前記事で「キレたら負ける」と二度に渡って記した。
私は前田が卑怯な手でリスクを伴わない安全地帯でのキレ方をした試合は嫌いである。
猪木に対しても同様である。
そういうキレるとは暴力性と幼稚性しか含まないからだ。
とかくプロレス界では陰湿で凄惨な行為と思われかねない「キレる試合」だが、私は一度だけ「キレたセメントマッチ」らしからぬ爽やかさを醸し出す試合を観た事が有る。
前田と星野の試合がそうであった。
私は幸運にも前田と星野が兵庫の一地方都市の体育館で壮絶な殴り合いを繰り広げた試合を垣間みる事が出来た。
プロレスに詳しくないだろうと思われる酔っぱらいのおっさんからも「プロレスをしろ」と野次が飛ぶ程の明らかに異質の試合であった。
覚えている印象を記しておく。
試合は星野が終始、ボクシングスタイルからのパンチをヒットさせた。
前田は蹴りで対抗するが、星野がパンチを合わせるので、何度も前田の首が思い切り
のけぞった。
有効打は圧倒的に星野であった。
判定なら明らかに星野の勝利とでもいえるような攻防であった。
素人目にも顔面パンチを知らない前田が星野のボクシングに翻弄されているような感が有った。
前田がパンチをあてられて悔し紛れに自分の頬に指をあて、「こいこい」と挑発するが、誰の目にも前田の劣勢が明らかなので会場から失笑が溢れた。
丁度テレビの「ガチンコファイトクラブ」で竹原にボコラレながらも負けを認めず向かって行くガキといった感じだったろうか。
そんな攻防が延々と続く。しかし前田は攻防を諦めてプロレスには逃げる事はしない。
星野は「プロレスをしろ、しないならこうだぞ」というような脅しと威圧感で前田をたしなめている。
そんな印象の試合であった。
翌週のファイト紙によると試合後、星野が前田の控え室に殴り込んだという事であった。
数年後、その時の試合を何故か誇らしげに嬉しそうに想い出として語る前田の口から意外
な言葉が出た。
『その後、木村健吾さんから「お兄さんになんて事をするんだ」と怒られた』との言葉であった。
出自を公にする少し前の前田が我々が同胞の先輩にいう「お兄さん」という言葉を使ったのだ。
同じ頃、長州との対談でも何故か唐突に長州から「星野さんとは会っているのか?」という言葉も出た。
私は在日三世のプロレスファンとして、そのような会話を聞く事は嬉しいものである。
あの時、己の血に殉じて、激しい身内喧嘩をする前田を私は好きであった。
あの頃の前田なら、秋山を許す事無く、暴走するキレっぷりを見せてくれた事だろう。
2007/07/29掲載
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2007年10月05日
前田日明と星野勘太郎 / 伝説のセメントマッチ
posted by shingol at 11:58| スポーツナビ版アーカイブズ
70年代全日本プロレスという桃源郷
私が子供の頃は、大衆の各ジャンルというのはまだ細分化されていなかった。
マニアの為でなく、最大公約数の為にプロレス団体は試合を提供してくれた。
しかし根っこにある核はジャンルのマニア性である。
最大公約数という対象も又、マニア無くして有り得ないからである。
かつてのアントニオ猪木の環状線理論というのはマニアの核抜きで、一般のファンを取り込む事に夢中となり、時として、ジャンルの空洞化を招きざるを得なかった。
2.3年前のK-1にも似た兆候は有った。
曙対サップといったマニアの核無き、環状線理論である。
私が子供の頃は大人のジャンルを子供が覗き観るのが普通であった。
私は母親が観た「ひまわり」や「男と女」などのイタリア名画を母の側で何も分からず覗き観ていた。
私が小学校5年生のとき観た全日本プロレスのオープン・タッグ選手権はまさに「月刊プロレス」や「ゴング」や「ファイト」を読むプロレスファンたちのマニアックな祭典であった。
ところが、そのマニアの核の熱気と華やかさに、一般、子供のファンまでが取り込まれる一つのジャンルの完成された姿であった。
完成されたジャンルは一般層にこびずとも、最大公約数相手に勝負出来た全日本プロレスの1970年代の姿であった。
2007/08/14掲載
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マニアの為でなく、最大公約数の為にプロレス団体は試合を提供してくれた。
しかし根っこにある核はジャンルのマニア性である。
最大公約数という対象も又、マニア無くして有り得ないからである。
かつてのアントニオ猪木の環状線理論というのはマニアの核抜きで、一般のファンを取り込む事に夢中となり、時として、ジャンルの空洞化を招きざるを得なかった。
2.3年前のK-1にも似た兆候は有った。
曙対サップといったマニアの核無き、環状線理論である。
私が子供の頃は大人のジャンルを子供が覗き観るのが普通であった。
私は母親が観た「ひまわり」や「男と女」などのイタリア名画を母の側で何も分からず覗き観ていた。
私が小学校5年生のとき観た全日本プロレスのオープン・タッグ選手権はまさに「月刊プロレス」や「ゴング」や「ファイト」を読むプロレスファンたちのマニアックな祭典であった。
ところが、そのマニアの核の熱気と華やかさに、一般、子供のファンまでが取り込まれる一つのジャンルの完成された姿であった。
完成されたジャンルは一般層にこびずとも、最大公約数相手に勝負出来た全日本プロレスの1970年代の姿であった。
2007/08/14掲載
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posted by shingol at 11:56| スポーツナビ版アーカイブズ
異人たちの夏/国際プロレスの想い出
私が小学校6年のとき、突如として神戸のサンテレビが「国際プロレスアワー」を放送し始めた。
金曜日は入浴も用事も全て済ませ、猪木の前で正座してブラウン管を見つめていた。
土曜日は豪華外国人溢れる全日本の華やかな世界を楽しめた。
そこに月曜の国際プロレスが加わった。
私はブラウン管を凝視するでもなく、ただ、気楽に肩の力を抜いて、それでも好きなプロレスを、週にもう一回見られる贅沢さを喜んだ。
私は真剣に見たり、胸ときめかせるだけでなく、気楽に見られるプロレスの楽しみを「国際プロレス・アワー」で知った。
丁度、夏であったか、国際プロレスに久しぶりにアンドレが登場した。
サンテレビで観る大巨人は不思議な感覚であった。
アンドレのパートナーは、ヘイスタック・カルホーンであった。
アンドレが、カルホーンが、順次、ボディープレスを日本人選手に浴びせた。
田舎の会場の観客たちは狂喜乱舞であった。
当時、気楽に眺めていたはずの、異人たちの非日常のシーンであったが、猛暑の今、何故か鮮烈な想い出として蘇って来る。
2007/08/17掲載
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金曜日は入浴も用事も全て済ませ、猪木の前で正座してブラウン管を見つめていた。
土曜日は豪華外国人溢れる全日本の華やかな世界を楽しめた。
そこに月曜の国際プロレスが加わった。
私はブラウン管を凝視するでもなく、ただ、気楽に肩の力を抜いて、それでも好きなプロレスを、週にもう一回見られる贅沢さを喜んだ。
私は真剣に見たり、胸ときめかせるだけでなく、気楽に見られるプロレスの楽しみを「国際プロレス・アワー」で知った。
丁度、夏であったか、国際プロレスに久しぶりにアンドレが登場した。
サンテレビで観る大巨人は不思議な感覚であった。
アンドレのパートナーは、ヘイスタック・カルホーンであった。
アンドレが、カルホーンが、順次、ボディープレスを日本人選手に浴びせた。
田舎の会場の観客たちは狂喜乱舞であった。
当時、気楽に眺めていたはずの、異人たちの非日常のシーンであったが、猛暑の今、何故か鮮烈な想い出として蘇って来る。
2007/08/17掲載
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posted by shingol at 11:54| スポーツナビ版アーカイブズ
武藤敬司/スパーリングの強さとスキンヘッド
昔から柔道出身のレスリング選手は多かった。かくいう私も柔道出身であったが。
実は高校生のレスリングにおいては柔道部所属の選手が国体などを制する事も多い。
特に重量級に多い傾向である。
高校生程度のレベルならば普段、層の厚い柔道でもまれている選手がルールを良く知らないまま地方大会から国体まで勝利を続ける事も有る。
当然、大学生ともなれば柔道だけの技術しか持たない人間は、裸体ではレスリング選手の相手にならないのが通常であるが…。
柔道出身の選手とは今もグラップリングで出会う時が有る。
不思議な話だが、レスラーにとっては柔道出身の選手と闘う時、怖いか怖くないか単純に体型で判断できるものだ。
丁度軽重量級あたりに多い骨太でやや長身の選手にはレスリングには無い内股などを駆使して裸体のグラップリングでもかなりのスタンド能力を持つ者が多い。
私が驚くのは彼らの腕力で有る。
そういう選手と当たる時は、かなり心身ともにプレッシャーを感じるものだ。
実際、高校レベルならばレスリングでも勝ち抜く柔道選手と言えばそのようなタイプが多かった気がする。
逆にそれ意外の体型の選手に怖さを感じる事は不思議と全くない。
裸体であるならば簡単に私程度のレスリングテクニックで翻弄出来るからだ。
実際の総合でも裸体のグラップリングの強さを醸し出す柔道家は吉田秀彦などの骨太で内股を得意とする選手であった。
私の経験から、この男は裸のグラップリングでも、スパーリングでも強いだろうなと思う男が一人いる。
武藤敬司である。
高校のレスリングキャリアから自身満々の鈴木みのるを寝技でなく、スタンドで圧倒した選手は当時の新日本では武藤だけであった。
若手の頃の鼻高々の鈴木みのるのインタビューでもその事がしっかりと記されている。
武藤自身、柔道でスペシャルな実績を残していたわけでは無い。
しかし、武藤の長身で骨太の体とその体型に合わせた柔道技はグラップリングでは恐ろしく強いものであったに違いない。
全ての柔道家が裸体で強いと言う訳では無いが、武藤のような体型と技を持つ柔道家の裸体での強さはプロレスファンの想像以上であると私は思う。
初めての凱旋帰国時、スペースローンウルフとなって帰って来た武藤を前田や高田が嫌らしく攻撃し続けた。
鮮烈な蹴りを連発したところでプロレスの試合内で人の良い武藤がキレる訳は無い。
少しムッとした武藤が前田を内股ですくった。
前田がよろめいた。
しかし、それ以上、武藤が前田を転倒させる事は無かった。
実際、武藤とスパーリングすれば前田と高田程度の技術では太刀打ち出来ないだろう。
私程度のアマチュアでも橋本相手にスパーリングすれば全く負ける自信は無い。
けれど武藤にはやられるだろうと思う。
プロレス的な幻想神話の中で橋本やUWFが強いと思われて来た。
しかし、今、もっともプロレスらしいプロレスを展開する武藤が、実は鈴木みのるや
石沢常光も認めるグラップリングの強者である事を知るファンは少ない。
髪の長い頃、いかにもプロレス的センスの青いロングタイツからショートタイツに
変えた武藤は、プロレスオタク出身たちのアクロバットショーとは格の違う、運動能力と
肉体の見栄えの中で重い空中技を放ち、端正な顔立ちでスターの雰囲気を醸し出していた。
私は新日本プロレスはひょっとして武藤を複数スターの中のスペシャルなエースにした
