、橋本以上の強さの印象を残せたであろう。
あるいは橋本真也が、小川直也のリアルで能動的なプロレスを、セメントと誤解する事が無ければ、橋本は猪木の真の後継者であったと私は思う。
しかし、そうではなかった。
橋本の強さの印象は、受け手の意識無くして有り得ない。
能動的に放てる技も数多く持つ橋本であるが、それでも橋本の本質とは純プロレス的世界観である。
そして純プロレスによって「強さ」を提示して来たプロレスラーなのである。
では多くのファンを熱狂させて来た橋本真也の純プロレス的手法とは何なのか?
(続く)
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
昭和プロレス者/3・世界一平和を願う男・前田日明の行く末
昭和プロレス者/4・長州力という情動によるリアル猪木ゲノム
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
蝶野正洋は、プロレスファンとしてのキャリアは短い。
エプロンサイドで間近に見つめて来た後期・アントニオ猪木の純プロレスが刻印されている男でもある。
蝶野の転機が在る。
首を故障してしまった事だ。
結果、蝶野は、激しいプロレスと異なる独自のプロレススタイルを作り上げなければいけなかった。
幸いだったのは、後期とはいえ。猪木を知っていた事だ。
比較的、大技には頼らず、対角線の攻防での攻守交代シーンを始め、衰えていた時のアントニオ猪木のプロレスを知っていた事は、首を痛めた蝶野にとって、師との不思議な縁であると私は思う。
武藤敬司も、猪木の純プロレス的世界観を踏襲するレスラーでもある。
平成プロレス的な失敗の無い効率的かつ機械的な上手いプロレスとは一線を画し、意図的かどうか、あえて不規則性のリズムにて、観衆に驚きを与えていたレスラーでもある。
武藤のもう一つの猪木的側面は、ナルシストゆえの見栄の切り方である。
これについてはもあえて記す事も無いであろう。
では橋本真也はどうであったか?
ストロングスタイル、猪木イズムの後継者といわれた橋本であったが、結局は、アントニオ猪木の純プロレス的部門の三つの要素の一つの担い手でしかなかった。
では、その橋本真也が受け継いだ猪木の純プロレス的手法とは何かを、私也に記していきたいと思う。
まずプロレスファンでしか無い私の一妄想を御許し頂きたいが、私が仮にプロレスラーであったとして、一番闘いたく無い相手は、まず橋本真也である。
プロレスである以上、橋本の見るからに痛く思い攻撃を受けなければいけない。
あのスティッフで重い橋本の攻撃を、受けなければいけないのは、想像しただけで恐ろしい事だ。
重く痛い攻撃を受けたなら、同じく痛い技で倍返しすれば良い。
しかし橋本の重さに及ばないレスラーは、痛く重い技を返しても、結果、また橋本の倍返しの攻撃を受けなければ行けない。
何をどうした所で、プロレスの枠内で橋本、及び体重で上回る相手以上に強さの印象を与える事は不可能なのである。
しかし、これまた単なるアマチュア競技出身者として記させてもらえば、リアルファイトで橋本と闘う事は何の恐怖も感じ得ない。
しかしプロレスの枠内で、橋本と闘う事は恐ろしい事だと私は思う。
橋本真也に強さの印象を与えたのは、プロレスの枠内での受ける構図故の事だ。
もし橋本真也の技を躱していいのなら、逆に、自分の攻撃を放っても良いのなら、おそらく武藤敬司は、橋本以上の強さの印象を残せたであろう。
あるいは橋本真也が、小川直也のリアルで能動的なプロレスを、セメントと誤解する事が無ければ、橋本は猪木の真の後継者であったと私は思う。
しかし、そうではなかった。
橋本の強さの印象は、受け手の意識無くして有り得ない。
能動的に放てる技も数多く持つ橋本であるが、それでも橋本の本質とは純プロレス的世界観である。
そして純プロレスによって「強さ」を提示して来たプロレスラーなのである。
では多くのファンを熱狂させて来た橋本真也の純プロレス的手法とは何なのか?
(続く)
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
昭和プロレス者/3・世界一平和を願う男・前田日明の行く末
昭和プロレス者/4・長州力という情動によるリアル猪木ゲノム
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました
人気ブログランキングへ
裏切られる事を恐れるファンに支配されたジャンル・プロレス村
今のプロレスに何の疑問符も持たず、プロレスに熱狂しているファンの共通のキーワードが在る。
今のプロレスは命を削って闘ってくれているという言葉だ。
私的に言わせれば、まるでサド伯爵の言葉そのものだ。
命を削らなければ付いて来てくれないファンに頼る、今のプロレスラーは本当に不幸な職種だ。
自分が愛する人間が、能動的でなく、受け身的に、危険にさらされるシーンに興奮し、涙する事は、もはや常軌を逸している。
これが平成プロレス村の現実だ。
プロレスが小さなジャンルと成る前は、実は、プロレスは欲求不満の最たるジャンルでもあった。
ここでこうすればハッピーエンドで終えるのに。
ここでこうすれば盛り上がるのに。
ここでこうすれば最高の興行に成るのに。
皆、ファンは、自分の想像通りに成らないジャンルに、歯がゆい想いをし、それでも、そのジャンルに夢中になった。
自分の言う事を全て聞き入れてくれる女性に等、何の魅力も持たない、男としての気概を持ってプロレスと相対していたのだ。
今のファンは、まず自分の思う通りになることしか満足出来ない。
それは裏切られ、傷つく事を恐れる、か弱い人間を対象としてしかプロレスが存在しなくなった事を証明している。
実世界の闘いに挑み傷つく弱者を救済して来たプロレスではなく、闘う事を知らない人たち向けのプロレスなのである。
自分の愛したジャンルなら、そっぽを向かれ、利用されるくらいの覚悟等無いのかと私は思う。
見えない出血ほど怖い物は無い/危険信号を無くしたプロレス界の行く末
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
人気ブログランキングへ
今のプロレスは命を削って闘ってくれているという言葉だ。
私的に言わせれば、まるでサド伯爵の言葉そのものだ。
命を削らなければ付いて来てくれないファンに頼る、今のプロレスラーは本当に不幸な職種だ。
自分が愛する人間が、能動的でなく、受け身的に、危険にさらされるシーンに興奮し、涙する事は、もはや常軌を逸している。
これが平成プロレス村の現実だ。
プロレスが小さなジャンルと成る前は、実は、プロレスは欲求不満の最たるジャンルでもあった。
ここでこうすればハッピーエンドで終えるのに。
ここでこうすれば盛り上がるのに。
ここでこうすれば最高の興行に成るのに。
皆、ファンは、自分の想像通りに成らないジャンルに、歯がゆい想いをし、それでも、そのジャンルに夢中になった。
自分の言う事を全て聞き入れてくれる女性に等、何の魅力も持たない、男としての気概を持ってプロレスと相対していたのだ。
今のファンは、まず自分の思う通りになることしか満足出来ない。
それは裏切られ、傷つく事を恐れる、か弱い人間を対象としてしかプロレスが存在しなくなった事を証明している。
実世界の闘いに挑み傷つく弱者を救済して来たプロレスではなく、闘う事を知らない人たち向けのプロレスなのである。
自分の愛したジャンルなら、そっぽを向かれ、利用されるくらいの覚悟等無いのかと私は思う。
見えない出血ほど怖い物は無い/危険信号を無くしたプロレス界の行く末
武藤敬司の「速さの秘密」純プロレスのリアリティとは?
人気ブログランキングへ

