2008年04月11日

アントニオ猪木の最後の人気の波がやってくる?/猪木の「罪」と「徳」

IGFの府立体育館のチケットが売り切れているという事です。
さすがに猪木ファンの私も半信半疑です。

しかし長く猪木のファンをしていると、アントニオ猪木の人気には独特の波がある事が分かります。
なんとなく静かに、何度目かの猪木の人気の波が押し寄せているかのような気がしています。

しつこいくらい記して来た事ですが、私は猪木信者ではありません。
猪木を信じていては身が持たない事を小学生の頃には気が付いていました。
しかし猪木のファンたちの実体というのは、信者たちの集まりでない事は、実は意外と知られていないプロレス界の一つの盲点です。

そして信者たちでない根強いファンに支えられている事は、アントニオ猪木というスターの強みでもあると思います。

色々な欠点、負の部分を誰よりも露呈して来たアントニオ猪木ですが、何故、これほどまでに根強いファンに愛されているのでしょうか?

暴露本をうのみにするわけではありませんが、猪木ほど側近の人たちに信頼されていない人間もいないでしょう。
そういう真実の猪木の姿は、我々にも垣間見えてしまいます。

本来ならば、そういう人間は過去の栄光にすがり、転落の人生を歩んでいく事が自然の摂理でしょう。

多くの罪を持つ(と決めつけてしまいましたが・・・)アントニオ猪木が、何故、地に堕ちないのか?

答えは簡単です。

側近の人たちに与えて来た罪以上に、我々ファンに対して「徳」を与え続けて来たからです。

ライガーは、猪木の付き人時代の想い出を語りました。
疲れながら走っている時も、ファンに会えば、必ず、笑顔を振り向いていた姿が印象深かったとの事です。

リング外でも、ファンを大切する姿勢を示すエピソードだと思います。
もちろん、ファンと距離を取る考えで意志を貫くレスラーは別の話ですが。

しかしアントニオ猪木の「徳」とは、リング外のファンサービス程度の事では在りません。

我々の為にヒーローを演じ続けてくれた、つまり、人の為に=偽の闘いを演じ続けてくれた熱量は、まさしく本当に消費した熱量でしかなかった事が何よりも一番大きい事なのです。

心の中で、どれだけ、善良な心を持っていても、何の熱量にも変化しなければ、何も人に与えるものはありません。
アントニオ猪木が、どれだけ、悪人であろうが、負の感情で動いていようが、リングの上で動き消費してくれた熱量は、我々に「勇気」や「闘う気持ち」というものを与えてくれました。

それが猪木の「徳」なのです。

特に若くして糖尿病を患ったアントニオ猪木の日常の倦怠感は、我々が想像出来ないものがあるでしょう。

そんな自分に活を入れ、リングの上で演じてくれた英雄像の余韻は、今もIGFを成功させるべく営業に走り回る猪木の姿にだぶってきます。

結果とは、結局は消費した熱量の大きさに比例するものでしかありません。

そういう意味で、IGF大阪大会が、IGFの認知のきっかけとなる大会であってほしい。
そして、そうなるだろうと私は思っています。

しかし今のプロレス村に認知される必要は無いと思います。
私は普段、プロレス雑誌等見ない人たちによってIGFが栄えてほしいと思っています。

プロレス村を脱出しなければ、いつまでも、平成的プロレスの価値観でしかIGFは評価されないのです。

幸い、辻仁成さんの監督映画、また西加奈子さんの小説によって、プロレス村以外の人たちにアントニオ猪木の事が再評価され始めています。

私は子供の頃よりアントニオ猪木を見続けてきました。
何度も、背けたい猪木の姿、呆れ果てそうになる猪木の言動を見続けてきました。
しかし、猪木ファンとして胸を張れるのは、一度も、猪木に裏切られたと思った事はないという事です。
常に猪木はファンに対して何かを与えようとして動いてくれる人間である事を知っているからです。

しかしもう猪木から何か与えてほしいと望む事は在りません。
ただ、もう一度だけ、多くの人たちから歓声を浴びる、アントニオ猪木を見たい。

それが実際の猪木ファンたちの本音の願いでは無いでしょうか?

そういう猪木ファンの人々の願いと、猪木の進行形の「徳」と「努力」の結晶が、今年、そして来年当たりに結実する事でしょう。

そして、その時こそ、最後の猪木の人気の波に成るはずです。

猪木ファンよ、最後まで、アントニオ猪木を応援し続けましょう。

私的・1976年のアントニオ猪木2/猪木を語った時間
昭和プロレス者/3・世界一平和を願う男・前田日明の行く末
昭和プロレス者/4・長州力という情動によるリアル猪木ゲノム
格闘技プロレスと皆が一言で片付けるので、格闘技プロレスを分類してみました

人気ブログランキングへ

posted by shingol at 01:17| 新・猪木ゲノムの正体を探れ!