かったのではないかと思う。
しかし橋本始め、我の強い他の選手たちが黙っているはずも無い。
まして人の良い武藤の事だ。
スパーの強さを鼻にかけていたわけでも無いだろう。
しかし、小川とリアルに闘ってもいいという発言には、実は武藤は自分の強さを知って
いたのではないかと思う時も有る。
今は満身創痍に成りながら、一国一城の主と成って、武藤には似合わない悲壮感と
責任感を持って、武藤の放つ明るいオーラが地味な色に変わりつつ有る。
開き直ってツルツルにした武藤だが、スキンヘッドは武藤の光を消してしまう。
丸刈り、五分刈り程度なら、はげも目立つまい。少しでも髪の毛があったほうが良い。
膝にどのようなニーブレスが入っているかも知らないが、なんとかショートタイツに出来ないか。
あのプロレス界きっての色男武藤が、開き直っておっさんビジュアルにする必要等無いのだ。
武藤敬司が少しでもかつての明るいビジュアルを取り戻したとき、プロレス界の勢力図が少し変わってしまうだろう。
2007/08/04掲載
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実は高校生のレスリングにおいては柔道部所属の選手が国体などを制する事も多い。
特に重量級に多い傾向である。
高校生程度のレベルならば普段、層の厚い柔道でもまれている選手がルールを良く知らないまま地方大会から国体まで勝利を続ける事も有る。
当然、大学生ともなれば柔道だけの技術しか持たない人間は、裸体ではレスリング選手の相手にならないのが通常であるが…。
柔道出身の選手とは今もグラップリングで出会う時が有る。
不思議な話だが、レスラーにとっては柔道出身の選手と闘う時、怖いか怖くないか単純に体型で判断できるものだ。
丁度軽重量級あたりに多い骨太でやや長身の選手にはレスリングには無い内股などを駆使して裸体のグラップリングでもかなりのスタンド能力を持つ者が多い。
私が驚くのは彼らの腕力で有る。
そういう選手と当たる時は、かなり心身ともにプレッシャーを感じるものだ。
実際、高校レベルならばレスリングでも勝ち抜く柔道選手と言えばそのようなタイプが多かった気がする。
逆にそれ意外の体型の選手に怖さを感じる事は不思議と全くない。
裸体であるならば簡単に私程度のレスリングテクニックで翻弄出来るからだ。
実際の総合でも裸体のグラップリングの強さを醸し出す柔道家は吉田秀彦などの骨太で内股を得意とする選手であった。
私の経験から、この男は裸のグラップリングでも、スパーリングでも強いだろうなと思う男が一人いる。
武藤敬司である。
高校のレスリングキャリアから自身満々の鈴木みのるを寝技でなく、スタンドで圧倒した選手は当時の新日本では武藤だけであった。
若手の頃の鼻高々の鈴木みのるのインタビューでもその事がしっかりと記されている。
武藤自身、柔道でスペシャルな実績を残していたわけでは無い。
しかし、武藤の長身で骨太の体とその体型に合わせた柔道技はグラップリングでは恐ろしく強いものであったに違いない。
全ての柔道家が裸体で強いと言う訳では無いが、武藤のような体型と技を持つ柔道家の裸体での強さはプロレスファンの想像以上であると私は思う。
初めての凱旋帰国時、スペースローンウルフとなって帰って来た武藤を前田や高田が嫌らしく攻撃し続けた。
鮮烈な蹴りを連発したところでプロレスの試合内で人の良い武藤がキレる訳は無い。
少しムッとした武藤が前田を内股ですくった。
前田がよろめいた。
しかし、それ以上、武藤が前田を転倒させる事は無かった。
実際、武藤とスパーリングすれば前田と高田程度の技術では太刀打ち出来ないだろう。
私程度のアマチュアでも橋本相手にスパーリングすれば全く負ける自信は無い。
けれど武藤にはやられるだろうと思う。
プロレス的な幻想神話の中で橋本やUWFが強いと思われて来た。
しかし、今、もっともプロレスらしいプロレスを展開する武藤が、実は鈴木みのるや
石沢常光も認めるグラップリングの強者である事を知るファンは少ない。
髪の長い頃、いかにもプロレス的センスの青いロングタイツからショートタイツに
変えた武藤は、プロレスオタク出身たちのアクロバットショーとは格の違う、運動能力と
肉体の見栄えの中で重い空中技を放ち、端正な顔立ちでスターの雰囲気を醸し出していた。
私は新日本プロレスはひょっとして武藤を複数スターの中のスペシャルなエースにした
かったのではないかと思う。
しかし橋本始め、我の強い他の選手たちが黙っているはずも無い。
まして人の良い武藤の事だ。
スパーの強さを鼻にかけていたわけでも無いだろう。
しかし、小川とリアルに闘ってもいいという発言には、実は武藤は自分の強さを知って
いたのではないかと思う時も有る。
今は満身創痍に成りながら、一国一城の主と成って、武藤には似合わない悲壮感と
責任感を持って、武藤の放つ明るいオーラが地味な色に変わりつつ有る。
開き直ってツルツルにした武藤だが、スキンヘッドは武藤の光を消してしまう。
丸刈り、五分刈り程度なら、はげも目立つまい。少しでも髪の毛があったほうが良い。
膝にどのようなニーブレスが入っているかも知らないが、なんとかショートタイツに出来ないか。
あのプロレス界きっての色男武藤が、開き直っておっさんビジュアルにする必要等無いのだ。
武藤敬司が少しでもかつての明るいビジュアルを取り戻したとき、プロレス界の勢力図が少し変わってしまうだろう。
2007/08/04掲載
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posted by shingol at 11:49| スポーツナビ版アーカイブズ
復活する二つのゴング誌
来月、いよいよ廃刊となったゴングが二誌も同時に復活する。
ゴングの名前はないものの、Gリング誌のゴングを思い出させるロゴデザインと、Gスピリット誌の文字通りのゴングの魂を期待させるタイトルと、いずれもが、どのようなものか楽しみである。
私が嬉しいのは週刊ゴングの復活ではなく、月刊のゴングが復活すると言う事である。
スピードの速い情報過多の時代に週刊ゴングは、本来のゴングの持ち味を消し、雑な作りのレイアウト、誤植だらけの、私にとっては読み捨ての消費雑誌にせざるを得なかった。
しかしながら一方で、記者の方たちの読み物はゴング特有の保守的ながらも時代の流れに対しての反骨的なプロレスへの信念の強さを感じさせてくれるものであったが。
Gという文字をタイトルに掲げ、そして月刊として復活する以上、かつてのような、レイアウト、グラビアといったハードとしての丁寧な誌面つくりを期待してしまう。
その期待を持ってしまうのが、スローライフ誌を目指すと宣言した清水氏のGスピリットのほうかも知れない。
そういう意味ではGスピリット誌のほうは週刊ゴング復活というよりも、かつての月刊ゴング、別冊ゴングの復活を感じさせてくれる。
Gリング誌に関しては、おそらく週刊ゴング時代の良くも悪くも消費的な雑誌作りの中に、前述した保守的かつ反骨的な記者の方たちの姿勢が明確に出された誌面作りを期待したい。
いずれにしても大の大人が、プロレス雑誌の創刊日を楽しみにしている。
ひょっとして復活する二つのゴング誌が大人の趣味としてのプロレスのありかたを改めて提示してくれるかも知れない。
2007/08/18掲載
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ゴングの名前はないものの、Gリング誌のゴングを思い出させるロゴデザインと、Gスピリット誌の文字通りのゴングの魂を期待させるタイトルと、いずれもが、どのようなものか楽しみである。
私が嬉しいのは週刊ゴングの復活ではなく、月刊のゴングが復活すると言う事である。
スピードの速い情報過多の時代に週刊ゴングは、本来のゴングの持ち味を消し、雑な作りのレイアウト、誤植だらけの、私にとっては読み捨ての消費雑誌にせざるを得なかった。
しかしながら一方で、記者の方たちの読み物はゴング特有の保守的ながらも時代の流れに対しての反骨的なプロレスへの信念の強さを感じさせてくれるものであったが。
Gという文字をタイトルに掲げ、そして月刊として復活する以上、かつてのような、レイアウト、グラビアといったハードとしての丁寧な誌面つくりを期待してしまう。
その期待を持ってしまうのが、スローライフ誌を目指すと宣言した清水氏のGスピリットのほうかも知れない。
そういう意味ではGスピリット誌のほうは週刊ゴング復活というよりも、かつての月刊ゴング、別冊ゴングの復活を感じさせてくれる。
Gリング誌に関しては、おそらく週刊ゴング時代の良くも悪くも消費的な雑誌作りの中に、前述した保守的かつ反骨的な記者の方たちの姿勢が明確に出された誌面作りを期待したい。
いずれにしても大の大人が、プロレス雑誌の創刊日を楽しみにしている。
ひょっとして復活する二つのゴング誌が大人の趣味としてのプロレスのありかたを改めて提示してくれるかも知れない。
2007/08/18掲載
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posted by shingol at 11:45| スポーツナビ版アーカイブズ
永田裕志の優位性
昔、国際プロレスが金網デスマッチを行ったとき、批判的であったマスコミも多かったと聞く。
刺激の強いデスマッチの類を一度開催してしまえば、ファンの要求は更にエスカレートしてしまう。
しかし、最後の手段であるはずの金網デスマッチを開催せざるを得なかった国際プロレスの事情も止むを得なかったものであると思う。
あの時の国際プロレスの事情と今、デスマッチにしろ、空中戦にしろ、大技の連発にしろ、プロレスの中の各ジャンルの中でお得意の分野での激しさを売りにする各団体の事情は同じである。
皆、余裕など無いのだ。
必死に戦い続けているのだ。
生きていく為に、自分が光る為に、ファンを喜ばす為に、会社の為に、いずれもが理由であろう。
あのとき国際プロレスがなんとか存属していれば、また金網デスマッチに続く新たなるデスマッチが誕生したかも知れない。
もっとも、その時は、ラッシャー木村の額だけでなく全身が生傷だらけになっていたかも知れない。
吉原社長ももっと早く体調を崩されていたかも知れない。
誤解を恐れずにいえば、無理な闘いを続けなければいけないくらいなら、淘汰されるべきなのだ。
ところが、プロレスというジャンルがここまで細分化してしまえば、どれだけ小さな需要であってもその市場規模に合わせた団体として存属していくことは可能である。
淘汰されることも許されない恐ろしい世界である。
かつてはプロレス界も売り手市場であった。
他ジャンルも少なく、自らのジャンルも細分化していない中、プロレス団体は観客に対して、しっかりと優位性を保っていられた。
観客を60分フルタイムに付き合わせることも、両者リングアウトといった消化不良の試合につき合わせることも可能であった。
優位性を持った団体はファンを育てることが可能である。
今は完全に買い手市場であるので優位性を持つのは団体でなくファンである。
優位性を客にとられた団体は、ファンを育てるのではなく、ファンを満足させること、喜ばせることを選択せざるを得ない。
その中で、メジャー団体までもが、やってはいけない激しい技の攻防を繰り広げる。
その攻防の先に何があるのか分からない。あまりにも刹那的な消費の世界である。
しかも彼らは、機械の進化と違い、人間の運動能力には進化への限界があるということを知っているのだろうか?
私の考えであるが、激しい試合をせざるを得ないということは、その時点でプロレスは淘汰されるべき段階まで来ているのである。
ただ少しばかりの需要にしがみついて悪戯に大技を連発し、激しい試合自慢をしているようだが、もう、そろそろ体ではなく頭を使い出す時期である。
そういう中で永田裕志がプロレス頭と経験を生かした見ごたえのある王座防衛戦を続出している。
しかも、それぞれ色の違う佳作である。
永田裕志の防衛戦は最近のプロレス界では珍しく、少しだけ売り手市場になりつつある。
ということはファンとの関係において、永田は珍しく優位性を保っている男なのである。
この優位性を生かし、永田には激しいだけのベストバウトではなく、どんどん佳作を創り上げていって欲しい、ファンを育てていって欲しいと私は思っている。
2007/08/15掲載
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刺激の強いデスマッチの類を一度開催してしまえば、ファンの要求は更にエスカレートしてしまう。
しかし、最後の手段であるはずの金網デスマッチを開催せざるを得なかった国際プロレスの事情も止むを得なかったものであると思う。
あの時の国際プロレスの事情と今、デスマッチにしろ、空中戦にしろ、大技の連発にしろ、プロレスの中の各ジャンルの中でお得意の分野での激しさを売りにする各団体の事情は同じである。
皆、余裕など無いのだ。
必死に戦い続けているのだ。
生きていく為に、自分が光る為に、ファンを喜ばす為に、会社の為に、いずれもが理由であろう。
あのとき国際プロレスがなんとか存属していれば、また金網デスマッチに続く新たなるデスマッチが誕生したかも知れない。
もっとも、その時は、ラッシャー木村の額だけでなく全身が生傷だらけになっていたかも知れない。
吉原社長ももっと早く体調を崩されていたかも知れない。
誤解を恐れずにいえば、無理な闘いを続けなければいけないくらいなら、淘汰されるべきなのだ。
ところが、プロレスというジャンルがここまで細分化してしまえば、どれだけ小さな需要であってもその市場規模に合わせた団体として存属していくことは可能である。
淘汰されることも許されない恐ろしい世界である。
かつてはプロレス界も売り手市場であった。
他ジャンルも少なく、自らのジャンルも細分化していない中、プロレス団体は観客に対して、しっかりと優位性を保っていられた。
観客を60分フルタイムに付き合わせることも、両者リングアウトといった消化不良の試合につき合わせることも可能であった。
優位性を持った団体はファンを育てることが可能である。
今は完全に買い手市場であるので優位性を持つのは団体でなくファンである。
優位性を客にとられた団体は、ファンを育てるのではなく、ファンを満足させること、喜ばせることを選択せざるを得ない。
その中で、メジャー団体までもが、やってはいけない激しい技の攻防を繰り広げる。
その攻防の先に何があるのか分からない。あまりにも刹那的な消費の世界である。
しかも彼らは、機械の進化と違い、人間の運動能力には進化への限界があるということを知っているのだろうか?
私の考えであるが、激しい試合をせざるを得ないということは、その時点でプロレスは淘汰されるべき段階まで来ているのである。
ただ少しばかりの需要にしがみついて悪戯に大技を連発し、激しい試合自慢をしているようだが、もう、そろそろ体ではなく頭を使い出す時期である。
そういう中で永田裕志がプロレス頭と経験を生かした見ごたえのある王座防衛戦を続出している。
しかも、それぞれ色の違う佳作である。
永田裕志の防衛戦は最近のプロレス界では珍しく、少しだけ売り手市場になりつつある。
ということはファンとの関係において、永田は珍しく優位性を保っている男なのである。
この優位性を生かし、永田には激しいだけのベストバウトではなく、どんどん佳作を創り上げていって欲しい、ファンを育てていって欲しいと私は思っている。
2007/08/15掲載
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posted by shingol at 11:43| スポーツナビ版アーカイブズ
前田日明の「真剣勝負」
プロレスのセメント試合とは喧嘩である。
しかし観客という衆人監視のもとリングという安全地帯で行われる喧嘩でもある。
あの小川対橋本、アンドレ対前田にしても、いざとなれば第三者の乱入や、レフリー暴行等によって、どちらかが試合をストップさせる事は容易である。
まして観客の前で殺し合いを行う事は有り得ない。
ということは、誰もいない場所で中高生のやんちゃな男たちが繰り広げる決闘よりもよっぽど安全で中途半端なものではないかというのが私の考えで有る。
私も若い頃は人並みに喧嘩に対峙した事は幾度か有る。
しかし、自分が競技スポーツの格闘技をやってみて、所詮、喧嘩程度のものとは比べ物にならない恐怖感、圧迫感、疲労感を競技の場で感じる事に成る。
競技化された格闘技程、攻めない人間へのペナルティは強い。
警告ルールのもと、常に動く事を要求される。
相手への恐怖の他に、自分の心臓、筋力がこれ以上、動けない段階においても、まだ攻めなければいけないのである。
前田がカレリンと闘った。
まず私が前田に感謝したいのは、カレリンにプロレスをさせなかった事である。
それでも試合の様相が競技であったかというと私は?である。
カレリンにはルールも手探りでアトラクション的に試合を行っている余裕がさんざん感じられたからである。
対照的に、体調を整え、カレリンに向かって行った前田の必死さは事実であり、その事を批判している訳ではない。
ただし、プロレスファン、前田ファンには声を大にして伝えたい事は有る。
もしカレリン戦で闘ったような前田の闘い方を、たとえば少年レスリングの選手たちが行ったとすればコーチに大目玉を喰らうであろう。
相手が強いのは仕方ない。
しかし明らかにカレリンの圧力に腰が引け、自分からは攻めず、スパーリンクでばてた素人を翻弄するような試合をカレリンにされた前田は、心身ともに競技者としての格闘家のレベルになっていないのだ。
あの試合、等身大の姿でカレリンに立ち向かう前田は不思議な魅力を醸し出してもいた。
しかし立ち向かうのと、競技者としての最低限の意識、粘りを持って闘うのとは大きく違うのである。
かつて高田が総合格闘技に出ていた時も同じである。
スクワットを殆どの格闘家が嫌気がさす回数こなしてきた高田が、主体性を無くし、びくついた顔で、高速タップを繰り返し、あれだけ粘りの無い負け方を続けた。
根性云々ではない。競技をしてこなかったために競技を行う心構えも粘りも知らないのである。
競技とは最低限の意識や経験無くして、競技中の精神的・肉体的負荷に耐えられるものでは無いのだ。
(そういう意味でほとんと経験を持たずドン・フライ相手にあれだけの粘りの有る闘う姿勢を見せてくれた高山は驚いてしまうが…)
それでも高田にしろ、金子賢にしろ、試合前の圧迫感、孤独と振り向き合い、リングに立った競技者である。
前田に金子賢を批判する資格等あるのか?
私は前田日明の歩んで来た世界に憧れて来た人間である。
今の日本の格闘技マーケットの開拓者、功労者として、前田は尊敬されるべき人物である。
しかし、かといって自身が闘って来たセメント試合、あるいはカレリン戦を持ち出し、競技としての総合格闘技に対してご意見番を気取るならば、私は断じて違うと言いたい。
前田日明とは競技としての真剣勝負等一度もしていないと私は思っている。
それでも前田がこれほど多くの人間に支持されるのは、前田の人生そのものが真剣勝負であり、たかが競技の中だけで闘って来たものたちが及ばない人間力とスケールを持つ男である事を皆、知っているからである。
そんな男に「言うだけ番長」は似合わないのだ。
2007/08/14掲載
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しかし観客という衆人監視のもとリングという安全地帯で行われる喧嘩でもある。
あの小川対橋本、アンドレ対前田にしても、いざとなれば第三者の乱入や、レフリー暴行等によって、どちらかが試合をストップさせる事は容易である。
まして観客の前で殺し合いを行う事は有り得ない。
ということは、誰もいない場所で中高生のやんちゃな男たちが繰り広げる決闘よりもよっぽど安全で中途半端なものではないかというのが私の考えで有る。
私も若い頃は人並みに喧嘩に対峙した事は幾度か有る。
しかし、自分が競技スポーツの格闘技をやってみて、所詮、喧嘩程度のものとは比べ物にならない恐怖感、圧迫感、疲労感を競技の場で感じる事に成る。
競技化された格闘技程、攻めない人間へのペナルティは強い。
警告ルールのもと、常に動く事を要求される。
相手への恐怖の他に、自分の心臓、筋力がこれ以上、動けない段階においても、まだ攻めなければいけないのである。
前田がカレリンと闘った。
まず私が前田に感謝したいのは、カレリンにプロレスをさせなかった事である。
それでも試合の様相が競技であったかというと私は?である。
カレリンにはルールも手探りでアトラクション的に試合を行っている余裕がさんざん感じられたからである。
対照的に、体調を整え、カレリンに向かって行った前田の必死さは事実であり、その事を批判している訳ではない。
ただし、プロレスファン、前田ファンには声を大にして伝えたい事は有る。
もしカレリン戦で闘ったような前田の闘い方を、たとえば少年レスリングの選手たちが行ったとすればコーチに大目玉を喰らうであろう。
相手が強いのは仕方ない。
しかし明らかにカレリンの圧力に腰が引け、自分からは攻めず、スパーリンクでばてた素人を翻弄するような試合をカレリンにされた前田は、心身ともに競技者としての格闘家のレベルになっていないのだ。
あの試合、等身大の姿でカレリンに立ち向かう前田は不思議な魅力を醸し出してもいた。
しかし立ち向かうのと、競技者としての最低限の意識、粘りを持って闘うのとは大きく違うのである。
かつて高田が総合格闘技に出ていた時も同じである。
スクワットを殆どの格闘家が嫌気がさす回数こなしてきた高田が、主体性を無くし、びくついた顔で、高速タップを繰り返し、あれだけ粘りの無い負け方を続けた。
根性云々ではない。競技をしてこなかったために競技を行う心構えも粘りも知らないのである。
競技とは最低限の意識や経験無くして、競技中の精神的・肉体的負荷に耐えられるものでは無いのだ。
(そういう意味でほとんと経験を持たずドン・フライ相手にあれだけの粘りの有る闘う姿勢を見せてくれた高山は驚いてしまうが…)
それでも高田にしろ、金子賢にしろ、試合前の圧迫感、孤独と振り向き合い、リングに立った競技者である。
前田に金子賢を批判する資格等あるのか?