2008年03月05日

感情をいたずらに露出しない猪木的純プロレスの世界/大木金太郎戦

私的に好きなアントニオ猪木の試合は数多く在るが、その中でも一番好きなのは、やはり大木金太郎との一戦である。

この大木戦は猪木の試合の中でも、猪木的純プロレスの完成度の高い試合であったと私は思っている。

小林戦は今に通じる大技の応酬の続くラリー型プロレスの走りでもあったので、私はそれほど好きではない。

猪木の純プロレスには、技の応酬等似合わないと思っているからだ。

その点、大木戦はプロレスが下手な同士の肉体の歪みの生じるようなアナログチックなプロレスであった。

私が忘れられないのは、大木の頭突きを受けて片膝をつく猪木の姿である。

長い足の猪木が片膝をつくという行為は、観客の視線を集中させるシーンでもある。
実は猪木はよくこういう演劇的手法を使った。

気合いプロレスで胸を突き出して、相手の技を受け止める今のプロレスに熱狂しているファンには分からない猪木の魅力だと思う。

猪木は感情を露出する事を極力控えた。
鬼の形相で見栄を切り、怒りの鉄拳で、観客が満足するまで相手を叩きのめすプロレスは肉体の衰えの始まった猪木の止むを得ない手法でもあった。


しかし全盛期の猪木は、常に、感情の露出はここ一番まで控えた。
しかし、ここ一番でも、観客に満足させるまでの怒りの露出は控えていたものだ。

常に余韻を残すのである。

この大木戦でも、そうであった。
片膝をつきながら気持ちの中にフェイクとも本気ともつかぬ怒りの感情を込める。
しかし感情はいたずらに露出しない。
頭突きを耐えた猪木が、やっと怒りの反撃を行なうが、それでも観客に、やや説明不足のまま試合を終わる。

後は観客の想像力に順番が回ってくる。

気合いを込めた凄い形相でチョップ合戦を繰り広げ、感情を爆発させる事こそが、プロレスだと思っているのなら、今のプロレス等絶対に世間から相手にされないであろう。

同時に今のプロレスファンからは絶対にこの試合の評価等される事はないであろうとも思う。

それくらい今のプロレス村と世間には大きな差があるのである。

今のプロレスファンには、試合後の猪木の涙を観てもらいたい。
少なくとも利己主義の冷たい猪木が流す涙等、所詮、都合の良い涙でしか無いであろう。
それでも涙を溜めるほどのリアルな感情を持って、この試合に「アントニオ猪木」を演じていたのである。
しかも、その涙を溜めるほどの感情は試合中は極力は抑えていなから、溜めながら、プロレスをしていたのだ。
実は、この感情の「溜め」は橋本真也がよく使った手法でもあった。



三沢光晴に対して何も求めないプロレス
人気ブログランキングへ
posted by shingol at 16:55| 新・猪木ゲノムの正体を探れ!

2008年02月15日

アントニオ猪木の一拍/スタン・ハンセン戦の想い出/小川直也の可能性

明日のIGFにはTAJIRIが出場する。
TAJIRIの事である。
プロレス下手な連中の揃う興行の中で、自らのサイコロジーとやらを発揮し、これぞプロレスの差別化と好評価を狙っているであろう。
具体的には、間を駆使して、理詰めの、純プロレス作品としての醍醐味を見せつける気であろう。

しかし所詮、演出された「間」に有機的な匂いは無い。
プロレスが少なくとも人間の肉体のぶつかりあいとしての有機的な娯楽である以上、TAJIRIの提示する「間」というものが、当日いかに昭和のプロレスファンにとっては無機的な味気ない演出物であるかを感じ取れるはずだ。

アントニオ猪木の「間」とは有機的な世界であった。

今回、来日するスタン・ハンセンとの闘いが例えにしやすい。
ハンセンのラリアットは、ハンセンにとって最大の武器でもあるが、実はアントニオ猪木のアナログ的演出にとっての格好の材料でもあった。
ハンセンのラリアートを綺麗なフォームで躱してカウンター技を放つ選手は多い。
しかしアントニオ猪木はハンセンのラリアートを機械仕掛けの人形のごとく綺麗に躱した事等一度も無かった。
以前も記したが、体表面積に対して足の長いアントニオ猪木は身体の折り畳みに普通の選手より時間がかかる。
結果、ハンセンのラリアートを躱す猪木の動作に、一拍、「間」が空く。
その「間」が攻防の攻守交代の為に、観客に僅かながらも凝視する時間を与え、攻守交代のシーンのサインとダイナミズムの予感を生み出すのだ。

おそらく、いかに失敗の無い機械仕掛けのアクロバットショーのようなプロレスに励み、熱中する、現在のプロレスラーやプロレスファンにはその醍醐味は分からないであろう。

TAJIRIがいかに無機的な「間」を演出しようとしても、アントニオ猪木の自然の「間」の持つアナログ的有機的演出感とは異なる世界である。

そういう「間」において現在のプロレスで長けている選手は、実は西村修でもある。
アントニオ猪木と同じような体型の西村は、プロレスの攻守交代のシーンにおいて、猪木同様の一拍の「間」を生み出すレスラーである。
西村修の逆さ押さえ込みの一拍ほどアナログ感の詰まった技は無い。
西村修は実はアントニオ猪木の「純プロレス」的演出の後継者でもある。
しかし「純プロレス」の部分だけの後継者でしかない半端なレスラーでもある。
「闘い」が無いからだ。

そういう意味ではプロレスのヘタウマ小川直也のプロレスの攻防のつなぎに少し注目してもらいたい。
下手だからこそ、プロレスの約束的な攻防に、一拍遅れを生じる。
攻防する両者の肉体がひずむ。
プロレス等所詮、人間同士の、極めてアナログな手作りの作業でしかない。
その、ひずむ攻防にこそ、潜在的なファンの求めるプロレスという娯楽の「間」がひそんでいるのである。
小川直也は、アントニオ猪木の純プロレスの部分の魅力と、「闘うプロレス」の部分の魅力、その両方を継承出来る可能性はまだ持っているのである。

人気ブログランキングへ
posted by shingol at 20:55| 新・猪木ゲノムの正体を探れ!