私は前田日明の歩んで来た世界に憧れて来た人間である。
今の日本の格闘技マーケットの開拓者、功労者として、前田は尊敬されるべき人物である。
しかし、かといって自身が闘って来たセメント試合、あるいはカレリン戦を持ち出し、競技としての総合格闘技に対してご意見番を気取るならば、私は断じて違うと言いたい。
前田日明とは競技としての真剣勝負等一度もしていないと私は思っている。
それでも前田がこれほど多くの人間に支持されるのは、前田の人生そのものが真剣勝負であり、たかが競技の中だけで闘って来たものたちが及ばない人間力とスケールを持つ男である事を皆、知っているからである。
そんな男に「言うだけ番長」は似合わないのだ。
2007/08/14掲載
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posted by shingol at 11:42| スポーツナビ版アーカイブズ
brother“YASSHI”の挑戦
brother“YASSHI”が総合格闘技に進出し砕け散ったという事だ。
私は実はbrother“YASSHI”といってもほとんど知らない。
普段の“YASSHI”が私の興味のプロレスジャンルとは別のジャンルで活躍しているので、立ち読みする雑誌のグラビアで見かける風貌を何となく覚えている程度である。
幼少時からキャリアを積む選手も多い中、高校三年間程度のレスリングキャリアだけを
武器に無謀ともいえる挑戦を果たした“YASSHI”であったが、プロレスラーとして
築き上げて来たイメージに傷がついたとも言える。
しかし、月日が経てば、その傷は必ず“YASSHI”のプロレスキャリアに重みと光を持たらしてくれるはずである。
私的な考えだが、闘いに行かないレスラーはその時点で不戦敗である。
闘いのマットに上がった以上、出ない選手よりは勝利に近い男だ。
もう一度闘う事も、闘わない事も、悔しさを経て、ゆっくり考えれば良い。
私の知らない若いプロレスラーの中にも闘いにこだわる選手がいてくれる事は嬉しいものである。
2007/08/12掲載
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私は実はbrother“YASSHI”といってもほとんど知らない。
普段の“YASSHI”が私の興味のプロレスジャンルとは別のジャンルで活躍しているので、立ち読みする雑誌のグラビアで見かける風貌を何となく覚えている程度である。
幼少時からキャリアを積む選手も多い中、高校三年間程度のレスリングキャリアだけを
武器に無謀ともいえる挑戦を果たした“YASSHI”であったが、プロレスラーとして
築き上げて来たイメージに傷がついたとも言える。
しかし、月日が経てば、その傷は必ず“YASSHI”のプロレスキャリアに重みと光を持たらしてくれるはずである。
私的な考えだが、闘いに行かないレスラーはその時点で不戦敗である。
闘いのマットに上がった以上、出ない選手よりは勝利に近い男だ。
もう一度闘う事も、闘わない事も、悔しさを経て、ゆっくり考えれば良い。
私の知らない若いプロレスラーの中にも闘いにこだわる選手がいてくれる事は嬉しいものである。
2007/08/12掲載
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posted by shingol at 11:39| スポーツナビ版アーカイブズ
秋山と沈むHERO`S 補足/前田に対する怒り
私は前田日明を自分の兄のように想いながら過ごして来た時期が有る。
自分の感受性のセンサーがあり、感情の琴線が有る。
それが前田日明と同じような事に惹かれ、同じような事で怒り悲しむ時、
自分に流れる前田と同じ血を強く感じてしまう。
日本にもソース顔、醤油顔があるように韓国にも垂れ目と切れ長の目の二つの顔のタイプが有る。
私の父を筆頭に、前田、長州と垂れ目の顔をした親戚が多い自分は前田が他人とは思えなかった。
属性というものがある。
多くの同胞が自分は在日だ、韓国人だと、強く連帯し、強く意識する中で、
前田は元々、同じ血の多い長屋で過ごさなかったせいか、帰化した為か、
在日と言うコミニュティに属さない、かといって純日本人でもない、韓国人でもない、普段の在日の1.5倍の属性の悩みを抱えて来た人間である。
私は前田のこの気持ちがもの凄くわかる。
私自身、子供の頃、同胞の集まりの長屋を離れ、
一般の日本人の中で過ごすようになり、帰化し、
以後、自分の属性が、韓国か、日本か、民団に代表される在日社会か、
三つのどちらでもなくなった経験を持つからだ。
長州力が著書の中で、この属性の悩みについて記した事が有る。
日本で生まれ育ち、韓国の五輪代表になったとき、自分が日本人でもなく、韓国人でもない事を悟った。
しかし、大学の先輩の日本人選手が金メダルを取り、その姿に長州が涙した時、長州力の属性は韓国人でも、日本人でも、在日でもなく、レスリング選手である事が第一となったのであろう。
私事ながら、私の属性も第一にレスリング競技に没頭し大人になったレスラーである事であり、プロレスを観て育ったプロレスファンである事であり、韓国人、日本人である事など二の次である。
五輪となれば誰よりも日本のレスリング代表を応援し、総合格闘技戦では誰よりもプロレスラーを応援し、レスリング出身のプロレスラーとなれば最高である。
しかし、父や前田、長州に対する想いや憧れは自分の血に従っているゆえだとも気付いてはいる。
属性とはそういうものではないかと思う。
HERO`Sで同じ在日で同じ帰化した人間である秋山と出会った。
その秋山が四面楚歌となっている。
ならば自分が同胞として助けたい。それが心情なのは分かる。
私は秋山が好きではないが、それでも、相手の愚に身を落とす如く、秋山の愚かさに身を落とし、秋山と関係の無い民族批判を繰り返す人間たちが腹立たしい。
そういう中、秋山を守ろうとする前田の義憤の念、男気、心情は本当に良く分かる。
けれど、今、前田はそれらの感情の前に自らを見失ってしまっている。
秋山がファンに嫌われているのは、秋山の国籍うんぬんではなく、秋山がファンの為でなく、自分の為に闘って来た事、
自分の名誉欲の為だけに闘って来た事を皆知っているからだ。
それらが醸し出す嫌みな雰囲気は、ヒールとして価値あるものだとしても、
もうファンは秋山にリングに上がって欲しくない痛切な気持ちをどうして、
前田は分からないのか?
私は同胞として前田が残念でならない。
私たちが教え込まれた儒教的価値観、道徳感を全く持たないK1そして秋山の思惑に、私の大好きな前田日明がその純粋さ故、正義感の矛先をコントロールされていってしまっている気がしてならない。
2007/007/03掲載
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自分の感受性のセンサーがあり、感情の琴線が有る。
それが前田日明と同じような事に惹かれ、同じような事で怒り悲しむ時、
自分に流れる前田と同じ血を強く感じてしまう。
日本にもソース顔、醤油顔があるように韓国にも垂れ目と切れ長の目の二つの顔のタイプが有る。
私の父を筆頭に、前田、長州と垂れ目の顔をした親戚が多い自分は前田が他人とは思えなかった。
属性というものがある。
多くの同胞が自分は在日だ、韓国人だと、強く連帯し、強く意識する中で、
前田は元々、同じ血の多い長屋で過ごさなかったせいか、帰化した為か、
在日と言うコミニュティに属さない、かといって純日本人でもない、韓国人でもない、普段の在日の1.5倍の属性の悩みを抱えて来た人間である。
私は前田のこの気持ちがもの凄くわかる。
私自身、子供の頃、同胞の集まりの長屋を離れ、
一般の日本人の中で過ごすようになり、帰化し、
以後、自分の属性が、韓国か、日本か、民団に代表される在日社会か、
三つのどちらでもなくなった経験を持つからだ。
長州力が著書の中で、この属性の悩みについて記した事が有る。
日本で生まれ育ち、韓国の五輪代表になったとき、自分が日本人でもなく、韓国人でもない事を悟った。
しかし、大学の先輩の日本人選手が金メダルを取り、その姿に長州が涙した時、長州力の属性は韓国人でも、日本人でも、在日でもなく、レスリング選手である事が第一となったのであろう。
私事ながら、私の属性も第一にレスリング競技に没頭し大人になったレスラーである事であり、プロレスを観て育ったプロレスファンである事であり、韓国人、日本人である事など二の次である。
五輪となれば誰よりも日本のレスリング代表を応援し、総合格闘技戦では誰よりもプロレスラーを応援し、レスリング出身のプロレスラーとなれば最高である。
しかし、父や前田、長州に対する想いや憧れは自分の血に従っているゆえだとも気付いてはいる。
属性とはそういうものではないかと思う。
HERO`Sで同じ在日で同じ帰化した人間である秋山と出会った。
その秋山が四面楚歌となっている。
ならば自分が同胞として助けたい。それが心情なのは分かる。
私は秋山が好きではないが、それでも、相手の愚に身を落とす如く、秋山の愚かさに身を落とし、秋山と関係の無い民族批判を繰り返す人間たちが腹立たしい。
そういう中、秋山を守ろうとする前田の義憤の念、男気、心情は本当に良く分かる。
けれど、今、前田はそれらの感情の前に自らを見失ってしまっている。
秋山がファンに嫌われているのは、秋山の国籍うんぬんではなく、秋山がファンの為でなく、自分の為に闘って来た事、
自分の名誉欲の為だけに闘って来た事を皆知っているからだ。
それらが醸し出す嫌みな雰囲気は、ヒールとして価値あるものだとしても、
もうファンは秋山にリングに上がって欲しくない痛切な気持ちをどうして、
前田は分からないのか?
私は同胞として前田が残念でならない。
私たちが教え込まれた儒教的価値観、道徳感を全く持たないK1そして秋山の思惑に、私の大好きな前田日明がその純粋さ故、正義感の矛先をコントロールされていってしまっている気がしてならない。
2007/007/03掲載
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posted by shingol at 11:34| スポーツナビ版アーカイブズ
田村潔司HERO'S参戦/極私的雑文「絶対に勝て」
田村潔司の「HERO'S」参戦が決定した。
しかも相手は金泰泳である。
谷川プロデューサーが又も白熱するライトヘビー戦線にかこつけて秋山の参戦をほのめかすのはいただけないが、唯一つ、谷川プロデューサーに共感すべきは昭和のプロレス心を知っている事である。
もっともモンスター対決や、ビッグネーム対決といった意味でなく、
決闘ムードを醸し出す昭和の緊張感溢れるプロレス頭を潜在的にでも分かっているであろうという点で有る。
柴田勝頼の参戦と共に今回のHERO'Sへのかつての昭和プロレスファンの注目は大きいのではなかろうか。
金泰泳の実家の焼き肉屋は私が生まれ育った街と車で数分の距離であり、
私はかつてK1の中量級で鳴らした金を同郷、そして同胞として親近感を持って見つめていた。
K1への興味も知識も無かった私であったが、金がK1黎明期活躍する格闘技雑誌を読み刺激と感動を頂いた事をよく覚えている。
私が昨年まで4年近く働いていた会社は天満に有った。
環状線の駅からほど近い正道会館総本部の付近では、グッドリッジ、トム・エリクソン、武蔵と多くの有名選手を見かけたが、同胞の「キム・テヨン」を見かけた時は私はやはり同じ血を持つヒーローへの憧憬を感じてしまった。
その金が復帰し、総合格闘技に参戦した。
秋山との対戦こそ不透明な決着であったが、石沢との闘いで、涼しい顔をして完勝した金を観たとき、私はこれまでとは違う感情を抱いた。
所詮、民族の血等「受け身的なアイデンティティ」でしかない。
私は受け身的な属性でなく、思春期に能動的に汗を流し築き上げた自分の「アマレスラー」としての属性を強く感じ、レスリング出身の英雄・石沢の敗戦を悔しく思った。
今回、田村が金と闘う。こちらでも又、民族の血よりも「ブロレスファン」としての属性が上回ってしまう。
やれ韓国人、朝鮮人はどうのと日本人は同胞意識が強いように騒ぎ立てるが、
我々が「自分が何者であるか」幼き頃から考えざるを得なかった人間たちの属性とは
単純なものではないのだ。
前田日明はかつてケンドーナガサキ、高田が総合格闘技初戦で敗れたとき、四面楚歌の彼らを庇った経験が有る。
誰も口にしない小林邦明への情を佐山との対談で述べた事も有る。
私は、それらの前田の心情と今回の秋山への擁護の基本的な部分は変わっていないと思っている。
僭越ながら、困っていたり、四面楚歌だったりの人間を守りたくなる韓国人の血の性質そのものだと思うからだ。
しかし、今回の秋山の件に関しては、それにプラス、やはり同胞意識が強く重なっていると思っているからこそ私は残念だと思っている。
私は同胞として前田の心情か理解出来る反面、今の所、前田に対して
民族の属性よりも、何故、自らが闘い創り上げて来たプロレスラーとしての属性、UWFとしての属性が勝らなかったのかが悔しい。
それは多くのファンが感じた事ではないだろうか。
前田の話は余談であったが、私は何としても田村に勝ってもらいたい。
金は秋山と違い私にとって誇るべき同胞である。
それでも私はプロレスラーに憧れレスリングに熱中した事を自分のアイデンティティ、
属性としている以上、田村を応援せざるを得ない。
極私的な願望であるが、田村潔司よ、絶対に勝って欲しい。
2007/07/10掲載
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しかも相手は金泰泳である。
谷川プロデューサーが又も白熱するライトヘビー戦線にかこつけて秋山の参戦をほのめかすのはいただけないが、唯一つ、谷川プロデューサーに共感すべきは昭和のプロレス心を知っている事である。
もっともモンスター対決や、ビッグネーム対決といった意味でなく、
決闘ムードを醸し出す昭和の緊張感溢れるプロレス頭を潜在的にでも分かっているであろうという点で有る。
柴田勝頼の参戦と共に今回のHERO'Sへのかつての昭和プロレスファンの注目は大きいのではなかろうか。
金泰泳の実家の焼き肉屋は私が生まれ育った街と車で数分の距離であり、
私はかつてK1の中量級で鳴らした金を同郷、そして同胞として親近感を持って見つめていた。
K1への興味も知識も無かった私であったが、金がK1黎明期活躍する格闘技雑誌を読み刺激と感動を頂いた事をよく覚えている。
私が昨年まで4年近く働いていた会社は天満に有った。
環状線の駅からほど近い正道会館総本部の付近では、グッドリッジ、トム・エリクソン、武蔵と多くの有名選手を見かけたが、同胞の「キム・テヨン」を見かけた時は私はやはり同じ血を持つヒーローへの憧憬を感じてしまった。
その金が復帰し、総合格闘技に参戦した。
秋山との対戦こそ不透明な決着であったが、石沢との闘いで、涼しい顔をして完勝した金を観たとき、私はこれまでとは違う感情を抱いた。
所詮、民族の血等「受け身的なアイデンティティ」でしかない。
私は受け身的な属性でなく、思春期に能動的に汗を流し築き上げた自分の「アマレスラー」としての属性を強く感じ、レスリング出身の英雄・石沢の敗戦を悔しく思った。
今回、田村が金と闘う。こちらでも又、民族の血よりも「ブロレスファン」としての属性が上回ってしまう。
やれ韓国人、朝鮮人はどうのと日本人は同胞意識が強いように騒ぎ立てるが、
我々が「自分が何者であるか」幼き頃から考えざるを得なかった人間たちの属性とは
単純なものではないのだ。
前田日明はかつてケンドーナガサキ、高田が総合格闘技初戦で敗れたとき、四面楚歌の彼らを庇った経験が有る。
誰も口にしない小林邦明への情を佐山との対談で述べた事も有る。
私は、それらの前田の心情と今回の秋山への擁護の基本的な部分は変わっていないと思っている。
僭越ながら、困っていたり、四面楚歌だったりの人間を守りたくなる韓国人の血の性質そのものだと思うからだ。
しかし、今回の秋山の件に関しては、それにプラス、やはり同胞意識が強く重なっていると思っているからこそ私は残念だと思っている。
私は同胞として前田の心情か理解出来る反面、今の所、前田に対して
民族の属性よりも、何故、自らが闘い創り上げて来たプロレスラーとしての属性、UWFとしての属性が勝らなかったのかが悔しい。
それは多くのファンが感じた事ではないだろうか。
前田の話は余談であったが、私は何としても田村に勝ってもらいたい。
金は秋山と違い私にとって誇るべき同胞である。
それでも私はプロレスラーに憧れレスリングに熱中した事を自分のアイデンティティ、
属性としている以上、田村を応援せざるを得ない。
極私的な願望であるが、田村潔司よ、絶対に勝って欲しい。
2007/07/10掲載
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posted by shingol at 11:32| スポーツナビ版アーカイブズ
朗報・ゴング誌復活!
今日、会社帰りの地下鉄谷町線で眺めた大阪スポーツのゴング復活の記事を
読み嬉しく思った。
しかも週刊でなく月刊であるという。
本来プロレス雑誌など月刊で充分である。
当然、出版社も誌名も異なるが、週刊ゴングのスタッフと同じメンバーでの雑誌との事である。
私が子供の頃、月の中旬と末のゴングの発売日ほど楽しみにしていた日はなかった。
本誌ゴングと別冊ゴングそれぞれを一文字一文字悔いいるように眺めた。
おかげで私は興味の無かったボクシング欄のランキングと共に小学校五年にしてアメリカの地図と州都まで記憶してしまった。
情報や活字に植える事の無い今のファンならば月二回だけのゴングの発売日がいかに当時のプロレスファンの飢えを満たしてくれる貴重な時であったか想像出来るだろうか。
ゴングが週刊になり私は私は立ち読みで済ませるようになった。
一週間を追い掛ける殺那的な消費雑誌の作りがゴングの本来持っていた丁寧さを消し去ってしまったように思えた。
新しいゴングの編集長を務めるあの清水勉氏が掲げるのはスローライフ雑誌という事で
あるが、私はあの牧歌的で平和な時代だった月刊と別冊のゴングの時代への回帰が味わえるのかと楽しみにしている。
2007/07/11掲載
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読み嬉しく思った。
しかも週刊でなく月刊であるという。
本来プロレス雑誌など月刊で充分である。
当然、出版社も誌名も異なるが、週刊ゴングのスタッフと同じメンバーでの雑誌との事である。
私が子供の頃、月の中旬と末のゴングの発売日ほど楽しみにしていた日はなかった。
本誌ゴングと別冊ゴングそれぞれを一文字一文字悔いいるように眺めた。
おかげで私は興味の無かったボクシング欄のランキングと共に小学校五年にしてアメリカの地図と州都まで記憶してしまった。
情報や活字に植える事の無い今のファンならば月二回だけのゴングの発売日がいかに当時のプロレスファンの飢えを満たしてくれる貴重な時であったか想像出来るだろうか。
ゴングが週刊になり私は私は立ち読みで済ませるようになった。
一週間を追い掛ける殺那的な消費雑誌の作りがゴングの本来持っていた丁寧さを消し去ってしまったように思えた。
新しいゴングの編集長を務めるあの清水勉氏が掲げるのはスローライフ雑誌という事で
あるが、私はあの牧歌的で平和な時代だった月刊と別冊のゴングの時代への回帰が味わえるのかと楽しみにしている。
2007/07/11掲載
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posted by shingol at 11:29| スポーツナビ版アーカイブズ
前田日明と李白の詩/2
私が小学校1年になると、夜の自宅に両親がいる事は無かった。
それでも長屋の棟には温もりが有り、自宅の開き戸の向こうから聞こえる
酔うた人たちの声々 に心が落ち着き孤独を意識する事は無かった。
そんな中で一人テレビのアントニオ猪木のプロレスを観た。
大観衆の視線を一人占めにして自己を顕示するアントニオ猪木を観ながら、
自己を顕示する場が酒の場しかない引き戸の向こうの酔うた人たちの声々 を子供心に哀れんだ。
私の父は酔うて自己を顕示する事は無かった。
しらふの時が自己顕示欲の塊であったために、酒を借りて自己を顕示する必要も無かったのだ。
豪快に大酒を煽りながらも、険しい顔の眉間の皺が取れ、肩の力の抜けた父の姿が見られる酒の席に付き添う時間は私の好きな時間であった。
私の父が酔うて無くすのは理性ではなかった。
私の父は感情を無くす為に酔うていた。
酔いで感情を消し去り、無情になる事で、人を認められる。
無情になる事で人に優しく出来る。
酒の席での一番の「あて」は「孤独」である。
孤独と共に飲み干す酒の味は格別である。
他者と酒を汲み合わすときは酔いに任せて共感の材料を探し出す。
酔いが自分の感情を消し去ってくれる。
無情になる事で他者との違いを認められる。
他者と違う絶対的な孤独を肯定出来る。
ならず者の父であったが無学だったゆえか、よく私に本をプレゼントしてくれた。
父は李白の詩を愛していた。
中学校一年の私にくれた李白の詩集等何の意味があるのかと思ったが、
大人になり血を受け継ぎ酔うた後父の孤独を少し理解できたように感じた。
前田日明が李白の世界観を語ってくれたのは父が私に李白の詩集を渡してくれてから
18年後の事であった。
2007/07/12掲載
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それでも長屋の棟には温もりが有り、自宅の開き戸の向こうから聞こえる
酔うた人たちの声々 に心が落ち着き孤独を意識する事は無かった。
そんな中で一人テレビのアントニオ猪木のプロレスを観た。
大観衆の視線を一人占めにして自己を顕示するアントニオ猪木を観ながら、
自己を顕示する場が酒の場しかない引き戸の向こうの酔うた人たちの声々 を子供心に哀れんだ。
私の父は酔うて自己を顕示する事は無かった。
しらふの時が自己顕示欲の塊であったために、酒を借りて自己を顕示する必要も無かったのだ。
豪快に大酒を煽りながらも、険しい顔の眉間の皺が取れ、肩の力の抜けた父の姿が見られる酒の席に付き添う時間は私の好きな時間であった。
私の父が酔うて無くすのは理性ではなかった。
私の父は感情を無くす為に酔うていた。
酔いで感情を消し去り、無情になる事で、人を認められる。
無情になる事で人に優しく出来る。
酒の席での一番の「あて」は「孤独」である。
孤独と共に飲み干す酒の味は格別である。
他者と酒を汲み合わすときは酔いに任せて共感の材料を探し出す。
酔いが自分の感情を消し去ってくれる。
無情になる事で他者との違いを認められる。
他者と違う絶対的な孤独を肯定出来る。
ならず者の父であったが無学だったゆえか、よく私に本をプレゼントしてくれた。
父は李白の詩を愛していた。
中学校一年の私にくれた李白の詩集等何の意味があるのかと思ったが、
大人になり血を受け継ぎ酔うた後父の孤独を少し理解できたように感じた。
前田日明が李白の世界観を語ってくれたのは父が私に李白の詩集を渡してくれてから
18年後の事であった。
2007/07/12掲載
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posted by shingol at 11:27| スポーツナビ版アーカイブズ
プロレスという偽の闘い
私は以前、プロレスは偽の闘いであると書いた。
偽すなわち人の為に、闘うから、偽の闘いなので有る。
リアルファイトを闘える人間たちが、自分たちの承認欲、名誉欲のためでなく、ファンの為に闘うスポーツがプロレスである。
もう少しファンも業界も誇りを持ち胸を張れるものが、プロレスの本質には有るのだ。
にも関わらず、誰に、何を遠慮しているのか分からないが、プロレスはプロレスの名の下、強さの世界との区切りを明確にしだした。
結果広まったのが強さとは無関係のバラエティー色豊かな現在のプロレスの姿で有る。
私が子供の頃、「こんなに鍛えてる人間たちが真剣にやりあったら死んでしまう。だから
八百長だ」としたり顔で話す大人たちは多かった。
プロレスは八百長であると確信しながらも、しかし、体を鍛えているレスラーたちへの畏怖の念を潜在的に持つ言葉であった。
その肉体への畏怖の念は当然強さにも繋がってくる。
プロレスの本質の意外な深さが、今程無かった時代でさえ、プロレスラーの強さは八百長であろうがなかろうが、世間には認知されていたのである。
しかし、今のプロレスは世間にどう思われているだろうか?
細身の軽業師のような連中が繰り広げるアクロバットショーか、変わった格好の連中が、リングの上で面白い事をするバラエティであろうか?
何故強さにこだわらないのか?強さにこだわる事が恥ずかしくなったのであろうか?
格闘技側への配慮等する必要も無いし、卑屈になる必要も無い。
アントニオ猪木のIGFには昔のプロレスとファンがこだわった闘いへの追求が有るのは
周知の事実である。
アントニオ猪木がこだわる根底の強さをはっきりと持つ選手たちである。
しかし、格闘技から転出してきた選手の中には、自らの闘争心を下げる事がプロレスでの仕事だと思っている連中もいるだろう。
空っぽの闘争心で闘いを演じようとするのだ。
当然、格闘技並みの闘争心を発散すればプロレスではなくなる。
しかし、常に、その闘争心を発散するギリギリまで気持ちの中で維持し続けて欲しい。
その心の中の「溜め」は必ず試合に緊張感を生み出す。
格闘技には闘う気持ちを溜める余裕や時間など無い。
しかし、プロレスは闘う気持ちを放出せずとも、溜めたまますなわち内に秘めたまま闘うことが出来るのだ。
その溜めが色気と殺気になる。
そこを上手く理解できればアントニオ猪木や前田日明のような雰囲気を漂わせることが出来るはずである。
自分の為か、人の為かの違いこそあれ、格闘技同様、プロレスも闘いであると信じている。
2007/08/24掲載
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偽すなわち人の為に、闘うから、偽の闘いなので有る。
リアルファイトを闘える人間たちが、自分たちの承認欲、名誉欲のためでなく、ファンの為に闘うスポーツがプロレスである。
もう少しファンも業界も誇りを持ち胸を張れるものが、プロレスの本質には有るのだ。
にも関わらず、誰に、何を遠慮しているのか分からないが、プロレスはプロレスの名の下、強さの世界との区切りを明確にしだした。
結果広まったのが強さとは無関係のバラエティー色豊かな現在のプロレスの姿で有る。
私が子供の頃、「こんなに鍛えてる人間たちが真剣にやりあったら死んでしまう。だから
八百長だ」としたり顔で話す大人たちは多かった。
プロレスは八百長であると確信しながらも、しかし、体を鍛えているレスラーたちへの畏怖の念を潜在的に持つ言葉であった。
その肉体への畏怖の念は当然強さにも繋がってくる。
プロレスの本質の意外な深さが、今程無かった時代でさえ、プロレスラーの強さは八百長であろうがなかろうが、世間には認知されていたのである。
しかし、今のプロレスは世間にどう思われているだろうか?
細身の軽業師のような連中が繰り広げるアクロバットショーか、変わった格好の連中が、リングの上で面白い事をするバラエティであろうか?
何故強さにこだわらないのか?強さにこだわる事が恥ずかしくなったのであろうか?
格闘技側への配慮等する必要も無いし、卑屈になる必要も無い。
アントニオ猪木のIGFには昔のプロレスとファンがこだわった闘いへの追求が有るのは
周知の事実である。
アントニオ猪木がこだわる根底の強さをはっきりと持つ選手たちである。
しかし、格闘技から転出してきた選手の中には、自らの闘争心を下げる事がプロレスでの仕事だと思っている連中もいるだろう。
空っぽの闘争心で闘いを演じようとするのだ。
当然、格闘技並みの闘争心を発散すればプロレスではなくなる。
しかし、常に、その闘争心を発散するギリギリまで気持ちの中で維持し続けて欲しい。
その心の中の「溜め」は必ず試合に緊張感を生み出す。
格闘技には闘う気持ちを溜める余裕や時間など無い。
しかし、プロレスは闘う気持ちを放出せずとも、溜めたまますなわち内に秘めたまま闘うことが出来るのだ。
その溜めが色気と殺気になる。
そこを上手く理解できればアントニオ猪木や前田日明のような雰囲気を漂わせることが出来るはずである。
自分の為か、人の為かの違いこそあれ、格闘技同様、プロレスも闘いであると信じている。
2007/08/24掲載
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posted by shingol at 11:18| スポーツナビ版アーカイブズ
プロレスの売れ線化/長州対藤波の原罪
私は長州対藤波戦をきっかけにプロレスが変わってしまったと思っている。
大衆を巻き込んでブームを築き上げた新日本プロレスの黄金時代は長州対藤波のハイスパートレスリングなくして有り得なかった。
プロレスに対して優位性を持つ一般のファンに対して、プロレス界伝統の序盤の静かな攻防が許されるはずも無い。
タイガーマスクの空中戦、国際プロレス軍団の悪役振りとともに一般ファンに分かりやすい三本の柱が揃ったとき、視聴率20パーセントが続く空前のプロレスブームが沸き起こった。
長州対藤波の試合は禁断の果実であった。
全編ハイライトシーンだらけ、全曲サビだらけの商業性まるだしのハイスパートレスリングを見せつけた時点で、もうプロレスに先は無かったのである。
そこに飽きたファンは去り、そこで残ったファンも、もはや60分フルタイムを味わったり凡戦を納得する耐性など持ってはいないのである。
しかし、ハイスパートだけが長州対藤波の原罪だと唱える人たちが多いが、それだけであろうか?
私はハイスパートではなく、全日本プロレスの如く、手の合う選手同士の試合を新日本が行った事こそ原罪であると思っている。
新日本の魅力とは、プロレスの方程式も、打ち合わせも、簡素化したギクシャク、ドタバタした世界であったはずである。
新日本プロレスとは、アントニオ猪木の全試合の9割を占める凡戦試合、呆気ない試合に耐性を持つ堅い固定ファンの見守る場所であった。
そのファンの核が長州対藤波以後の手の合う選手同士の名勝負志向によってゆらぎ、そして、ハイスパートレスリングや空中戦によって耐性の無いファンたちを創り上げてしまったのである。
アントニオ猪木のプロレスに上手い下手も名勝負も凡戦も無い。
それは新日本時代の前田日明に対してもいえる事であったが、ファンは試合でなく、猪木の、そして前田の表情を、動作を、振る舞いを見ていたのである。
プロレスの上手い下手、あるいはセメントの強さ弱さだけに目が行き、スター性を持った人間の醸し出す色気、立ち振る舞いを求めるファンがいなくなった現在、ますますプロレス界はオタク臭溢れるプロレス的名勝負だけを求める世界になってしまったのだ。
2007/08/20掲載
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大衆を巻き込んでブームを築き上げた新日本プロレスの黄金時代は長州対藤波のハイスパートレスリングなくして有り得なかった。
プロレスに対して優位性を持つ一般のファンに対して、プロレス界伝統の序盤の静かな攻防が許されるはずも無い。
タイガーマスクの空中戦、国際プロレス軍団の悪役振りとともに一般ファンに分かりやすい三本の柱が揃ったとき、視聴率20パーセントが続く空前のプロレスブームが沸き起こった。
長州対藤波の試合は禁断の果実であった。
全編ハイライトシーンだらけ、全曲サビだらけの商業性まるだしのハイスパートレスリングを見せつけた時点で、もうプロレスに先は無かったのである。
そこに飽きたファンは去り、そこで残ったファンも、もはや60分フルタイムを味わったり凡戦を納得する耐性など持ってはいないのである。
しかし、ハイスパートだけが長州対藤波の原罪だと唱える人たちが多いが、それだけであろうか?
私はハイスパートではなく、全日本プロレスの如く、手の合う選手同士の試合を新日本が行った事こそ原罪であると思っている。
新日本の魅力とは、プロレスの方程式も、打ち合わせも、簡素化したギクシャク、ドタバタした世界であったはずである。
新日本プロレスとは、アントニオ猪木の全試合の9割を占める凡戦試合、呆気ない試合に耐性を持つ堅い固定ファンの見守る場所であった。
そのファンの核が長州対藤波以後の手の合う選手同士の名勝負志向によってゆらぎ、そして、ハイスパートレスリングや空中戦によって耐性の無いファンたちを創り上げてしまったのである。
アントニオ猪木のプロレスに上手い下手も名勝負も凡戦も無い。
それは新日本時代の前田日明に対してもいえる事であったが、ファンは試合でなく、猪木の、そして前田の表情を、動作を、振る舞いを見ていたのである。
プロレスの上手い下手、あるいはセメントの強さ弱さだけに目が行き、スター性を持った人間の醸し出す色気、立ち振る舞いを求めるファンがいなくなった現在、ますますプロレス界はオタク臭溢れるプロレス的名勝負だけを求める世界になってしまったのだ。
2007/08/20掲載
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posted by shingol at 11:16| スポーツナビ版アーカイブズ
私的・リングスという世界
UWFが解散し、前田がリングスを旗揚げした。
私はWOWOWに加入していた友人に頼み、毎月、リングス中継のビデオを見る事が出来た。
当初、ほとんどオランダ勢ばかりの試合が続いていたが、しだいに前田のスケールに追いつくように世界各国からの格闘家たちが集結しだした。
エポックメイキングとなった大会が有明コロシアムで行われた。
正道会館勢やロシア勢が参加した事で一気にリングスが世界各国の格闘展示場の場所となったのである。
その中でも、レスリングに熱中していた私が興奮したのが、木村浩一郎と対戦したロシアのレスリングの強者グロム・ザザであった。
木村の首をネルソンで強烈に絞り上げるリアルなシーンからは、リングスがUWFとは別物のリアルな場所になっていく予感を感じた。
しかし、実際にリアルな場所と成ったのはまだ数年の月日が必要であったが。
無機的で洗練されたイベントの雰囲気の中、淡々としたアマチュア臭が漂いながらも、風貌、ファイトスタイルともに個性のはっきりした選手たちが分かりやすく激しい闘いを繰り広げる。
プロレス団体には無い不思議な空間と世界に、私はリングスとはプロレス団体でも格闘技団体でもなく、リングスという一つのジャンルとして完成されていたのでは無かったかと思う。
私は以前の記事でも書いたが、プロレスや格闘技うんぬんではなく、WOWOWを観て、単純にリングスのファンになった人間は意外に多いものである。
UWFがプロレスファンを相手に格闘技の素養を施そうとした団体とするならば、リングスはプロレスを観ず直接リングスのファンとなった人間たちに格闘技の素養を植え付けた団体であったと思っている。
一つだけ気になる事が有る。
総合格闘技の著しい流れなどが無くても、前田がKOKルールに代表されるリアルな闘いをリングスで行う気があったのかという事だ。
多くのプロレスファン、リングスファンに、格闘技を観る素養を植え付けてくれた前田であったが、自身の言葉とは裏腹に、世間の流れさえ無ければ、ひょっとして、あのまま、幻想の中での格闘展示場のような世界を続けたかったのではないかという気もする。
私にとってリングスの世界を観られた平和な時代は、ブラジル勢の参戦、KOKトーナメントにより終わりを告げる。
皮肉にもリングス黎明期の有明で見たグロムザザの試合で感じたリアルな世界への予感が現実のものと成って行ったが、そこで感じた興奮はPRIDEで感じた興奮と同質の世界であったからである。
2007/08/18掲載
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私はWOWOWに加入していた友人に頼み、毎月、リングス中継のビデオを見る事が出来た。
当初、ほとんどオランダ勢ばかりの試合が続いていたが、しだいに前田のスケールに追いつくように世界各国からの格闘家たちが集結しだした。
エポックメイキングとなった大会が有明コロシアムで行われた。
正道会館勢やロシア勢が参加した事で一気にリングスが世界各国の格闘展示場の場所となったのである。
その中でも、レスリングに熱中していた私が興奮したのが、木村浩一郎と対戦したロシアのレスリングの強者グロム・ザザであった。
木村の首をネルソンで強烈に絞り上げるリアルなシーンからは、リングスがUWFとは別物のリアルな場所になっていく予感を感じた。
しかし、実際にリアルな場所と成ったのはまだ数年の月日が必要であったが。
無機的で洗練されたイベントの雰囲気の中、淡々としたアマチュア臭が漂いながらも、風貌、ファイトスタイルともに個性のはっきりした選手たちが分かりやすく激しい闘いを繰り広げる。
プロレス団体には無い不思議な空間と世界に、私はリングスとはプロレス団体でも格闘技団体でもなく、リングスという一つのジャンルとして完成されていたのでは無かったかと思う。
私は以前の記事でも書いたが、プロレスや格闘技うんぬんではなく、WOWOWを観て、単純にリングスのファンになった人間は意外に多いものである。
UWFがプロレスファンを相手に格闘技の素養を施そうとした団体とするならば、リングスはプロレスを観ず直接リングスのファンとなった人間たちに格闘技の素養を植え付けた団体であったと思っている。
一つだけ気になる事が有る。
総合格闘技の著しい流れなどが無くても、前田がKOKルールに代表されるリアルな闘いをリングスで行う気があったのかという事だ。
多くのプロレスファン、リングスファンに、格闘技を観る素養を植え付けてくれた前田であったが、自身の言葉とは裏腹に、世間の流れさえ無ければ、ひょっとして、あのまま、幻想の中での格闘展示場のような世界を続けたかったのではないかという気もする。
私にとってリングスの世界を観られた平和な時代は、ブラジル勢の参戦、KOKトーナメントにより終わりを告げる。
皮肉にもリングス黎明期の有明で見たグロムザザの試合で感じたリアルな世界への予感が現実のものと成って行ったが、そこで感じた興奮はPRIDEで感じた興奮と同質の世界であったからである。
2007/08/18掲載
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posted by shingol at 11:12| スポーツナビ版アーカイブズ
IGFに出陣/ドン・フライ
ドン・フライは名門オクラホマ州立大学のレスリング部出身である。
しかし、学生時代に個人タイトルをつかんだ名選手ではなかった。
そんなフライがUFCに出現し、アマウリ・ビテッチを圧倒した。
フライの特徴はスタンドで組んで相手のバランスを崩しながら打撃を打ち込む、レスリン
グ選手以外しか出来ない闘い方であった。
タックル一辺倒の攻撃を凌ぐだけで、レスリングは怖くないと思う格闘家が多くなった
今、かつてのフライのようなレスラーのスタンド能力、崩し能力を生かした攻撃を思いつ
く選手が現れてくれないかと思う。
フライの弱点はレスラーである。
かつてUFCにてコールマン相手に全く気持ちのこもらないまま成す術の無い醜態をさらし
無惨に敗れ去った事が有った。
中尾相手にもそうであった。
自らの武器が通用しない相手に対して最初から勝負を投げている感は有る。
それでも、レスラー以外の相手に対してはもの凄いアグレッシブな姿勢を崩す事は無い。
フライの肉体よりも、むしろ精神的な部分がリアルの闘いの場でのモチベーションを維持す
る事を難しくさせているとも思える。
そんなフライを、かつてのビッグネームだけを利用するように担ぎ出す格闘技団体は多いが、
いよいよプロレスに戻りIGFに出陣する。
気難しく不機嫌な表情でラフな攻めを見せるフライを見ていると、かつて70年代に多かった
無表情のアメリカのヒールを思い出してしまう。
2007/08/18掲載
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しかし、学生時代に個人タイトルをつかんだ名選手ではなかった。
そんなフライがUFCに出現し、アマウリ・ビテッチを圧倒した。
フライの特徴はスタンドで組んで相手のバランスを崩しながら打撃を打ち込む、レスリン
グ選手以外しか出来ない闘い方であった。
タックル一辺倒の攻撃を凌ぐだけで、レスリングは怖くないと思う格闘家が多くなった
今、かつてのフライのようなレスラーのスタンド能力、崩し能力を生かした攻撃を思いつ
く選手が現れてくれないかと思う。
フライの弱点はレスラーである。
かつてUFCにてコールマン相手に全く気持ちのこもらないまま成す術の無い醜態をさらし
無惨に敗れ去った事が有った。
中尾相手にもそうであった。
自らの武器が通用しない相手に対して最初から勝負を投げている感は有る。
それでも、レスラー以外の相手に対してはもの凄いアグレッシブな姿勢を崩す事は無い。
フライの肉体よりも、むしろ精神的な部分がリアルの闘いの場でのモチベーションを維持す
る事を難しくさせているとも思える。
そんなフライを、かつてのビッグネームだけを利用するように担ぎ出す格闘技団体は多いが、
いよいよプロレスに戻りIGFに出陣する。
気難しく不機嫌な表情でラフな攻めを見せるフライを見ていると、かつて70年代に多かった
無表情のアメリカのヒールを思い出してしまう。
2007/08/18掲載
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前田日明と新日本プロレスそして船木
私はひょっとして前田日明の属性とは新日本プロレスにあるのでは無いかと考える時がある。
喧嘩別れしたものの、自身が初めて属した集団「新日本プロレス」での若手時代を語る時の前田は実に嬉しく楽しそうでも有る。
私は桜庭和志が顔面をボコボコにされた姿を見て、前田なら、UWFの属性に従って遠い親戚桜庭和志を誰よりもフォローするものだと思っていた。
しかし前田にとって所詮、UWFとは挫折の場所でしかない。
前田日明が自らの経験を許せる幸福な場所とは新日本プロレスの道場でしかなかったのではないかと思う時が有る。
自分が悪口を言っても他人が猪木の悪口を言うのは許せない。
唯一のリアルファイトといわれたカレリン戦の前には心の支えをU時代の関節技でなく若手時代に培った新日本道場での受け身の技術に求めた。
大病を患った小林邦明を心配し、絶縁中であっても船木の事を優しく語った。
ひょっとしてだが前田日明の何よりの属性とは
自身が青春期を費やした新日本プロレスにあるのでは無いかと思う時が有る。
なら船木がカムバックした時、その試合を熱く見つめるプロレスラーの味方、
前田日明を今度こそは観られるのではないかとふと思った。
2007/07/23掲載
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喧嘩別れしたものの、自身が初めて属した集団「新日本プロレス」での若手時代を語る時の前田は実に嬉しく楽しそうでも有る。
私は桜庭和志が顔面をボコボコにされた姿を見て、前田なら、UWFの属性に従って遠い親戚桜庭和志を誰よりもフォローするものだと思っていた。
しかし前田にとって所詮、UWFとは挫折の場所でしかない。
前田日明が自らの経験を許せる幸福な場所とは新日本プロレスの道場でしかなかったのではないかと思う時が有る。
自分が悪口を言っても他人が猪木の悪口を言うのは許せない。
唯一のリアルファイトといわれたカレリン戦の前には心の支えをU時代の関節技でなく若手時代に培った新日本道場での受け身の技術に求めた。
大病を患った小林邦明を心配し、絶縁中であっても船木の事を優しく語った。
ひょっとしてだが前田日明の何よりの属性とは
自身が青春期を費やした新日本プロレスにあるのでは無いかと思う時が有る。
なら船木がカムバックした時、その試合を熱く見つめるプロレスラーの味方、
前田日明を今度こそは観られるのではないかとふと思った。
2007/07/23掲載
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posted by shingol at 11:05| スポーツナビ版アーカイブズ
キャッチレスリングの使い手待望論
ブロックレスナーは心拍数、筋持久力共にトップレベルの激しさを必要とする
レスリング競技でトップに立ったレスラーである。
体力的資質だけではなく、レスナーの武器はカレッジレスリングのスペシャリストであるということである。
カレッジレスリングの動きの源はイギリスで生まれたキャッチである。
キャッチから関節技を取りのぞいたレスリングといえば分かりやすいかも知れない。
グランドの攻防においてはUWFも真っ青の回転体の激しい動きである。
キャッチからカレッジスタイル(フォークスタイルともいわれる)が生まれ、フリースタイルに発展した。
ちなみにカレッジスタイルの名手ダニーホッジはフリースタイルの経験なくして五輪でのぶっつけ本番でいきなりメダルを取った猛者でもあった。
イギリスのプロのキャッチの使い手たちは、アマチュア選手たちを簡単に倒したというが五輪にも出れないアマチュア弱国のイギリスのレスリングレベルの中でキャッチの関節技以外の部分のレベル、すなわちスタンド、グランド、スピード面のレベルは停滞化してしまった。
逆にキャッチが母国イギリスでの競技人口、競技レベルとは桁が違うアメリカというフィールドに移り、高いレベルに昇華したものがアメリカのカレッジレスリングである。
アメリカのカレッジスタイルの動きを身につけ、スタンドからグランドまで一連の完璧な動きを用いてフィニッシュとしての関節技も身に付けている選手。そんな選手は皆無となってしまった。
レスナーに関しては今のところカレッジレスリングの技術ではなくスタンドの技術と己のパワーを総合の戦い方に生かしているだけであるし、
今後もキャッチに興味を持つ事などなく、オーソドックスなレスリング出身者の総合でのパターンを踏襲していくだけだろう。
総合にかぶれず、キャッチの動きだけで相手を制し関節技で止めを指せる選手、いってみればプロのキャッチの関節技術と、アマチュアのカレッジスタイルのスタンド、グランド、エスケープ技術、スピード、体力を併せ持った選手。
元々キャッチとはそういうものであったのに、今はレスリング技術を軽視した関節技だけがキャッチと思われている感がしてならない。
2007/07/24掲載
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レスリング競技でトップに立ったレスラーである。
体力的資質だけではなく、レスナーの武器はカレッジレスリングのスペシャリストであるということである。
カレッジレスリングの動きの源はイギリスで生まれたキャッチである。
キャッチから関節技を取りのぞいたレスリングといえば分かりやすいかも知れない。
グランドの攻防においてはUWFも真っ青の回転体の激しい動きである。
キャッチからカレッジスタイル(フォークスタイルともいわれる)が生まれ、フリースタイルに発展した。
ちなみにカレッジスタイルの名手ダニーホッジはフリースタイルの経験なくして五輪でのぶっつけ本番でいきなりメダルを取った猛者でもあった。
イギリスのプロのキャッチの使い手たちは、アマチュア選手たちを簡単に倒したというが五輪にも出れないアマチュア弱国のイギリスのレスリングレベルの中でキャッチの関節技以外の部分のレベル、すなわちスタンド、グランド、スピード面のレベルは停滞化してしまった。
逆にキャッチが母国イギリスでの競技人口、競技レベルとは桁が違うアメリカというフィールドに移り、高いレベルに昇華したものがアメリカのカレッジレスリングである。
アメリカのカレッジスタイルの動きを身につけ、スタンドからグランドまで一連の完璧な動きを用いてフィニッシュとしての関節技も身に付けている選手。そんな選手は皆無となってしまった。
レスナーに関しては今のところカレッジレスリングの技術ではなくスタンドの技術と己のパワーを総合の戦い方に生かしているだけであるし、
今後もキャッチに興味を持つ事などなく、オーソドックスなレスリング出身者の総合でのパターンを踏襲していくだけだろう。
総合にかぶれず、キャッチの動きだけで相手を制し関節技で止めを指せる選手、いってみればプロのキャッチの関節技術と、アマチュアのカレッジスタイルのスタンド、グランド、エスケープ技術、スピード、体力を併せ持った選手。
元々キャッチとはそういうものであったのに、今はレスリング技術を軽視した関節技だけがキャッチと思われている感がしてならない。
2007/07/24掲載
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posted by shingol at 11:03| スポーツナビ版アーカイブズ
キャッチレスリングの使い手待望論2/キャッチレスラーへの夢
前回好評であったキャッチレスリングの使い手待望論の記事にもう少し具体性を加えて記してみたいと思っている。
多くのプロレスファンはかつてイギリスで生まれたキャッチがプロレスだけの原点だと思っている場合が多い。
実は現在のレスリングの五輪二大スタイルのうちフリースタイルもキャッチを源とする競技である。
(ちなみにグレコローマンスタイルはその名の通りギリシャ・ローマ時代の格闘術がフランスの騎士道精神に則って競技化されたといわれる説が濃厚である)
身体中どこを攻めても良い裸体の格闘競技の原点はまさしくキャッチであった。
裸体の格闘技者を道着や帯なくして転倒させ、そして屈服させるには高度なそれでいてスピードを伴った動きでなければ不可能である。
結果キャッチはレスリングのスタンド技術、コントロール技術を高めていった。
アメリカ大陸発見後、多くの移住者の手によってアメリカでキャッチはそのレベルを高めた。ただし違う形での発展であった。
すなわち安全性と競技性の為にキャッチの決め技である関節技を取り除いたのである。
しかし関節技を取り除いたレスリング=五輪レスリングという形でなく、
キャッチの回転体と目まぐるしく動くコントロール技術とグランド技術を真空バックにして残したものが今もアメリカで残るカレッジスタイル(フォークスタイル)なのである。
イギリスはどうであったか?キャッチレスリングの伝統を守りながら
自ずとフィニッシュとしての関節技だけを残したもののイギリスはキャッチの90パーセントの土台を占めるコントロール技術、グランド技術をアメリカに持っていかれフリースタイルレスリングの母国でありながら、空洞化を余儀なくされてしまった。
結果残ったのは高校生並みのスタンド・グランド・コントロールのレスリング技術だけしか持たないが決め技だけは持っている選手たちである。
皆さんは総合格闘技におけるU系の技術をどう思われるだろうか?
あるいは日本プロレス史上初めての競技試合といわれた藤原対石沢の試合をどう思われるであろうか?
藤原対石沢はまさしくイギリスキャッチ対アメリカキャッチの闘いであった。
決め技を持つものの、キャッチの決め技に至るまでのスタンド、グランド、コントロール技術を持たない藤原と、逆にスタンド、グランド、コントロール技術はキャッチを源流とするフリースタイルとして完璧なものをもっていたものの決め技を持たない石沢と、結果は不可解な結末を迎える事に成る。
二人の闘いに見られるように、キャッチとは極論すればスタンド、グランド、コントロール技術を持たないものの決め技だけは知っているU系選手たちと、キャッチ伝統のスタンド、グランド、コントロール技術を持つものの、決め技を持たない
フリースタイルレスリング出身選手たちとの二極化されてしまっているのが現状である。
総合格闘技黎明期、レスリング選手が総合マットを席巻した。
当時の総合の方程式に基づいて相手をコントロールしたのである。
しかし、もしアメリカの多くのレスリング出身選手たちが経験して来たカレッジスタイルの技術を駆使し相手の足も、バックも、容易に取った後に、決める関節技を持っていたら
総合格闘技の歴史はどうなっていのか?
レスリング出身選手たちは相手の足等簡単に取れる。しかし取ったところで関節技を持たない。自ずと当時のパウンドの為のコントロールにしか攻撃パターンが限られてしまう。
逆に決め技を持っていても相手をコントロールするスタンドとグランドの技術を持たない
U系選手たちはどうであったか?
結論は話にならなかったということである。
キャッチとは関節技だけでなく、アメリカに渡りカレッジスタイルに発展してしまったキャッチ本来の360度のレスリング技術、そしてプロレスラーたちが秘伝としていた
関節技、その二極なくして成り立たないものである。
キャッチの伝承者ジョシュ・バーネットにしたところでレスリングは高校生レベルである。
(ジョシュが己の経験に基づいての闘い方の中にキャッチの偉大さを立証すべく加味している事は尊敬に値するが)
桜庭は総合に進出した時点ですでにレスリングの技術を退化させていた。
現役に近いレスリング出身者は流行のレスリング出身の総合パターンに固執する。
もう二度とキャッチの継承者は現れないのであろうか?
皆さんはマレンコ兄弟のスタンドレスリングからの流れるような関節技への
移行を覚えているだろうか?
あの動きで私は柔術の動きも制する事が出来ると私自身の柔術とのスパー経験で確信している。
ただ問題はマレンコ兄弟も私も大したレスリングレベルでないという事である。
(まして私は関節技が大嫌いである…)
しかし前田日明に、船木誠勝に、私程度のレスリング技術があれば、
総合格闘技は柔術家たちの天下にはさせなかったであろうと思う。
プロレスファンであり、レスリング競技者であった私の願望はプロ・アマ
共通のグレートマザー「キャッチレスリング」の継承者の出現で有る。
2007/07/25掲載
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多くのプロレスファンはかつてイギリスで生まれたキャッチがプロレスだけの原点だと思っている場合が多い。
実は現在のレスリングの五輪二大スタイルのうちフリースタイルもキャッチを源とする競技である。
(ちなみにグレコローマンスタイルはその名の通りギリシャ・ローマ時代の格闘術がフランスの騎士道精神に則って競技化されたといわれる説が濃厚である)
身体中どこを攻めても良い裸体の格闘競技の原点はまさしくキャッチであった。
裸体の格闘技者を道着や帯なくして転倒させ、そして屈服させるには高度なそれでいてスピードを伴った動きでなければ不可能である。
結果キャッチはレスリングのスタンド技術、コントロール技術を高めていった。
アメリカ大陸発見後、多くの移住者の手によってアメリカでキャッチはそのレベルを高めた。ただし違う形での発展であった。
すなわち安全性と競技性の為にキャッチの決め技である関節技を取り除いたのである。
しかし関節技を取り除いたレスリング=五輪レスリングという形でなく、
キャッチの回転体と目まぐるしく動くコントロール技術とグランド技術を真空バックにして残したものが今もアメリカで残るカレッジスタイル(フォークスタイル)なのである。
イギリスはどうであったか?キャッチレスリングの伝統を守りながら
自ずとフィニッシュとしての関節技だけを残したもののイギリスはキャッチの90パーセントの土台を占めるコントロール技術、グランド技術をアメリカに持っていかれフリースタイルレスリングの母国でありながら、空洞化を余儀なくされてしまった。
結果残ったのは高校生並みのスタンド・グランド・コントロールのレスリング技術だけしか持たないが決め技だけは持っている選手たちである。
皆さんは総合格闘技におけるU系の技術をどう思われるだろうか?
あるいは日本プロレス史上初めての競技試合といわれた藤原対石沢の試合をどう思われるであろうか?
藤原対石沢はまさしくイギリスキャッチ対アメリカキャッチの闘いであった。
決め技を持つものの、キャッチの決め技に至るまでのスタンド、グランド、コントロール技術を持たない藤原と、逆にスタンド、グランド、コントロール技術はキャッチを源流とするフリースタイルとして完璧なものをもっていたものの決め技を持たない石沢と、結果は不可解な結末を迎える事に成る。
二人の闘いに見られるように、キャッチとは極論すればスタンド、グランド、コントロール技術を持たないものの決め技だけは知っているU系選手たちと、キャッチ伝統のスタンド、グランド、コントロール技術を持つものの、決め技を持たない
フリースタイルレスリング出身選手たちとの二極化されてしまっているのが現状である。
総合格闘技黎明期、レスリング選手が総合マットを席巻した。
当時の総合の方程式に基づいて相手をコントロールしたのである。
しかし、もしアメリカの多くのレスリング出身選手たちが経験して来たカレッジスタイルの技術を駆使し相手の足も、バックも、容易に取った後に、決める関節技を持っていたら
総合格闘技の歴史はどうなっていのか?
レスリング出身選手たちは相手の足等簡単に取れる。しかし取ったところで関節技を持たない。自ずと当時のパウンドの為のコントロールにしか攻撃パターンが限られてしまう。
逆に決め技を持っていても相手をコントロールするスタンドとグランドの技術を持たない
U系選手たちはどうであったか?
結論は話にならなかったということである。
キャッチとは関節技だけでなく、アメリカに渡りカレッジスタイルに発展してしまったキャッチ本来の360度のレスリング技術、そしてプロレスラーたちが秘伝としていた
関節技、その二極なくして成り立たないものである。
キャッチの伝承者ジョシュ・バーネットにしたところでレスリングは高校生レベルである。
(ジョシュが己の経験に基づいての闘い方の中にキャッチの偉大さを立証すべく加味している事は尊敬に値するが)
桜庭は総合に進出した時点ですでにレスリングの技術を退化させていた。
現役に近いレスリング出身者は流行のレスリング出身の総合パターンに固執する。
もう二度とキャッチの継承者は現れないのであろうか?
皆さんはマレンコ兄弟のスタンドレスリングからの流れるような関節技への
移行を覚えているだろうか?
あの動きで私は柔術の動きも制する事が出来ると私自身の柔術とのスパー経験で確信している。
ただ問題はマレンコ兄弟も私も大したレスリングレベルでないという事である。
(まして私は関節技が大嫌いである…)
しかし前田日明に、船木誠勝に、私程度のレスリング技術があれば、
総合格闘技は柔術家たちの天下にはさせなかったであろうと思う。
プロレスファンであり、レスリング競技者であった私の願望はプロ・アマ
共通のグレートマザー「キャッチレスリング」の継承者の出現で有る。
2007/07/25掲載
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posted by shingol at 11:02| スポーツナビ版アーカイブズ
プロレスラーを追い掛けて/前田日明と親父の想い出
私はこの不況のご時世に幸いにも、不況とは関係のない仕事に就けている。
努力して掴んだ専門職の地位であり、気持ちの乗らぬ日は毎度とはいかないが、半休を容易に取れリセット出来る美味しい勤務形態を維持出来てもいる。
しかし仕事柄、顔を合わす役人の人たちの死に顔を見るにつけ、安泰とした
仕事につくまでの努力の貯金等すぐに底をつき、後は、この人たちと同じように死に顔のまま年を取り、年を重ねて行くのだと思う時も有る。
私の父は立ち退き、土建、飲食を生業をしたが実態は中学を中退後、自らを長とする集合体を創り上げた、ならず者であった。
その父が、社会人となり堅い仕事についた私を、友人たちに実に誇らしげに紹介してくれた。
堅い仕事に飽き足らず、父の後を継ぎたいと申し出た時、父に殴り掛かられた。
レスリング都道府県二位の成績を持つ私は、幼い頃の恨みも含め、父に馬乗りになったが、父が屈服する事は無かった。
気を抜いて離れた後、ボコボコにされた私に父は「息子に負ける親なんか
おらんぞ」と告げた。
そんな父は若くして亡くなったが、大阪ミナミ、阪神尼崎のクラブ、ラウンジのホステスたちが気持ちでビールを差し入れし手伝いをしてくれた通夜と告別式には普段、父を怖れる一般の近所の人たちが綺麗な女給のただ酒を目当てに賑わいを見せてくれた。
プロレス等観ない父であったが、アントニオ猪木に対しては「色気が有る」と
言い、焼き肉屋のテレビで観た前田日明に対しては、前田が出自を公にする遥か前から
「こいつは女真族や、内と同じ家系や」と淡々と語っていた。
父は前田日明より数センチ低いだけの前田と同じ垂れ目の巨漢であった。
父がそう語ってくれた焼き肉屋の娘の女優が最近になって出自を公にした。
私が幼き頃よく遊んでもらったお姉ちゃんは私の大嫌いなキザな作家の男と別れた後、
私が好感を覚える俳優と一緒になり、遠い場所から私は勝手な安堵を覚えた。
人生の半ばを過ぎ、貯金を消費しているだけの自分と振り向き合う。
等身大の自分を誰よりも知る年齢になり、何かを追い掛ける事も出来ないだろう。
ただ自分と言う弱い人間が、少なくとも実生活ではプロレスラーが教えてくれた知恵と立ち振る舞い、言葉、身なりを持って何とか生きて行けている。
私を救ってくれたプロレスラーたちの姿を、実生活で生きる私の仕事、練習、指導、そして酒席の日々の中、ブログで少しでも伝えて行けたらなと思う。
2007/07/27掲載
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努力して掴んだ専門職の地位であり、気持ちの乗らぬ日は毎度とはいかないが、半休を容易に取れリセット出来る美味しい勤務形態を維持出来てもいる。
しかし仕事柄、顔を合わす役人の人たちの死に顔を見るにつけ、安泰とした
仕事につくまでの努力の貯金等すぐに底をつき、後は、この人たちと同じように死に顔のまま年を取り、年を重ねて行くのだと思う時も有る。
私の父は立ち退き、土建、飲食を生業をしたが実態は中学を中退後、自らを長とする集合体を創り上げた、ならず者であった。
その父が、社会人となり堅い仕事についた私を、友人たちに実に誇らしげに紹介してくれた。
堅い仕事に飽き足らず、父の後を継ぎたいと申し出た時、父に殴り掛かられた。
レスリング都道府県二位の成績を持つ私は、幼い頃の恨みも含め、父に馬乗りになったが、父が屈服する事は無かった。
気を抜いて離れた後、ボコボコにされた私に父は「息子に負ける親なんか
おらんぞ」と告げた。
そんな父は若くして亡くなったが、大阪ミナミ、阪神尼崎のクラブ、ラウンジのホステスたちが気持ちでビールを差し入れし手伝いをしてくれた通夜と告別式には普段、父を怖れる一般の近所の人たちが綺麗な女給のただ酒を目当てに賑わいを見せてくれた。
プロレス等観ない父であったが、アントニオ猪木に対しては「色気が有る」と
言い、焼き肉屋のテレビで観た前田日明に対しては、前田が出自を公にする遥か前から
「こいつは女真族や、内と同じ家系や」と淡々と語っていた。
父は前田日明より数センチ低いだけの前田と同じ垂れ目の巨漢であった。
父がそう語ってくれた焼き肉屋の娘の女優が最近になって出自を公にした。
私が幼き頃よく遊んでもらったお姉ちゃんは私の大嫌いなキザな作家の男と別れた後、
私が好感を覚える俳優と一緒になり、遠い場所から私は勝手な安堵を覚えた。
人生の半ばを過ぎ、貯金を消費しているだけの自分と振り向き合う。
等身大の自分を誰よりも知る年齢になり、何かを追い掛ける事も出来ないだろう。
ただ自分と言う弱い人間が、少なくとも実生活ではプロレスラーが教えてくれた知恵と立ち振る舞い、言葉、身なりを持って何とか生きて行けている。
私を救ってくれたプロレスラーたちの姿を、実生活で生きる私の仕事、練習、指導、そして酒席の日々の中、ブログで少しでも伝えて行けたらなと思う。
2007/07/27掲載
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posted by shingol at 10:58| スポーツナビ版アーカイブズ